第十八話 荒野の戦い

 吹きすさぶ荒野の風が、向かい合う戦姫ドレッサーたちの前髪を揺らす。


 此方こなた、挑戦者、イノーラ・オーウェル。

 彼方かなた年少花形アンダープリマ、ホープ・リリエンソール。


 遠く空には鳶がくるくると滑空する。これから行われる戦闘への緊張を鋭く感じ取ったのか、二人の周囲にはネズミの一匹も走ることはない。


 城壁都市ステラシアから十数キロメートル離れたこの場所で、公式大会コレクションの決勝は行われる。


 二人の戦姫ドレッサーの後方には、大地に固定されたそれぞれの技師席があった。そこに乗った技師ソーイングたちも互いをにらみ合う。


 イノーラの戦姫技師ソーイング、リオン・アランデル。

 ホープの戦姫技師ソーイング、レティシア・グロン。


「いよいよ決勝戦。期待の新星、イノーラペアが勝つのか! それともホープペアが王者の貫禄を見せるのか!」


 飛行船から実況者の声が降ってくる。この試合は公営ドームへと中継されている。応援者たちはそこで試合開始を今か今かと待ちわびているはずだ。


 リオンは裁縫籠手ミシンを装着し、ボビンに手を置いて大きく息をする。


 大丈夫。今まで通りにやればいいだけだ。短い間だったけれど、最善はつくしたはず。


 それでも緊張で震えてしまう手を押さえようとしたその時、リオン同様に細かく震える手を、イノーラはドレスコアに触れさせた。


着装セット


 コアから紫と白の糸がぶわりと噴き出す。コアの形に固められていた糸たちは、イノーラの体に沿って巻き付き、エトワールへと姿を変えていく。


 胸元の布はそのままに、首周りのベールは少しだけ厚く、ストール状に改良した。これで攻撃の幅は多少広がったはずだ。


 手袋のベールの厚みはそのままだ。接近戦で役立つように、白の刺繍も施されている。


 スカートの始まる位置は変わりない。だが、パニエの代わりに短いクリノリン――細くて固い針金状に固められた糸の支柱を採用した。前回の戦闘でドレスが軽すぎたことへの対策だ。


 頭部には前回同様に急所であるヘッドドレスを覆い隠す白の髪飾りがついている。


 靴も前回からあまり変化していない。唯一、靴底が多少固い構造になっていること以外は。


 バトルドレスを着装セットし、イノーラは息を整える。裁縫籠手ミシンとイヤホンから感じるその感覚に、リオンもまた、鼓動を落ち着かせていった。


「行こう、イノーラ」

「うん」


 対するホープは堂々と立ちながら、自然な動作で胸元のコアに手を置いた。


着装セット


 噴き出したのは燃え盛るような赤の糸。


 赤と黒で構築されたトップスはふわふわと風になびき、手元が隠れるほど長い袖の先には大ぶりなフリルがついている。


 緩やかなひだをたたえたファルダスカート。シューズの踵は高く、高らかにステップを踏むための釘打ちがされている。


 一見するとシンプルなフラメンコドレスだが、その腰には用途不明のベルトが見え隠れしている。おそらくあれが、あのドレスの主兵装だろう。


 たしか、試合申し込みの際には、後期エヴァンジェリン型を採用していたはず。だとすれば警戒すべきなのは――


「勝つわよ」

「はい!」


 ホープとレティシアは力強く宣言する。


 頭上に悠々と浮かぶ飛行船が、フィールドの各所に設置されたカメラの映像を映し出す。実況者は立ち上がり、マイクを振り上げて声を張った。


「さあ、両者準備は整いましたね? 気持ちの準備も万端かな?」


 僕たちはにらみ合う。これが、この大会最後の試合だ。ここまで頑張ってくれた相棒のためにも、絶対に優勝してみせる。リオンはごくりとつばを飲み込んだ。


「それでは始めましょう! 皆々様ご注目ください! コレクショーーン……スタート!」


 ほとんどハウリング音になっている実況者の声をしり目に、二人の戦姫ドレッサーは地面を蹴る。


 様子を見るか、接近戦に持ち込むか。


 通常ならば紫色の特性である暴風を生かすため、距離を取っての攻撃が定石だ。だが、まずは遠距離からの攻撃を確実に当てるため、相手の装備を見極めなければ。


 試合前に打ち合わせした通り、イノーラはホープのほうへと素早いステップを踏んだ。ただし、目標は彼女ではなく、彼女のそばをすり抜けること。つまり、けん制だ。


 ホープはその挑発に見事に乗ってきた。だが、その反応速度は想定よりもずっと速い。


 接近するために踏み込んでいた足でざりざりっと地面を踏みしめると同時に、ホープは急に逆方向へと方向転換して自分の真横を駆け抜けるイノーラに真っ赤な袖を叩きつけようとした。


 イノーラは目を見開き、さらに加速することによってそれをかわす。ほとんど転ぶようにしてその攻撃から逃れたイノーラは、年少花柄アンダープリマのオーラに気圧されて身を震わせた。


 危ない。もし完全に重量型のドレスだったら、この一撃で沈んでいたところだった。


「賢しいわね!」


 声を張り上げてホープは言う。その内容は挑発のための言葉だったが、ホープの表情はむしろ、喜色満面のように見えた。


 彼女は楽しんでいるのだ。自分に食らいついてくる強者と戦うことに。


 そこに王者としての貫禄と余裕を感じ、リオンとイノーラは改めて誰を相手にしているのか理解する。


 彼女は年少花形アンダープリマ。少年少女の部門の中で、トップの成績を収め続けている絶対強者なのだ。


「どうする」

「まだ手の内があかせていない。だけど、これ以上のけん制は無理だ」


 相手に聞こえないようにリオンとイノーラはささやきあう。けん制が不可能であれば、次のフェイズに移るしかない。


「音楽?」

「うん、アップテンポだからうまくついてきて」


 裁縫籠手ミシンとボビンに置いた手に力を籠める。イヤホン越しに、イノーラの静かな声が響いた。


「任せて」


 細かく響く前奏の打楽器。甲高い金管によるメロディが流れ始めると同時に、イノーラは薄い手袋を刃の形に変え、ホープへと距離を詰め始めた。


 紫色の特性は暴風。通常はその布の分厚さによって威力を変える遠距離パワー型のエトワールだ。


 だけど、イノーラの戦い方はその真逆。軽やかなステップでひらりひらりと相手を惑わすのが得意。


 それゆえにリオンは、彼女のドレスを薄くし、彼女が長年の見本にしてきた、オーストンの最高位プリマであるライラックと同色を使った。


 薄さとパワー。相容れない二つの要素を共存させるには、暴風とは別に他色の付与が必要になる。


 そのために本戦からリオンが用意したのが、刃の形に変形できる手袋型の兵装だった。


 紫のエトワールに白糸で刺繍が施されたそれは、暴風としての威力をある程度有しつつ、応用のきく白色で薄く、素早い攻撃が可能になっている。


 それでも、白色単体の速度にはかなわない上に、大ぶりで一度振りかぶった一撃が簡単には逸らせないという弱点もある。


 イノーラもそれは分かっている。ゆえに、最初の一撃はほとんど予備動作をつけずに右側に振りぬいた。


 当然ながらホープはそれを軽々と避ける。どうやら彼女には長物の兵装はないようだ。リーチとしてはこちらが有利、だがもちろんそれだけで勝てるはずもない。


 ホープは刃がない左側にくるりと駆け寄ると、カカッと細かいステップを踏むと同時に、つまんでいたスカートのすそをイノーラめがけてなびかせた。


 苛烈な熱を帯びた攻撃。イノーラはとっさに体を引いたが、赤のエトワールがかすり、その部位のドレスがわずかに裂ける。


 しかしここで退くイノーラではない。イヤホンから流れてくる音楽に集中しながら、つまんだ手によって何度も振り回される緩やかなスカートをかわしつつ、反撃の機会を狙った。


 十数秒の攻防の末、イノーラはステップを踏み間違え、体勢を崩す。そのすきを狙ってホープは彼女に大きく攻撃をした。


 ――今だ!


 体勢を崩したのはフェイク。ひそかに後方に伸ばしていた片足を踏ん張り、リオンが飛ばした濃い紫色の糸を使って、今までよりも強い暴風を叩き込む。


 ――決まった!


 重い一撃を食らわせたと確信するリオンとイノーラ。しかし、少し離れた場所に着地したホープは、スカートと袖のフリルが破れかけているものの、ほとんど無傷だった。


「……硬い」


 ぼそりとイノーラが感想を告げる。リオンはホープを凝視しながら、ごくりとつばを飲み込んだ。


 そうだ。あれだけ軽やかに動いているが、ホープのドレスは比較的厚手なのだ。


 つまり生半可な攻撃では通用しない。


 リオンは指先に力を入れなおしながら、イヤホン越しにイノーラに囁いた。


「いこう」

「負けない」


 端的な言葉のやりとり。それだけで互いの想いは十分に伝わった。


 再び音楽が流れ始める。さっきとは違うメロディだが、速度はほとんど同じだ。


 イノーラとホープは距離を取ってにらみ合う。まだいける。勝ち目はどこかにあるはずだ。


 先に地面を蹴ったのはホープだった。今度は前に構えた腕をイノーラに押し付けて攻撃しようとしている。イノーラはそれを避け、がら空きになった背中に一撃を叩きこもうとした。だが、ホープがそんなあからさまな隙を作るはずもない。


 ホープは踏み込んだ左足を軸にしてくるりと回転し、逆にイノーラの背中に袖の一撃を振り切ろうとした。


 直前で気づき、距離を取るイノーラ。口の端を楽しそうに持ち上げながら、砂煙を上げて次の動作に移ろうとするホープ。


 互いに視線をぶつけ合い、再び二人は行動し始めた。軸足を横にしてスカートを振り切るホープ。それをなんとか避けて構えた刃を突き出すイノーラ。


 二人の攻防は幾度も続き、両者の力は拮抗しているように思われた。


 しかし、何かがおかしい。


 イノーラの動きは、リオンと共有された音楽にほぼ完全にリンクしているはずだ。だけど何だこの違和感は。


 同じような攻撃をぶつけあっているはずなのに、イノーラは徐々に押され始める。ステップを踏み間違えているわけではない。力だけで押し切られているわけでもない。


 数度の攻防を必死で観察し――ある推測がリオンの脳裏をよぎった。


 まさか、これは。


「裏拍を取られている!?」


 身を乗り出してリオンは叫ぶ。相手の技師であるレティは、にやりと笑ったようだった。


 相手が流している音楽と、こちらが流している音楽のテンポを完全に一致させ、なおかつその中間地点である裏拍を、相手の技師はホープに指示しているのだ。


 だけどそれだけなら、こちらだけが押される理由が分からない。


 裏拍であるのなら、むしろ相手が後手に回るはずだ。


 ホープの動きを凝視しながら少しだけ考えて、リオンは目を見開く。


 違う。裏拍を取られているのではない。


 ならばこちらの動きは読み切られているのも同然だ。このままではなすすべもなく敗北するだけ。


 どうにかして相手とのリズムをずらすしかない。


「イノーラ」


 静かに名を呼ぶ。彼女の目はこちらを向いていない。だけど、確かに声が届いている確信はあった。


「こっちも飛ばすよ!」


 音楽を変え、ボビンを大きく傾ける。


 素早い四拍子からさらに素早い八分の六拍子に。


 唐突なリズムの変更に、ホープは一瞬怯んだようだった。だが、イノーラも足を動かしきれず、ステップを踏み間違える。


 結果としてリズムを崩すことには成功したが、両者ともに優勢劣勢がゼロに戻っただけだ。


 二人が動き出したほんの十秒後には、六拍子は読み切られ、イノーラは再び裏拍を取らされ始めてしまった。


「強い……!」


 小手先ではない。明確な実力差。だけど、負けるわけにはいかない。ここで負けを認めてしまうのは、あまりにも悔しすぎる。


 それに、自分たちも万策尽きたというわけではない。


「リオン」


 足を動かし、刃を構えながらも、イノーラはイヤホン越しに囁く。


「とっておき」


 端的なその言葉が何を示しているのか、リオンにはすぐに理解できた。


「分かった」


 リオンの答えを聞き、イノーラは大きく飛びのいてホープから距離を取る。ちょうど真逆の位置にいたイノーラとリオンの視線が交錯する。


 追いきれないと判断したホープはそのままの位置でドレスを構えたまま停止した。


 条件はそろった。いけるはずだ。


 イノーラはスカートの紫を、下方から上方に勢いよくなびかせる。暴風が吹き荒れ、巻き上がった砂煙が二人の間を遮る。イノーラは地面を蹴った。


「それで不意打ちをしたつもり?」


 斜め上から落ちてくるイノーラの影に、ホープは左手を掲げて対抗しようとする。紫の刃であればこの腕で払い、次の一撃で勝負を決められる。


 予想通り、イノーラの姿は斜め上から現れた。ホープは振りかぶられた紫の薄い刃を、分厚い赤で受け流そうとする。


「今だ!」


 リオンの鋭い指示。イノーラの白い髪飾りが輝き、ホープは目を見開いた。


着装セット


 その瞬間、イノーラのドレスの色は


裁断カッティング


 逸らされた刃とは別の白色の素早い刃がホープを襲う。紫色の鈍重な攻撃と侮っていたホープは、左腕の袖を切り取られ、慌てて後方に飛びのいた。


「何っ!?」


 驚きの声を上げるホープ。砂煙の中から現れるイノーラの姿。


 その時起こった現象に、対戦相手も、実況者も、モニターの向こうの観客も目を見開いた。


 彼女の服装は、あの一瞬で、純白のウェディングドレスへと姿を変えていたのだ。


「リバーシブルですって!?」

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