第9話 父の告白

自分の部屋に戻った僕は神経を研ぎ澄ませて、階下の父の様子を探った。


ビリビリっと小包の紙袋を破る音が聞こえてきた。


しばらくすると階段を登る足音が聞こえてきた。


盗み聞きしていたことを隠すため、僕は慌ててベッドに寝転び、天井を眺めた。


コンコンとドアをノックする軽快な音が響いた。


「お父さんだ。入るぞ」

という父の声とともにドアノブが回り、父がひょっこりと顔を出した。


父の表情はいつになく明るかった。


父が僕の部屋を訪れるのは久しぶりだ。父も同じことを思ったらしい。

「そういえば、この部屋に入るのは随分久しぶりだな」

父は僕の部屋に入ると、壁に貼られた映画「スタンド・バイ・ミー」のポスターを見て、眉をひそめた。

「こんなの貼ってあったっけ?」

ベッドに腰かけた僕は頷き、

「つい最近」

と答えた。


そうだったか、と呟いた父は、思い出したように、

「あ、そうだ。悪いが、英和辞典を貸してもらえないか?」

と僕に頼んだ。

「英和辞典?いいけど、なんで?」

僕が質問すると父は急に真剣な顔を作り、

「母さんのことで調べたいことがある」

と言った。

「え?お母さんのこと?」

僕が繰り返すと父は僕の隣に腰掛け、僕の目を見つめながら、

「母さんが死んで以来、よそよそしくして悪かった」

と言い、頭を下げた。


僕は何も言わなかった。僕は父も苦しんでいたことを知っていた。


「俺は自信を失ったんだ。母さんが人知れず苦しんでいたことを、一番近くにいたのに気づくことができなかった。悔しくて、悔しくて」

父の瞳から一筋の涙が流れる。僕は黙って立ち上がると、勉強机の上に置かれていたティッシュペーパーを箱ごと父に差し出した。涙脆い父のことだ、たった一粒の涙で済むはずがない。


私の予感は的中した。


「実は母さんはな、研究がひと段落したら、大学を辞めるつもりでいた。辞表も書いたと言っていた。3人で旅に出たいと言っていた。お前ともっと色々なことをして、色々な場所に行き、色々な話をしたいと楽しそうに言っていたよ。お前に寂しい思いをさせてきたから、これからは、もっともっと母親らしいことをするんだと。。そ、それなのに、俺は、か、母さんを助けてやることが。。。」

と言った後、父の涙腺は崩壊した。


父は4枚ほどティッシュを鷲掴みにすると、両目に押し当て、嗚咽をもらした。


僕は父の肩に手を当て、

「父さん、僕も悔しいよ。とても、悔しいよ」

と父に優しく語りかけるように言った。


父は肩を震わせながら、

「そうなんだ。その通りなんだ。最近、お前の表情が生き生きしてることに気づいてな、俺は思ったよ。13歳の息子が俺よりも逞しく生きているじゃないか、と。それなのに、俺は。。。まるで、3人で過ごした時間をなかったことしようとするように、抜け殻のように毎日を過ごしていたよ」

と言うと、再びティッシュを取り、目頭を抑えた。


そして、若干落ち着きを取り戻した父は、深呼吸すると語り始めた。

「この前、1年前に母さんの誕生日に撮った家族写真を見ていたらな、なぜか、母さんが俺に何かを伝えようとしているように思えたんだ。それが何だかんだ最近までわからなかった」

父が一呼吸置いたところで、僕は気になっていたことを訊いた。

「さっき、お父さんはお母さんが大学を辞めて、3人で過ごすことを楽しみにしているって言ったよね」

「あ、ああ。そのとおりだ」

父は鼻をすすりながら答えた。

「それなら、なんで」

僕は父の顔を直視し、

「なんで母さんは自殺したんだろう」

と尋ねた。


父の言ったように、母が仕事を辞めるつもりでいたら、そして、しかも楽しそうに話していたとしたら、母に関する様々な憶測は成立しなくなるはずだ。


母なトラブルなど抱えていなかった。少なくとも母はそう思っていた。


「俺もそう思った。これは何かあると。だから2週間ぐらい前に母さんの遺品を注意深く確認してみることにしたんだ。そうしたらな、「BRAIN CONTROL」と「CALIFORNIA SCIENCE INSTITUTE」と殴り書きされた紙の切れ端を見つけたんだよ。俺にはさっぱり分からなかった。そこで、車の輸入業者のつてをたどって、アメリカの軍人さんに訊いてもらったんだ。そうしたら、その軍人さん曰く、カリフォルニア何とかっていうのはアメリカの軍事研究所の名前で、「BRAIN CONTROL」というのは最新の研究の結果が載っている論文のようだ。それで、この軍人さんの車の修理を無料で引き受ける代わりに、この論文を手に入れてもらったんだ」

ここにきて僕はようやく全体像が見えてきた。

「それがさっきの小包なの?」

「その通りだ」

父は大きく頷いた。


そして、小包の中身こそが、父が英和辞典を探していた理由であった。


父が英語で書かれた論文を理解できるはずがない。


僕はベッドから再び立ち上がり、本棚に向かった。


英和辞典は国語辞典の隣に置かれていた。英和辞典は、洋画に興味がある僕のために父が半年ほど前に買ってくれたものだ。


僕は父に英和辞典を手渡した。


父は英和辞典を胸に抱えると、

「何か分かったら、誰よりも早くお前に教える」

と言い、部屋を後にした。










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