(10) こいつはヤバい女だ

 ウェルウェラと初めて会った日の事を思い返し、ヒロシィは思わず苦笑した。よく捕まらなかったものだ。というか、現行犯で捕まらなかっただけで、未だに犯人は捜索中なのかもしれない。


 あの後、焼け野原になった『元・迷いの森』を抜けるのは簡単だった。何しろ遮るものが無い。壁のない迷路が、もはや迷路ではないように、残ったものは大量の焦げた木々と道だけだった。三人はウェルウェラの咄嗟の機転によって、全身を水の魔法『ウォ・シュー』で炎から身を守り、無事に森を、というより荒野を抜けた。



   *   *   *



 ヒロシィ一行は消火に向かうらしいオカヤンマの兵士たちから身を隠した。全身に付着した煤を念入りに払う。魔導都市オカヤンマの城門前にヒロシィたちが到着した頃には、すっかり夜になり、空にはハシビロが昇っていた。


「それじゃ、あのー、まぁ本当にね、お疲れ様でした」

「そうだな、では我々はここで失礼しますので。ありがとうございました」

 ラカンがきっちりとお辞儀をした。ヒロシィもそれにならって頭を下げる。

「ちょっと待ちなさいよ、なんで敬語なの! どうしてちょっと余所余所よそよそしいの!?」


 ウェルウェラがヒロシィとラカンの腕を掴む。その握力は魔法使いとは思えない程に強い。


「いや放火魔の方とはちょっと」

「一蓮托生って言ったでしょ!」

「魔法使いの魔とは、そういうアレだったのだな」

「違うから! ちゃんと魔法使ったでしょ!」

「一緒に出歩いて共犯にされると困るし」

「なんでよ! 私たちもう仲間じゃない! 一緒に迷いの森を抜けてきた絆があるじゃない!」


 ヒロシィとラカンは逃げ出した!

 しかし、回り込まれてしまった!


「絶対に逃がすもんですか……」


 必死すぎて怖い。目が血走っている。


「第一、ヒロシィ、あんたのくしゃみがなかったら失敗しなかったんだからね。同罪よ同罪。城門の審査で捕まったら、あんたたちも仲間だって宣言してやるんだから」

「最悪だこいつ。どうするラカン」

「やむをえん、とりあえず城門を抜けるのが先決だ」


 こうして、魔法使いウェルウェラが(不本意にも)仲間になった。



   *   *   *



 そうだった。始めの頃はラカンと二人してウェルウェラから逃げ回っていたのだ。こいつはヤバい女だ、という見解で一致していた。オカヤンマで一緒の宿に泊まり、早朝こっそりと逃げ出そうとしたら、監視の魔法をかけられていたらしく、すぐに追いつかれてしまったのを覚えている。


「ヒロシィ、物思いにふけるなら寝ながらでもできるでしょう。体力の回復に努めなさいよ」


 いつの間にかラカンと入れ替わるようにして、ウェルウェラが背後に立っていた。魔神官の祭壇に灯る禍々しい照明を浴びるヒロシィとウェルウェラの影が向かい合う。


「ああ、もうちょっとしたら俺も寝るよ」


 思わずまじまじと見返してしまい、ウェルウェラが居心地悪そうに腕を組む。両腕の上に乗った豊満な脂肪の塊をヒロシィは本能的に見つめてしまい、はっと目線を戻したところでウェルウェラと目が合った。


「私の身体に何か付いてる?」


 立派なのが付いている、とは流石のヒロシィも返さなかった。それはセクハラである。仲間をそのような目で見ることは断じて許されない。ヒロシィは人並以上にエロスを愛しているが、他人にそれを向けているのを悟られる事には人一倍敏感な男である。


「いや、何でもない。これまでの冒険を思い出していたんだ。考えてみれば、ウェルウェラがいなければ突破できない所は多かったなって」


 ヒロシィは強引に話を変えたが、思いのほか真っすぐに受け止められたのか、ウェルウェラは赤面して帽子を深く被った。


「なに急に、止してよ照れるじゃないの」 

「ほら、鉱山の洞穴でスライムに襲われた時なんて、俺もラカンも取り込まれて大変だったのを火炎魔法で俺たちごと吹っ飛ばしてくれたろ」

「あれはもう忘れてよ、まだ怒ってるの」

「感謝してるんだよ」


 ヒロシィは上手く誤魔化せたことに安堵して笑った。それにしても、あのスライム事件は酷かった。今となっては良い思い出だ。


「小さい水溜まりを踏んだと思ったらスライムでさ、足元から這い上がってきたんだよな。スライムって弱いイメージがあったから、適当に振りほどこうとしたら体中にまとわりついて、剥がそうとしたラカンも巻き込んじゃって」

「貴方のそういうズレた常識って本当に理解できないわ。スライムは戦士にとって最悪の相手よ。剣で斬られてもすぐにくっついて、力も強いし、知性も高い。身体を圧縮して斬撃だって使えるんだから」

「なんか、どこにでもいる雑魚モンスターの印象が強くて」

「ありえない」


 ウェルウェラが首を振る。


「スライムはずっと洞窟に潜んで寿命も長いから大体強いし、本来は、遭遇したら即座に逃げ出すべき恐ろしい魔物なのよ」

「その説教は散々聞いた」

「何度言っても常識外れの事ばっかりするから、何回も聞く羽目になるの。さっきもそう。魔王が死んでたから良かったものの、罠だったらどうするつもりだったの」

「遠距離呪文で助けてもらえるかと」

「呆れた!」


 火に油を注いでしまって、再びウェルウェラの説教が続いた。ラカンは我関せずとばかりに布団を被り、テルモアはすでに着ぐるみのまま丸まって寝ている。まるで今日まで繰り返してきた野宿での、いつものやりとりだ。本来なら、今日で冒険は終わるはずだったというのに。


「なぁウェルウェラ。封印魔法ア・カーンについて、詳しく教えてくれないか」

「どうしたのよ急に」

「最後の間が本当に密室だったら、誰も入れないし出られない。俺たちが見落としている何かがあるはずだろ。だからこそ、封印魔法の条件や範囲なんかを細かく知っておきたい」


 推理以前に、ヒロシィには魔法の実践的知識がない。マガリナの異世界講座にも項目は基礎的なものしかなかった。戦士として修業を積み、一時は転職も駆使したことで≪身体強化≫や≪属性付与≫など、幾つか使用できるようになった魔法はあるが、感覚的には何となく使える程度でしかない。


「そうね、マガリナ様が仰られたからには、ヒロシィに考えてもらわないとダメよね……。でも、あらためて言われると難しいかも。例えば、どういう事が知りたいわけ?」

「そうだな、その最高位封印魔法ア・カーンを覚えるには、どれほどの実力が必要なんだ? レベルとでもいうのかな、ウェルウェラを100としたら、どのあたりで習得できる?」

「90」ウェルウェラが即答する。

「私自身、習得したのは本当に最近よ。十傑の八、デルヴァラオスの溶岩窟であいつを倒した後に覚えたの。私ぐらい才能溢れる魔法使いは滅多にいないから比較が難しいけど、人間の魔法使いが一生涯をかけて最後に辿り着けるか着けないかの境地が90だと思ってくれればいいわ。元々素養のあるエルフでも、使えるのは一握りだと思う。知っている範囲でも、私の姉・チャルメラぐらいね」


 堂々と自分を人間よりも上に置くウェルウェラであったが、この言葉に偽りはないことをヒロシィは知っていた。旅の中で共に成長し、今やウェルウェラほど高位の魔法使いはいないと心の底から信じられる。ヒロシィは間髪入れず次の質問を発した。


「ア・カーンを使って最後の間を封じたとして、例えば扉の脇の壁とか、床や天井に穴をあけて侵入することはできる?」

「できない、はず」


 ウェルウェラが少し迷ってから答える。


「ア・カーンは、厳密に言えば空間を断絶する魔法なの。発動者の杖から魔力の空気というか、風船が膨らんでいって、それを室内に充満させてから杖の先でキュッと口を結ぶ感じ。充満した魔力を外側で固めて、内部にある存在と隔離しているの」

「その口を結んだ先が、鍵穴ということ?」

「そう。完全な断絶はできなくて、必ず空間同士の繋ぎ目が出来るから、そこを閉じるために鍵を作るわけ」

「内側に封印された側は、逃げられないのか?」

「普通は弱らせて、体力と魔力の回復が出来ない状態にしてから封印するのよ。逆に言えば、魔力の壁を破壊できる術者か戦闘力があれば逃げられる」

「じゃあ魔王なら、自力で封印を解いて外に行き来できたということか。いや、でも魔神官の鍵で開けたわけだから、あの時は鍵がかかったままだった……」


 状況の整理にヒロシィは頭を働かせる。魔王が内側から、あるいは超人Aのような存在が外側からア・カーンを解いたとしても、ヒロシィたちが最後の間に入ろうとしたときにはア・カーンが掛けられていた。そしてその封印は、魔神官が持っていた鍵によって解除されたのだ。


「今回みたいに、外敵から守るために使うケースは珍しいかもね」


 ウェルウェラが呟く。何気ない一言だったが、ヒロシィには新しいアイデアが浮かぶ。


「そうか。守るためじゃなくて、封印する本来の使い方でア・カーンを掛けたんじゃないかな。超人Aは虎視眈々と玉座を狙っていた配下の魔物で、魔王を不意打ちして、そこへ魔神官が鍵を掛けた。魔王城でクーデターがあったんだ」 

「あいつらの最期の断末魔、貴方が一番近くで聞いてきたでしょ。『貴様如き魔王様の足元にも及ばぬわー!』とか『魔王軍万歳!』とか『魔王様に栄光あれー!』とか叫びながら自爆したり呪いかけてきたり、命懸けだったじゃない。あれが演技とは到底思えない。それに、あいつらの口ぶりからすると魔王は圧倒的に強かったわけでしょ。配下の魔物に不意打ちで負けるようなら、魔王なんてやってられないはずよ」


 ウェルウェラの言葉にヒロシィは反論が浮かばなかった。確かにそうだ、と納得してしまう自分がいた。魔王のやつ慕われてたもんなぁ、と殺された宿敵に思いを馳せてしまう。あの連帯感は羨ましさすらあった。十傑の連中なんて、ゾンビになってまで魔王城の守護に来ていたのだ。


 閃きは一瞬の輝きと共に立ち消え、ヒロシィの思考は再び夜の闇へと彷徨っていった。

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