第34話 とある執事の策謀⑤

 アルベルトお坊ちゃんから通信があったのは殲滅光砲アニヒレイターの軌道を見てから2時間後のことでございました。

 正確に申し上げるならば『バラル』から発信されただけであって、マイクの向こうにおられるのは私めの主人ではありません。


 通信機が設置されているリムジンの中で、私はスピーカーとマイクを前に震えるしかありませんでした。

 ダイヤル式で周波数を選択するタイプの機器ですが、間違いなく『バラル』に通じております。

 それが恐ろしくてたまりませんでした。


『次に私たちを襲ってきたら命はないものと思え。そう警告した筈だがな』


 名も知らぬ女の声です。黒い悪魔のパイロット。

 取り乱してはいけません。

 激に喉が渇いていくのを感じながら、私めはどう交渉を運ぼうか思案します。


 まずはアルベルトお坊ちゃんの身の安全を確認しなければなりません。

 こちらにはもう使える機械巨人ギアハルクも無ければ、主人を救出できるような人材もいないのですから。


「アルベルトお坊ちゃんは無事なのでしょうか?」

『積極的な危害は加えていない。白い機械巨人ギアハルクを止める以外には』


 答えになっていませんが、生きているということでしょう。

 奇妙なことですが相手を信用する以外にありません。

 最初の時点で長引かせても意味は無いので単刀直入に聞きます。


「そちらの望みは? 主人を傷付けず返していただければ、可能な限りの対価をお支払いいたします」

『この子供は貴族家の出身だそうだな』

「左様です」

『では、人質にすればお前を通して共和国軍と交渉できるか?』

「……無理でしょうな。貴女はあの『ナイン・トゥエルヴ』のパイロットです。例え、アルベルトお坊ちゃんを人質にとっても怨敵たる旧帝国と話し合いの場を持つことなどございません」

『前にも言った通り、私は金に興味が無い。交渉は決裂だ』

「そんな……!」


 いけません。ここで折れては主人の命が……

 この際、多少は刺激してでも情報を引き出すべきです。でないと交渉もままなりません。

 襲撃したであろう『バラル』をいなして、少なくともコックピットにある通信機が無事な状態で仕留めたのですから、敵のパイロットは冷静だった筈です。


「貴女は何者なのですか? あの忌まわしい『ナイン・トゥエルヴ』を引っ張り出し、共和国に仇を成す貴女は一体?」

『私か? 私は帝国軍皇帝親衛隊所属、ラインヒルデ=シャヘルだ』

「それは50年前の人物の名前です」

『本人だと言っても信じてもらえないだろうな』

「えぇ、とても齢70を超える者の声だとは思えません」

『ならば冗談だと思ってもらって構わない』


 えぇ、タチの悪いジョークでしょうね。

 そういうものに付き合っていられるほど精神が平穏な状態ではないのです。

 握り拳に力が入り、悔しさで震えております。


『名乗ったのだから、こちらの質問にも答えてもらおう。今更になって何故、白い機械巨人ギアハルクを差し向けた?』

「故意ではございません。全ては私めの監督不行き届きです」

『そうか。あの操縦技術を仕込んだのはお前か?  立ち回りが似ている』

「左様です」

『ならば愛弟子の晴れ舞台で対戦相手に八百長を持ちかけたわけだ。呆れる』


 反論はありません。

 しかし、他に代え難いものがあるのです。

 それがこの女には理解できないのでしょう。


「八百長の話はヨルズ・レイ・ノーランドから聞いたのですか?」

『そうだ』

「この前も申し上げました。勝負の世界に100%はございません。私めはその確率を1%でも引き上げるために行動いたします」

『なるほど。あの子供の勝利は全て嘘か』

「いずれは嘘でなくなります。その前の挫折など無意味なのです」

『つくづく過保護だな』


 その後の返答はなく、沈黙が続きました。

 あまりに間が長くて胃が痛みます。

 やがてスピーカーからはゴソゴソという物音が聞こえました。


『……だそうだ、アルベルト。これで納得してもらえたか?』

「なっ……」


 迂闊だったことを認めなければなりません。

 頭に血が昇っていて、アルベルトお坊ちゃんが通信機のすぐ近くにいるかもしれないということを失念していました。


『よく……分かった。爺や、戻ったら話がある』


 間違いなく主人の声でした。

 そこからは失望の色がハッキリと読み取れます。

 どう言い訳をしようか老いた脳を回転させている最中、ラインヒルデを名乗る酔狂な女は声のトーンを落としました。


『通信は以上だ。人質は傷付けず解放する。その後で本人が何をしようとも、私は関知しない』

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