解答編

(19) とんでもない怪物

 そういえば、とヒロシィは思い出した。魔王城に近い集落の人々に挨拶を忘れていた。しかし、事情は説明しにくい。もういっそ、魔王との最終決戦で散った冒険者との思い出として心に刻んでもらうのが賢明だろう。


「おお、久しぶりの街並みだな。どれ、酒でも呑みに行くか」

「私は教会に行きたいのです。しばらく素性は隠さないといけないですが」

「宿屋の登録は俺がやっておくから、行ってきなよ。ウェルウェラもお疲れ様。魔導書館に寄っていく?」

「ええ、そうね。前も行ったけど、何回だって楽しいから」


 石畳の大通りに出て、久しぶりの街の風景を懐かしく思った。薬草売りの商人や荷運びの馬車がヒロシィのすぐ傍を通り抜けていく。近くで動く生き物がいても、命の心配がない。敵の中枢と平和な街の差は、立っているだけでそれだけの違いがある。


 街の中央、噴水広場まで四人で歩いた。各々の目的地はそこで道が分かれる。


「じゃあ、夜になったら宿屋に集合して、飯だな。テルモア、買い食いは控えろよ。食べられなくなるから」

「なっ、ラカンこそ酔い潰れないよう気を付けるのですよ」


 ラカンは東通りの酒場へ、テルモアは南西の教会へと歩いていった。一年も共に旅を続けていれば、お互いの行動には段々とドライになっていく。干渉されない個々の時間を、彼らは大切にしてきた。


「魔導書館って、北だよね」

「北西ね。北口の宿屋のもう少し先だから、途中まで一緒ね」

「うん。ちょうど良かった」

「え?」


 ウェルウェラが立ち止まる。ヒロシィは彼女に向き合って、じっと目を見た。緊張で足が震える。最後の間に乗り込んだ時ですら、ここまでではなかった。噴水広場には人が多かったが、ヒロシィたちに意識を向ける者はいない。彼らの周りだけが世界から切り取られたかのように、止まっていた。


「ウェルウェラに、話したいことがあるんだ」 


 普段と違う雰囲気に気圧されたのか、ウェルウェラが一歩下がった。いつも能天気で、どこか抜けた男が見せた初めての顔だった。


「どうしたのよ、かしこまって」

「歩きながら話そう」


 ヒロシィが歩き出し、ウェルウェラが少し遅れて隣に並ぶ。

 胃がズキズキと痛んだ。魔物と戦うのとは別種の恐怖がある。けれど、逃げ出すわけにはいかない。それは、ヒロシィにとって必要なことだった。


 ヒロシィが謎の解明しなければ、世界は救われない。女神は確かにそう言った。世界とは、誰の世界なのか。それはきっと、ヒロシィの世界であり、犯人の世界でもある。



   *   *   *



 ヒロシィが人数を告げると、受付嬢は「毎度ありがとうございます」と笑顔で鍵を渡してきた。前回も同じ宿屋に泊まったから、顔を覚えられたのか。それとも単なる常套句か。ヒロシィには分からない。彼自身、宿屋の受付嬢が前回と同一人物だったのか記憶にない。曖昧なままでも、世界はきちんと回っている。


 集合時刻まではまだ時間があった。一人になったヒロシィは部屋に入り、鎧を脱いでベッドに突っ伏してしばらく休んだ。そうせずにはいられなかった。清潔なシーツから、仄かな花の香がする。気を抜くと、このまま溶けるように眠ってしまいそうだった。


 ああ、そうか。まどろみの中で、ヒロシィが解けなかった最後の謎が解けた気がした。もはや方法は大した問題ではなかったけれど、それでも、ピースが嵌ると気持ちが良い。


 ヒロシィは起き上がって肩を回した。宿屋を出て、街を歩く。小さな子供たちがハシャぎながら、ヒロシィの脇を通り過ぎていった。勇者ごっこをしているようだ。裏道に目を向けると、冒険者たちが地べたに座り込んでカードを切っている。角を曲がり、欠伸をしていた兵士とぶつかりそうになって、お互いに謝った。魔王城に対抗する最前線基地でもある城塞都市にしては、平和な光景が続く。


「いらっしゃい」


 扉を半分空けると、店主が声をかけてきた。薄暗い店内を見回すと、分厚く大きな背中がすぐに見つかった。カウンターの奥に腰掛けて、こちらに背を向けている。店主に薬草酒の水割りを頼んで、それを片手に隣に座った。


「おう、珍しいな。お前が酒場に来るなんて」

「たまにはいいかと思ってね。話したいこともあったし」

「なんだ、話なら夜でも良かったろう。相部屋なんだから。ああ、もしかして部屋が取れなかったのか」

「いや、ちゃんと二部屋取れたよ。誰も言わなかったけど、もう節約生活しなくたっていいんだから、南のグレードの高い宿屋に一人一部屋取っても良かったよね」

「習慣というのは恐ろしいな」ラカンは肩をすくめた。「勇者だろうと魔王だろうと、宿屋では寝るだけだ、別に構わん。それで、話というのは?」

「犯人が分かったんだ」

「なに?」


 ラカンが持っていた火焔酒を置いて、ヒロシィの方を向く。


「だけど、この推理が合っているかどうか、完璧に自信があるわけじゃない。聞いてみて、間違っていたり矛盾している箇所があったら、教えてくれないか」

「是非教えてもらいたいものだな。だが、食事の席ならウェルウェラもテルモアもいるだろう。それでは駄目だったのか」

「ああ。間違っていたら恥ずかしいから、先にやっておこうと思って」

「ずるいな、俺は夢遊病説まで披露したというのに」

「あれは酷かったね」


 ヒロシィは小さく笑って、薬草酒に口をつけた。度数が想像より高く、喉の奥がひりひりする。アルコールは前の世界でも数えるほどしか飲んだことがなかった。


「魔王は、心臓を剣で貫かれて殺されていた。そんなことは不可能だと考えたから、超人Aだなんて妙な先入観で呼び名を付けてしまったんだ。今思えば、それが混乱の元だった」

「だが、魔王を殺せる戦士など、いないのではないか」

「いたのさ。犯人は、魔王を殺せるぐらい圧倒的に強い戦士だった」

「それはまた、シンプルだな」

「そうなんだよ。それだけのことなんだ」


 酒場には他のテーブル客もマスターもいる。けれど、皆自分のことに夢中で、誰一人ヒロシィたちの会話に聞き耳を立てている者はいない。ラカンが摘まんでいたナッツの皿を差し出してくれたので、ヒロシィは一つ取って食べた。


「最後の間に至るまでの道のりはどうする。『ヴェール』を使ったとしても、配下の魔物はどうやり過ごすんだ。敵には魔法使いだっていたのだぞ」

「簡単さ。その人物は、最強の戦士であり、同時に最高位の魔法使いでもあった。それで解決する。他のステータスも圧倒的に高くて、全ての魔物より、あらゆる面で格上だった。だからどの魔物にも見つからずに、簡単に侵入できた」

「そんなことが可能だとすると、やはり女神が犯人か」

「テルモアじゃないけど、女神は犯人だとは思わない。ノルマに追われたルール違反を暴いたって、意味がないからね」

「意味?」

「謎を解く意味だよ。謎は全て、俺のために作り出されたものなんだ。多分、いや、結果的にそうなったのかも」

「お前が謎を解かなければならない、というアレか。だが、まだ解決していない箇所はあるだろう。密室の謎はどう考える」

「犯人は、事前に魔王城へ侵入して魔王を殺害した。その後で魔神官に自然浄化しない程度の氷結呪文をかけて死体を維持させて、俺たちが魔王城を攻め始めた頃に、最後の間に封印呪文ア・カーンをかけるよう命令したんだ」

「まさか、魔神官が裏切ったと言うのか」

「少し違う。魔神官は、魔物使いに操られていたのさ。魔王を殺害した時に、魔神官を倒して、魔物使いのスキルで仲間にしたんだ」


 神殿で転職の候補にあげた職業だ。魔王に魔物をけしかけても勝てないが、魔王を殺害した後の工作を手伝わせることはできる。


「魔物使いときたか。もしかして、犯人は魔物使いでもあったと?」

「そうだよ。戦士で、魔法使いで、魔物使いでもあった」

「とんでもない怪物だな、その犯人というのは」


 ラカンが火焔酒をあおる。空になったグラスを掲げると、店主が新しい火焔酒を滑らせた。グラスを取ったラカンが、ふと気付いたように顎を触る。


「いや待て。おかしいぞ。魔神官は、魔王への崇拝を叫びながら、俺たちに倒されたではないか。あれも演技だったというのか」

「あれは魔王違いだったんだと思う」

「魔王違い?」

「犯人が旧魔王を殺して、新魔王と名乗っていたなら成立する。その上で、魔神官を魔物使いのスキルで操り、俺たちを迎え撃たせればいい」


 この辺りの推理は、ヒロシィにとって些細な問題だった。犯人の名乗りや、魔神官の認識がどうであったか。納得がいく説明と客観的事実の差異は、もはや重要ではない。記憶の混濁でも虚勢でも、大差はない。現実が変化するわけではないのだから。


「死体の消失も、似たような方法だと思う。衣服の内側にスライムを巻きつかせて、俺たちが最後の間を出ていく時、置いていった荷物の中に潜ませるんだ。テルモアの『イ・ルーカ』はパーティの仲間には反応しないから、それなら見つからない」

「しかしヒロシィ、そうなると――」


 ラカンの言葉を遮って、ヒロシィは喋り続ける。


「俺たちが出ていき、封印された最後の間で、命令通りにスライムが這い出て、魔王の死体を放置された魔法の袋の中に入れるよう指示してあったんだろう。剣を抜いて、運ぶのに大きければ細切れにすればいい。仕事が終わったスライムは、また荷物に潜ませる。例えば、酒瓶とかね。これで、俺たちが最後の間に戻れば、死体が消失しているように見えるわけだ」


 ヒロシィが知らない他の魔物でも、もしかしたら可能かもしれない。しかしヒロシィの知識では、物を引きずったり斬ったりできて、しかも柔軟に隠れることができる魔物は、スライムしかいなかった。


「才能を持った人物が、一生涯を捧げて、ようやく一つの職業をマスターできる。ウェルウェラやテルモアのような天才もいるけど、それが普通らしい。にも拘らず、犯人は、最強の戦士で、最高の魔法使いで、魔物の幹部すら操る魔物使いでもあった。仲間がいたのかもしれないけど、もしかしたら高位の僧侶ですらあったかもしれない」

「まさしく超人だな。実在したらの話だが」

「この世界にはいない。いや、いなかった。だから勇者が選ばれたんだ」


 女神の加護によって、あらゆる習熟度が100倍になる能力を授かった人物。文字通り天の使いであり、選ばれし者。たった一年、仲間と共に各地を回ってステータスを上げれば、魔王を倒せると言われて送り込まれた存在。


「最初に気付くべきだったんだ。勇者だけが魔王を殺せるなら、犯人は勇者しかいない。女神マガリナの言葉は嘘じゃなかった」

「ヒロシィ。お前はずっと、宿屋の主人として過ごしていたのだろう。この世界に来て、二年間、あの村で暮らしていたと言ったではないか」

「そうだよ。俺は勇者だ。そんなことができるのは、女神に選ばれた勇者しかいない。そして、俺は犯人じゃない。そこから先は一瞬だったよ」


 女神は言っていた。地球の女神テラララに出された条件は、巨大な地球儀にダーツを投げて、刺さった時から数えてほんの少しの間に、もしも浮いてきた魂があったなら、それを借りられる、というもの。そして、その条件を満たしたのが、交通事故で轢死したヒロシィの魂だ。そして、女神マガリナは、浮いてきた魂が一つだとは言わなかった。


「俺の本名は、長谷川ヒロシ。一度も言ったことがなかったよね。ラカン、あんたの本名は何て言うんだ」


 ヒロシィの眼前にいる中年の男は、ただじっとヒロシィを見つめる。歳上で、ヒロシィを宿屋から連れ出した頼りになる屈強な戦士は何も言わず、静かに目を瞑った。からん、と氷がグラスにぶつかる高い音がした。


「ラカンは、心臓麻痺で亡くなった、トラックの運転手だろ」

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