(18) 解かなければならない

 女神マガリナ犯人説を、女神自身によって否定された。しかし、私は犯人ではないと言い逃れすれば容疑が晴れるわけではない。ヒロシィは疑念を拭いきれずにいた。


「しかし、貴方が犯人ではない証拠はありません女神マガリナよ」


――違うと言ったら違います。私は女神、嘘はつきません。女神に悪魔の証明を求めるのはお止めなさい。


「ですが、女神マガリナよ。貴女は、魔王を倒せる者は、もはや世界に存在しないと仰られた。だから私に加護を与え、この世界に転移させたはずです。であれば、魔王を殺害できる者は、私を除けば世界に存在しない。つまり、私とこの世界全ての人物が容疑者から外れ、残るは女神しかいないのです。我らの仲間、魔法使いウェルウェラはそう推理しております」

「ちょっと! なんでこっちに振るのよ!」

「でも手柄を独り占めしてるみたいで悪いかなって」

「何でこんな時だけ律儀なの、いいから別に」

「いや、そういうわけにも」


――大聖女テルモアよ。貴女は信じでくださいますね。


 小声でやりとりする二人を無視して、天の声は傅くテルモアに狙いを定めた。


「えっ、あうう、その、信じるのです! マガリナ様が仰るのであれば、それは真実なのです」


――その通りです。流石、マガリナ聖教会に仕えているだけありますね、安心しましたよ、大聖女テルモア。


「あ、ありがとうございます!」


 見方によっては、自分の信者を無理やり頷かせているようにも見えるが、テルモアは興奮が勝ったらしく完全に女神の無罪を受け入れた様子だった。しかし、論理的な説明でない以上、ヒロシィたちの疑念は解消されない。その思いを汲むように、天の声はヒロシィを諭す。


――勇者ヒロシィよ。昨日降臨した際、私は告げたはずです。この謎を解くことができるのは、この世界で貴方だけだと。確かに私が犯人という説は斬新ですが、それは仲間の推理でしょう?


「しかし女神マガリナよ。私にはどうにも、この謎を解決できる推理が浮かばないのです。考えれば考える程、深みに嵌っていくようで」


――勇者ヒロシィよ。私の言葉をもう一度思い返すのです。この謎を解くことができるのは、この世界で貴方だけ。その前後に、私は何と言いましたか?


 女神の問いかけに、ヒロシィは思い出す。

 この謎は、この世界で唯一人、貴方が解かなければなりません。

 確か女神はそう言った。

 それでは世界が救われない、とも。女神が答えを言えない理由として、挙げた説明だったはず。


 ヒロシィだけが解ける謎なら、それは彼だけが知る手掛かりや出来事に由来する。では、ヒロシィだけが解かなければならない謎とは、一体何か。女神は答えが分かっているという。しかし、ヒロシィたちの前で明かさなかった。裏を返せば、誰かが同じ真相に辿り着いても無意味で、ヒロシィにとっては意味が生じる答え、ということ。


 ヒロシィはずっと、この事件の謎は、犯人の都合によって生じた不可解さであると考えてきた。夢遊病説、操作説、自作自演説、女神犯人説のいずれも、謎を解決する合理的な説明を求めて考え出されたものだ。だが、それらはヒロシィが解かなければならない謎ではない。


 女神マガリナからのヒントは、ヒロシィが求める前に提示されていた。

 なぜ、ヒロシィが解かなければならないのか。

 どうやって、解かなければならない謎が作り出されたのか。

 誰が、解かなければならない謎の犯人なのか。

 

「女神マガリナよ、ありがとうございます。まだ確信には至っていませんが、暗闇の中で、遠くに光るものを見つけられた気がします」


 ヒロシィは女神像を真っすぐ見つめた。あくまで女神マガリナ本人ではなく、像であるから表情は動かない。固定された微笑みを浮かべた女神像を照らす天の光は、暖かな春の日差しのように、ただその場を輝かせている。


――何かを掴んだようですね。貴方の推理が真実に至ることを期待しています。例えその先に何があろうとも。


「はい。必ずや真相を突き止めてみせます。あの、最後に一応、確認なのですが、本当にマガリナ様は犯人ではないのですね? 疑っているわけではありませんが」


――勇者ヒロシィよ。全く分かっていませんね。違うと言っているでしょう。私の期待を返してください。


「申し訳ありません。自首された方が罪は軽くなるものと思案しまして」


――いい加減になさい勇者ヒロシィよ。雷を落としますよ。


 晴天の空に、ゴロゴロと雷鳴が響いた。大気が僅かに揺れて、話している相手がこの世界の創造主だということをヒロシィは思い出した。


――さて、道筋は示しました。もう私の言葉は必要ないでしょう。それでは、次に呼ぶときは真実に至った時であらんことを――


「あのっ、マガリナ様!」


 別れを告げる女神に縋るように、テルモアが声をあげた。呼び止められ、消えかけていた天の光が再び輝きを増す。通信中は光っているシステムなのかな、とヒロシィは思った。


――どうしましたか大聖女テルモアよ。


「お、お命じくださった女神像の洗浄の件なのですが、必ず本日中にやり終えます。それで、洗浄中に私は足を滑らせてしまい、女神像の腕にしがみついてしまった結果、その、腕を折ってしまいました。どうか私めに罰をお与えください!」


 テルモアは頭を地に付けた。直接謝罪する機会を逃すわけにはいかないと思ったのだろう。四人の中で最も責任感と信仰心の強いテルモアの謝罪に、共犯のウェルウェラが慌てて追随する。


「私も同じく、テルモアを抱きかかえるつもりがバランスを崩し、引っ張るような形で腕を折ってしまいました。何卒テルモアをお許しください。罰を与えるなら、どうか私に」


 ウェルウェラもテルモアに倣い頭を下げる。

 ヒロシィは今更ながら不思議に思った。女神マガリナは通信を終えようとしていたのだ。女神像の折れた右腕の件について一切言及していない。女神犯人説の否定に躍起だったにしても、謎の解明と並列で自身を象った像の洗浄を命じてきた女神とは思えない無反応ぶりではないか。


 テルモアが呼び止めて謝罪しなければ、この一件に関しては触れらることすらなかった。折られた右腕に対する感情が読み取れない。ヒロシィは頭を下げる二人を横目に、天の声を待った。


――ああ、その件ですか。気にしていません。折れてしまったことは残念ですが、貴女たちに怪我がなくて良かった。洗浄を命じたのは私ですし、滑って咄嗟に何かに掴まるのは不可抗力でしょう。形あるものはいずれ壊れる。事故のようなものです。貴女たち二人の罪を、赦しましょう。


「慈悲深きお言葉、感謝いたします」

「寛大なお心遣い、ありがとうございます」


 女神の赦しに、テルモアとウェルウェラは恭しく頭を下げた。

 ヒロシィには意外だった。てっきり、もっとネチネチと嫌味を言われるに違いないと思っていたのだ。所詮は世界中に数多ある像の一つであって、自分の腕ではない、ということか。塗装や落書きで馬鹿にされるのは我慢ならないが、女神像そのものの破損には頓着していないようだ。神様的な感覚なのかもしれない。


――それでは、勇者ヒロシィよ。貴方の道が、真実に至りますように。


 天から差し込む光が消えて、女神像を覆っていた目に見えない存在感が失われた。結果として、女神マガリナ犯人説は完全に否定された。それだけでも収穫はあったが、ヒロシィにとって重要なのは方向性を再度確かめられたことだ。何もない荒野を彷徨うよりは、歩むべき道を知れる方がずっと良い。


「怒られなくて良かったのですよ。本当に良かったのです」

「テルモア、貴女ね、謝るんなら先に教えておいてよ」

「あ、ごめんなのです。言わなきゃ言わなきゃと思ってばかりいて」

「ああいうのは同時にやらないと、先に謝られたから仕方なく私も頭を下げた風に見られちゃうでしょ全くもう」


 謝罪の時は、罰を与えるなら自分に、とまで言っていたのに本心では焦っていたらしい。それにしては見事な謝り方ではあった。昔の二人なら、あそこまで連携できなかった気がする。テルモアが加わった時は、もっと互いにぎこちなかった。


「それでヒロシィ。事件の光が見えたと言っていたが、何か分かったのか」

「うーん、マガリナ様の言葉を聞いていた時はそんな気がしてたんだけど」

「頼りないな。まだ推理していないのはお前だけだぞ」


 そんなまだ宿題を提出していない、みたいに言われても出ないものは出ない。


「いいじゃないか。急いで答えを出す必要はない。魔王が死んでいた事実は、俺たちしか知らないんだからさ。今日は城塞都市クマモンに戻って、宿屋に泊まらないか。温泉にでも浸かりながら、ゆっくりと考えてみるよ」

「だが、他の勇者たちが来てしまったらどうする」

「その時はその時さ。俺たちだって、ずっとここで寝泊りするわけにもいかないだろ。それに、他の誰かが来ても、空っぽの魔王城があるってだけだよ」

「引っ越した、だなんて勘違いはしないでしょうけど、まぁ確かにね。私も一度シャワーが浴びたいな」

「いつかはバレるのですから、それで良いかもしれないのですよ」


 ウェルウェラとテルモアが賛同したことで、ラカンも首を縦に振らざるを得なくなった。あるいは、ラカンも酒場に行きたかったのかもしれない。

 

 その後、全員で女神像の洗浄を終えた。

 戻ってくる時のためにウェルウェラが城門裏に魔方陣を描いてから、魔王城に別れを告げて城塞都市クマモンに飛ぶ。ウェルウェラの魔法でも一時間かかる長距離飛行だったが、もう魔力を温存する必要はない。


 山脈を飛び越えて、樹海を過ぎる。歩んできた道の険しさが、上空からはよく分かった。次回からは同じ苦労をせずに済む。しかし、もう二度と訪れることはないだろうとヒロシィは予感していた。魔王はもういないのだから。


 やがて湿原の小高い丘の上に、白灰色の城壁が見えてきた。ウェルウェラが速度を落とし、箒で巡回していた警備の魔法使いに証紋を示す。一致の確認はすぐに終わり、ヒロシィたちは城壁を越えてクマモンの魔法店に登録された魔方陣に降り立った。


「どこから来たんだい」


 魔法店の店主が彼らの姿を見るなり尋ねた。ヒロシィは正直に「魔王城から」と答える。冗談だと思われたらしく店主は愛想笑いを浮かべた。







【注意】

 次回以降、解決編に入ります。

 犯人当てをする場合は、ここで一旦立ち止まることをお勧めします。

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