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「……本当に、一度もないのか?」


 かえりみると、エミールは首をすくめた。


「ご、ごめん……」

「ないんだな?」

「だって、あることにしとかないと、入れてもらえないと思って……」


 あのヤロウ。


 こういうときのための試験なのだ。

 使えるなら兵士として隊に入れる。ムリなら本人の希望で下働きとして使うか、輸送隊と帰らせるか。どちらかだ。


「まったく試験などしてないんだな?」


「中隊長に言って、代えてもらいますか? 今ならまだ、まにあうでしょう」と、ハシェド。


「そして、アイツに難くせつけられるのか? あのしつこい小隊長に」

「わかってますよ。でも……」


「しかたない。しばらく、こいつで我慢しよう。二、三日使ってから、配置替えを申請する。本人の希望ということにして」


 エミールがつぶやく。


「おれは兵隊がいいんだけど」

「おまえに選択の余地はない。死んでもいいのか?」

「いいよ」


 エミールが目をふせる。

 ワレスは吐息をついた。


「ここには死にたがるヤツはいらない。今日からでも剣の稽古けいこをさせる。わかったな?」


 エミールは上目づかいにこっちを見ている。

 ワレスは再度、吐息をついた。


「食事は?」

「まだ」

「まだです、と言え」

「まだです」


「ハシェド。食堂へ案内してやれ」

「わかりました」


 ハシェドがエミールをつれていく。

 ワレスは三度めの吐息とともに見送る。


(よりによって、剣をにぎったこともないだと? あの厄病神)


 ワレスだって、自殺するために砦まで来たわけではない。子どものころから剣の練習はしていた。皇都の騎士学校も卒業した。いちおう、自分にもやれそうだと思ったから来たのである。


 エミールのは無謀ですらない。ただの自殺行為だ。


 気をとりなおし、ワレスはベッドの下から旅行カバンをひっぱりだした。

 皇都に手紙を送らなければならない。それが紹介状を書いてもらったときのジョスリーヌとの約束だ。



 親愛なるジョスリーヌへ


 おかわりありませんか? 私は無事です。換金券を送ります。いつものように二割をリュスターに渡してください。あなたのご健勝を祈っています。


 永遠の友情をこめて

 ワレス



 味もそっけもない手紙。

 留守宅の管理をまかせている執事に賃金を払うよう頼んで、換金券とともに封筒に包んだ。


 そのあと、まどろっこしい裾長の衣服を、ふだん着に着替える。たたんでカバンにしまうとき、ワレスの手は無意識に底のほうに伸びた。


 指さきに、かたい感触。

 クサリのついた銀のロケットが出てくる。懐中時計ほどの大きさだ。


 ワレスは銀のふたをなでた。あけるかどうか逡巡しゅんじゅんする。


 ドウスル? アケル? アケテミル?

 アケテミタクハナイ?


「ワレス隊長」

 とつぜん、声をかけられた。


 ワレスはあわてて、ロケットを底のほうへ押しこむ。ゆっくりとカバンをしめ、カギをかけ、ベッドの下にしまう。


 ハシェドが戸口に立っていた。


「急に声をかけるな。びっくりする」

「隊長でもおどろくんですね。一人でいいと言うので、エミールは食堂に置いてきました」


 ハシェドにワレスを怪しむようすはない。

 ワレスはホッとした。


(なんだってあんなものを、今……)


 あんなもの。ゴミだ。

 みずから捨ててきた家族の肖像なんて。


 七つの年に帰る家を失ったワレスが、たったひとつ、冷たくなった父のふところから持ちだしたもの。

 赤ん坊のワレスを抱いた父と母の肖像。


 いつも飢えていた少年時代。

 酔うとワレスをなぐった父。

 売られていった弟。

 死んでしまった妹。

 家族にいい思い出なんてない。


 これまで、どんなにつらいことがあろうと、このロケットをあけてみたことはなかった。


(それなのに……)


 ぼんやりしてると、ハシェドの声がした。


「どうしましたか? 隊長」

「なんでもない」


 ワレスはハシェドとともに前庭へむかった。

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