てのひらの

 女だとバカにされるのには、慣れていた。

 女なのに男より威張りやがってと妬まれるのも、慣れていた。

 女に異物のような目で見られるのも、慣れてしまった。

 女という性が、一体なんの役に立つというのか、わからなかった。



      ◆



 昔の仲間に声をかけられ、酒場に連れて行かれた。

 昔の仲間はギルダーツと言って、凄腕の槍使いだった。



「結婚式から三月ぐらいか?」

「それぐらいになるな」

「久しぶりだねえ」



 向かいにはギルダーツが、隣にはアスカ――私の夫が座っている。

 アスカは決して貧弱な体格なのではないのだが、図体がでかいギルダーツと比べると華奢に見えてしまう。

 ジョッキを片手に持つギルダーツは、頬を少し赤く染めていった。


「なあこいつ、気ぃ強ぇから尻にひかれてんだろ」


 その言葉に、私はむっとするより感慨深い気持ちになった。

 無頼の女好きではあったが、こいつに私が女扱いされることはついぞなかったな、と私は思う。

 ギルダーツの言葉に、そんなことないよ、とアスカは言う。



「ギルダーツは今何してるのさ」

 さらりとアスカが話題をそらした。

「俺か? 今は商業ギルドの用心棒。お前らは?」

「ぼくらは、……」

 こちらを見る晴れた夜空のような瞳が、私を写した。「なんだろう?」

 私も少し考えて、思いついたものから口に出す。

「この間は、スリの子どもがうっかり盗賊のものを盗んでしまって追いかけられていたから助けて、ついでに盗賊団は壊滅させましたね」

「あと、中途半端に街道の設備をやめて治安が悪くなっていたから、その進言しに行ったっけ」

「途中、悪徳業者も締めました」

「そのあと流れで業者を雇った悪徳貴族も締めに行ったよね」

「クレアが締めて締めて締めまくったのはわかった」


 相変わらずだなお前は、とギルダーツは笑う。



「半年になるか。魔王を倒して」

「そうですね。未だに信じられませんけど」



 本当に信じられない。

 こんな風に、平和な生活を送っているなんて。




 まだ10にも満たない頃、勇者にしか抜けないと言われた聖剣を抜いた。

 その頃の私は、流れ者のみなしごだった。ひとまず抜いてみろと命じられ、やせっぽちの私には抜けないだろうと笑われながら抜いた。

 その時の周囲の反応を、今でも覚えている。

 手のひらを返すように讃える歓声。

 バツが悪いのか、顔を背く人。

 それを聞いて私が思ったことは、「これでご飯が食べられるのかな」と思ったことだ。


 痩せすぎて、学もない、使い物にならない子ども。

 汚くて、悪口を言いからかう男子以外、近づこうとしなかった。

 それが食事を与えられ、服を与えられ、教養と剣の使い方を教えられた。


 そして、徹底的に自分のあり方を固定された。

『軍人の士気を高めるために、週に一度軍隊に顔を出せ』

 そう命じられ、私は言われるがままに顔を出した。

 最初は基本、皆優しかった。『このむさくるしい男どもに花が来た』と、笑って頭をなでてくれた。

 ある日、一人の兵士に声をかけられた。『お菓子があるから、来ないか』と。

 何時もお菓子をくれるやさしい兵士の言葉に、私は従った。


 おろかだった。

 その兵士は、少しずつ膨らみ始めた私の胸をまさぐって――。





 酒を飲みすぎたか、と私は頭を振る。

 思い出す必要もないことを思い出してしまった。


「なに? 人助け稼業ってこと?」

「普段はアスカが働いている酒屋の手伝いです。主に荷物運びで」

「そこでお客さんの噂とか相談をもとに、人助けしに行ってる感じかな」

 その答えに、なるほど、とギルダーツは言った。

「お前が軍部の昇進どころか再入隊さえ断ったって聞いた時、『え!? あいつ主婦になんの!?』って思ったけど」にや、とギルダーツは笑った。

「その様子だと酒屋で食べているみたいだな」

「……アスカの方が、圧倒的に美味しいんですっ……!」


 私だって、努力はしている。アスカの指導のもと。

 ただ、師匠の腕前のほうが圧倒的上位という……あと、しれっとこの男、先にご飯の支度を済ませてしまう。手際が良すぎて手伝うと言う隙もない。あらかじめ私が作ると言わないと、発揮する機会も少ないのだ。


「この分だと、他の家事もアスカがやってそうだな」

「ううう!」

「そんなことないよー、草むしりとか、買い物とかはほぼ任せっきりだし」

「……掃除、洗濯は?」

「半々かなあ」


 そう言うが、私は整理整頓があまり得意ではないし、洗濯の干し方もアスカのほうが丁寧だ。

 割と雑なほうだと昔から知っていたが、この男が側にいると「だいぶ自分の雑さをなめていた」と思う。色々気づいたので、最近は丁寧にするよう心がけるようになったが、そうするとものすごく家事の進行度が遅くなった。

 アスカは、そのことに怒ることもなく、完了するまで待ってくれる。

 慣れないうちはそんなもんだよ、とずっと笑うのだった。


「そもそも僕、君たちには家政夫として雇われていたわけだしね」

「そーだよなあー。お前の手料理が懐かしいぜ」

「今度遊びに来なよ。待ってるからさ」

 ね、クレア、とアスカは笑う。

 黒い髪、黒い瞳、この辺ではあまり見られない東洋系の、幼く見える顔立ち。

 つられて私も笑う。

「変わったよなあ、お前も」ギルダーツは昔を懐かしむように言った。「あんだけずっと、おっかない顔してたお前も懐かしいぜ」

「……回顧するにはさほど年月も経ってませんよ、ギルダーツ」

 そう。ギルダーツと出会ったのも、アスカに出会ったのも――そう昔の話ではない。

 


 私がアスカと出会ったのは、ギルダーツより前のこと。

 その頃の私は、軍に祭り上げられているだけの存在だった。

 技術は身につけた。功績もほどほどにある。そろそろ勇者としての責務を果たさせてくれと王に直談判しても、今はまだその時ではない、と言われ続けた。

 私はその頃、何もかもが嫌になった。

 若い兵士の憧れになると同時に、同い年かそれ以上の兵士にはライバル心を持たれた。それだけならまだいいが、彼らは私に対してこう言った。『生まれ間違えたんだな、あいつ』

 神様はあいつの性別を間違えたのさ、女なんてメシ作ってガキでも育てればいいのによ、あとは寝床がうまきゃな。そう言って下品に笑った。

 訓練場なんて、行きたくもない。若い兵士だって、蔑むことはしなくても『ここに女がいる』ということだけ気にしている。

 上流貴族たちは、そんな私にここぞとばかり婚約を申し込んでくる。王族さえだ。

 勇者という肩書さえなければ、私はただのみなしごだったというのに。


 けれど、男にしか囲まれていなかった私にとって、女の中に混じるのも苦痛だった。

 華やかな香水の匂い。リボンとレースに包まれたドレス。長いおしゃべり。男としゃべるいやらしさはないが、あまりに無邪気なご令嬢たちばかりで、どうしようもなく気が引けた。あちらは好意だけ向けてくれるのに(なぜか私は、若いご令嬢に憧れの騎士として扱われていた)

 甘い匂いや、リボンやレースの服が嫌いなわけじゃない。けれど、コルセットの苦しさ、『彼女たちと喋るにはこのような格好をしなければならない』というプレッシャーが、辛かった。

 けれど、いわゆる中流や街の娘と気が合うかというと、そうでもなく。『女は嫁に行くもの』と言われ、やはり私は、この世界の女としてのあり方がおかしいのだと思った。

 誰かの妻になるものかと、強く決心して心を閉ざした。


 そんな中で、アスカはーー突然、空から落ちてきた。

 本当に、空から落ちてきたのだ。

 気絶していたので医務室まで運び、気を取り戻すまで側にいた。目を覚ましたとき、彼はろれつが回らない口で呟いた。


『今日はきゅーじつだからぁ……あと5時間』


 ……そして、そのまま寝てしまった。


『占領されては困る』とドクターに言われて追い出されてしまい、私は彼を抱えて自分の部屋まで連れて行った。

 ーーその際大分乱雑に運んでしまったようで、起きたアスカに『なんか身体があちこち痛いよーな……?』と言われた。数日後、あちこちに痣が現れた。


 起きた彼と、私の会話は通じているようで通じなかった。あまりに非常識なことばかり言う彼に困惑していると、彼はなにか決心したような、真面目な顔でこう言った。

『ぼくはどうも、別世界から来たみたいなんだ』

 ……何かの比喩表現だろうか、とのんきに私は思った。



 ……そんな感じの初対面だったが、彼が異世界から来た人間だと言うことが上部に伝わり、結果私は魔王を倒す旅に出たーーというより、王族のとある事情を知ったために追われる身になったーーのだが、その時身寄りのないアスカは私についてきたのだった。

 ギルダーツに会ったのは、その旅の途中である。






「皆元気でしょうか。あれだけ一緒に過ごしていた日が、とても遠い昔に思えてしまいます」

「この間、エミリーに会ったぞ。リリィと仲良く暮らしているそうだ」

「あの二人に会ったのですか!?」

 仲間のうち、あの二人だけは、事情があって結婚式に来なかった。

「今度式挙げるんだと」

「ええ!?」

「お前らにも招待状送ったって聞いたけど?」

「あー……ぼくら、さっきの、悪徳貴族締め上げた帰りだったんだよ。かれこれ一ヶ月は留守にしてたから」

「あの話本当に最近の話だったんだな……」


 ギルダーツに声を掛けられなければ、とっくに隣町の我が家についていただろう。

 ……まあ、久しぶりに会えたので、それはそれでいいのだが。アスカも、ギルダーツに会えてうれしそうだ。私が水を差すのも。

 そう思いながら、まだ口を着けていなかったエールを飲む。

 





 旅の途中、何度も追手に襲われた。

 主に、狙われたのは武器の使い方がわからないアスカだ。

 アスカが住む国はとても平和だったらしく、剣やナイフも必要以上に持ってはいけなかったらしい。

 ある日、私が剣の訓練をしていると、それを見ていたアスカが言った。

『クレアは、すごいなあ……』

 それは『女』なのに剣が扱えるということか、と反射的に答えたが、彼はきょとんとした顔をした。

『剣が使えるなんてカッコイイなあ、って』

 ぼくもそんな風になってみたいや、と言うアスカに、じゃあ教えましょうか、と尋ねた。今までの経験で、大抵の男は、女なんかに教えを請いたくないと言う。少数派は、『若い女と交流できる』という欲に負けるが、回数を重ねると多数派に回る。そういうことの繰り返しだった。

『本当!? 教えて!』

 少数派か、と私は思った。


 反射神経が鈍いわけでもなく、体力や腕力が足りないわけじゃない。剣を扱うに至って、基礎はあった。徹底的に足りなかったのは、攻撃しようとする意思だ。

 こんな男がいるのか、と私はあっけにとられたものだ。私が知っている男といえば、力を誇示するものばかりだったから。


『クレアは、いつから剣を?』


 力尽きたとばかりに寝転がるアスカが尋ねた。10になる前と答えると、じゃあ7年なんだね、とアスカは言った。


『すごいなあ。ぼくなんて、3年でやめたよ。陸上』


 元いた世界で、彼は陸上というものをやっていたらしい。トップ争いをしていたが、ケガをしたときに急に走るのが怖くなってやめた。そう言われ、陸上というものが走ることなのだと私は理解した。

 ……彼が私の足手まといにならないように、剣を習い始めたのだと知ったのは、それからしばらくしての事だった。






 そんなことを思い出したのは、テーブルの下にあった、ジョッキを持っていない手をふいにアスカに重ねられたからだ。そしてそのまま、包み込むように握ってくる。

 彼の手は分厚く、炊事をよくするからさかむけもひびわれもしている。その手が、私を宝物のように扱うから、くすぐったくてたまらない。

 特に、私の指と指の間を自分のと合わせるように握ってくる。ぞわ、となる。それは決して不快なものじゃなくて、むしろ。


「どーしたクレア? 真っ赤な顔して、もう酔ったのか?」


 ギルダーツが鈍くて良かったと、心から思う。

 手を握っているだけなのに、いかがわしいことをしている気分になるのはどーしてか。

 キッ、とアスカを睨みつけても、アスカはのほほんと笑い、思いのまま握ってくる。


 尻にひかれている?

 むしろ私は、この男にいいようにされていれている。今! 決して不快ではないから抵抗しないだけで!


 というか、抵抗できるわけがないのだ。

 この人は私の手を、女の子らしい手とは言わない。私の手は皮も厚く、剣を握った時のたこやまめでいっぱいだ。節も目立って、お世辞にもきれいな手だとは言えない。

 けれど夜共に寝るとき、彼は私の手を握る。さわる。なでる。そして言う。頑張ったんだね、と。


 ……初めてそういうことをしようとした夜、そう言われて私はようやく、自分が何を怖がっていたのかを知った。

 彼は私を傷つけない。もし私を無理やり犯そうとしても、私のほうが強い。勝てる。なのにどうして、こんなにも怖いのかと。


 私の『女』というのは、一部であって全てじゃない。

 でも、だからといって足げりにされ、無視され、蔑まれて平気なものでもない。女という部分は確かに私の性格や生きてきた道を作ったものだから。性別は努力でどうにかなるものではないけど、その努力のスタート地点には深く関わっている。


 私は涙が溢れてたまらなかった。堰が外れたように言い募った。


 小さい頃兵士に犯されそうになった。それを言ったら、『処女性は失ってないな!?』って言われた。それを確かめるために恥ずかしいところを見られて。でも誰も慰めてなんかくれなかった。あの兵士は処分されたけど、その行為に怒る人はいなかった。馬鹿なことしたなって、みんな苦笑いするだけだった。私にとっては、とんでもないことだったのに、みんなには大したことがないことで。

 女だから侵されそうになったんだ、女だから弱いんだって言われるのが悔しくて、必死に剣を身につけた。でも、それは勇者だから当たり前って思われて、どんどん戦場に出された。どんなに無理を押しても、誰も褒めてくれなかった。むしろ、力を手に入れれば入れるほど、女らしくないって言われて。

 私は。本当は、こんな力、こんな手、望まなかったんだ。


 アスカは、黙って聞いてくれた。その日は結局私が泣き叫ぶばかりで、アスカは私をなで続けるだけだった。

 その日から、アスカは私の手を握る。争いのための手を、とても、繊細に撫でる。愛おしむ。

 平和の時は本当に何も役に立てないこの手を、彼はやさしく撫でる。


 その行為に、私は、私のままでいいんだと安心させられる。

 なにもしなくても、私は『女』で、この人の側では、『女』を蔑まれることはない。

 ……抵抗できるわけがないのだ。




 もう少しだね、とアスカがこっそり言った。

 見ると、ギルダーツはすでに瞼が下がっていて、そろそろ寝る寸前だ。ギルダーツは下戸ではない。たしかにたくさん飲むのでよく酔いつぶれるが、早すぎる。

 ……私が目を離しているうちに、一体この男はどうやってギルダーツの飲むペースを上げたというのだろう。幼い顔をして、実におそろしい。急性アルコール中毒の危険をギルダーツに語ったのはアスカではなかったか?


 アスカは、いたずらっ子のように笑う。

 それだけで、心がほぐれる。

 早く家に帰りたいのは、私だけではないのだと。


 ここに置いていても、ギルダーツは大丈夫だろうし。

 3分したら、帰ろう。うちに。


 ……ああ、ずるい。

 剣なんて使えなくたって、この人には敵いっこない。



 





無駄に長くなってしまう登場人物


クレア

女勇者だった。今は酒屋の手伝いをしながら人助けをしている。っょぃ。

女であることをずっと攻撃されつづけたため、男性を嫌悪していたが、アスカに出会ったことで緩和。基本丁寧語。


アスカ

日本から転生? 転移? してきた男子高校生(適当)。結構な苦労人で、いろいろなアルバイトを経験している。高校は陸上の特待生で入ったが怪我で挫折。おだやかな気質だが頑固。クレアが女でなくても恋に落ちるぐらいにはおおらかだし、それぐらいのつり橋効果がある程度の危険な旅についてきました。家事のスキルはカンスト。もはやプロ。


ギルダーツ

王族に追われていたとき、最初の仲間になった槍使い。特に何も考えてない。


エミリーとリリィ

クレアの仲間だった。女同士のカップル。同性婚は死刑なので各地を転々としている。


王家と魔王

敵対し、長らく戦争している組織……と見せかけて、金儲けのために共謀していたことが発覚。それを知ったクレアは、王家にも魔王にも追われる身になる。

クレアに倒されたあとは、王と魔王は穏健派がついた。なんかこう、全部丸く収まってハッピーエンドな後日談です。

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