8 背中を押して

 明くる朝。ヒビキの姿はなかった。イクズスはため息をついた。

 朝餉の乗った盆を持った従者らしい少女を伴い、アキラが現れた時、イクズスは特に言い訳をしなかった。

 イクズスは行動予測を能力で行えるが、普段使えない。彼は、すこし察しがいいだけの剣士だ。なんでもかんでも言い当てて、他人を救った気になれるような人間ではない。

「彼には彼の考えがありましょう」

 朝餉を一礼して取る。麦粥と、干物、豆といったところ。上流階級らしい食事だ。

「でも、一人では」

「ええ、一人では限界がある。どんなに考えても答えが出ない時がある。」

 麦粥を啜るイクズスにアキラは当然の感想を持つ。それに対し、イクズスが一言述べると、彼はまた一瞬目を伏せたようだった。

「あなたにも悩みがあるように、ヒビキさんにも悩みというものがあるのでしょうね」

 その悩みをあえて聞くことはない。今はまだ、その時ではないはずだから。


                 *****


 一人で出てきてアテなどはない。ただ、自分と似たような顔をした少年が、ハーレムのように女性を従者にしてのうのうとしているのが、半ば嫉妬、半ば腹立たしさであったのが正直なところだ。

 洛中から洛外に出て、目についた屋台で飯をひっかけてから、人気のない方向へと歩みを進める。

 繰り返すがアテなど無い。ヒビキは生まれてこの方探し物は上手くない。それでも確信を持って進められるのは、ヒビキという男だからだ。不運の元に生きる、疫病神。良縁も悪縁も、自ずとヒビキの元に舞い込む。

 しかし今回はその姿は現さず、距離を取った何かの監視の気配だけしかなかった。積極的に接触を持たないそれらに対し、ヒビキも接触を取ろうとせず、何者かが通っているだろう道を進む。

 明るい昼だというのに生い茂る森故に先が見えない山道に、ぽつんと着物姿が見えた。平べったい石に正座をしている、女性らしい着物の人物だ。顔は角隠しの布でまったくうかがい知れない。

「妖を、探している」

 ヒビキは直球を投げた。こんなところに普通の女がいるわけはない。鬼が出るか、魔女が出るか。何にしても聞いた方が早いというわけだ。

「ここにそんなものはいません。早く山を降りなさい。」

 女性から発された声は、思ったよりも綺麗で、優しかった。

「月夜、という女だ。女狐かもしれんな。」

 ヒビキは食い下がって聞く。名を出すと、彼女はヒビキを角隠し越しに一瞥したのだろうか。

「あなたは?」

「ヒビキだ、お嬢さん」

 反応した彼女の顔を見るべく、ヒビキは積極的に前に出ていく。眼前に現れたヒビキの顔を前にして、彼女はさっと顔を背けてしまった。

「む、この香り」

 彼は近づいた時にほのかに流れた化粧の香りと違う香りに気付く。懐かしい記憶を刺激する香りに、考えを要する。

 ずっと、ずっと昔に嗅いだ香り。ヒビキが今よりもっと背が小さかった頃。

「お前が、月夜、か?」

「私に、何の御用ですか」

 ずっと昔のことなら月夜を母と仰いだことだろう。そして角隠しを取った妖女は、綺麗な金髪ストレートの美少女であった。

 ヒビキを見ても執着しそうにない儚げな美少女に、ヒビキ自身はため息をついた。こんな女が愛されることに狂ってしまう日が来るということが信じられなかった。

「何の用事と言ってもな」

 倒しに来た、というのはストレートすぎる。それにおそらくだが、殺すことは何も解決しない気がする。さりとて、これからの所業を止める、というのも気が長い。

 ならばとヒビキは提案する。

「俺はお嬢さんの恋の助けになるべくやってきた」

 と、唐突かつ怪しげな提案を行ってしまった。自分で言ってて、怪しさ爆発だと思っている。

「え、えと、私とアキラ様との縁を再び繋いで下さると?」

 信じた。こんなにチョロイものだろうか。

「っていうかアキラ様っつったか。ああ、見えて来たぞこれ。そうか、そういうことか。」

 月夜が恋する乙女の表情をしている。そこからも明らかであろう。そして、この時代でヒビキがすべきことは判明した。

 彼女と、あのアキラという少年をくっつけることだ。

 そしておそらくだが、失敗すると、アキラはヒビキになるのだろう。月夜とそんな会話をした覚えがある。ヒビキ自身は、月夜から生まれたわけではない。アキラを赤子にまで戻して、成長し直させた。その過程での何らかの呪厄がヒビキ自身を疫病神にしている。

(なるほど。本当に俺はこれが終わったらどうなるか分からんな。)

 今からしようとしていることは、自分の存在を進んで消すことだ。自滅行為。

 だからといってヒビキに迷いはもうない。自分は消えるかもしれない。それよりもおじさんの余計なお世話として、美少女の恋を応援したいという気持ちの方が勝る。

「はっはっは、任せておけ!」

 ヒビキは若き月夜に胸を張って答える。具体的な方策は何も考えていない。

「そこまでだ」

 本当にそこまでだった。いきなり現れた第三者の声と共に腹パンを撃ち込まれ、ヒビキは相手を視認することなく昏倒してしまった。


                  *****


『探しに行かないのか?』

「んー」

 アキラの屋敷に逗留するイクズスは、書物をめくっていた。ここ半年の出来事の記録だ。現代であれば新聞だが、この時代はそんな報道機関はない。公文書を読むほかない。この時代の特異な出来事を追うなら、こういう公文書が最適だ。

 イクズスは学があるほうだが、古語は門外漢だ。考古学を専攻する友人が昔いたが、流石に教わったことはない。

 こういう時は素直に能力を使い、文字パターンから文脈推測をしている。漢字という障害があるが、日本語であれば文字の羅列でなく読めなくもない。

 ただそれをしているだけでは、ドラゴンソルジャーはやや心配する。

「目的もなく動けないでしょう?」

『それはそうだが』

「ヒビキさんも子供じゃないんですからね」

 至極当然なことを言って、少々煙に巻く。別に会話が煩わしいわけではない。

 ドラゴンはロボの関節で器用に胡坐をかいている。

『こんなことをするためについて来たわけじゃないんだがなあ』

 そんなことを言っているドラゴンの気持ちは分からないでもない。やってきてすぐに敵が判明し、張り倒すことができれば早い話だろう。しかし、話はいつも簡単にはいかないし、ストレートに上手くいく余地はほとんどない。

(話がややこしくならなければ、大丈夫)

 イクズスはそんな風に思う。

 至極残念なことに、自分自身の戒めとしても、事件をややこしくするのはイクズス自身であった。

 ラフィールという女性は、そうしたイクズスの振舞いにイヤイヤ付き合ってくれて、時には全力で止めて来た。結果オーライ的に事を治めては来たが、今考えるとやりようがもう少しあったなどと思うのは、未練がましい。

(やりようがある、か)

 恐らくは強引に、影一族とやらを探し出して倒すことはできよう。イクズスたちの時代介入は、歴史的にさほど影響は与えない。それっぽい誰かの活躍として置き換わってしまうはずだ。歴史の修正力というやつだ。

 修正力でどうにもならない大きな影響力を残せば、後の時代にも影響するだろう。ただそんなことをできるアイディアは無いし、する理由もない。

「つまらんだろうが、やれることは結局地道なことしかないのさ」

 分かっていたことをわざわざ口に出す。ドラゴンが魂を持つAIだとしても、常識的な事は同意する。彼は大人だ。

「影一族。この時代ではいわゆる普通の【鬼】だな。」

『鬼』

 オウムのように単語を繰り返すドラゴン。

「この時代では、柳も幽霊も、よくわかんないものは大体鬼だ。影一族は得体の知れない妖術を使い都を度々襲いに来てる賊のようだ。」

『得体の知れない』

「物理法則も科学的解明もない時代だからこそ、それと分からないものは全て魔法なんだ。それを現代人がバカにするのは筋違いというものだろう。」

 理解の及ばない技術レベルの科学技術は魔法と区別が付かない、というヤツだ。ドラゴンソルジャーの存在は、この時代では魔法の域だ。もしくは付喪神として理解されるのだろうか。

「ともかく影一族は、決まって夜になってから襲撃をかけてくる。昨日勘違いされたのもそれが原因だろう。彼らは術で操る無機物を使うらしい。ゴーレムのような術かな?」

『摩訶不思議だ』

 どうあがいても通常の歴史で習う技術ではない。今イクズスが呼んでいる文書が、後世に伝わっているとも思えない。知らない歴史はなかったことになる。寂しい話だが。

「しかし、だというのに影一族がどのような目的を持っているかはまったく書いてないな。国家転覆とか革命とかありそうなもんだが。」

 悪の組織の目的。イクズスが一番考えるのは統一機構の世界征服だ。シンプルかつこれ以上に分かりやすい目的。

 テイル・ブロンドの先代総帥が打ち立てた目的をそのまま遂行している。武力による世界統一と世界平和を目指していることはあまり知られていない。イクズスとて、その目的を知りつつも抵抗している。

 話を元に戻そう。公文書には目的が記入されていない。影一族、これでは彼らはただの賊だ。目的は聞き出すほかないが、今回の目的には何も関係はない。

「いやぁ、それにしても、どこにも狐の妖怪の関わりなんて書いてなかったなぁ」

 イクズスは他人事のように呟く。そもそも論、妖怪とは何ぞやになる。これがファンタジーなら獣人やエルフやドワーフなど、理論はともかく種族として納得しろというところだ。あるいは、科学技術が神秘を払拭させる前の時代には、得体の知れない種族が跋扈していたのかもしれない。惜しむらくは、それを解明させる時間も余裕もないことか。

「細かいヒントだけで謎を推理しろって、そういう探偵モノじゃあるまいし、やってられるかと」

 イクズスは名探偵ではない。一応。

 そうこうぼやいている内に、地面が揺れた。突き上げる縦揺れではない。振動が伝わってくる横揺れだ。

「んー?」

 揺れの規模にもよるが、耐震構造など無きに等しい平安建造物である。揺れの大きさによっては、外に避難したほうがいいかもしれないだろう。

『なあ』

「うん?」

『揺れの原因、あれじゃないか?』

 ドラゴンがそう言って指し示した方向は、盆地状にある京から見える山肌の一部だ。見た目からにも鬱蒼とした山間の中から黒い巨人のようなものが見える。

 巨人というのは語弊があるが、遠目からでもそれが木よりも二倍の大きさを誇っているのが分かるからだ。

「ちょっと予想しないものが現れた」

 見えた現実的な非現実物体にイクズスは頭を抱えた。

「イクズスさん、ドラゴンさん、避難したほうがいいです!」

 慌ただしくアキラが飛び込んできて叫ぶ。ちょっと、少しだけ、ワンチャンと思ったが、やはりあの巨人は影一族の所業なのだろう。いつも通り夜に攻めてきて欲しい。正確な時間は分からないが、日は沈みかけている。それなら広義で夜かもしれない。

『あの大きさが来るのは困るだろう。足止めしなくては。』

「その通りだ」

 デスクワークはここまで。イクズスもドラゴンも立ち上がり、屋敷を出るのだった。


                *****


 ヒビキが目覚めた時、まず思ったのは既視感だ。明かりの無い空間に、身動きの取れない体。コクピットブロックのないカラミティに縛り付けられた時のそれに似ていた。もっとも今回の場合は強制的に縛られている。

「麻縄か? ええい」

 事前に縄抜けを仕込んでいるならともかく、何も無しに身体と腕を雁字搦めに縛られているとなると、抜けるのに時間はいるかもしれない。

「ごめんなさい」

 すぐそばで声が聞こえる。月夜の声だ。

「私と一緒にいたばかりに」

 彼女はすまなそうに言ってくるが、彼女の存在は見えない。空間が暗すぎる。

「謝るくらいなら尖った何か無いか? 縛られ趣味はない!」

 状況が分からない以上、怒るに怒れないこともある。感情の渋滞とはこのことだ。そうこうもがいている内に、急に麻縄の縛りが緩くなり、まず両手が抜け、体から縄が抜ける。

「まったく、何なんだ」

「亡霊機兵の内部です」

 縄から解かれ、立ち上がり、内部を調べようとしたヒビキに月夜が後ろから声をかけてくる。暗い空間に目が慣れてきて、月夜が出会った時と同じように正座で座っているのが見えた。角隠しはないが、俯いて、諦めたようにしなだれている。

「亡霊、何だって?」

「亡霊機兵。鉄と銅の身体を持ち、多数の亡霊によって巨躯を操る。亡霊兵の巨人です。」

「お、おう」

 説明されていることは理解するが、言わんとするところは理解できない。要するに何らかの巨人の中に入れられているようだ。

「この機兵は都へ行き、都を踏みつぶすのでしょう。自分たちが次の支配者だと誇示するために。そんなことのために私は協力したんじゃない。」

 中から出る方法はないかと、あちこちノックするヒビキの後ろで月夜が説明してくれている。彼女なりの生きる目的もあるだろう。恐らくは、その何かの理由から影一族に協力していたのだろう。その理由もだいたい予想はつく。

「それで、諦めるのか?」

 ノックし続けていると音の違う箇所を発見する。懐に手を入れると、いつも通りホルスターに銃は納まっている。ヒビキを捕まえた連中は、これが武器だとは分からなかったのかもしれない。

「アキラ、あのいけ好かないヤツ、好きなんだろう」

 月夜は何も答えてこない。

 ヒビキがアキラを嫌うのは同属嫌悪なのだろう。女の子に下心無しに優しくしたがり、まるで気のない素振りをして見せる。ヒビキが子どもならそうしただろう。ヒビキは大人であるつもりだ。そういう無責任なことはもうしない。風吹と高嶺、あとマオくらいで間に合っている。そして流石に、他人の女に手を出すほど畜生ではない。

「ここでくだを巻いてたところで、男はやってこないぜ」

「私もあなたも、ここで機兵に力を吸われて」

 月夜がヒステリックに言おうとした時、ヒビキは銃をぶっ放していた。甲高い音と共に、空間に穴が穿たれた。その穴を起点に、ヒビキは渾身の蹴りを放つと、装甲のようなものが剥がれて吹っ飛んだ。そこから外が見え、光が漏れた。

「道は開けたぞ。さ、お前のやりたいことを言ってみろ。」

 機兵の中から、都が見える。陽は沈みかけ、夜の帳が降りてくる。

 それでも、ヒビキと月夜の光の道が開けた。

「ヒビキー!!」

 亡霊機兵が進む先に、ドラゴンソルジャーと、その肩に乗るイクズスの姿が見える。

「おお、いい所に来たな!」

「そんなところで何してんですかアンタは!?」

 非難の声を上げるイクズス。ヒビキにとっては渡りに船なのだが。

「あの鈍感ドンパチハーレムバカはいるか!?」

 ヒビキはアキラの名前を呼びたくないために、やけに長い罵倒あだ名で呼ぶ。

「はああ!? なんで必要なんですか!?」

 イクズスは言われて誰を指すのかは直感的には分かったが、理由が見えてこず、聞き返す。

 そんなことより、この巨人を倒したほうが早いのではないか?と思っている。

「こいつを倒すのは簡単だ。所詮、鉄と銅をつなぎ合わせただけの怨霊兵器だ。それよりも、こいつの核にされている奴を救ってやんなきゃいけねぇ!」

「核ですか!?」

 問答の中で、イクズスは癖で巨人の構造解析に能力を一瞬使ってしまう。サーモグラフィーのように、巨人の力の流れを探ると、ヒビキと中にいる誰かから力が巨人に循環しているのが見えた。しかし、力の供給のほとんどはヒビキから流れている。

 ヒビキは巨人を怨霊兵器と言った。マジンの源流なのだろう。死者の怨念を魔力に見立て、兵器として操るのが影一族の主流なのだろう。彼らからしてみれば、人間一人で抱えきれない怨念、災厄、邪気を纏い、自らの強運不運を操作する力は疫病神の化身かもしれない。

 ヒビキ自身はそれに気付いていない。とすれば、そう説得すべきだろうが、ヒビキは別のことが要因だと思っている。であれば、彼の言う通りにしておいたほうがいいとイクズスは納得することにした。

「仕方ない。ドラゴン、Uターンだ。アキラを連れてくる!」

『了解した』

 ドラゴンは問答について何も意見を差し挟むことなく同意して回れ右する。来た道を戻り、都の南門でバリケードを築く武者たちの元に行く。

「どうして逃げないの」

 機兵の中で月夜は困惑する。諦念。ヒビキは彼女に全てを諦めている感情が伝わってくる。彼女にも事情があるのだろう。妖怪だから?それとも身分の差か?この時代の恋愛だからこそ、想いが上手く伝えられないこともあるだろう。

「想いをまた伝えたい、それを応援する。俺の目的は、何も変わっちゃいないぞ。」

「そんなことのためにあなたは」

「他人に好きを言うことは、そんなこと、か?」

 ヒビキは挑発的に言う。月夜の言うことは矛盾だらけだ。想いを伝えることに対して、とんでもなく不器用なのだろう。

 いや思い直してみれば、そういえばそうだった。彼女はそもそも受け身だった。元々、好きを伝えることが苦手なのだろうと思う。

「なら、会えたら、できるな?」

 月夜の答えを待たずして、ヒビキは可否を問う。月夜は答えに窮していた。

「月夜さーん!!」

 甲高い少年の声が聞こえる。

 ヒビキが外を見やると、洛中はもう近い。

 そしてドラゴンソルジャーが手にアキラを乗せて、再び巨人に近づいてきている。

「ほーれ来たぞ!」

 未だに覚悟を決められないダメ押しの声掛け。自称妖怪の女性は、おずおずと開かれた窓枠に近づく。彼女の眼前に広がるのは洛中と、巨人に並走するドラゴンソルジャー、そしてアキラだ。少年は紙束を握って手を振っている。健全な貴族の付き合いとして手紙の送り合いぐらいはしたのであろう。

「いけるな?」

 月夜に目配せして、最終確認を取る。もはやここまで来たら退くことなどありえないのだが、念のためである。ヒビキの確認に対し、彼に目もくれず頷く。

「よし、跳べ!」

 月夜の反応は満足のいくものだった。彼女の振り絞った勇気は、行動によってすぐに発揮された。巨人から飛び降りた彼女は、アキラに向かって落ちて行き、抱き止められるようにすっぽりとドラゴンソルジャーの手に降りて行った。

 巨人は空気を読んだかのようにドラゴンソルジャーを無視して都へ直進する。このままでは南門を破壊し、洛中へと入るだろう。

「ドラゴン、イクズスは!?」

『もう来る!』

 巨人の中に未だいるヒビキは、ドラゴンにイクズスが乗っていないことから、彼が今何をしているかの予想が付いていた。だから一応聞いた。

 洛中直前。巨人の目の前に、同じ大きさの黒い巨人が真っすぐ降り立つ。

 アルヴェーゼSIN。この時代にやってくることができたタイムマシン兼戦闘ロボがタイミング良く到着した。イクズスのことだ。乗りに戻らなくても、ある程度遠隔操作はできたのだろう。

『ヒビキさん、脱出しないと危ないですよ!』

「分かってるよ!」

 アルヴェーゼからのオープン音声が響き、ヒビキに脱出を促す。

「月夜にはああいったものの、結構高いなこれ」

 いざ自分が飛び降りるとなると、ちょっと足が竦む。そのちょっとの迷いの間にも、アルヴェーゼと亡霊機兵はがっぷり組み合ってしまう。

「わー!! ええい、一か八か!」

 ヒビキはもう猶予がないし、このままでは戦闘に巻き込まれると思い、巨人から飛び降りる。

 一方でアルヴェーゼは亡霊機兵を払い除け、左手に赤い光のオーラを貯めていた。

『剛腕爆砕、バーストナックル!!』

 アルヴェーゼの左の拳は赤く光りながら、亡霊機兵の胴を薙ぎ払うように粉砕した。そしてそのたった一撃で、亡霊機兵は停止し、その場で崩れ去った。



「大丈夫です?」

「いやぁ、命あっての物種。ちびっと腰抜かした。」

 ヒビキは地面に尻餅を付いて、呆然としていた。アルヴェーゼが膝を付き、首のコクピットからイクズスが声をかけた時も、未だに。

「まったく、一貫しない人ですねぇ」

「オジサンは少年じゃないんだよ」

 分かるような分からないようなことを言うヒビキは、ようやく下半身の土を払いながら立ち上がる。

 辺りはほぼ夜だ。洛中に篝火が焚かれているおかげで灯の光がわずかにその場を照らしている。

『終わったのか?』

 ドラゴンソルジャーが少年と女性を手に乗せて歩いてやってくる。

「終わったよ。そしてお別れだ。」

 ヒビキは頷き、二人の男女のうち、月夜にウィンクする。

『そうか』

 ドラゴンはゆっくりと男女を降ろす。そして、アルヴェーゼの側に歩み寄る。

「ヒビキさん」

 少年の方は言い淀んでいる。女性の方はヒビキの名をまっすぐ呼ぶ。

「あなたはこれからどこに?」

「さぁ分からん。でも、やりたかったことは果たしたよ。」

 ヒビキにだって、この先のことは分からない。元の時代に戻った先で、消えてなくなってしまうことだってある。

「さようなら、ですね」

「ああ、さらばだ、月夜」

 ヒビキにとって母のような存在であったがために、それ以上愛する気にはなれなかった女。その彼女との今生の別れだ。

 だというのにその別れはあっさりだった。ヒビキは夜闇で彼女をはっきり見ることはなく、声を受けながら、手を振って別れを済ませる。涙がいるような別れは必要ない。所詮違う時代の生きるもの同士だ。あっさりでいいのだ。

「さぁ、戻ろうか、俺たちの時代へ」

 ここに来た時と同じように、イクズスとヒビキはアルヴェーゼに乗り込む。ドラゴンソルジャーをアルヴェーゼで抱える。

 ほぼ丸一日の時間旅行を終え、アルヴェーゼSINは時の彼方へ飛び去った。


                 *****


 タイムマシンと歴史改変の論理は、実際には不確定な要素が満載である。

 特にアルヴェーゼで行う時間跳躍は過去にしか遡れない。そうなれば必然的に元の時代に戻れないものだが、今回の場合は元の時間軸にザイルを刺しているので、ロープを手繰り寄せるように元の場所に戻るから大丈夫らしい。

 ただそれでも。【月夜が世界改変を起こさないように歴史改変を行った】という修正が、元の時間軸に影響を及ぼす。故に、ヒビキたちは元の時間軸に戻ったつもりでも、修正影響で元の世界に戻るというわけではない。誰かがいない、誰かが増えている。そういった違う世界だ。イクズスもヒビキもドラゴンも、そういうことだと受け入れなくてはいけない。彼らはすでに歴史の特異点である。元の世界の記憶を持ちながら、影響を受けた新世界の記憶を受け入れなければならないのである。

 そしてそれはヒビキ自身にとっても、と本人は少なくとも考えていた。



                  *****


 振動と共にフジカワベースへとアルヴェーゼが着地する。元の時間軸から誤差10分前後。跳んだのを目撃した人間たちにとっては、もう戻ってきたのかというところだろう。

 格納庫から状況を見守っていたセティは首に下げたIDカードに違和感を覚えた。顔写真無しのIDカードがゲストカードではなく、正式な顔写真入りのIDカードに変わっている。

「あれ?」

 記憶違いに小さく呟くも、そうだったかもしれないと思い直す。

「それが改変かしら?」

 背後から聞き覚えがあるような、ないような、年上っぽい女性の声がする。

「え?」

「大丈夫?」

 振り返ったセティの前に、黒髪をふわふわさせた女性がいた。胸は大きく山なりになり、その胸の谷間がビスチェによって強調されている。女性としてセックスアピールをする一方で、羽織っている外套は、なぜかファッショナブルな印象になる。セティよりも長身で大柄だからだろうか。

 外套の胸ポケットにはIDカードが付けられており、水瀬ルイという名前と魔術アドバイザーという役職名が併記されている。

 そうだった、この人はルイセだ、とセティがまた記憶違いを起こした。違和感を大きく捉えず、頭で納得しつつ、アルヴェーゼから出てきたヒビキとイクズスを出迎える。

「夢じゃないな? 俺、存在してるな?」

「してるしてる。間違いなく。」

 イクズスもヒビキも変わりない。ヒビキが、顔や体を撫でさすりながら珍妙に自身を気にしていることからも、おそらく時空転移先で目的を果たしてきたことは伺える。

「ヤッホー」

 セティを押しのけて、明るく出迎えるルイセ。それを見たイクズスは、明らかに表情を変える。ヒビキは不思議そうな顔をしている。

「ルイセ、さん!?」

「うん? あれ?」

 イクズスはルイセに見覚えがある。あるにはあるのだが、前の時間軸にいなかったことは覚えている。ヒビキはいたようないなかったような、さりとてこんな美人は見なかった気がすると判然としない。

「確実に、!!」

 イクズスには違和感を確信できた。これからその差異を明らかにしなくてはならない。

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