(17) 左腕も折った方が良い

 小学校の頃にヒロシィが習った記憶では「折れる」が自動詞で「折る」は他動詞だ。主体的な意志の有無で、罪の大きさは変わってくる。だからこそ、女神の右腕を折った主犯の一人、マガリナ聖教会大聖女、テルモア・バルサミコスは必死で弁明した。


「違うのです。よく聞くのですよ」テルモアは説法の時と同じトーンで、説き伏せるように語り始めた。「台座に立つ女神像の上半身を擦るのは、私の身長では大変だったのです。そこで、私も台座の上に乗り、腰に腕を回した状態で右腕を擦っていたのですよ」


 同じく女神の右腕を折った主犯のもう一人、ウェルウェラは神妙な面持ちで頷いた。これだけ真剣な彼女の表情をヒロシィが見たのは、エルフの里でハーフエルフへの迫害に憤ったウェルウェラがエルフの長老の家に殴り込んだ時以来であった。


「私もね、身体ならウォ・シューを頭からかければ良いけど、腕って狙いにくいじゃない? まして勢いを殺してたから。だから角度を変えながら女神像の肩に当たるよう動いてたんだけど、腰回りや台座の足元もウォ・シューの泡でぬるぬるしちゃったみたいで、テルモアが滑って台座から落ちそうになって」

「咄嗟にマガリナ様の腕にしがみついたのです」

「私はテルモアをキャッチしようと思って」

「そうしたら、その」


 二人分の体重がかかって、折れた。

 事の顛末を聞けば、シンプルな話ではあった。女神像は肘から先を左右に広げるポーズのため、下方への引っ張りに弱いのだろう。散々悪戯され放題のうえ管理状況も悪かったので、内部が腐食していた可能性も高い。女神像の右腕は、ちょうど肘のところでポッキリと折れていた。


「これ、どうしましょう。マガリナ様、怒るわよね絶対」

「取り返しのつかないことをしてしまったのです」

「まぁ落ち着け。折ってしまったものは仕方なかろう」

「だから! 折れたの! 折ったんじゃなくて!」

「あ、そうそう。最後の間を見てきたけど、隠し扉はなかったよ」

「もう魔王の謎なんてどうでもいいのです。喫緊きっきんの問題はこっちなのですよ」


 女神像の右腕を持ったウェルウェラは震え、テルモアは顔面蒼白で立ち尽くす。本人の腕ではないのだし、そこまで気にせずとも、とヒロシィは暗に思ったが流石に口に出してはならぬことは承知している。


 推理が行き詰まり、女神マガリナに追加のヒントをもらおうと考えていたヒロシィにとっては痛手であった。この状況で素知らぬふりをして柏手を打つ度胸はない。何より、犯人の魔法使いと僧侶が本気で阻止してくるのは確実だ。


「参ったな。最終的には土下座して女神マガリナに直接答えを聞くことまで検討していたのに」

「ヒロシィ、貴方そんなこと考えてたの」

「最低なのです」

「しょうがないだろ、ラカンの推理もテルモアの推理も無理そうだし、ウェルウェラも文句言ってないで何かアイデア出してよ」

「うーん、まぁ実は、ね。なくもないんだけど」


 折れた右腕の指をもじもじと弄りながら、ウェルウェラは俯く。仲間の推理に厳しいダメ出しをしてきたウェルウェラが、その裏で密かに温めていたアイデアの存在に、ヒロシィたちは驚いた。


「まさか、ここで真打ち登場とは」

「最高位魔法使いのお手並み拝見といったところか」

「ウェルウェラは賢いので期待できるのですよ」


 やんややんやと持て囃し、とりあえず女神像の右腕は台座の上に置いて、ヒロシィたちは先ほど食事をとった位置に戻って腰を下ろした。


「その、あんまり自信はないのよ。でも、矛盾はないと思うから」

「良いって良いって、皆で話し合うのが大事なんだから」


 普段は強気だが、注目が集まると途端に内向的になるのがウェルウェラの特徴である。エルフの里で生みの親と面会を果たした時も、周囲が期待して見過ぎたためか全く喋れずに赤面していた。


「それじゃあ言うけど、あのね、ラカンは『どうやって』から考えて、テルモアは『なぜ』を出発点に推理したでしょう。それでいくと、私は『誰が』を突き詰めて考えてみたの」

「誰が密室をかいくぐって、魔王を殺し、隠したのか?」

「そう。それが出来るのは、そもそも誰なのか。候補者を絞っていけば、自ずと答えは見えてくるわ。ラカン、貴方言ってたわよね。今、魔王を殺せるパーティは私たちぐらいだ、って」

「ああ、言ったな」

「私も、ラカンもテルモアも、そしてヒロシィも強いわ。それは確信できる。でも、同じぐらい強い勇者たちは過去にもいたし、勇者パーティとして戦闘に参加していないだけで、個々の能力なら私たちに引けをとらない人物も多いわよね」

「2年前に失踪された大司祭様がそうなのです。もうお年ですが、私よりも浄化の力は強いのですよ」

「最後の間の扉を飾っていた人骨も、魔王城に辿り着く実力者だったろうな」

「そうね。エルフの里でも、長老は私よりも魔力が上だし、魔王を倒すために里を出たっていう私の姉チャルメラも、私と同等の魔法使いだったと聞いているわ」

「そういう実力者たちが、パーティを組んだってこと?」


 ヒロシィの問いにウェルウェラは首を振った。


「私も最初はその線で考えていたけど、やっぱり違うと思った。彼らは個別の実力者ではあるけど、脛に傷のある者たちじゃない。テルモアが言ってたでしょ。魔王を倒したなら堂々と発表すればいい。これで、更に条件は絞られる。つまり、魔王を倒す力があって、魔王を倒したと明らかにできない人物。そして魔王の死体を誰かに発見してほしい一方で、それを公知とせずウヤムヤにするのが都合の良い人物」

「正体を明かしたくなくて、死体は俺たちに見せたかったが、同時に公にはしたくない、か。確かに新しい視点だな」

「自作自演説の死体を隠したい、とも少し異なるのですよ」

「そう。大事なのは、こういう絞り込みだったのよ。私たちが直面している沢山の謎。一体、誰ならそれが可能なのか。誰なら実現してしまうのか。誰がそれで得をするのか」


 ウェルウェラの推理が確信に迫ろうとしていた。追尾する火炎で魔物を追い回し、逃げられなくなった一瞬の隙を突いて特大呪文を打ち込むように、絞っていく条件によって、犯人像が浮かび上がろうとしている。たまらずヒロシィが身体を乗り出した。


「誰なんだウェルウェラ、犯人は」

「一人だけいるでしょう。いえ、人ではないわね」


 その一言に、三人が息を飲む。


「この世界の神、マガリナ様よ」

「ありえない。前に教えただろ。マガリナ様が直接手を出せないから、俺に加護を与えて転生させたんだ、って」

「ええ、出会った頃に言っていたわね。あの時は正直、貴方は夢と現実の区別ができない頭のおかしな男だと思っていたけど、今なら信じられる」

「だったら」

「だからこそよ。それが女神の、神様の世界のルールなんでしょう。でも、『手を出せない』というのは『ルール上できない』という意味よね。やろうと思えばできるんじゃないの。この世界に受肉して、一人の冒険者として降り立ってしまえば」


 ヒロシィは想像した。天界で出会った女神マガリナそっくりの女性が、ローブを着て、一人旅をする光景を。彼女になら、魔王は殺せるだろう。『ヴェール』を纏えば他の魔物に見つからず、密室の問題も神の力で解決できる。


「ヒロシィを転移させた理由は、魔王に対処するためなんでしょう? 動機はばっちりじゃないの」

「だが、女神がルール違反をした理由はどうする」

「世界を管理するのが女神さまの仕事なんだから、きっと中間報告とか監査とか、そういうのがあるのよ。それで、当初の予定よりも遅れていて、ギリギリで間に合いそうにない。しょうがないから自分でパパッとやっちゃおう、って考えたわけ」

「神様の世界のルールに違反してでも、なのですか?」

「そうね。多分ノルマとか色々大変なのよ。だから内密に自分で魔王を倒した。当然、正体は明かせない。でも業務委託をしているヒロシィには一応、魔王が死んだこと知らせた。そして、謎の超人が現れたらしいって事実が世界に知れ渡ってしまうと上司や監査にズルをしたと怪しまれるから、死体を消した」


 これは、筋が通っている。行動に一貫した動機の説明がつく、いや、ついてしまう。ラカンとテルモアは頭を抱えて何とか反論を試みようとしているが、ひっくり返せずにいるようだった。


 ヒロシィも、これはもしかしたら、と思い始めていた。女神が、この世界でヒロシィだけが答えに辿り着けると言ったのは、この世界で女神マガリナに直接会った人間が、ヒロシィだけという意味だったのかもしれない。それなら、一応の納得はできる。ウェルウェラは女神マガリナに出会わずとも、ヒロシィを信じるという飛躍によって、ヒロシィだけが答えに到達できるという問題を解決したのだ。


「素晴らしい解答だ、ウェルウェラ。それが正解かもしれない」

「ありがとう。自分でも半信半疑というか、綻びがあるかもしれないけど」

「にわかに信じがたいですが、でも、推理に穴が見つからないのです」

「まさか、女神が犯人だったとはな……」


 四人の視線は自然と女神像に向いた。柔和な笑みを湛え、右腕の肘から先のない女神像は塗装も汚れを落ちている。まだ首から上は手がついていないため、顔だけが金色で頬にメスブタの落書きが残ったままだ。


「よし、それじゃ早速、女神マガリナを呼ぼう」

「えっ? ちょ、ちょっと待ってよ、まだ腕が……」


 立ち上がって女神像の前に移動したヒロシィの袖を、ウェルウェラが引っ張る。ラカンとテルモアも迷いながらも後に続いた。


「俺たちは世界の行く末を左右する大事な問題に直面しているんだぞ。腕の一本や二本なんだ!」

「まだ左腕は無事なのですよ」

「俺がいた地球には、ミロのヴィーナスという女神像がある」ヒロシィは振り返って三人の顔を順番に見た。「発見された時に両肘から先が欠けていたんだ。でも、かえって美の想像力をかきたてると評判になった。それと似たようなものだよ。何なら左腕も折った方がいいぐらいだ」

「落ち着けヒロシィ、それは多分間違っている」

「兎に角、一刻も早く犯人マガリナを追求すべきだ。さぁ、皆声を合わせろ! かしこみかしこみー! 南無マガリナ!」


 ヒロシィの祈りに合わせて、三人も声を張った。呼び出し方が違うと女神から言われたが、正式にどう呼べばいいのかは教えられなかったので、結局同じ方法でやるしかなかった。数秒の間をおいて、天から一筋の光が差し込み、女神マガリナ像を照らす。


――勇者ヒロシィ。勇者ヒロシィとその一行よ。聞こえますか。


「はい、聞こえます。マガリナ様、お話が合ってお呼びしました」


 これから女神を糾弾する緊張で、ヒロシィの声が僅かに震えた。ラカンたちは昨日同様、膝をついて頭を垂れている。


――違います。


「え?」


 端的な天の声が、庭園中に響いた。心なしか怒気を孕んでいるような、強く短い一言だった。


――女神像の近くなので聞こえていましたが、私は犯人ではありません。


「い、いえ、ですが女神マガリナよ! この説が最も矛盾なく、あらゆる謎に説明がつくのです!」」


――全然違います。


 二回言われた。

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