六章

6—1



 夜明けがた。

 三、四班が帰ってくる前に、ワレスたちはあわただしく自分のベッドにもぐりこんだ。冷たい寝具の感触が、そらぞらしい肉体の愛の虚しさを、いやでも強調する。


 昼になって目ざめたとき、ハシェドはいつもと変わらぬようすで声をかけてきた。正直、ほっとしたような、そうでないような。


「おはようございます」

「ああ……」


 複雑な気分だ。

 つまり、ハシェドはワレスのことなんて、なんとも思ってなかったということか。


(バカだな。ワレス。一人で勝手に、なにを勘違いしてたんだ?)


 いつも、ハシェドが親切にしてくれるので、それを自分の感情とかさねて、愛だと思ってしまった。


 考えてみれば、ハシェドがワレスの容姿にあこがれているからって、それが一概に恋につながるとはかぎらない。ハシェドはもともと誰にでも優しい。心配するまでもなく、まったくのワレスの片思いだというわけだ。


(ジェイムズのときと同じ失敗だぞ? こいつらの優しさは恋愛じゃないと、いいかげん、学べよ)


 ワレスは笑った。枕にうつぶせて爆笑だ。

 ハシェドが心配そうに、ワレスの肩に手をかける。


「隊長、どうしたんですか?」


 泣いているとでも思ったんだろうか。


「なんでもない。おかしかっただけだ」


 一人で深刻に考えていた自分が滑稽こっけいでならない。


(昨夜のハシェドが悲しげに見えたのも、おれの願望が見せた錯覚か)


 ハシェドの手のぬくもりが、服を通して肌に伝わってくる。体の奥がくすぶってくる。昨夜、あれほど、エミールの若い体を堪能したのに。


 でも、それは、まだ不快なもやのようなもの。激しい官能のかたまりがつきあげてくる、というほどではない。


(少なくとも荒療治はきいている)


 ワレスはハシェドの手を押しかえした。


「おれに、さわるな」

「すみません……」


 ハシェドが飼い主に殴られた子犬のような目をした。犬っぽいところまで、ジェイムズにそっくりだ。


 とたんに、ワレスは後悔した。

 愛していることを悟られたくはない。悟られたくはないが、嫌われたいわけではない。


「むやみとさわられるのは、好きじゃないんだ」


 声をやわらげると、いつものハシェドにもどった。


「すいません。気をつけます」


 ワレスもホッとする。


「食事は?」

「まだです」

「では、行くか」

「はい」


 ワレスは寝乱れた髪をといて、手早くリボンで結ぶ。


 すると、寝台の上から声がふってきた。


「おれも行く!」


 二人のあいだに、エミールが割りこんできた。ついさっき、さわられるのが嫌いだと言ったばかりのワレスの腕を、これみよがしに両手でつかむ。


「ね? いいよね? 隊長」


 この人はおれのものだぞと言わんばかりの態度。

 ワレスはかるい頭痛をおぼえた。


「腕をつかむな。うっとうしい」

「いいじゃないか。あんたと、おれの仲なんだから。いまさら腕がつながるくらい」


 ワレスはムッとした。

 それを見て、エミールは笑う。


「怖い。怖い。じゃあ、いいよ。おれ、班長と腕くむから」


 ワレスの手を離し、するりとハシェドの腕をとる。

 ワレスがふれたくても、ふれられない、ハシェドの腕を。


「かってにしろ」


 どうも、やっかいな小悪魔に弱みをにぎられてしまったようだ。


 ぷいと背中をむけて、ワレスは廊下へ出た。


「隊長、ちょっと待ってくださいよ」

「やだなあ。あの人、むくれちゃったよ」


「離してくれないか。エミール。ええと、その……これは、マズイよ。やっぱり」

「ええっ、なんでぇ? おれって、かわいそうなみなしごだからさ。甘えん坊なんだ。班長みたいな優しい人が、兄さんになってくれたらいいな」


 何を言ってる。

 おれのイヤがる顔が見たいだけのくせに。


 ハシェドとエミールがワイワイやってるのを背中で聞きながら、エミールの思惑どおり、ワレスの胸は、じくじくといやらしい痛みで疼いた。

 嫉妬という痛みだ。

 身投げの井戸の水で顔をあらっても、その感じは消えない。


「ちょっと、エミール。離してくれよ——隊長。どうぞ」


 ハシェドがエミールをかわしながら、布を渡してくる。

 さぞや、ワレスが不機嫌な顔をしていたのだろう。

 困りはてたように、ハシェドがうなだれる。


「ほんとに、すいません。おジャマなら、おれ、あっちに行ってますから」


 あやうく、ワレスはわめくところだ。

 行くな——と。

 なんとか、それだけは自制した。


 うらやましいだろうと言いたげに、ハシェドに抱きつくエミールをにらむ。


「おまえが行く必要はない」


 そうだろう?

 おれはおまえと抱きあうことをあきらめるかわりに、ふだんの小さな喜びを得ることにしたんだからな。


 自分の運命へのささやかな抵抗だ。

 ルーシサスは死んで、ジェイムズは死ななかった。


 二人の違いは、ワレスの想いが実ったかどうかにあると思う。

 ジェイムズが、ワレスの想いに応えなかったから生きているというのなら、ハシェドにも同様にするしかない。


「そんな気をまわす必要はない。エミールとのことは、ただの取り引きだ」

「取り引きって……ですが……」

「それ以上つべこべ言うと、井戸にほうりこむぞ」

「それは、かんべんしてください」


 話しているところに、うしろから足音が近づいてきた。


 ふりかえると、ヘンネル補佐官をつれた、コリガン中隊長だった。

 エミールはあわてて、ワレスたちのかげに隠れる。

 ワレスたちは敬礼した。


「おはようございます。コリガン中隊長。ヘンネル補佐官」


 ワレスだって、その気になれば、朝のあいさつくらいできる。


「うん。ワレス分隊長。仲間どうし、仲がよいのはいいことだ。それに、おまえはハシェド小分隊長だな。そなたのように長く砦に勤める者が隊にいるのは心強い」

「お見知り置きいただき、光栄であります!」


 ハシェドのほがらかな笑顔は、掛け値なしで金貨百枚の価値があると、ワレスは思う。


 今日、その笑顔を見るのは初めてだ。ワレスも嬉しい。


 しかし、

「ワレス分隊長」

 かわって、自分に声をかけられたときには、おもてをひきしめた。なんの話題か察しがつく。


「ケンカをしたそうだな。分隊長」


 やはり、そのことだ。


「申しわけありません」

「若いときはしかたがあるまい。ここの連中は、みな気が荒いからな。だが、砦の敵は人ではない。魔物だ。そのことを忘れるな」

「心得ました」

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