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『アイツはちゃんと挑戦して、自分の可能性を広げてたんだよ。失敗するリスクも、成功するための努力も惜しまないで』


 対してあたしは、失敗したり、傷つくのが嫌だから避けてきた。






 昔からそうだ。

 失敗したらどうしよう、とか、傷ついたらどうしよう、とか。そういうのが嫌で嫌で、だから真面目に何かをするのが怖くて。

 真面目でいい子だって見られたら、いつも何かを押し付けてくる先生。言うこと聞いたら、「良い子ちゃんぶってる」って言って嫌がらせしてくる同級生。それが煩わしくて、あえて先生の言うことを聞かない悪ガキを演じた。今の喋り方も、その時のおまもりみたいなものだった。

 ナオに対してだってそうだ。小学校時代、ナオといると「アイツら出来てるんだぜ」って囃し立てられるのが嫌で。女子たちの妬みが、物を隠したり、水をぶっかけられたり、そういう災難を招くから。それなのに何も知らないアイツが無邪気に「たっちゃん、たっちゃん」って言ってやって来るから、「私に近づいてくんなウザイ!」って怒鳴った。それからだ。疎遠になったのは。



 たまたま入った美術部で色々賞をとって、先生に、


『興味があるならあそこの高校の美術コース、目指してみないか』


 なんて言われたけど、結局断った。

 絵は好きだったけど、本格的な受験勉強のために、今過ごす時間を捨ててもいいって思えるほどの情熱を持てなかった。それで何をすればいいのかわからなかったし、何より学費が高かった。

 進学校に入れば何か、将来のことについてわかることがあるかもしれない。そう思って、ギリギリ合格出来た学校は、かなりハードスケジュールで。

 そこで難関の大学に行くための勉強をするのは、そこまで勉強が得意じゃない私には難しかった。そしてやっぱり、「自分がどうしたいのか」はわからなかった。


 テキトーに入れる大学に入って、テキトーに過ごして、テキトーに就活したら尽く落ちて、何とかハローワークで清掃員の仕事を見つけた。新卒とか学歴とか関係ない求人だった。

 面接だけで正社員に雇われたものの、時給制。週休一日。代わりに昼休みが長く、普段は4時には帰れるが、残業が入ると22時まで、なんてザラだった。

 極みつけは、二ヶ月で2度入院する羽目になったことだろうか。

 恐らく清掃に使う薬品が原因だと思われるが、薬品自体がやばい代物なのか、それともただ単に私が薬品に弱かっただけなのか。それはわからない。

 ただ、傷病手当のことを知らなかった馬鹿な私は自腹で払ってしまったし、二度目の入院で事務から「あなたのせいで他の清掃員の仕事が失うかもしれない」「やめてもらいたい」「薬品のせいで倒れたなんて噂が広まったら仕事がなくなるかもしれない。どうしてくれる」などというパワハラ電話が一夜かけてずーっと続くし、その後の扱いも散々だった。

 今度入院したら医療費で切迫してしまうと思った私は、もうとっとと辞めよう、と思って退職届を出した。そうしたら、


『人がいないから、今やめてもらっては困る』


 と言われて、受理されなかった。

 電話で「やめてもらいたい」って言わなかったかアンタ。

 でも、私はその言葉を飲んだ。だって大変なのは、私だけじゃない。同じ清掃員のパートのおばさんやアルバイトのベトナムの青年とか、私と境遇はほぼ一緒だ。寧ろ私と違って家族を養わないといけない人々で、私だけが不平不満を流す訳にはいかないと思った。

 そう思って、頑張って年末まで過ごしたけれど(その間何度も退職したいと言ったが、同じセリフで断られた)。

 次の年末は絶対に出来ない、と思った。正直思い出したくない。

 一度労基に相談した。期待はしてなかったけど、正直思い出したくない対応だった。

 今まで「弁護士=高い」と思っていたけど、これ以上の医療費は払いたくないと思い、調べると「無料で電話相談に乗ってくれる日」があることを知り、連絡した。

 かくかくしかじか、説明すると。


『あー、その場合だと法律上、退職日の2週間前までに退職の申入れをすればいいんで。今すぐ退職できますよ』


 ……と、あっさり言われた。

 そこから弁護士は色々教えてくれて、『また何かあればご連絡ください』と言ってくれた。

 まあ辞めた後も、その会社一ヶ月半ぐらい、離職票を送ってくれなかったが(ギリギリなんとかなった)。



 電話一本で解決してしまった、我慢の半年。

 リスクがどうとか、とか言いながら、結局、怖くて何も知ろうとしない、何もやらない自分。

 誰かが「こうしたらいいよ」って言ってくれるだろう、なんて甘えていた自分。

 所詮自分は何も出来ないからって、最初から諦めて、挑戦しなかった自分。

 真面目にやって、嗤われるのが怖かった、自分。


 自分の人生は自分の責任なのに、誰かに決めて貰おうとして。


 ナオは誰のせいにもしなかった。どんな嫌がらせを受けても、どんなに人に振り回されても。

 自分のことをちゃんと考えて、努力した。

 コイツのすごい所は、顔でも頭の良さでも運動神経でも社会的ステータスでも収入でもなんでもなくて、その名前の通り、「正直」でいただけ。

 誠実に、正直に、誤魔化さないで、真面目に頑張った。

 見ていると体を崩してしまうんじゃないか、誰かに騙されて貧乏くじひいちゃうんじゃないかと思うぐらいの愚直さで、それでもこうやって生き生きと過ごしている姿を見ると、


 なあんだ、私の努力が足りないだけか。


 と、わかってしまう。

 自業自得だとわかっているのに、惨めになる。










『アイツはビッグなんだから。アイツに負けないぐらいビッグで素敵な人捕まえないと、ダメだよ』



 じゃないと、なんだか可哀想だ。

 顔とか成績とかでモテて、お金目当てで結婚されるとか、社会的ステータスで狙われるとか、そういうの、可哀想だ。

 誰かに愛されたり、好かれたりするのだけは、自分の努力ではどうにもならない。


 だったらせめて、そういうことに執着しないですむ人じゃなきゃ、既に持っている人じゃなきゃ、割に合わないじゃんか。

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