葬儀の案内は二日後の木曜日にもたらされた。殉一たちにそれを知らせたのはまた別の教授で、その授業の前には学科の先生たちが何人か集まって慌ただしく談合してもいた。授業がひと段落つくと、騒ぐ者たちを厳しい口調で黙らせ、

「ではちょっと、残念な、悲しいお知らせ、……聞いてる人もいるかと思いますがね、ええ、そこに座ってたY君ですがね……」

 とY君の席を見つつ言い、

「……今週月曜日にね、息を引き取られました。非常に、驚きというか、残念なことですね。お通夜と告別式の場所など、××駅の近くでやるそうですが、そこに貼っておきますからね。仲良かった人、付き合いのあった人は是非、最後のお別れを言いに行ってくださいね。お通夜は日曜、告別式は月曜日ですか。それとY君は、きみたちと同じように、来年四年生になって、その後に卒業、という形になりますからね、きみたちもY君の分まで、これから勉強するようにしてくださいね」

 殉一は少しく戸惑いを覚えた。Y君の死亡の報告が、確実に皆に届いたのである。Y君の葬儀へ行くことを固く決心した。月曜日は普段なら大学の予定だけれど、殉一には、Y君とY君の弔いのほうが大事だった。

 それからというもの、大学にいても家にいても、何をしていても、殉一の頭からY君が完全に消えてくれることはつゆなかった。なるほどY君は、死ぬ前にも、折節殉一の内にそのギョロリの目を現出させていはした。しかしそれはまったく不覚のことで、また断片的でもあり、殉一が何故自分はY君を思い出したのか考えようとするのをどうにか止そうとする間に、どこかへ散り、例えば殉一の自慰の手を滞らせるようなことはなかった。だから死後のY君はその以前とは明らかに本質から異なり、それでも現れるのは例の目元や彼にまつわる矛盾、何重にも自分で拵えた疑念の天鵞絨なのだった。

 そのY君の影像に困らされながら、殉一は日曜日まで過ごした。ベッドに横たわったまま、携帯のカメラで撮った葬式の案内を見ていた。母が礼服を用意してくれた。ところで殉一は、またある考えに囚われていた……通夜でY君はまだ焼かれない、若くして死んだY君は。Y君の、自分には知れない多くの友人たちは、通夜にのみ出るだろう。学生の本分は勉強だ。それでも自分が通夜に出るのは間違っている。告別式にだけ、顔を出すべきだ。そのほうがよい。バスケ部の監督のときもそうだった、賑わっていた通夜とはうって変わって、告別式は閑散としていた、監督の娘さんの泣声を除いては。自分はそこにだけいて、Y君の正真正銘の最期を見届けるべきだ。Y君がどうだったのかを、そしてどうなるのかを……。殉一はしかし、自分で強いてその考えを生み出したようだった。身体はベッドに横にしたままで。

 そう考えたからか、殉一はそろそろ気怠くなってき、母親へ告別式だけにゆく旨を告げた。殉一が二十になろうという頃から彼に甘くなった母は、

「そうなの? じゃあちゃんと行きなさいよ。仲良かった子なんでしょ」

 と言っただけで、殉一の願望・たくらみに気付くことはなかった。

 翌の月曜日は平素、一時間目から授業があるので、かなり朝早くに起きるのだが、告別式の開始はそれより遅く、そのための油断でか、結局殉一は予定していた時刻より寝坊した。母が仕事へ出る前に、心配そうに起こしに来たのは覚えている。それから一瞬のうちに二十分ほども経ったようだ。身体がずいぶん重く、脳天から太い鎖を吊り下げられているみたいに揺れた。

 きつめに誂えた礼服の袖に腕を通した。監督の葬式の日以来だ。そのとき殉一は他の部員と待ち合わせて何人かで行ったが、今度は一人で、しかも遅刻するのだ。一人の電車は予想より混み合ってい、運よく座る空きを見つけた殉一はそこにかけるとアンブローズ・ビアスを開き、まるでそのために、というより電車に乗るために電車に乗っているような気になったが、平生とは違う駅で降りなければいけないのと、遅れて行ったところで何と説明すればよいか、そもそも自分はY君の何なのか(ともかく絵を描き、芸術家のつもりではあったが)分からないので、小説を読むには気が散り、ようやく葬儀へ出る心緒になった。

 ビクビクしつつ降りた××駅から、携帯の案内を頼りに歩いた。かなりの田舎だった。殉一の他に礼服やスーツを着た人はおらず、それよりも前に人の姿がなく、一車線のアスファルトを点々と走る車ばかりで、殉一はいっそう自分が怪しくなってきた。Y君を弔うことの他に、自分は何故葬儀へ行くのだろう?……自分はY君と話した、無視することなく! その自分の思いか、それとも二人とも絵を好んだことか、どちらかがいけなかったのだろうか? そうだとしたら何故だろうか。いや、いけないことはない、何故なら自分が芸術をやっているから。

 殉一が斎場に着いたときには、すでに献花だった。受付場があったかどうかも知らないし、正規の入口から入ったのかも判然しなかった。白く光る柩に黒服の男女が群がり、(ただ上品な服を着ただけ、というような子どもは一人もいなかった)動くのも分からないほどの動きで全体が前へ出てき、柩の端まで達した人は行く先を見失って立ち止まった。Y君へ花を置き終わったのだ。歩み寄る殉一に気が付く者がいないのは、Y君の様子が、もうピクリともしないというのに気になるからで、それはY君が死んだからだった。一番初めに献花し終えたらしい女性へ近付いてゆくと、殉一は、

「あのう、ぼく……」

「……はい?」

 女性は意外そうな顔で言った。当然だが怒った風ではない。

「ぼく、大学でY君と一緒で、……昨日お通夜に来られなかったんですけど、告別式だけでも、遅れてしまいましたが、いいですか?」

「あ、大学の。こんにちは。わざわざYのために、ありがとうございます。……さっきお経も終わって、いま献花なんですけど……。よければ、お花あげてください。Yも、喜ぶだろうから……」

 辺りに立つ人々は皆、殉一を見ていた。普通なら不思議がったり蔑視したりするところだが、葬儀の場だというので、その目の上面には、何の感情もないか、辛うじて哀憐があるかだった。殉一は最後尾に並んだ。やはり大学の同級生はいなかった。黒い盆の上から小さい一輪の花を持ち、ごくゆっくりとY君の柩に近寄ってゆく。……殉一は可哀想な少年のように、トクトクと心臓を打ち鳴らしていた。表情が自然と引き締まった。柩には白い花だった。Y君は目を瞑って花に埋もれていた。目を開いていなければ、リュックを背負っても歩いてもいなかった。Y君を埋めるのは花だけで、だからそこには死化粧を施されたY君と、花ばかりなのだった。Y君! しかしそれは本当だろうか、殉一はY君の足元の隙間に花を込めながら訝った。その憂慮の体で、先ほど話した女性に、

「あのう、柩に、何か……Y君のものは、もう……?」

 殉一は彼の監督や、さらに昔の親戚の告別式のときの手順を、覚えていなかった。

「ああ、いいえ。入れるものは……」

「いえ、すみません。別にぼくは……」

「はい、ええと、これから……」

 と、係の者のほうをちらと窺いながら、手提げの中から本を取り出し、

「Yはあんまり趣味がなくて……でも何か一緒に、天国まで持って行かせてあげないと、可哀想で……。何があるか考えたら、これで。あの子は最近になって、絵が好きだってよく言ってたから……」

 それは、俳優をやりながら下手な絵を描いて、ちょうど一般にはやっていた日本の画家の、小さな画集だった。買ったばかりのようで、外見はあたかも新品のようだ。

「学校でもあの子は、そう言ってたかしら……?」

 殉一はいままででいちばん清々しい声で、

「はい、この人の絵が好きだって、よく言ってました、Y君は」

 画集はY君の顔のすぐ横に置かれた。Y君の本当の姿が認められたようだった。もはや殉一には、Y君やY君が好んだ画集が焼かれた灰や、それへ囁かれる噂など要らなくなっていた。

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