第31話 フェリスとラインヒルデ③
地平線の上をちょうど線路が這っていた。それを境に空と大地を分け隔てられている。
コックピットの中はあまり揺れてはいないし、閉塞感も不思議となかった。
けれど今にもあたしの呼吸は止まりそうだった。
遠くでヨルズの
その側には赤いヤツと青いヤツが立っていた。
赤いヤツは背中から3本目の腕が生えていて、青いヤツは両腕に大きな三角形の板がくっ付いている。
前者には見覚えがある。あれは……
「ケルベロス部隊……」
「知っているのですが、フェリス?」
「うん」
間髪入れずに答えられたのは、院長先生のせいだ。
墓参りの報酬にヨルズへ渡すように言いつけられた手紙の内容を思い出す。
幼い日のあいつの村を襲った三本腕の
添付されていたカラー写真は無骨な赤い体躯で名前が記してあった。
それが眼前にいる。
「あいつら、軍隊だよ。共和国の」
「ヨルズが彼らに襲いかかった理由に心当たりは?」
「それは」
教えてしまっていいものだろうか。
ヨルズの心の闇を。
躊躇をしている場合ではなかった。ラインヒルデを信じよう。
あたしは後ろの座席を振り返って答える。
「あの三本腕の
「なるほど、復讐ということですね」
ラインヒルデの顔が曇る。
それは哀れみと同情の色だった。
「彼が生きているかは分かりますか?」
「絶対に生きてる。けど気を付けて。あいつら、こっちに向けてすごい敵意を向けてきた」
あたしたちの乗る『ナイン・トゥエルヴ』の接近に気付いたらしい。
青い方の
その代わりに赤い方の
『オンスロート』自身と同じくらいのサイズがある円柱はポッカリと穴が穿たれている。円周上には牙を思わせる突起が何本も付いていて、筒の半ばにあるハンドルを左右の手で掴んでいる。
そして後端部分を背中から生えた3本目の腕で支えていた。
末端からは何本も太いケーブルが生えていて、それらはコンテナへと繋がっている。
(あの大砲を使うために腕が3本あるんだ……)
素人のあたしが見てもそれが分かった。
けれどラインヒルデはもっと違う感想を持ったらしい。
「あの武器は……」
苦々しく吐き捨てると『ナイン・トゥエルヴ』はブレーキをかけて減速していく。
後ろへと流れていたディスプレイの景色は止まり、ヨルズとの距離も縮まらなくなってしまった。
「どうしたの、ラインヒルデ!」
「砲身の形状から判断して間違いありません。あの赤い機械巨人が構えている武器は
「えっ?」
「帝都包囲戦から50年も経っているのですから、小型化されていても不思議ではないでしょう。こういう運用をするとは……」
名前だけは知っている。
歴史の授業で出てきた強力な兵器だ。
共和国が開発して、先の戦争で大活躍したという代物である。
それまで戦闘の主流だった
実際にどれだけ脅威なのか想像できない。
けれどラインヒルデの態度から察するに、相当すごいものなのだろう。
「申し訳ありません、フェリス。今は防御を優先します。ヨルズはその次です」
ヨルズを助けるのは後回しにする?
まさか、逃げ出すつもりじゃないだろうか。
あたしは抗議しようと思ってベルトを外し、身体ごと後席のラインヒルデの方を向く。
固定されていない状態で『ナイン・トゥエルヴ』を動かせば、あたしはコックピットの壁へ叩き付けられるだろう。
自分を人質にした最低の思い付きである。
「ヨルズを助けなさい」
「座ってください、陛下」
「陛下?」
「お互いに茶番はやめましょう。とうに気付いております。敵意を察知する『獅子の瞳』を使い、容姿は最後の皇帝と瓜二つ……」
「……」
「50年も寝ていた私でも察しがつきます。あなたは帝国最後の皇帝の子孫。あなた自身が何も知らないとは仰らないでしょう」
引き下がるな。
この力のことを――あたしの正体に気付いているなら好都合だ。
動揺を見せないように虚勢を張る。
無駄な会話をしている時間なんて無いけど、ラインヒルデに動いてもらう以外にヨルズが助かる術は無い。
「あたしは王なんて望まない。あたしはノーランド孤児院を継ぐ。ヨルズと一緒に」
「周囲はそれを許さなかったでしょう」
「今すぐにヨルズを助けなさい。あたしの命令が聞けないの? 帝国軍人のくせに」
「陛下、どうか聞き分けて下さい」
「滅びた国も、アンタも、院長先生も、知ったことか! 黙って従え! あたしの弟を助けろ!」
「あの者はどう見ても東の者の血筋です。あなたの縁者ではないでしょう」
「もういい。降りろ。あたしがこの
そんな技術はあたしに無い。
勢いに任せて喋っているだけだ。
歯を剥き出しにして吠えてもラインヒルデはビクともしない。
それどころか身体中に琥珀の糸を突き刺したまま、こちらを哀れむような目で見てくる。
ふと、彼女から表情が消えると鼻から血が垂れ流れた。
「また鼻血……アンタ、どこか身体が悪いの?」
「失礼。お気になさらずに。そして手荒な真似をお許し下さい」
「何を――」
ラインヒルデに刺さっている糸の束が抜けて、蛇のように首を振りながらあたしの周囲を回って身体に巻き付いてきた。
悲鳴すらあげる暇もなく、あたしは180度回転させられて椅子の座面へと尻と背中を押し付けられる。
(この糸、ラインヒルデの意志と連動してる!)
もう遅い。
轡のように糸をかまされたあたしは唸り声しか出せない。
背後を振り返ることもできず、ただただ正面の屈折水晶のディスプレイを眺めるしかなくなった。
「コックピットの中が少し五月蝿くなりますが我慢してください」
何かのスイッチを押したような音が聞こえた。
続けて、モーターが高回転しているようなキィーンという空気の振動が鼓膜を揺さぶる。
あまりに不快なので耳を塞ぎたくなったが、手も拘束されていて無理だった。
「
音が一層、大きくなる。
機体がバラバラになるのではないかと疑いたくなった。
そんな中で『オンスロート』はこちらへ砲身を向けた姿勢を崩さない。
どうしてさっさと撃ってこないのか理解できなかった。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォッ!』
雄叫びが空を割る。
何故だろう。
あたしはそれが『ナイン・トゥエルヴ』の咆哮だと分かった。
次の瞬間、視界が明るくなる。
雷が間近に落ちたような轟音に包まれ、冷や汗が流れ出た。
視界は白く塗り潰される。太陽とは全然違う光源がすぐ側まで近付いてきたかのような明るさだ。
青白くて、熱は無い。直視していると目が焼けそうになる。
『オンスロート』が持ち上げている
あれが知っている通りのものならば、
迫り来る死の恐怖に唾を飲み込む。
(光が、来る)
温かみの無い光条が放たれて小さな弧を描いた。
着弾までは1秒も無かっただろう。
不思議と、あたしは目を瞑らないでいた。
光電子砲の軌道は『ナイン・トゥエルヴ』の手前で不自然に曲がって天空へと逸れていく。
尾を引く様子をあたしは呆然と眺めていた。
まるで時間が止まったみたいに誰も動かなくなる。
その中で突然、パブリック回線が開いて中年と思しき男の哄笑が無遠慮に響いた。
『ひゃっはっははははっ! すげぇ! 本物だ!
通信は『オンスロート』のパイロットからであると自然と察した。
敵が手にしている筒状の武器から薬莢のようなものが飛び出し、煙が尾を引く。
その動作で2発目があるのだと確信する。
再び光芒が放たれるが、やはり『ナイン・トゥエルヴ』には届かず捻じ曲がって逸れていった。
『何発撃っても無駄かぁッ! ははははっ!』
赤い
右手と左手と背面手で得物はそれぞれ違っていた。長さも形も大きさも様々である。
背もたれの後ろから、ラインヒルデが短く息を吐いたのが伝わってきた。
怒気を孕んだ空気があたしの肌を震わせる。
「ケルベロス部隊の『オンスロート』に告ぐ。そちらの武装は全て通用しない。大人しく引き下がれ」
『女? 若い女の声だねぇ。ツラを拝みたいところだが生憎と、コッチもお仕事なんだよ。まだ引き下がれねぇなぁ!』
器用にも3種類の火器を同時に操ってみせた『オンスロート』は射撃を繰り出す。
勿論、弾の種類も軌道も速さも異なっていた。
それらは『ナイン・トゥエルヴ』に届くよりも前にあらぬ方向へと逸れていく。
途中までは狙い通りに飛来しているのに、この機体に近づくにつれて二次曲線的にズレていくのだ。
(光だけじゃない。他の武器も届かない!)
一体、どういう理屈なのだろうか。
あたしが驚愕したところで知識に無いのだから無駄だった。
それよりもヨルズの心配をしなければならない。
倒された『ナイン・タイタン』の中に閉じ込められているのは間違いなさそうだけど……
『すげぇ、すげぇ、すげぇ! ST8もMTCもPP4Gも効かねぇ! 実弾兵器でもダメってことか! カスリすらしねぇよ! 何だそれは? どうなっていやがる? でも納得するしかねぇなぁ! お前、ホントに帝都包囲戦をたった1機で突破しやがったんだな!』
ランスを構え、ラインヒルデは前へと出る。
相手の興奮した様子に全く惑わされていない。
敵は攻撃が効かないことを突き付けられても引かなかった。
それどころか代わる代わる別の銃を取り出しては、次々と発射してくる。
全て無駄弾だ。
走りに合わせてコックピットが上下に揺れるが、被弾はしていない。避けてもいないのに勝手に攻撃が逸れていくのだ。
みるみるうちに『オンスロート』との距離が縮まっていく。
あたしの命を守ることを優先した結果が敵の撃破なのだろう。
背中を見せたら撃たれるというのは何となく分かった。
勝ちの目が無いと悟ったのか、敵は下がっていく。
しかしこちらの方が圧倒的に速い。
苦し紛れに『ナイン・トゥエルヴ』の足元に向けて、持ち手の付いたマラカスに似た物体が放り投げられてくる。
それが至近距離で炸裂してバランスを崩しても倒れず、僅かな間を置いて走り出す。
これまで一撃も受けていなかったのが初めて揺らいだ。
『いいもの見させてもらったぜ、じゃあな!』
瞬間。赤い
「視界を潰された……」
コックピットのディスプレイには煙以外に何も映っていない。
脚を止め、ラインヒルデは苦々しそうに吐露して一旦下がる。
「どうしてトドメを刺さないの!」
「煙の中に罠が張られている可能性があります。迂闊に踏み込んでは危険です」
「でも……!」
その間にモーターの唸る音が聞こえた。これはあたしも聞き覚えがある。
電素列車が放つものに違いない。
煙が風で流され、視界がクリアになるまで数分を要した。
遥か遠くに走り去る電素列車が見える。
その上には赤い
あたしの拘束が解かれたのは間も無くである。
身体を縛り上げていた琥珀色の糸がスルスルと解け、ようやく自由が戻ってきた。
「ヨルズ! ヨルズは……!」
「連れ去られたようです。『ナイン・タイタン』がいません」
信じたくなかったあたしはディスプレイを隅から隅まで見回す。
最初に『ナイン・タイタン』が倒れていた場所には何も無い。
代わりに線路の方まで引き摺ったかのような跡が残っている。
コックピットの壁へと吸い込まれていく琥珀色の糸を睨み、その後で背後のラインヒルデに厳しい視線を送った。
「すぐに追って」
「『ナイン・トゥエルヴ』の走る速度ではあの汽車には追いつけないでしょう。それに次元羽を使った後は油温が上がって運動性能が低下します。この機体のオイルジェルは、背中の羽根の冷却剤も兼ねているのです」
「そんな理屈はどうでもいいの。追って」
「無理なのです。どうか理解してください」
「アンタはあたしの弟を助けなかった」
「仰る通りです」
目を瞑ってラインヒルデはうつむく。
こんな言葉責めには何の意味も無いことくらい自分でも分かっていた。
けれど爆発する感情を抑えることができなかったのである。
あたしはコックピットシートの背もたれを殴った。
手を離すと拳の形に凹んだ座面はゆっくりと元に戻っていく。
無言のままそれを繰り返す。
3発目で指の皮が捲れて血が滲んだ。
「陛下、おやめください。手を痛めます」
「2度と陛下なんて呼ばないで。あたしはフェリス・エル・ノーランドよ」
「フェリス、やめてください」
「あたしは……」
言いかけたその時だった。
覚えのある敵意がこちらへ向いてくる。
先ほどの『オンスロート』ではない。
『貴様、かつて共和国軍に退治された黒い
通信機を通しても声まで記憶に残っている。
既視感に目眩がし、思わずラインヒルデと顔を合わせてしまった。
こういうシリアスな場面で出てくるのは本当にやめてほしい。
「今の私はとても機嫌が悪いです」
「奇遇ね。あたしも」
「倒してしまっても構いませんよね?」
「勿論。でも、生かしておいて。利用価値はありそうだから」
「了解です」
地平に現れた白い
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