Epilogue
EpilogueのためのBGMです。
よろしければ流しながら読んでください。
Summer Memories
https://www.youtube.com/watch?v=2cSPGBqI-WE
↓本編
ある夏の日。
俺はじめっとした暑さでいっぱいになったバスの中で揺られていた。
エアコンから流れてくる湿った空気が頬を撫でてくる。その感触が不快で仕方なかったが、だからといって対策ができるかと言われれば無論不可能と答えるしかない。
少しでも外の空気を入れればマシになるかと思って窓を開けると、気休め程度には涼しい風が入り込んでくる。
そこでようやく俺は窓の外に広がる風景を目にした。
「海だ……」
高速で去っていく景色の中でも、その青は広大さ故に穏やかに流れていく。太陽の光を反射してキラキラと水面が輝いていた。
自分が田舎に来たのだということを改めて実感する。家から電車を乗り継いで、途中からバスに乗り換えて早くも二時間が経とうとしている。随分と遠くまで来たようだ。
俺の他に乗っているのは何かが入っている風呂敷を膝の上に乗せている、絵に描いたようなおばあちゃんくらいで、だからバスの中は道路の上をタイヤが走る音とエンジン音くらいで静かだ。
「わざわざ実家に帰らなきゃいけないとか……」
そんな愚痴が無意識に漏れた。お盆の時期になるといつもうちの家族は実家に帰る。それは毎年行われてきた恒例行事だ。
ただ両親は仕事の用事とか何やらで少しこちらに来るのは遅れるらしい。もう俺も中学生だからと先に俺が帰省することになったという次第だ。
はてさて、こうなると帰省という単語の意味がよくわからなくなる。俺にとっては実家ではない場所に一人で行くことを、はたして帰省なんて言葉で表現するだろうか。
実家に住んでいるおじいちゃんとおばあちゃんに会うのは別に嫌ではないけれど、それにしたってやることがなくて暇だ。
「はぁ……」
軽くため息をつくと、ドッと一気に全身が重くなった。ついさっきまで眠ってしまったせいで、さらに気分が暗くなってしまったせいもあるのかもしれなかった。
「…………」
夢を見た。
それはとても悲しくて、でも幸せな夢だった。具体的な内容はもう思い出せないけれど、その感情だけは強く心に焼き付いている。
会いたかった人がいた。その人を助けたかった。その人に、笑っていてほしかった。
それらの願いはきっと全て叶って、そしてその人は二度と覚めない眠りについた。
そんな夏の夜を俺は夢見た。
随分と感傷的な夢だと思う。今までそんな存在がいたことはない自分が見る夢だとは思えなかった。家族は確かに大切に思っているけど、それとはどこか違う。
友達も多くはないがいる。でもそこまでの感情を抱いたことはない。というか同性相手にそこまで思うようになるのなら、俺は同性愛者ということになってしまう。
もしかしたら、前に読んだ小説か何かの影響なのかもしれない。そう思うことにしてぼんやりと外を流れる風景を眺める。
やがてバスは終着点に着いて止まった。荷物を手にして料金を払おうと財布から一万円札を出すと、運転手が渋い顔をする。両替が面倒なのだろうか。ただあいにく財布の中にはこれしか入っていない。
「あ、両替お願いします」
「いや、うち両替できないんですよ」
「えっ?」
背筋が凍る。財布の中には他に払えそうな小銭も、それより小さいお札もない。だから一万円札を出したのだが。
「ど、どうにかならないんですか?」
慌ててそう問うも、運転手の方も困ったように苦笑いを浮かべるのみ。
まずい。これは無賃乗車ということになってしまうのだろうか。
いや、お金がないというわけではないのだ。ただそれが使えないというだけで。いや、払えないのならそれは無賃乗車も同然か。
普段バスなんて使わないから、こんなことになるなんて想像もしていなかった。だがよくよく考えてみれば、一万円札を両替できるのなら千円札を大量に用意しておかなければならなくなる。冷静に考えて現実的な話ではない。
どうしてこんな簡単なことに気が回らなかったのだろうか。自分のマヌケさが嫌になる。
辺りを見渡しても両替してくれそうなコンビニとかは見当たらない。
一体、どうしたらいい?
そうああでもないこうでもないと思考を巡らせていると、肩をポンと叩かれた。
「どうしたの? お金がないのかな?」
振り返ると、一緒に乗っていたおばあちゃんがいた。温和な表情と雰囲気に少しだけ安心してしまう。まだ何も解決していないのに。
「ないわけでは……、いや、ないです……」
「そうなんだ。じゃあ私がこの子の分まで払いますよ」
「えっ?」
そう言うとおばあちゃんは慣れた手付きで二人分の料金を払って、バスから降りていく。
「ちょ、ちょっと……!?」
おばあちゃんを追って慌ててバスを降りると、キィーと古臭い電子音が後ろから聞こえた。
「ありがとうございますー」
運転手が棒読みのようにそう口にして、バスの扉は閉まった。
「あ、あの、お金……」
「ああ、うん。別にいいよ。そんなに高くなかったしねぇ」
「いや、それでも……!」
「いいからいいから。子供がそういうことを気にしないの」
穏やかな笑顔を浮かべながら、俺の先を歩いていくおばあちゃん。俺がそれについていくように歩いていると、ふいに潮の匂いが俺の鼻をついた。
降りた直後には気づかなかったが、さっきのバス停は海辺にあったらしい。左を見るとそこには一面の海が広がっていた。
窓越しに見たさっきよりもどういうわけか雄大に見える。
広い。大きい。
語彙力が失われてしまうくらいに、その光景は俺を飲み込んでしまっていた。
「……?」
どうしてだろう。
この風景に、胸を締め付けられるような感覚に襲われる。あんな夢を見たせいでまた感傷的になっているのだろうか。
「あら、海見るのは初めて?」
いつの間にか足が止まってしまっていたらしく、おばあちゃんは俺よりも少し先にいた。
「い、いえ。初めてじゃないですけど……」
家族で海水浴に行ったりしたこともあるから、海自体を見たことは何回もある。ただ単にここで海を見るのは初めてだというだけで。
おじいちゃんとおばあちゃんの家は海辺から少し歩いたところにあって、別に海の家があったりするわけでもないからここで海水浴なんてしたこともなかった。
「まぁ波揺の海は綺麗だからねぇ」
と、どこか誇らしげに口にする。本当に綺麗な海だ。堤防に上って上から見下ろすと、水は透明に透き通っていて海底がうっすらと見えるほどだ。
「そうですね……」
ぼんやりと波に揺れる水面を見ていると、そのまま眠ってしまいそうなくらいに海は穏やかだった。さざ波の音が耳に心地よい。
「そういえば君、歳は?」
「えっ。あ、14です。今は中学二年生ですね」
学年まで言う必要があっただろうか、なんて考えていると、おばあちゃんはそんなことは気にしない様子で、あら、と声を上げた。
「そうなの? じゃあうちの孫と同い年ねぇ」
「ここに住んでいるんですか?」
正直驚いた。ここに来ても自分と同じくらいの年齢の人を見たことはなかったからだ。
「ううん、夏休みだからこっちに来てるだけだよ」
「そうなんですね」
なら納得だ、と思うのも失礼なのかもしれないが。しかしもしできるのなら会ってみたい。周りは親戚くらいしか話せる人はいないし、気が合うかはわからなくとも歳が同じなら友達になれるかもしれなかった。
「あ、でも……」
おばあちゃんが口籠る。何かを思い出したように手を口にあてた。それまで穏やかだった表情に影が宿る。
「どうしたんですか?」
「…………」
おばあちゃんは押し黙ったまま、何か考え事をしているように見えた。気づいていないだけで何か失礼な物言いをしてしまっただろうか。あるいは失礼なことを考えていたのが伝わってしまったのか。
そんな風にあれこれ可能性を挙げていると、おばあちゃんが俺の方を向き直った。優しいけれど、真剣な眼差しが俺を見つめる。
「ちょっと、会ってくれんかな?」
「えっ?」
――――
夢を見た。
永い、永い夢を。
そこには絶望しかなかった。
この世界の闇そのものを目にしてしまった。
私は、何もかもに絶望した。
最初から、生まれてこなければ。
そんなことも思った。
こんなことも思った。
こんな世界なら、なくなってしまえばいい。
――――
さっきのバスでの一件もあって断るに断れず、そのまま半ば強引に連れられて、おばあちゃんが住んでいるという家まで来てしまった。どうやらその孫とやらは今は家にいるらしい。
見るからに古めかしい家だった。ちゃんと手入れはされていて汚いという印象は抱かないが、それにしてもボロボロなのは否めない。
「すごいでしょう? ずっと前からあるからねぇ」
俺の反応を見て思っていることが伝わってしまったのか、おばあちゃんは笑いながら俺にそう言う。
「ずっと住んでるんですか?」
「うーん。まぁ長いねぇ。でもこの家自体は私が住むよりも前からあるから」
住むよりも前、ということはおばあちゃんよりも以前に住んでいた人がいるということだ。そうなると本格的に、一体何年前に建てられたのかが気になり出し、ついには不安にもなった。もしも大きめな地震でも来たら、その時は一発でアウトなのではないだろうか。
ふと上を見上げると、その家の二階の窓が開いているのが見えた。窓のすぐ下には倉庫が備え付けられていて、まるで上って入り込んでくださいと言わんばかりだ。この防犯の甘さが何とも田舎らしい。勝手なイメージだけど。
「ささ、上がって」
「えっ? 上がるんですか?」
てっきり向こうが出てくると思っていただけに面を食らった。と言うか、いきなり家に上がって来られるなんて心証が悪くないだろうか?
そんな俺の心配はよそに、おばあちゃんは家に入ると二階へと上がってしまう。ついて来いということだろう、と理解して階段を上る。他人の家特有の匂いがして、どこか落ち着かない。
「あの子ね、今ふさぎ込んじゃっているの」
「えっ?」
階段を上っているとおばあちゃんが突然そんなことを言い出した。
「部屋からね、出てこないの……」
一体何の話をしているのかわからなかった。
ひきこもり。
そんな単語が頭の中を過る。
「学校でね、いじめに遭っていて。それで夏休みになってうちに来たんだって」
「いじめ……」
唐突の陰鬱な話に、俺は何も返すことができなかった。
どうしてそんなことを自分に話すのだろうと思いつつも、それに対して不快感をあまり抱いていない自分もいた。
もしかしたら俺も似たような経験をしたことがあるからなのかもしれない。
いじめという単語を思いつくこともなかった頃。自分の周りに味方がいるなんて考えることもできなくなっていた。
悪意なき悪意に囲まれていた俺もまた、誰にも心を開けなくなった時期がある。学校があるから家からは出ていたが、もしも夏休みのような長期休暇があったら、俺もまた家から一歩も外に出なくなっていたかもしれない。
「でも、私じゃもうおばあちゃんだしね……。あの子もあまり話してくれないの」
「だから、歳の近い俺を……?」
おばあちゃんは黙って頷くと、いつの間にか止まっていた足を再び進め始めた。
階段の最後の一段を踏み越えると、そこからすぐのところでおばあちゃんは立ち止まった。
閉ざされた扉の前で、立ち尽くしている。こわばった表情から緊張がひしひしと伝わってくる。
「美奈ちゃん、入るわね」
「……えっ?」
その瞬間、頭を殴られたような衝撃を受けた。
クラクラとして、その場で立っていることすらもかなわなくなって、数歩俺はよろけた。
一体どうしたことだろうか。
本当に殴られたのではないかと思って周りを見渡してみるも、他にいるのはおばあちゃんしかいない。
「……なに?」
扉の向こうから声がする。それはひどく弱々しい女の子の声だった。
「美奈ちゃん、今も辛いの……?」
「……なんでもいいでしょ。ほっておいてよ」
苛立っているような言葉だったが、その声には覇気がない。何の感情も含まれていないようにも聞こえる。
まるで、世界のすべてに絶望しきったような――。
「でも、美奈ちゃ――」
おばあちゃんがドアノブを回した瞬間、何かを叩きつけたような大きな音が鼓膜を貫いた。
「ほっておいて……っ、お願いだから……!」
懇願するような声。
それは怒りではなかった。
ただ、悲しみだけが込められているようだった。
単純にいじめられただけで、こんな風になるのだろうか。そんな違和感が胸の中で居座る。
違う、ような気がした。
その悲しみの源泉は、そんなところじゃなくてもっと深い、言うなれば深淵に潜んでいるように感じられた。
「あ……っ」
次の瞬間、一瞬だけ扉が開く。彼女が物を投げつけた勢いで、ドアノブの回っていた扉が開いてしまったのだ。
開かれた部屋の中が見えたのは、ほんの一瞬。まばたきをしたら見逃していたであろうくらいに短い間だった。
中にいる人物によって勢いよく扉が閉じられたと認識したと同時に、俺は手にしていた荷物を床に落とし、そして走り出していた。
おばあちゃんが何かを後ろから言ってくるけれど、構わず階段を駆け下りて外へと向かう。
あの部屋の中にいた女の子の目が、本当にそのまま死んでしまいそうだと錯覚してしまいそうなほどに黒く淀んでいた。
助けなきゃ。
その思いが俺を突き動かしていた。
靴も履かずに外へと飛び出して、左へと急カーブする。その先にあるのは、俺が向かう先は、倉庫だった。
「はぁ……、はぁ……!」
息が切れる。こんなに急激に走り出すなんて慣れないことをするものじゃない。
それでも休む間もなく倉庫の縁に右足をかけた。その倉庫の上から簡単に入れる窓があった。あの窓があの部屋に通じていると、どうしてだか強く直感した。
「ちょっと君、何やってるの!?」
下からおばあちゃんの声が聞こえてきて、追いつかれてしまったと理解する。だが、俺は上るのをやめない。
あの窓が閉じられてしまったら、きっと取り返しがつかないのだと。
やっと得られた瞬間が、また永遠に遠ざかってしまうのだと。
一生消えない後悔がこの身について回るのだと、確信していた。
わからない。
どうしてこんなことをしているのか、どうしてこんなに今、自分は必死になっているのか。
余計なことを考えるのはやめた。
ただこの衝動に身を任せることにした。
倉庫の天井にやっとのことで体を乗せて、窓の縁を飛びかかるように掴んだ。そこから見える部屋の中はまだ昼下がりなのに真っ暗で、人がいる気配がしない。
一瞬自分の勘違いだったかもしれないと不安になったが、慌てて中を見渡すと部屋の片隅に小さくうずくまる人影があった。
「だ、誰……?」
怯えているように体を震わせる一人の女の子。
初めて会ったはずなのに、どこかそんな気がしなかった。
顔も知らない。名前だってついさっき聞いたばかりだ。
「君を、助けに来たんだ」
口から自然とそんな言葉が出てきた。自分でもなんて臭いセリフなんだろうと思ったが、でも不思議なことにしっくりと来てもいる。
「変わった名前だね……」
「違う、名前じゃない」
「誰って私は聞いたんだよ?」
「わかったよ……」
なんか似たような会話が前にもあった気がする。いつだったか思い出せないけれど。そう感じたのは彼女も同じようで、狐につままれたような顔をしている。
「正太郎だ」
そう自分の名前を名乗った瞬間、彼女の目が大きく見開かれた。
「……えっ?」
そしてついさっきの自分と同じように頭を押さえると、苦しそうにうめきながら俺の顔を見つめてきた。
「しょう……たろ、う……くん……?」
具体的なことは何一つわからなかった。
この感情の正体も。この奇妙な感覚の正体も。何もわからない。
でもただ一つだけ確かなことがあった。
俺も彼女も、お互いを知らない。
でも、知っている。
そんな矛盾した事実だけが、俺たちにとっては真実なのだと思った。
数歩、彼女の方へ歩み寄ると、途端にその表情は恐怖の一色で染まり上がった。
「い、いや……っ!」
彼女の手が俺を拒絶する。
「あなたもいつか私を裏切る……! あなたが裏切らなくても私が裏切るかも……。人間なんて……生きている価値なんてないの……っ!」
「そんなことない」
「あるよっ!!」
強く彼女は叫んだ。その声音と勢いに思わず全身が萎縮してしまい、足が止まる。
「見てきたの……たくさん。汚いところ、嫌なところ、嫌になるくらい、いっぱい……」
その光景を、なぜか自分も知っている気がした。やはりこうなってしまった直接の原因は、いじめではないのだろう。ただ記憶を呼び起こす引き金になってしまっただけに過ぎない。
「違うよ」
「あなたに何がわかるの?」
「君ほど、とは言えないけどわかるんだ。人間は、いや、この世界に生きる生命そのものが、醜いものなんだ」
彼女はまだ知らない。きっと忘れてしまっているのだ。
俺たちが『宝物』と呼んだものの輝きを。
「でも、それだけじゃない。この世界は闇に閉ざされているんじゃないんだ」
「……なに、その何もかもわかってるみたいな言い方」
彼女は不機嫌そうに俺を睨む。まだ、届かないのか。でもそれ以上言い返してこないのは、逆に俺の話に対して何かしらの思い当たる節があるからなのかもしれない。
そう、信じることにした。
「……本当に」
「ん?」
ボソッと声に出された言葉を聞き返すと、また彼女はうつ向いてしまった。
「本当に、そうなのかな……。綺麗だって、思えるのかな……」
床に水滴が落ちる音がした。
淀みきった空気を裂くように。
黒く染まった部屋を洗い流すように。
「私だって……嫌だよ……っ。こんなの、信じたくないよ……!」
自分が存在する世界が醜く歪んでいるなんて、誰もが知らずに生きていたい。もし知ってしまえば、その一部である自分すら穢らわしい存在に思えてしまうから。けれどそれは土台不可能な話だ。
生きていれば誰しもが不幸を知る。欲望に塗れた面を目にせずに一生を終えられるほど、この世界は綺麗ではない。
「でも、これがただの妄想じゃないってわかるの……。本当なんだって、わかる……。だから――」
「本当にそれだけだった?」
「えっ?」
彼女が目にしたのは暗い側面のみではなかったはずだ。その中にはきっと人の幸せも映し出されていた。
ただ、彼女の記憶からたったひとつのものが抜け落ちただけで、絶望が覆い隠してしまったのだ。
「本当に、世界は悲しみしかなかった?」
「…………」
「俺は知っているよ。この世は辛いことだらけだってことも。でもそれと同じくらい、ううん、それよりもたくさん楽しいことや嬉しいことだってあるんだって」
「どうして……。そんなこと、言えるの?」
彼女の瞳が潤んで、それを見られたくないのかまたうつむいてしまう。自然とその手が胸を押さえていた。
「君が、教えてくれたんだ」
答えはたった一つだ。
たくさんの情景が俺の心を包み込み、そしてその幸せな感情を染み込ませてくれた。
「私が?」
「そうだよ。星空は、こんなにも綺麗なんだって」
一面に星々が敷き詰められた風景が、脳裏に浮かび上がってくる。
「世界はこんなにも、美しいんだって」
自分で何を言っているのかわからなくとも、その思いは、感情は本物だと言えた。
「美奈」
彼女の名前を呼ぶと、ビクッと肩を震わせる。今まで女の子を下の名前で呼んだことなんて一度もなかったのに、それは本当にすんなりと口から出た。
「行こう」
手を差し伸べると、美奈は目をぱちくりとしながらその手のひらを見つめていた。
もうこれ以上の言葉はいらないと思った。あとは待つだけでいい。
美奈がこの手をとってくれたなら、そしたらあとは俺が引っ張り出してあげるから。
あの輝いていた日々に、澄んだ青空の下に、連れ出してあげよう。
いつか、君がそうしてくれたように。
それまで下がっていた右手が、ゆっくりと上がって俺の方へと伸ばす。
それはまるで何も見えない暗闇の中で見つけた一筋の光を求めるように。
ゆっくりと、手を伸ばす。
そして俺たちは初めて、触れ合った。
――――
そもそもそれが歪ませる余地などなかった。
あれほどの奇跡を起こした二人だ。
もう一度出会うなんて、そんなものは彼らにとって最早奇跡でもない。
必然とすら言えるだろう。
それは願う。
どうか、二人に祝福を。
限りある時の中で、限りない幸福を。
――いや、それは少し間違っていたか。
三人、だったな。
――――
夏の太陽の光が俺たちに降り注ぐ。
目が眩みそうな空を見上げると、そこにあるのは雲ひとつない紺碧の空。
耳に聞こえてくるのは海から流れてくる波の音と蝉の声。そして潮風は音とともに匂いも連れてくる。
アスファルトで舗装された道を、俺たちは歩く。
「ねぇ、どこに行くの?」
繋いだ手の先にいる少女が、家を出る時に被った麦わら帽子を押さえながら俺にそう尋ねてきた。
どこへ行こう?
言われてようやくそこに思い当たって、俺は足を止めた。
山もある。海もある。探せば他にもたくさんあるだろう。この夏休みを楽しむのに事欠くようなことはないはずだ。
そうだ、俺たちはどこへでも行ける。
「どこに行こうか?」
「え、決めてないの」
彼女が驚くと、その後に少し呆れた表情を浮かべた。
「じゃあ、最初は海に行こう」
そう俺は少女の手を引いてまた歩き出す。
「う、うん……」
弱い力で握り返してきてくれる、小さな手の感触がすごく嬉しい。
こうしてまた一緒に歩いていけることが、たまらなく嬉しくて涙が出てきそうになる。
「どうしたの? どこか痛いの……?」
俺の様子の変化に気づかれてしまったらしく、彼女が俺の顔を覗き込んでくる。
「べ、別に何でもないよ。ほら、海はもうすぐそこだ」
俺たちは歩く。いま握りしめているこの手を絶対に離さない。ずっと君のそばで、君を守る。
つぅ、と一筋の汗が頬を通り抜ける。もう少しだけ歩いたら、どこかの木陰で休むのもいいかもしれない。
それで一休みしたらまた歩き始めよう。ゆっくりでもいいから、一歩ずつ。
そしてこれから作っていくんだ。
俺たちの『宝物』を。
おわり
本作品のエンディングテーマです。
Cradle Song For The Two / 初音ミク
Youtube:(https://youtu.be/k6S5JYzd17g)
Nico:(https://www.nicovideo.jp/watch/sm35633103)
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
転生しすぎた勇者に休暇を 庵田恋 @Anda_Ren
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