第32話 とある青年の過去
櫓の鐘が鳴らされて、大きな音が響いた。
森で遊んでいた幼い俺は火事だと思って慌てて村へ戻ったが、そこに在ったのは炎ではなく真っ赤な
無骨なシルエットは背中から腕が生えている以外はヒトと同じだった。
そいつは堀を越えて村に侵入したかと思うと、家畜小屋を蹴り壊し、畑を踏み荒らし、手近な家々を手にしたライフルの銃身で薙ぎ払っていく。
幾重にも悲鳴が折り重なり、火の手が上がった。
「共和国軍の犬めが!」
勇ましく吐き捨てた大人たちは銃を手に抵抗する。爆弾だってあった。
だがいずれも無意味である。分厚い装甲を前にまるで歯が立たない。
三本腕の
そして躊躇なく斉射し、まるで虫でも殺すかのように弾を浴びせていく。
弾頭の運動エネルギーは人間が手で持つライフルの比ではない。鉄扉ですら容易く撃ち抜くのだ。
それにかするだけで人体は血煙と消し飛び、命が消えていく。
俺は悪い夢でも見るかのように呆然と眺めていた。
住んでいた村が蹂躙され、皆が殺されていく。
果敢に立ち向かう人の中に……父親と母親も含まれていた。いつもは優しい2人が険しい顔をし、どこから調達してきたのか小銃と手投げ弾を持っていた。
(やめろ。やめてくれ!)
声が出ない。代わりに心の中で叫ぶ。
だが、願いは通じなかった。
三本腕に立ち向かい、次の瞬間に父と母は原型を留めぬ骸にされる。
俺の意識は急速に擦り切れて深い闇に落ちた。
記憶はそこで途切れて、気付けば俺はノーランド孤児院にいた。
どうやって来たのかも全く覚えていない。拾われたのか、あるいは行く宛もなく彷徨って流れ着いたのか。
とにかく。いつの間にか暮らしていたのである。
いつも考えていたのは常にひとつ。
家族を殺したあいつを斃すことだけ。
生身の人間では
自分も
今にして思えば何と単純な考えだったのだろうと呆れる。やりようなんていくらでもあった。
それでも納得できる方法といえば……俺も
何故だかそれこそが最適解だと信じて疑わなかった。
俺はずっとひとりでやっていくだろう。他人を殺すために生きているのだから、いつか自分の殺されるだろう。
当時の10歳にも満たないガキの決意にしては立派だったが、当然のように思い通りにはいかなかった。
集められた孤児の中にはブッチギリで喧嘩が強くて頭のいいヤツがいたのである。
そいつとは最初にちょっと喋っただけなのに、何故か目をつけられてしまった。
事あるごとに無理矢理に連れ回されて、問題を起こすたびにどういうわけか俺も一緒に大人たちから怒られる。
どうでも良かった。復讐のためだけに生きているのだから、そんなことどうでも良かったのである。
けれど……あぁ……心を殺すことは俺には無理だった。
いつも一緒にいるそいつのことを次第に好きになってしまう。
一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に怒られて……限りなく近しい時間を過ごしたと思う。
血は繋がっていない。けれど本物の姉弟のようだった。
いつしか俺は、この女性だけは絶対に巻き込んではいけないと確信するようになる。
暗がりで刃を砥ぎながら生きる自分とは違う。
俺は……次第に温かい居場所に耐えられなくなっていく。思い悩む様子は周囲を心配させてしまったのだろう。
そんな俺は12歳になったある日、院長先生に呼び出しを受けた。
そのときの台詞は今でもハッキリと覚えている。
難しそうな本と混ざって娯楽小説が並ぶ本棚を両脇に、陽の差す窓を背に、院長先生は分厚い机越しに俺の目をじっと見ていた。
「あなたには意志がありますが、力が足りていません。力が欲しいとは思いませんか?」
思えば、あの人は俺の生い立ちを当然のように把握していたのだろう。
もどかしい心中を見透かされた俺は院長先生に、どうして復讐のことを知っているのか問いただしてしまった。
なんとも間抜けである。
けれどそれで道が拓けたのもまた事実だ。
「力が欲しいなら、あなたには特別な訓練を受けさせます。復讐を成し遂げられるだけの技能が身に付きますよ」
拳に力が篭った。院長先生が救いの神に見えたのである。
そのとき、俺は初めて知った。
ノーランド孤児院は身寄りの無い子供の中から才覚ある者を見繕って、秘密裏に鍛え上げていることを。
銃の扱いであったり、体術であったり、
兄弟たちは卒院と称して各地に売られていく。
身の振り先は大抵、反共和国勢力だった。
勿論、大人になってごく普通の職に就いて平凡に暮らしている奴の方が多いが――卒院後の行方が分からない人間は銃を手にゲリラ活動しているケースが殆どだ。
院長先生は裏の世界では『リノの魔女』と呼ばれている。
世の中に混乱の種を蒔いている要注意人物の1人だ。
そんな魔女の子供たちの中でも俺は特別待遇で『復讐する自由』を与えられている。
理由は何故なのか分からない。けれど同時に院長先生からは条件も言い渡されていた。
今回の墓参りのように彼女の「お願い」を聞くことである。
これまでも影ながら「お願い」をこなしてきたが、どうやら初めて失敗しそうだ。
あぁ……フェリスを巻き込み、両親の仇を目の前にして、この失態である。
(情けない)
泣きたい気持ちでいっぱいになった。
だが、涙は枯れて出てこなかった。
「院長先生、フェリスも……どこかへ売るつもりですか?」
「答えてあげても良いけど、何故そんなことを聞くのですか?」
「あいつは普通に生きて欲しいんです」
「あの子はあなたと逆。力はあるのに意志が無いのよ。だから普通にしか生きられない」
「意志って、なんですか?」
「叛逆の意志」
「俺にはそれがあるんですね」
「十分にあるわ。あなたが私の『お願い』を聞いてくれる限り、あの子に出番は無いのよ」
「……わかりました」
目を覚ましたら、暗くて狭い部屋の真ん中で椅子に縛り付けられていた。
石造りの室内には木製の机と俺の尻の下にある椅子だけが置いてある。
窓と思しき部分には鉄板が嵌められていて僅かな光しか入ってこない。
扉は一箇所だけで、廊下からこちらの様子をうかがえるように覗き窓が付いていた。
(大丈夫、何も喋っていない)
ボーッとするが意識は保てている。
赤い
後ろ手に縛られ、指がビリビリと痛む。滑った感触が皮膚に纏わり付いた。
爪はもう残っていない。次は歯を抜かれるだろう。
頬が腫れ上がっていて、腹の辺りにも異物感がある。
殴られて頭から出血したらしく、固まった髪の毛からはポロポロと黒い欠片が落ちていった。
(大丈夫、俺は喋らない)
あいつらが何者なのかは知らなかった。
情報は渡さない。
そして死ぬ気も無い。
三本腕のパイロット……あいつを殺す。
それまでは死んでも死に切れない。
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