Y君に近いらしい人々が、火葬場へ向かう車に乗った。先の女性もいなくなっていた。斎場に取り残されたのは僅々数人で、はじめ殉一には自分一人しかいないと思われたほどだった。殉一は傍目にはY君に白い花を捧げただけで、たしかに何か、自分を持て余しているような気がした。そうして、どうしようかとキョロキョロしていると、傍にいた体格のよい礼服の男性(岩木ではない)が殉一のほうへ歩み寄ってき、

「もし、ちょっといいですかな……」

 それに細身の男もついてきて、殉一をジロリと見た。

「は、はあ」

「あなたは先刻、ちょっと遅れてきたようですけど、あなたはYさんの……」

「あ……ぼくはY君の大学の友人です。同じ、学科で」

 と、殉一はオドオド言った。二人とも、殉一の見たことない人物だった。

「ではお聞きしますがね、Yさんが先日亡くなったわけ、どうして亡くなったのかを、あなたはご存知ですか」

「Y君……いえ、それについては、全然」

「へえ。そうやって……」

 と大柄の男性が小憤を浮かべて、

「単刀直入にお聞きしますがね、Yさんは、あなたが殺したんじゃないですか。違いますか。どうせ知ってるんでしょうけど、改めて聞かせてあげますとね、Yさんは殺されました。殺人です。世間的な発表では、そもそも発表があるかどうか分かりませんが、Yさんの死は自死ということにされるでしょう。皆、そう言っている! しかし事実は違う、違うはずです。それで、われわれはその殺人犯人、殺人犯罪者を、他ならぬあなたなのではないかと、そう睨んだよしです。で、どうなんですか。早く答えてくださいよ」

「なにを……。ちょっと待ってください。まず、あなた方は、いったい、……」

「われわれ? われわれは死んでなどいない!」

「ええそうでしょう。それは、分かります。だから、あなた方は誰なんですか。警察の方ですか」

「だったらどうで、そうでなかったらどうなんですか。答えは変わらないでしょう。あなたは、Yさんを殺したんでしょう?……」

「何ですか。何故、ぼくなんですか!」

 殉一はほとんど躍起になって言った。けれども内心では、その不明で手前勝手な容疑に、無意識に怯えてもいた。

「じゃあ、言ってしまいますとですね……あなた、あなたは、Tという画家が好きでしょう。これが結論、あなたを疑うに至った決め手なんですよ」

「何ですか、それは。まったく意味が分からない。それに、T? もしかしてタナカのことですか? たしかに、ぼくが現代の画家で好きになれるのは、タナカくらいしかいません。というかあの人は単純に凄い。Tじゃなくてタナカですが、ぼくはたしかに好きですが、それがどうして?」

 大柄の言い分はこうだった。Tもといタナカは悪い画家である。画家というのは本来悪くないと説明がつかないもので悪くない画家は画家ではないが、しかしそれにしても、タナカほど悪くて無利益な画家はいない。悪いとか無利益というのはどちらも、国に対して、ということで、つまりタナカはこの国全体の敵である。何しろタナカはこの国の一番偉いとされていて実際に一番偉いあの人をまるで侮辱するかのような絵を描く。タナカのそれは得手勝手で理解不能だ。いったいタナカは高校を卒えて、だいたい十五年間ずっと絵を鑑賞するだけの生活だった。それが今の作風に関係しているのか?……絵を観る者の常として、その十五年間、タナカは同時に描くこともした、しかし完成したのはたったの二作だった。とまれ結局タナカは、古いスタイルでいくつかの作品を描き、ファンを得たものの、最近は本人も言うように下降気味である。それなのに売れる見込みのないもの、詳しく言えば昔逗子でガス自殺した画家みたいな、結婚と離婚を繰り返したマゾで変態の画家みたいな今風でないもの、それとさっき言ったようなあの人やこの国を悪いように表すものばかりを描き、ファンは減り続けて、それでも絵を描くしかできなくて、いまこの国にタナカのファンは殉一しかいない。ということだからYさんを殺したのは殉一だ、これ以上に明確な証左はない。

 これを述べる大柄の横で、細身の男は殉一へ粘っこい睨みをきかせ続けていた。

 その殉一は黙って聞いていたが、大柄の言葉が途切れると、

「それは、あんまりひどい言い方じゃないですか。しかも意味不明だ! たしかにタナカは、世のため人のためには描かない、自分のためにしか描かない、と公に言っています。それに、あなたの言ったようなきらいがあるのも事実です。とくに『A』とか『美しい最期』、『炎の家』を言うのでしょう。確かにそうです。不敬です。でもタナカは現に、何か政治的なたくらみや主張があるのではなく、個人的な興味で描いているだけだとも言っているんです。だからあなたの考えは飛躍しすぎている。そもそも芸術っていうのは、誰かとか何かのためにやっては成立し得ないものではないでしょうか。そうでしょう。どこにも余裕がある人から生まれる作品は芸術とは違って、全然大衆向けのものです。そういう意味では、タナカはいまのこの国に数少ない芸術家ではないですか。違いますか。あなたがたはちゃんと観ましたか。『炎の家』なんて、あれはとんでもない……」

「とにかく、じゃあ、タナカ氏はいい画家ではないということだ。そうでしょう」

「だからそれは……」

「あなたがその画家の唯一のファンで、あなたの友人のYさんが殺され、その葬儀にあなたが来た。したがって、あなたが殺人犯人だ!」

「そんな馬鹿なこと……ぼくは普通だ! ただ、芸術をやっているだけで……」

「そら言った! だから、お前は殺人犯人なんだ。そうじゃなければ、自分がYさんを殺していない証拠を、出してもらおうかな。まあ、出せるわけないだろうけど!」

 大柄の男は悪そうに絶叫した。殉一以外の人にこれが聞こえているとは思えない、まったく理不尽な叫びだった。しかし殉一は、たちまち前後が分からなくなってしまい、あたふたと、自分の居場所を探さなくてはならなかった。

「Y君が死んだ……しかしY君はぼくとは違った、根本的に! Y君の矛盾は、世の大方の人が持ち合わせてる、それでも本当なら持ってはいけない、そういう矛盾だった。そのはずだ。Y君が殺されたのなら犯人はぼくでもタナカでもない誰かだし、自殺したのなら、理由はまず対人関係だろう。とにかくぼんやりとした不安だとか、絵を描けなくなっただとか、そういう自分の内面との葛藤のために死んだのではない、もっと人として達者な理由で、死を選んだんだ。Y君が実際に自殺だったとしても、彼らはぼくを犯人だと言うだろうか、ぼくがタナカのファンである限り? 自殺でも誰かが殺したことになるのか。いや、そんなはずはない! だって、それなら自殺をし遂げなかった人は、誰かに生かされたということになるじゃないか。例えば、本当に死にたければ腹を真一文字に切り裂けばいいし、もし失敗したらもう一回やればいい。人生が駄目で首を吊ろうとして、しかるにその締める紐が切れたなら、別のもっと太い紐で吊り直せばいい。何も、それでよすことはないんだ。それでもよしたのは、自殺しようとしたくても本当に死にたくはなかったからで、死ねないと気付いたからで、怖かったからで、決して誰かに助けられたのではない。…………そんなことはどうでもいい! さてY君は、Y君の場合にはどうか? ぼくはY君に素直になった、直前の金曜日に。もしか、その教えた内容が間違っていたとしたら?……いいや、これは関係ない、考えたくもない! 彼らはぼくに、ぼくがタナカのファンだから嫌疑を向けた、と言ったから。簡単な話、仮にぼくがタナカのファンどころか、絵画そのものさえ好きじゃなかったとする。すると、ぼくとY君との間には初めから何も生まれず、どこにも発展しない。しかしぼくは現に絵が好きだ。芸術家で、タナカを観ている。……人を殺す者と自ら死ぬ者とで、明確な違いがまず一つある。前者は死など知らない、飽くまで生の者なのに対し、後者は常に生でありながら、死と交わろうとしていて、それは淡水と海水が混じり合う流れのようで、それから果たして死に移る。乗り越えるという感覚ではなく、移る。だからもしぼくがY君を殺すことができて、殺して、同時にY君が自殺したのだとすると、ぼくはすぐに死ななければならない、ということ。それとタナカも。でもぼくら二人にとってそれ、つまり人殺しになるというのはあり得ない! 何故と言うに、ぼくらは芸術家で、普通にしていて後者のような状況にいるから。けれどぼくもタナカもまだ死ねない、芸術家として。そこが、Y君や他の人との圧倒的な違いだ。そうだ! でも……じゃあぼくには、反対にぼくがY君を殺した、という証明ができるか? できはしないだろうか。……いいや、そんなこと、考える必要は万々ない!」

 殉一が顔を上げると、大柄と細身の男性はいなくなっていた。斎場の職員の姿も見えなかった。駐車場近くの、建物から屋根がせり出したところに、礼服の殉一が一人だった。そこからアスファルトの細い道路に出るまで、殉一は誰にも行き会わなかった。

 どうにか護岸された趣きの、澄んだ川へ渡した橋に差しかかった。初老の男性が欄干に両手を載せて、すぐ下を見ていた。川沿いには、低い草が風に靡いているだけだった。向こうでは鉄道が平気で交差していた。殉一はその男性の後ろ姿を認め、しかしそれから努めて目を背けつつ、橋を渡り切った。

(了)

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Y君の死 サイダー直之 @saitanaoyuki

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