(9) 誰しも道に迷っている

 旅立ちの日の記憶をなぞると、ヒロシィはむず痒い気持ちになる。


 最初は無理やりラカンの後ろをついていったのだ。ラカンに見守られながら蝙蝠のような魔物を何匹か倒してみると、急速に身体の変化を実感した。ぐんぐん力がついていくのが分かって、その成長はラカンも驚く程だった。何も試さずに村に引き籠り、最初の一歩を踏み出さずにいた自分が恥ずかしい。


 当初は大きな街、エヒメェに着いたら別れるという話だったが、ヒロシィの熱意に圧されてラカンも同行を許した。一人旅より道連れがいた方がいい、とその日の晩に酒に酔ったラカンが零したので、案外寂しかったのではないかとヒロシィは邪推している。


 そこからはトントン拍子だった。ラカンは圧倒的に強かったし、ヒロシィは闘うたびに別人のように成長していった。三つ目の街カガワァを支配していた一つ目巨人の両足をラカンが斬りつけ、バランスを崩して屈んだところをヒロシィが飛び込んで一刀に両断した時などは、ヒロシィは己の強さに歓喜して震えたほどである。


 魔物を倒すたび、ヒロシィは強くなり、街の人々は感謝してくれた。活気を取り戻すために奮闘する人々の姿にヒロシィは心打たれ、前の世界にいた頃に比べ不慣れな充実感に戸惑いすらした。


 順調だった旅の足が止まったのは、セトナイの山を越えた先にある魔導都市オカヤンマへ向かう途上である。それまで襲ってくる魔物といえば魔獣の類がほとんどであったが、オカヤンマに近付く程に幽霊のようなエネルギー体、魔物化して浮遊する剣や鎧、魔鳥が増えてきた。遠距離攻撃も多い。


 ラカンもヒロシィも戦士である。剣での攻撃には限界があるとヒロシィは感じ始めていた。聖水を浴びたり道具屋で購入した巻物を広げたりして一時的に魔力を付与した状態で戦闘に臨んだものの、持ち運びには限度がある。


「随分歩いたな、そろそろ城壁が見えるはずなんだが」


 ラカンが焚火の灯りを持ち上げた。暗がりの森の中で、厳めしい顔が浮かんで見えるのはどことなくホラーだ。


「思ったより森が深いよ。戻ろうか?」


 ヒロシィは鎧についた泥を手で払った。来た道を振り返ると、うねるような樹木がどこまでも続き、本当にこの道を歩いてきたのかと不安になる。魔力付与の巻物も、今や四本しか残っておらず心許ない。


「今から戻るのも同じ労力だぞ。地図上ではもう着いているはずなんだがな」


 手前の街で購入した地図をしげしげと眺めるラカンが、顎髭をいじりながら独り言ちる。


「ひょっとして迷ってない? ここ迷いの森って呼ばれてるんだろ?」

「はははヒロシィよ、私は旅慣れた元傭兵だぞ。そんなことあるわけがないだろう。毒の沼地や砂漠を行軍したこともある。こんな森ぐらいで」

「でも、その地図逆さまだよ」

「えっ」


 ラカンの声が裏返る。ヒロシィから見た地図の裏側に貼られたままの値札が逆さだったのだ。ラカンはくるくると地図を回し、何度か角度を変えて確認してから、ごほんと一つ咳ばらいをした。


「いいかヒロシィよ、人は誰しも道に迷っている。そう、人生という道にな」

「迷ったんだね?」

「すまん」


 あっさりとラカンは認めた。どこかで魔鳥がけたたましい声で鳴く。不穏な風が吹いて木々が揺れ、ざわざわと葉の擦れる音がした。


「このままずっと森にいては消耗するばかりだ。進むしかあるまい」

「そうだね、案外もう少しで出られるかもしれないし」


 二人して無言で頷き合い、ヒロシィとラカンは先を急いだ。漠然とした不安は、行動でしか解消されない。それはヒロシィが旅の中で学んだ事の一つであった。なせばなる、なさねばならぬ何事も。言葉では知っていた訓示が実感を伴って感じられるのは、ヒロシィにとって新鮮な感覚だった。


 そして半刻経ち、ヒロシィは新しい気付きを得た。

 なしたところで、どうにもならない事もある。そんな当たり前の事実である。


「この焚火、さっきのやつだ」


 ヒロシィは周囲を見回した。右も左も暗がりと樹木。太陽光は遮られ、昼間だというのにどこか薄ら寒い。葉のさざめき。魔鳥の鳴き声。思えば森に入った時から、景色が全く変わっていない。


「ふむ」ラカンが膝をつき、燃え尽きた枝を眺める。「間違いない、俺が踏んで消したものだ」

「一周回って戻って来たのか」

「不味いな、日が落ちると厄介だぞ」


 ラカンの言葉は、ヒロシィの背筋にじわりとした恐怖を伝わせた。巻物は残り二本、ラカンも同じようなものだろう。魔力付与なしで動く魔剣やゴーストに囲まれたらひとたまりもない。


「ヒロシィ」


 ラカンが短く言った。素早く振り返り、暗がりに向けて斧を構える。

 何か近付いてくる。遅れてヒロシィも剣を抜いた。草をかきわけている。魔獣か、それとも動く鎧か。ヒロシィの額に汗が流れた。


 がさごそと無造作に接近してくる。 

 人型の何かが闇の中から姿を現した瞬間、ヒロシィは駆け出した。


 先手必勝。


「うおぉぉおおおお!」

「『アツィー』!」


 ヒロシィの剣が届くよりも先に、ヒロシィの眼前が炎に包まれた。咄嗟に真横に飛び、避ける。魔法を使う魔物か。巻物を惜しんだので一手遅れた。だが、間合いには入った。一撃ぐらいは喰らわせてやる。


 そう思って剣を振るおうとした瞬間、ラカンが間に入った。


「落ち着けヒロシィ、人だ!」

「待って待って待って! 私は魔物じゃない!」


 女の声がした。まじまじとよく見ると、黒いローブを深く被った人間らしいと分かる。森の中を歩いてきたのか全身に葉っぱが付着していて迷彩模様になっていた。


「だが、いきなり魔法を撃ってきたぞ」

「あんたがいきなり斬りかかってくるからでしょうが!」

「すまない、てっきり魔物かと」

「ほんと信じられない。これだから脳筋の戦士は」


 黒いローブのフードを脱ぐと、確かに女だった。見た目の年齢はヒロシィと同じぐらいだろうが、ヒロシィが知っている街の人間とは随分違っている。耳が長く尖り、髪の色も鮮やかな紫だ。肌は雪のように白く、瞳の色は昏い森の中でもはっきりと分かる金色を湛えている。


「エルフか、初めて見るな」


 ラカンが呟いた。


「残念だけどハーフエルフよ。あなたたち、旅の途中? それとも、大した準備もなく迷いの森に踏み込んだ自殺志願者かしら」

「大した準備もなく踏み込んだ旅人の方だ」


 皮肉を意に介することもなくラカンは答えた。


「やれやれ、たまにいるのよね、こういう無謀なのが。大方、オカヤンマに行く近道のつもりで入ったんでしょうけど、ここは近隣住民でも避けて通る程の危険区域なのよ。何考えているんだか」

「なんにせよ助かった。すまないが、ええと」

「ウェルウェラよ」

「俺はラカン。こっちはヒロシィだ」

「よろしくウェルウェラ」


 ヒロシィはラカンの背後で一歩距離を取ったまま挨拶した。ハーフエルフとはいえ若い女との軽妙なコミュニケーションに自信はない。その距離は、そのままヒロシィの警戒心の表れであった。


「早速で悪いんだが、俺たちはオカヤンマへ抜けたい。もう道具も残り少なくてな、地元の者なら道案内を頼めないか。相応の報酬は払おう」

「残念だけど、私も地元ってわけじゃないの」


 ウェルウェラはあっけらかんとした口調で言った。なんだ同じ冒険者なのか、とヒロシィは意外に思った。


「この際オカヤンマでなくとも、森を抜けられるなら同行させてもらいたい。ウェルウェラ、お前はどこへ行く途中だったんだ?」


 ラカンが尋ねた。


「私もオカヤンマよ」

「なら良かった」

「ええ、まぁ」


 そこで沈黙が起こった。てっきりこれ見よがしなため息の一つも吐いて「ついてきなさい」と言われると思っていたヒロシィは不思議に思う。ラカンも同じ気持ちらしく怪訝な顔をしていた。


「なので、その、案内をお願いしたいのだが」

「本当に助かるよ」


 ラカンとヒロシィがそう言うと、ウェルウェラは黒衣の裾を口元に寄せて、どこか遠くを見るような目をした。


「いい二人とも? 誰しも道に迷っているの。そう、人生という道にね」

「お前も迷ってるのかよ!」


 ヒロシィの叫びが森に木霊した。

 どおりでやけに泥にまみれているなとは思っていたのだ。ヒロシィは頭を抱えた。


「失礼ね! ちょっと道が分からないだけですぅ!」

「それを迷っているというんだ!」

「安心しなさい。手はあるから。貴方たち、魔力付与の巻物持ってない? 戦士だけのパーティだし、ゴーストを斬る時に使うでしょ?」


 ウェルウェラがそう言って口角を上げた。出しなさい、と言わんばかりに掌を見せて前に突き出す。


「残り少ないが、あるにはある」


 ラカンが懐から巻物を取り出してウェルウェラに手渡した。


「何に使うんだ?」

「道標の灯を魔法で造るのよ。探索用の魔法『ダイオード』で、樹に光る印を付けていけば、迷うことはないでしょう」

「そんな便利な魔法があるなら、どうして迷っているんだよ」


 ヒロシィは心に浮かんだ疑問をそのまま口にした。ウェルウェラは苦々しい表情をしてヒロシィを睨んだが、やがて一言「思ったより敵が強かったのよ」と答えた。


「ははぁ、なるほど。戦闘用の魔力を温存せざるをえないから、探索の方は節約して森に入り込んだわけだな。で、気付いたら巻物も残り少なく戻れなくなった、と」


 探索用の魔力を使えば、道中で魔物に遭遇したときに魔力が枯渇する。意趣返しのつもりなのかラカンは「準備不足だな」と付け加えた。返す言葉はないらしく、ウェルウェラは肩を竦める。


「兎に角、貴方たちの巻物を使わせて。それで補充した魔力で『ダイオード』を樹に灯していけば森は抜けられるはずよ。一緒に進めば魔物に遭遇した時に魔力の節約にもなるし」

「俺たちもそれで脱出はできるわけか。一蓮托生だな」

「『ダイオード』って、どんな目印になるの?」


 ヒロシィは好奇心を隠せずに訊いた。ラカンもヒロシィ自身も戦士であったため、実際の魔法使いが使用する魔法をヒロシィは見る機会がなかったのである。


「青白い炎がぼわーっと灯る感じよ。そこの樹でやってみましょうか」

「樹に直接火を? 燃えるんじゃないか?」

「あのね、そんなわけないでしょ。魔法なんだから、常識で物を言ってほしいわね。これだから田舎者は」


 何が常識なのかは分からないが、罵倒へ怒るよりもヒロシィはどうして田舎者だと分かったんだ、と動揺してしまって返す言葉が浮かばなかった。


「あれは魔力の膜のようなもので覆っているんだろう。王都で見たことがある」


 ラカンが顎髭を触りながら言った。


「そうね。結構調整が難しくて、その……補助系の魔法って割と苦手だから、ちょっと静かにしててちょうだい。まだ詠唱破棄を覚えてないの」


 ウェルウェラは呼吸を沈めて杖を構えた。魔力が杖の先端に集まっていくのがヒロシィにも分かる。ラカンも固唾を飲んでウェルウェラを見守っていた。


「えー、はじめに光ありし。精霊の声、あ違う、精霊の詩よ高らかに響かん。青白き灯よ迷える神の子を指し示し……あれ、導きだっけ。まぁいいか、とにかく道を照らせ」


 横で聞いていて凄く不安になる詠唱だった。途中でぼやきが入るのは詠唱としてセーフなのか。そのあたりの基準は曖昧らしい。


「慈愛の光よ我らを導け『ダイ……」


 まさにウェルウェラの呪文が唱え終わろうとしたその一瞬、森を埋め尽くす植物の放つ花粉がヒロシィの鼻腔をくすぐった。


「へっくし!」

「『ダイっ、おードっ』!」


 突如痙攣するかのようなヒロシィの動きと音に、ウェルウェラの集中が乱れた。しかし、伊達に魔法使いではない。その程度の妨害で手元は狂わない。


 杖の先端から放たれた青白い光は深海を泳ぐ魚のように目的の樹に向けて飛び、全員の頭よりも少し上あたりに当たった。


「ちょっと邪魔しないでよ! 地面に撃つところだったじゃない!」

「ごめんごめん、わざとじゃないんだ」

「だが、成功はしたようだぞ。俺が王都で見たのより大きいが」

「王都のはガラスに入れるから小さく見えるのよ。まぁ、私の魔力が桁違いに大きいのもあるけど」

「枯渇したって言ってたじゃないか」

「うるさいわね。温存してただけよ」

「いや、しかし確かに大きいな。まるで燃え広がっているかのようだ」

「そんなわけないでしょうに」


 ラカンの言葉を鼻で笑い、ウェルウェラが顔を上げる。


「あっ」

「今『あっ』って言った?」

「おいこれ枝葉にまで」

「燃え移ってるわね」

「隣の樹に火が!」


 ヒロシィ、ラカンそしてウェルウェラは、煌々と燃え盛る青白い炎をただ眺める他なかった。

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