三日月(New花金Day)

 焼きたての香ばしい香り。

 ちょっと焦げ目がついた、さくさくとして甘い表面。そしてしっとりとしてバターたっぷりの生地の階層。そこからとろーり溶けたチョコレイトが零れてくる。

 バターの香りと、チョコレイトの甘い香りが身体の奥までくすぐる。


「お、美味しい……!」


 チョコクロワッサンって、なんでこんなに美味しいんだろ!?

 チョコはアツアツでたまに舌を火傷させてしまうけど、それでも食べるのが止められない。


「バター大量に使ってっから、あんま食べると晩飯食えなくなるぞ」


 作ってくれた雅比古さんがそう言う。

 私はむっとしながらも返した。


「そんなこと言うなら、雅比古さんも消費してよ!」

「もう食べたよ、三つも。ほらちゃんと茶も飲め」

「目の前に並べられたら、食べなきゃ! ってなるじゃん! なんでこんなにたくさん作ったのさ! いただきます!」


 渡されたのは小さな白磁の茶器に入れられた、薄い琥珀色のお茶。

 口に含むと、クロワッサンの香りと、蜂蜜のような甘いお茶の香りが混ざる。

 渋みはあまりない。でも口の中のバターが、結構とれた気がする。


「紅茶、って割には、色が薄い……中国茶?」

「そ。『東方美人』っていう台湾茶だよ」

「あ、聞いたことある」


 確か、ウンカの害を逆に利用して作られた、美味しいお茶。フレーバーティーじゃなくても、こんな甘い香りがするんだ。

 ……って、結構高いお茶じゃないっけ。Amazonで25g1000円とか見た記憶あるけど(玉露茶は100g3000円とかだった気が)。


「台湾の先生から譲ってもらった奴だから気にすんな」

「心を読むな!」

「あんたがわかり易すぎなんだよ。っていうか、祝いの場でホストの懐具合を心配するんじゃねえ」


 失礼にも程があんだろうが、としかめっ面する雅比古さん。……確かにそうなんだけど、いつもアルバイトしてる姿見てると心配なんだもん。

 でも、台湾の先生ってことは、大学の先生か。フィールドワークでのお土産を貰うことしょっちゅうあるらしいし、私が心配することないかあ。


 ……ん? 


「お土産にいただいた、じゃなくて?」


 そう指摘すると、しまった、という顔をした。



「……なあ杏子さん、知ってるか。

 中国や台湾だと、クロワッサンってのは羊だったり、牛の角のパンって意味なんだと」

「へえー。クロワッサンって、フランス語で『三日月』って意味なのに」

「まあ確かに、角にも見えるよな」

「で?」


 出来るかぎり鋭く言い放ってから、また『東方美人茶』を飲む。

 雅比古さん、黙る。

 こちらも口を挟まず、じっと待つ。


 お喋りというわけではないが、実はあまり沈黙が好きではない雅比古さんが、耐えきれず口を開くのはこれまでの付き合いでわかっている。


「……雑務と引き換えに、ちょっとな?」


 そら、白状した。

 別に怒ってるわけじゃない。ないんだけど、お茶と引き換えに更に雑務を引き受けたこの人の休息が心配になってくる。

 大学だって忙しいはずなのに、アルバイトもして、しかもこの一年、家庭教師として私の受験勉強を見てくれて(その間自分のレポートや勉強もしていた)……。

 忙しいのに申し訳ない、と私が言うと、


『数時間過ごすだけで給料貰えて、おまけに自分のレポートも片付けられんだ。得しかねぇよ』

『月謝1000円ですが!?』


 月によって見てもらえる時間も日数もバラバラだけど! 間違いなく時給が最低賃金に届いてない! いや私のお小遣いがそう多くないのが敗因なのだけど!(私の学校はアルバイト禁止だったし)

 おまけに私が受験疲れで半分意識が飛びかかっていた頃の、


『合格したら……チョコクロワッサン沢山食べたい……雅比古さんの手作り……』


 って言ったのを覚えててくれて。今、目の前に大量のチョコクロワッサンが並べられている。


 今思い返したら、わ、私の頑張りと、雅比古さんの労力が釣り合ってない……!



「……嬉しかったんだよ」


 ガクガクと震えていると、ぶっきらぼうに雅比古さんがそう言った。


「あんたがうちの大学に来るって言ってくれたのが。しかも本気と来た。別に疑ってたわけじゃないし、こう言うのもアレだが」


 そこで一旦区切って、とっても慎重に言葉を選んでくれた。


「あんたのとこの学校、あんま勉学に熱心なとこじゃないだろ」


 はい。よく言ってお嬢様学校、悪く言っておバカなお嬢様学校です。何でそこに入ったかって言うと、受験勉強が面倒だったからです。はは。


「学年が違うと、会うことは殆どない。知り合いとすれ違うのも稀なぐらいだ」

「うん……すっごく広いもんね、あそこ」


 敷地内にバス停があちこちあるぐらいだもんね。


「そんでも、まあ、同じ学校に行けるってのが、嬉しかったんだよ」


 だから浮かれた、という言葉に、私は喜びたかったけど、いまいち信用出来ない。

 苦労を知っている、もう大人な顔をしたこの人は、世間知らずな私のおままごとに付き合ってくれているような気がして。

 なんだかここまでされると、接待じみた感じが……。


 私の疑いを察知したのか。

 雅比古さんは、とっても言いづらそうに言った。

 

「……ちなみに晩飯はちらし寿司だ。刺身付きの、素を使ってない」

「うええええ!?」


 素を使わないちらし寿司ってすっごく時間がかかるやーつ! しかも刺身付き!? +大量のチョコクロワッサンと東方美人!?

 口を開いたままの私に、顔を真っ赤にして、雅比古さんは言った。


「ひ、ひくよな……我ながらやり過ぎたな、と思ったから、東方美人とちらし寿司の話は黙って置きたかったんだが」


 ほ、ホントに私の合格を喜んでくれたんだな、この人……。テンションの上げ方がスゴすぎ……。


「えっと……ありがとうございます……」

「……おう。そんなわけで、クロワッサンはそこまでにしてくれや」


 せっかく作った晩飯が入らなくなるのは悲しすぎる、という言葉に、私ははい、と頷いた。



「じゃあこのチョコクロワッサン、どうしよう」

「明日までは持つだろうから、朝飯にしたらどうだ」


 じゃあ帰りに包まないと、という私に、あー、と言いにくそうに雅比古さんが言った。


「十八だよな、あんた」

「? うん」

「……もう、外泊してもいい年齢なんじゃないか?」


 ……。

 頭の中で、オーブンが爆発したような音がした。

 


ーーーー

登場人物

杏子

割と裕福な家のお嬢様。


雅比古

二歳年上。杏子の家にアルバイトしたのが出会ったきっかけ。

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