(8) 使命を遂行する時

 最初は、中年のおじさんが戦士のコスプレをしているのかと思った。スーツを着せてヒロシィの元いた街を歩かせたら、中小企業のサラリーマンに見えるだろう。やけに体付きが良い点を除けば。


 遥か西の街で傭兵団を仕切っていたが、魔物に仲間を奪われて壊滅の憂き目にあい、その復讐のために魔王を倒す旅をしている。ラカンと名乗る戦士はそう語った。


 ラカンと知り合ったのは、たまたまヒロシィこと村人Hが暇を持て余していたわけではなく、独りで暮らすには広い屋敷を活かして宿屋のような商売を始めていたためである。何しろ施設に乏しい村なのでライバルはおらず、大した手間もないため天職ではないかと村人Hは思っていた。


 かなり上達した田舎料理を振る舞いながらラカンから旅の経緯を聞いていた時、村の外で男たちのざわめきが聞こえてきた。どこか剣呑な様子で、只事ではなさそうだ。すぐさま二人は外に出て何があったのかと尋ねた。すると、いつかどこかで聞いたような台詞が、肩で息をする村人の口から飛び出してきたのである。


「ワーウルフが、ワーウルフが大群で来とるでよぉ!」

「何だって!」


 村人Hことヒロシィは驚いた。何しろ、つい先日も自警団総出でアークベアを撃退したばかりなのだ。明らかに魔物の出現頻度が増している。


「タゴサークは!?」

「あの熊っころをやったときに腰ぃやっちまって、どーにもならん。儂らだけでやらにゃなるめぇ」

「若い衆も半分は行商に出とるで」

「ワーウルフの群れぁ厳しいんでねぇか」

「んだけども、追い払わんと畑食い荒らされっぞ」


 村の男たちが慌てふためく。タゴサークを始めとした主要な戦闘員がいない現況でワーウルフの群れに立ち向かうのは自殺行為だ。ヒロシィは歯がゆかった。自分にもっと力があれば。しかし、今のヒロシィは古傷の疼きを感じて尻を掻くことしかできない。


「心配するな、俺が追い払おう」


 後ろから声がしてヒロシィは驚いて振り向いた。

 そこには旅の戦士、ラカンが立っていた。


「あんたぁ村のもんじゃねぇべ、手伝ってもらうわけには……」

「気にするな。俺は魔王を倒す目的で旅をしている。ならば、魔物の被害に苦しむ村を助けるのも俺の目的に沿ったものだ」

「そう言ってもらえっと助かるけんども」


 村長としても人手が欲しいのが本音だ。しかも、目の前に現れたのは筋骨隆々の頑強そうな戦士である。頭を下げるのに時間は掛からなかった。


「待ってくれ、俺だって村の一員だ。タゴサークの仇は俺が取る」


 ヒロシィもたまらず名乗りを上げた。


「タゴサークはまだ死んでねぇっぺ」

「おめぇ出るたんびに逃げ帰っとるで」

「やめとけやめとけ」


 村の男たちは口々に言った。大きな襲撃があった時は、ヒロシィも一応参加はしていた。しかし、毎回悲鳴を上げながら転がりまわるので、今では戦力として期待はされていなかった。


「そんな事はない。いつも紙一重なだけだ」

「丈夫さだけが取り柄だでなぁ」


 村長が皺だらけの顔を更にくしゃりとさせた。笑っているのか困っているのか、曖昧な表情だった。


「いいじゃないか。人手が足りないんだろう、一人でも多い方がいい」

「その通りだ。例え俺がやられたって、その分だけ誰かへの攻撃が減るんだ。お世話になった村の誰も、傷つくところを見たくない」

「ふふふ、妙に後ろ向きだが心意気は見事だ。よろしく頼むぞ宿屋の主人、ええと、ヒロシィといったか」

「こちらこそ、よろしくなラカン」


 後に魔王城へ攻め込む勇者ヒロシィと戦士ラカン。その夜は、伝説的英雄への階段を駆け上らんとする二人が初めて共に戦った最初の夜であった。


「んでは皆の衆、武器を持てぇ。畑と森の狭間に並ぶんだば、ハシビロが雲に隠れりゃ奴らぁ襲ってくんぞ!」


 村長の合図でヒロシィは一旦屋敷へ戻り、所々錆び付いた鉄の装備を付けて持ち場に着いた。そこには既にラカンが斧を地面に突き刺し、仁王立ちして森林を睨んでいた。


「おお、中々様になっているじゃないか」


 鉄の装備を身に着けたヒロシィを見て、ラカンは笑った。


「これでも昔は、自分が勇者だと信じていた時期もあるんだ。もう誰も信じてはくれないが、俺は女神マガリナの加護を受けて、魔王を倒すためにこの地に降り立ったのさ」


 強がりというよりも恥ずかしさを隠すため、ヒロシィは答えた。思えばこの話を誰かにするのも久しぶりだ。


「それが今では宿屋の主人か。どうして止めてしまったんだ」

「弱かったんだよ。殴られたり噛まれたりは痛いし」

「それでもお前は、村のため今ここに立っているじゃないか」

「こんな俺を受け入れてくれた村の皆には感謝している。あの言葉は本当だ。俺がワーウルフに襲われている間は、他の誰かは襲われない」

「情けないのか優しいのか分からん奴だな。だが、その考え方ではいずれこの村は滅びるぞ」


 ラカンは厳しい口調で断言した。その言葉には脅しや怖がらせようという稚気すら含まれておらず、ヒロシィにとって望まない未来を予言しているように聞こえた。


「どういうことだ?」

「それは――む、話はワーウルフ狩りが終わってからだな。気配が濃くなった」

「ああ、ハシビロが雲に隠れ始めた」


 魔物特有の濃い臭気が土の匂いと混ざり合って鼻腔をくすぐる。ラカンは斧を構え、ヒロシィは鉄の剣を握りしめる。


「――来る」



   *   *   *



「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い! 血が出た! 血が出てる!」

「落ち着け、傷は浅い」


 ラカンに背負われながら、ヒロシィは絶叫していた。

 ワーウルフの群れは村全体を取り囲むように森林の影から姿を現し、武器を持つ村人たちを観察していた。やがて、群れのリーダーがいつも情けなく逃げていく弱い人間の姿を見つける。鉄の装備をした男だ。リーダーのワーウルフは低く唸り合図すると、そこを狙って突撃を仕掛けた。


 ワーウルフたちにとって不運なことに、今日に限って弱い人間――ヒロシィは一人ではなかった。隣に村の匂いがしない大男がいた。大男は斧を振りかぶり、巨体に似合わぬ素早さで駆けたかと思ったその時、すでにワーウルフのリーダーの身体は真っ二つにされていた。突然の事に混乱する配下のワーウルフたちは吠えて威嚇し、他のワーウルフたちを呼び寄せる。眼前の大男が圧倒的な強者だと、本能で察知したのである。


 ほとんどのワーウルフが突如方向を変え、一点に集中して襲い掛かっていく。村人たちは何が何だか分からなかった。衛星ハシビロにかかっていた雲が霧散し、ハシビロ光が夜の村を照らした時、その場所には引き裂かれた無数のワーウルフの死骸が散乱していた。


 その戦闘は暴風のようであった。

 ヒロシィはその光景を呆然として眺める他なかった。そして、あまりにも呆然としすぎていたために、こちら側に飛んできたワーウルフの肉片を避けようとして石に躓き、転んで膝を擦りむいたのである。


 そして、血が出た血が出たと泣き喚き、ラカンに背負われる事となった。



   *   *   *



「まったく、転んだぐらいでは子供でも泣かんぞ」

「泣いてなどいない。あれは汗だ」

「……そうか」


 藁小屋でヒロシィの膝に白布を巻きながら、ラカンはヒロシィの悪足掻きにも満たない強がりを受け流した。呆れるというよりも、この期に及んで勇者然とした態度を崩そうともしないヒロシィに感心していた。


「なぁラカン、さっき途中になってしまったけど、いずれ村が滅びるというのはどういう意味なんだ?」

「ん、あぁ、その話か」


 ラカンは立ち上がり、出入り口の境目から外の様子を眺めた。ワーウルフの死骸は村長たちが片付けている。斬り伏せただけでも20頭はいただろうか。自分が居なければ、この村は壊滅していたかもしれないな、とラカンは思った。


「ワーウルフというのは、毎回あれぐらいの数で襲ってくるのか?」


 ラカンは訊いた。


「いや、俺もまだこの村に来て2年だけど初めてだ。襲われては追い払っての繰り返しで、来るたびに増えているような気がする」

「だろうな。魔王の影響力が、こんな辺境の村々にまで及び始めたということだ。俺が回ってきた他の村や集落でも、皆口々に似たようなことを言っていた」

「魔王の影響力が……」


 ヒロシィはラカンの言葉を反芻した。その様子から、直視しがたい現実に直面した焦燥がラカンには見て取れた。


「以前出会った王国の研究者から聞いた話では魔素というのが濃くなるのが原因らしいが、まぁ難しい事は俺にはよく分からん。とにかく魔王を倒さない限り、魔物は増え続けるし、強くなっていく」


 この村が壊滅に追い込まれるのは時間の問題だろう。ラカンは口にしなかったが、ヒロシィは言葉の続きを読み取った。


「やっぱり、俺が魔王を倒さなくちゃ駄目なのかな」

「勇ましい冗談だな」


 ラカンは笑ってみせたが、ヒロシィの表情が真剣なことは見逃さなかった。戦いの中で幾度も見た眼をしている。追いつめられた獣のようだ、とラカンは思った。


「なぁ、ラカン。もし良かったら、俺を連れて行ってくれないか」

「膝小僧を擦りむいて半べそになっているお前をか?」


 ラカンがそう返すとヒロシィは俯いた。


「荷物持ちでも何でもするよ。あんたは確かに凄く強いけど、一人なんだろ? 身の回りの世話でも、使い走りでもなんでもする。俺は経験が足りないんだ、ほんの少しの間だけ、次の大きな街に着くまでの間でいい。ついて行かせてくれ」

「次の大きな街というと、魔法院のあるエヒメェか」


 ラカンは腕を組み、夜空を見上げた。ヒロシィもつられて星空を見る。衛星ハシビロの青光以外は、ヒロシィがいた世界と何ら変わりない。それからしばらくの沈黙があって、ラカンは「いいだろう」と答えた。


「俺が断って、お前が一人旅の最中に魔物に喰われでもしたら寝ざめが悪い。ただし、エヒメェまでだ。そこから先はお前の冒険だ。無理だと感じたら村に帰れ。俺は足手まといを相棒に据える気はない」

「ありがとう! 大丈夫さ、俺には女神マガリナの加護があるらしいから!」

「あるらしい、というのも妙な話だな」


 ヒロシィは大喜びでラカンの腕を掴み、ぶんぶんと上下に振った。ラカンのぎこちない表情を見る限り、どうやら信じていないらしいとヒロシィは感じ取ったが、ヒロシィだってこの2年間、ろくな実戦経験はない。あるらしい、と表現するしかないのが本音だった。


 ヒロシィ自身、もしかして、自分は記憶喪失になっているだけで、最初からこの世界の住人であり、天界での出来事は想像力豊かな幻だったのではないかと思うことさえある。


「早速準備をしなきゃ、あ、その前に村長たちに旅立ちの話をしないと!」

「落ち着け、今日はもう遅いし、ワーウルフの処理だってある。俺も食料やら何やらの準備をしておきたい。出発は明後日にしよう」

「そうだな、そうしよう。ようやく、旅に出られるわけだ。俺に足りないのは、仲間だったんだよ」


 興奮した様子でぶつぶつと何か呟き続けるヒロシィは、ようやく女神マガリナから与えられた使命を遂行する時が来たことを実感していた。


 惜しむらくは、この時点で2年近く月日が流れているという点だ。冒険の要所要所で登場すると言っていたあの女神から、次に出会った時どういう嫌味を言われるのだろうか。さぞかし怒っているだろう。やきもきさせたどころの話ではないのだから。


 先程まで怪我をして泣いていたと思ったら、今度は少年のようにウキウキした顔でその場をぐるぐる回っているヒロシィを見て「先が思いやられるな」とラカンは苦笑した。

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