6—2


 それ以上、追求はされなかった。


 ハシェドが問いかける。

「中隊長殿。水でありますか?」

「井戸の水はみんなのものだ。私も順番を待つとしよう」


 もちろん、中隊長ともなれば、水くらい部下に命じて、くんでこさせればいい。

 けれど、コリガン中隊長は平素からこのように下級兵士に、とけこむことを心がけている。こういうなところが、兵士に好かれる所以だ。


「とんでもありません。私がくみますから。おさきに使ってください」


 まめまめしく動くハシェドに、つい笑みをさそわれる。

 どうやら、それを中隊長に見られてしまったらしい。


「よい部下を持ったな。ワレス分隊長」


 言われて、あわてた。


(この調子では、エミールどころか、砦じゅうの兵士に、おれの気持ちを知られてしまうぞ。気をつけなければ。中隊長だからよかったようなものの、これが小隊長だったなら大変だ)


 まったく、恋の力は偉大だ。

 昨日まであんなに死にたいような暗い気持ちに蝕まれていたのに。今日はもう、ワレスは笑っていた。たった一日で、ここまでワレスを変えてしまうとは。


「彼がよく気がついてくれるので、助かっています。ハシェドは私のもっとも信頼する部下であります」


 ワレスはハシェドに聞かせるために言った。

 ハシェドは照れくさそうだ。


 コリガン中隊長が去ると、ハシェドは尊敬の念をこめて言う。


「いいかただなあ。中隊長なんて高い位なのに、ちっともいばらず、兵士一人一人に気をくばってくださるなんて」


 それにしては、エミールにはひとことも声をかけなかったが。


「そうだな。傭兵では中隊長が限度か。大隊長以上なら、貴族の出か。少なくとも騎士学校を出た正規兵でなければな」


 ワレスはコリガン中隊長の人柄より、砦の昇級の仕組みに感心を持つ。すると、ハシェドが変な声をあげた。


「あれっ? ご存じなかったですか? コリガン中隊長は正規兵ですよ」

「そうなのか?」


「中隊長ともなれば、なまなかの者には務まりませんから。傭兵にふさわしい者がいないときには、正規兵がその役につくことがあるんだそうです。コリガン中隊長も、おれが来たときにはもう中隊長でしたが、砦には二十年はいるんじゃないかな」

「二十年か」


「それに正騎士だか男爵だか、そんな家柄のはずだから、いずれ大隊長になられますよ。それなのに、あのとおり、ちっとも。尊敬しますよ」


 ワレスは恵まれた貴族を前にしたとき、いつも心に抱いた憎悪のようなものを感じた。が、ハシェドの純粋な眼差しに出会って、その気持ちもとけてしまう。


「……まったく、たいしたヤツだ。おまえは」

「おれじゃありませんよ。中隊長のことです」

「これだからな」


 肩をすくめて食堂へ向かう。

 その途中、なぜか、コリガン中隊長が一人でいた。どうも補佐官を去らせ、ワレスたちが来るのを待っていたらしい。


「ワレス分隊長。少し、いいか?」


 そのようすからして、内密の話らしい。

 ワレスはハシェドとエミールに、さきに行っているよう告げた。


「ご用でありますか?」


 コリガン中隊長は、髪と同じ赤みの強いブラウンの口髭をなでる。自分から声をかけておきながら、ためらっているようだ。


「ここは人目がある。前庭へ行こう」


 毎夜、ワレスたちが見張る前庭。

 昼の日差しのもとでは、見晴らしのいい空間だ。

 周囲のどこからでも見渡せるので、見張りに立つ兵士は少ない。人通りの多い廊下より、かえって密談にはふさわしい。


 風の吹きわたる前庭に出ると、コリガン中隊長は言った。


「ワレス分隊長。妙なことを聞くようだが答えてほしい。さきほど、つれていた新参兵のことだ」


 意外な質問に、ワレスは戸惑う。


「エミールでありますか?」

「うむ」


 中隊長は黙りこむ。


 どうも、おかしい。

 ハシェドほどよく知っているわけではないが、中隊長らしくはない。


「エミールが何か? 新参者なので、不敬はあったかと思いますが、なにとぞ、ご容赦を」

「いや、そうではない。そうではなく……聞いてはいないか? 彼の家族のことを……」

「えっ——?」


 まさか?


 ワレスはコリガン中隊長を見直した。


(しかし、エミールは自分の赤毛は父親ゆずりだと……中隊長の髪はきれいな褐色だ。たしかに赤みは強いが)


 子どものころはブロンドで、成人すると黒髪になったという話はわりと聞く。そういうものだろうか。


「エミールは、みなしごです。祖父母と母が死んだので、砦に来たということです」

「母の名は?」

「そこまでは聞いておりません。しかし、なぜ、そのようなことを?」


 コリガン中隊長は答えない。


 試しに、言ってみた。

「彼が思い出の女性に似ているからですか?」


 図星だったようだ。

 中隊長のおもてがサッと青ざめる。


「ワレス分隊長。それは——」

「彼は砦に父を探しにきたと言っていました。彼にあの目を残した母が、生前に、父は砦の兵士だと言ったそうです。あの赤毛は父親ゆずりだと」

「エリーヌ……」


 中隊長は前庭にしゃがみこみ、頭をかかえた。


(やっぱり、そうか。中隊長がエミールの父か)


 どおりで、エミールが入隊した日、中隊長の顔色が悪かった。あれほど明らかな女の面影を見れば、動揺もするだろう。


「あとはエミールと話してみられるべきかと存じます。私は、これにて」


 ワレスはその場を去った。

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