第16話 嵐の五十日、海南下津にて

(ああ早まった、これは嫌われたかな?)

文左衛門は帰ると、すっかり暗くなった空を見上げて、一面に散らばる星々を見る、すると気持ちも晴れ、早速寝床に入って寝る。

なかなか寝付けない。これで良かったのかと思うが、考えるるに人の一生は短い出来る事を今しなければ後悔する。

やって駄目だったとしても運が悪かっただけで、後悔はないだろうならばやるだけだ。

思うに 後悔だけはしたくないと思います。


そう人の一生幸運の扉は二度開くと聞く、しかし開いてるのは短いのですぐに飛びこまねばすぐ閉まるのです。

 皐月(五月)ようやく凡天丸の修理も出来て、喜びもひとしおだ。

 紀州有田地域の山々では、蜜柑の白い花が一斉に咲き、山が白くなったように見事である。文左衛門は忙しく動いた。船に乗る人集めや資金繰りに、とても苦労しました。

 貞享三年文月(七月)三日、文左衛門は満十七歳となった。

紀文の心はもえていた、まさに青春は炎のごとくである。

 そう青春は誰にもあるが、それぞれ一度しかないのだ。何をしても悔いなく生きたいと思う紀文であった。

 七月七日たなばただ、凡天丸が海草郡海南の下津大崎にあるせいか、文左衛門の行動範囲が和歌浦から、海南の下津や蜜柑の里有田の箕島に移っていた。

 今日も有田周辺を、かよを誘って馬で一駆けして来た。かよを和歌浦まで送って、また有田地域をうろうろしている。

「おっ空が曇ってきた、こりゃもう直に一雨あるかな?」

 有田川近くの箕島近辺を、馬に乗ってうろついている時、突然俄雨が降って来た、近くの箕島神社に雨宿りする。

境内に、見掛けぬ男がいる見たところその若者は、自分と同じ年頃のように思われる。

「お主見かけん人やけど、馬に乗って豪勢やのう! おっと失礼しました私は高垣亀十郎と申す若輩者で蜜柑方荷親をやってます」

「そうですか、私は紀ノ国屋文左衛門と言う最近下津の大崎で、回船業をやり始めた若造で御座います」

 文左衛門は裸に成り先ほどの雨で、濡れた服を絞る。

「私は親に先立たれ、十六歳から商いし今十七歳と成りました」

「そうですか奇遇ですね、この私もあなたと同じ十七歳です」

「へえ、そうですか? 二十歳ぐらいに見えましたがねぇ……」

「此から宜しく御願いします」

「こちらこそ、宜しくお頼み申します」

 二人は固く手を握り締めて、此より友達と成る事を誓った。

 それまで友人はいなかったのである。最初の友人となった。


 箕島神社は(祭神水主明神・素戔嗚命)で、海運陸運交通の安全を祈願する人々に尊崇されていました。

 雨はあがる参拝した二人は別れて文左は下津まで馬飛ばす、山では蜜柑の青玉が成っていた。

 文月(七月)十日、凡天丸は修理成って処女航海に出発する。

安全を考えて瀬戸内は長州行き航行で、九州博多港まで行く。

湯浅から醤油・備長炭・鰹節などを運び、九州博多や長州からの戻り荷は、主に米を天下の台所大坂まで運んだ。

博多港で下船して、博多の町中を皆でぶらりと観て廻った。

「九州博多は美人多くて、人もさばさばして叉来たかっのう!」

「博多の娘さんは目元バッチリ、皆さん博多人形みたいですねぇ」

紀文らが話していると、横から話しに割って入ってくるものがいた。

「小僧さんこの船どでかいですなぁ、それに南蛮船みたいに、がっしりとしてますね?」

「あのう……失礼しますが、この御方が船主の紀ノ国屋文左衛門です、どうぞ宜しくとの事です!」

「えっぇ本当ですか、それは失礼しました」

どうもこの頃の文左衛門はいつも若く見られるのである。聞いた人もばつが悪いのか知らぬ間に何処へか居なくなっていた。

訓練の成果が出て七月二十日無事、海南は下津の大崎に戻って来ました。

 その喜びはひとしおで、文左衛門は満面笑顔で言った。

「皆様ご苦労さんやの、ええ航海やった次もこの調子で頼むでぇ!」

「へえ、わてらも楽しみにしてますよう」

 後宴会し皆の無事の帰り、喜び称えた。

 葉月(八月)に入り有田の蜜柑産地から有田北湊の、蜜柑方の倉庫にどんどん蜜柑が集まっていた。

「今年の蜜柑の出来は、最高やなあ」

「うん大きさも、味もええしなぁ」

「楽しみや、みんなええ正月出来るろ」

蜜柑方は活気に満ちていた。蜜柑は紀州藩の統制品で、蜜柑方荷親組合いが小売りをのけて、紀州蜜柑を扱っていた。

 有田組合株主十九組、海草郡組合株主四組が独占して、藩内のみかんを仕切っていた。

 長月(九月)二日過ぎから嵐が来て、海は時化て大荒れになって来た。すぐに回復するやろと、待っていたが一向に回復はなかった。

 幸い蜜柑は倉庫に既に運び込まれて、所狭しと積まれていた。

 神無月(十月)十日過ぎても、嵐と時化は治まる気配は全くない。

蜜柑方荷親組合員は、頭を抱える。

 十月十一日文左衛門は有田川周辺を馬で観て廻った。鰻の仕掛けをするための場所を探していたら有田川の橋近くで、年老いた老婆がうずくまっていた。

「あのもしどうなされた? どこか悪いのですか」

「あぁどこも悪く有りません、ただ腹が減って動けません蜜柑が売れなくて米買うお金も無いので」

「そうですか取りあえず、私の持ってる握りめし食べて下さい」

「どなたが知りませんが、ご親切ありがとう御座います!」

老婆は手渡したおにぎりを、受け取ると貪るように食べた。

「この世に神や仏はいるのでしょうか、悪い事が続きますのう?」

「どうでしょうか、人の都合で神はいませんが人の心に:神が住むならば助ける神も現れるでしょう!」

「愚痴を言ってしまいましたね、美味しいおにぎりごちそうさま」

「いえ、些細な物では失礼します」

(まず思いそして願いあり、逸れを叶える事が商人だ!)武兵衛の教えが紀文の胸に蘇って来ました。

それは科学(発明)の世界でも有り得る事ですが、まず分からない事をメモしておきます、とある時一機に解る事が有ります、ヒラメキそれが発明なのではないかと思います。人に言いたくなります。

ここで注意しておきます発明出来ぬ者は何とかして、アイデアや製作物を盗ろうと必死なのです

 箕島神社の前で辰の上刻(午前八時)高垣亀十郎とばったり会った。

「おう高垣亀十郎どの、久しいのう紀ノ国屋の文左衞門や」

 馬から降りてゆっくり歩く。

「文左衛門さん、みかん方と船主の寄り合いには、行かへんのか」

 文左衛門は、何か不思議そうな顔してる。

「それは何の、寄り合いかのう」

「紀州回船の船頭と、蜜柑方荷親の話し合いや、昼会議あるんや」

「儂はまだ紀州廻船に新入りなので、まだ認められて無いのや!」

 情けなそうに頭をかいた文左。

「そうか悪い事聞いたなぁ話しは蜜柑の船出せ出せんの、押し問答で結論のない会合やと思うけど」

何時も 会合では大方の人々は出来ぬ事を挙げ連ねて言うだけで、成算的な意見はさっぱり出ませんでした。逸れが世の中の大人の対応なのでした。

「そうかぁ無理からぬところがあるなあ皆家族の生活と、自分の命懸かってるから必死なんやろ!」

「それじゃまた遅刻せんよう、ほな今から行ってくらよ」

「ではまたなぁ、長く引き留めてすまん!」

その日午の刻(正午)寄り合いが始まった。矢張り蜜柑方と船主の意見は平行した。時化と嵐で誰も船を出そうと云う者はいない、調停役の藩の役人も、困り果てていた。

「そらぁ金も欲しいが、皆命も惜しいさけいのう!」

「此処に居る者は大方かかあも、子も居る事やし……」

 今日も堂々巡りの会議となりそうです、まとまりません。

 現代的に言えば、台風が三つほど来たようなものである。この年は台風の当たり年であったのだ。

「海で育った男が、誰ひとり行く者無いのか! エエイあまりにも意気地無さ過ぎる」

 高垣亀十朗がたまらず激昂して言ったけれども、本人は船も無く経験もないので、それ以上は何も言えず口をつぐみました。

「誰か知り合いに、いないか?」

「あのうお役人、私共に一人だけこころあたりか御座います」

「それは誰かね?」

「それは、私の友人の紀ノ国屋文左衛門さんです!」

「あの鮫退治の紀文か、ウム上にはからって早速行ってみよ!」 

紀文はその頃近くの滝で、無心に流れる水に打たれて、来るであろう要請の吉凶を、予知していました幸い吉と出ました。何だ占いかと思われますが、何もしないで引き受けるのは無謀で有ります。

十月十五日の暮れ六つに(午後六時)下津大崎の紀ノ国屋に、藩お勝手方の水野忠勝が訪ねて来た。

「儂は藩お勝手方水野忠勝と申す者、文左衛門どのは御在宅か」

「はい、私がその紀ノ国屋文左衛門です」

「おっと、お役人どうぞ上座へ」

「今日は貴殿に藩主からの頼みがあって参った。それはまたお由利の方が願いでもあるのだが!」

 聞いた文左は、額の汗拭く。

「それは何でござりましょうか」

「今藩の蜜柑方は困っている、このままだと有田の地域全体が干上がってしまう、それで頼みたい江戸へ蜜柑を運んでくれまいか?」

「そうですねぇ、少し考えてみます」

急に言われたので、戸惑いもある。しばらくして文左衛門はやっと決心したようだ。

「お由里の方に言って下さい、その事喜んで私がお引き受けしましょう!」

「助かった安堵した御願い申す蜜柑の値段は西村屋小一と相談してくれるか、あっそれとお由利の方からはあなたにと、船磁石と望遠鏡を預かって来ましたが受け取ってくれますかのう」

「はい御配慮のほど有り難く思います、では確かに受け取ります」

その西洋風望遠鏡は、直径十センチあり前後に伸ばすと五十センチありズウムは三十倍でとても綺麗に大きく見えた。

「それと紀州藩御座船の印し、旗差し物も預かって来ている」

「それは心強い御墨付きや! 海の関所も素通り出来ますなぁ」

これで凡天丸は、紀州藩御用立て船と合い成ったのであります。

 こうして文左衛門の、江戸行きは決ったので御座います。幸運の女神が微笑んだら躊躇無く前髪を捕まえなくてはならない、迷って一瞬を逃がすと後ろ髪掴んでもするりと滑って抜けるのである。

 十月十六日文左衛門は蜜柑を買う為、資金集めに走り回った。町の金貸しにあたったが足元観て色よい返事は呉れませんでした。 仕方なく玉津島神社の神主である高松河内に相談しました。

「おお文左衛門どの今か今かと、待っておった神社の者皆集めて相談してました」

「逸れは有り難い、お察しどうり途方にくれて困っていました」

「其れでのう紀州の神社一同賛成してくれた神社金融成りました、しかし担保は要りますよとてつも無い危険な仕事故やからのう」

 和歌浦の店屋敷や魚市場の仲間株、それと下津の屋敷を担保に神主高松河内に頼み、神社金融で千二百両を作ったのです。それは文左衛門の今ある総てで御座いました。

 その頃の一両は、値打ちあり(一両は四千文・一文を二十円と計算すると)八万円ぐらいであったと思われる。お金も変動するである、一両は六万円二十万円の時代もあった。

 大工の日給は銀五匁四分(五千四百円)米一升五十五から七十文(八百二十五円~千五十円)だった日給も変動しますけどね。

十月十八日有田北湊蜜柑方会所の元締め西村屋小一の店に若者がやってきた。

「あのぅみかん買いに来ました」

「おおそうかぁ、そこらへんにある蜜柑どれでも一籠持って行ってくれ金は要らん」

 邪険に言う、紀文は店の周りをキョロキョロ蜜柑を探している。

「けったいな人やな背負い籠ですか? 今倉庫開けますよって」

 ギギギイ倉庫の扉が開かれた。

「わぁ西村屋さん、どえらい蜜柑の量ですなぁ!」

 西村屋小一ジロと横目で睨む。

「まあこの倉庫内だけで、八万籠は有りますやろうなっ」

「ほなそれみな買おか、一籠四貫目(十五キロ)で八万籠全部や!」

「えっ! もしやあなたは、紀ノ国屋文左衛門さんですか?」

「そう紀ノ国屋の文左衛門です」

 文左衛門は、にっこりと笑う。西村屋小一は慌てふためき文左衛門に頭下げ言った。

「すみません知らぬこととはいえ、紀州蜜柑方役人に聞いてます是非にも御願いします」

「あっそして、値段の事で御座いますが?」

「値段はあって無いようなものですな、このところの暴落相場で目開いたら損嵩んでますよってに」

「ここに千両用立てました。今これで仕切ってください、江戸に着いたら相応に出しますよって!」

「うんまだ若いのにえらい男や! それで船はどこに在りますのや」

「へい下津大崎は加茂川河口に留めています、そやな有田の橋から陸路で運んでくれませんか?」

西村屋小一、パンと手を打つ。

「それは有り難い、今北湊は時化でどうにも動き取れませんので」

「ではそういう事で、宜しくお頼みしますよ!」

 これで蜜柑の交渉は成った、意気揚々として文左衛門は帰る。

 十月二十日、下津大崎の屋敷で訓練生三十人に江戸行きを募集する。長男はのけ命惜しむ者も省いたら十一人が残った。文左衛門入れて十二人であった。

「意外に少ないな、仕方ない誰も命がけだと尻込みするやろ」

 去るものは、追わずである。

 後お由利の方から藩船運用に長けた、根来同心組より三人助っ人に来たので総勢十五人になった。

 十月二十五日、船に蜜柑八万籠が積載と連絡が入った。その折り噂を聞いた有田の先代の得意先商人、ヤマキの浜口三朗からどうしても江戸に、味噌醤油千樽を運んで貰いたいとせがまれ、やむなく積み込んだ経緯も有った江戸行く船は凡天丸だけでしたのです。

 嵐と時化は五十日経つが収まらなかった。

「紀伊国屋さん、高垣亀十郎ですこの度助かりました。私も江戸へ連れて行って貰えませんか?」

「でもこれは、命がけだよ!」

文左衛門は亀十朗の、顔をぐっと覗いた。

「覚悟の上で御願いします、私なら江戸の蜜柑方にも詳しいです」

「まあ人手も足らんし、こちらは願ったり叶ったりですよ」

「それでは良いのですね」

「うん、先ずは十両です良いですか? 着けば三十両出します」

 これで総勢十六人になった。 

 霜月(十一月)八日は、いよいよ江戸のふいご祭りだ。それまで蜜柑を送らねばならない。

 ふいご祭りは鍛治屋や鋳物師などふいごを扱う職人達の祭りで子供らは祭りにまかれる蜜柑を、楽しみに待っています。毎年その日まで紀州から蜜柑が届けられた。

文左衛門は皆を集めて言った。

「なんぼ時化や嵐やとて、紀州から江戸へ一艘も出せんのは、紀州商人や船乗りの名折れや、どうしても儂は行くで!」

 高垣亀十郎も続けて言った。

「その通りや、有田の蜜柑農家や問屋もそれで、頭を痛めてましたんや!」

「この凡天丸に積んだ蜜柑が唯一紀州商人の誇り、命懸けても祭りには間に合わせるつもりです」

「で、いつ船を出しますので」

「皆の安全考えて嵐治まるの待ったが無理やった、いよいよ二十九日に船出します、紀州の心いき見せるのはこの時や皆頼むで!」

「へい、一つ聞きたい事おます」

「あのう……(紀文)の若旦那は死ぬのは怖くないのですか?」

「怖くないと言えば嘘になるがのう、あまり考えないようにしているのだ!」

「その時来たら思うと、もう恐ろしくて体が固まっています!」

「人生は短い、やるべき時やらなんだら、この世に悔いが残るで」

「そしたら、あの世とやらは有るのでしょうか?」

「この世に生まれて、この世あるのを知ったけど、まだあの世行ってないので解らないなぁ!」

そう言って皆を、見渡したが意外と恐怖の顔はなかった。

「そうでんな、逸れを聞いて何や吹っ切れました、紀ノ国屋さん要らんこと聞いて済みませんでした!」

「いやぁいいさ、儂とて不安で怖くなった事もある。今度は私も果たして成功するかどうなるのか全く分からない?」

「それでも全く、堂々としてますよねぇ!」

「人それぞれ持って生まれた運とかさだめがある、ただ後で後悔はしたくないのだ我が人生思った事をやるだけだ、結果は運しだい」

「へい分かりましたその覚悟のほどをもう二の五と言わず、あなた様について参ります」

「うんまだ間に合う、不安に思う者止めたら良いし、成功すると思う者だけついて来てくれたらよい!」

(そうや後は成功するの、暗示言魂で幸運を引っ張り込んだろ!)

肝心の 艦長が不安がっていたのでは、皆が動揺するのはとうぜんである。自信無くとも自信ありげに振る舞う事が必要なのです。 芝居の 千両役者のごとく、大袈裟に振る舞うことが下の者の安心を紡ぐのです。その事は紀文も心得ていました、時には芝居がかった目に見えたハツタリも現実には良い効果が有りますからねぇ。

この一連のやり取りは、和歌山城下田中町の蜜柑市場に、流れると蜜柑相場は暴落から、昇龍のごとく立ち上がった。けれどその後一進一退となった底は付いたが、まだ成功はしていないので東高西低の相場は変わらないが船が沈んだとしても、自給は締まるので相場は底で強くなっていた。紀州の蜜柑農家はひと息付いていた。

 十月十八日、紀文は下津大崎の屋敷にて船出の前祝いに、皆を集めて心尽くしの酒盛りをした。

「おおやっと間に合うたな、揃いの半天襟に紀ノ国屋、後ろに丸の中に紀と染めてある皆これ着て行こう」

 玉津島のかよも手助けに来ていた、高松河内のはからいだろう。

「文左衛門さん、この人知ってますか? 昔は真田苔丸と名乗っていたそうです、かなり前の幼い頃の事なので分かりますか?」

「あっ根来の苔丸かそうゆえば面影ある、お主くの一だったのか私はてっきり男と?」

「はい藤林様のご命令で、かよさんの元に手助けと警護に参りました!」

見ると女らしく忍びと見抜けない、人は変わるものと感心をしました。

「逸れなれば心強い、私も安心しました」

「はいお久しゅうございます、そうですねぇあれからもう十年になりますかね」

紀文はすっかり変わった、真田苔丸でなくて今は真田優奈と名乗る人を観ていました。

「すっかり女らしくなったな本当に見違えましたよ、其れではかよの事頼みましたよ真田優奈さんでしたかね?」

「いえ私こそかよさんに大事にして貰っています、言い遅れましたがこたびの船旅いえお仕事ご成功を心より祈っております!」

言うと手をつき深々と、頭を下げました。





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