颱風

明るすぎる夜の町を、私はひとりで歩いていた。

人も車もなく、ただ街灯の白と信号機の青や赤が、濡れた路面を照らしていた。

十字路は、誰もいない舞台のように、さびしくかがいやていた。

私は一心に、家をおもって歩いていた。



私の住む町は、荒川・綾瀬川と中川にはさまれている。

荒川の氾濫を想定してえがかれた区の「洪水ハザードマップ」では、浸水深5mと予想される地区であり、地図上、私の家のある地域は濃い赤で塗りつぶされていた。

浸水深5mとは、一戸建てを屋根までのみこむほどの深さ、ということらしい。


私は小菅で生まれ、十歳頃までそこで育った。

荒川の河川敷は、おさない私たちのちょうどいい遊び場だった。

私はそのころからいまに至るまで、川を眺めることが兎に角すきで、荒川も、中川も、江戸川も、笛吹川も、それぞれちかくに住んでいるころは、よく眺めにいったものだった。


精神がおもたくなったときなど、ふらふらと川を眺めにいく。

川がのんびりとながれる姿を、なにを考えるでもなしに、ただぼんやりと眺めている。

そのうちに、私の意識は川になり、流れとなり、おもくるしい懊悩や不安や怒りなどを押し流していく。

意識の高いところから低いところへ、そうしてやがて渺漠たる無意識の海へ。


血の気の盛んな二十代のころには、江戸川のそばに住んでいて、嵐のくるたび、飛ばされる芥のようにして土手のうえまで奔っていき、嵐の荒ぶるのに呼応して、泣いたり叫んだりしたものだった。

濁流となって、泡を吐いて、狂ったようにごうごうと海をめざして突撃していく水のかたまりを見て身震いした記憶が、この肌にいまだ鮮明に残っている。


子供のこころに、颱風というものは、いつでも元気な遊び相手だった。

颱風が遊びにきたと気づけば、私は傘をもって外へ迎えにでた。

颱風の声、叫びを耳に聞き、

その拳をひたいに胸に背中に浴びて、

波のように空中でさかまき、ひるがえり、激突してくる風とすもうをとって、

大笑いして遊んでいた。

傘に突風を受けて、体を浮かせる遊びなどしているうちに、あっという間に傘は壊れたが、それすら可笑しくて仕方なかった。


さんざん遊んで、飽きてしまえば、家に帰った。

壊れた傘、濡れた服、すりむいた膝小僧、母のしかる声、そこには甘ったるい安心があった。

頑丈な家のなかにもどって、温かい湯につかり、きれいな服にきがえ、荒れ狂う颱風をこんどは窓からながめていた。飽きることなく。


TVでは、茶色い濁流が、家々をのみこんでしまっている。

屋根の上で救助を待つ人の姿を、報道カメラが映している。

私はそれを家のなかで見ていた。

屋根の上の人からは、私は見えない。いや、は見えない。

そのときTVの前にいた何百、何千の人人が、彼らを見ていた。

それぞれ、あたたかい家のなかから。それはまるで、神の視線だと私は思う。



私はいま家庭をもち、まがりなりにもその主となって、妻とねこと暮らしている。今回の颱風と「遊ぶ」ことは、いまの私にはできなかった。

ちかくの川の氾濫が予想され、守らなくてはいけない家が浸水する可能性があった。

そのとき私の眼前に浮かんだのは、子供のころにTVで見た、濁流にのまれた屋根の上でふるえていた人たちの姿だった。

そしてその顔は、私と妻の顔をしていた。

家族の一員であるねこたちは、とうに流されてしまったのだろうか、屋根にいるのは私たち夫婦だけだった。

屋根の上で、私は思った。

なぜ避難しなかったのだろう。

なぜと思ったのだろう。



築五十年ほどの木造の家から、夫婦がそれぞれの胸にねこをかかえて、荷を背負い、歩いて数分の妻の実家へと避難した。

区の避難所はペットを受け入れてくれないことを知っていたから。(レストランなどで「ペット不可」というのはわかるけれど、避難所でまでそれを言うのか、と私は呆れてしまった。「お断り」の避難所には、私たちは用がないのだった)

鉄筋コンクリート造のマンションの、四階のせまい部屋に、義母たち三人が住んでいる。そこに人間二頭とねこ二頭が避難するのだから、息苦しいほどなのだけれど、妻は帰省のような気分でのんびりしている。

義姉はスマートホンとTVの速報テロップを交互に見てちいさな悲鳴をあげている。義母はよくわからないTV番組をたのしそうに見ている。

私は部屋のすみに、ねこの暮らせるスペースを、段ボールや、家からもってきたねこの気にいりの毛布などでこしらえた。


窓のそとで荒れ狂っていた風雨は、深夜、その勢いを弱めた。

特別警報も解除されていった。

家族はみんな眠りについたけれど、私は家が心配でまんじりともできない。

妻をすこし起こして、家に戻ると告げて外へ出た。

風はまだつよい。雨は止んでいた。

明るすぎる夜の街路に、人の気配はなく、車もない。

脳裏では、和室の窓がむざんに割れている光景や、物置の屋根がとんでなくなってしまった光景などが浮かんでは消えを繰り返していた。

はやあしで、少し息を切らせて家につくと、ぐるりと一周して外を確認し、玄関にとびこむと家中をかけまわった。

家鳴震動のけたたましいなか、ねこをかかえて逃げたときのまま、家はすべて保たれていた。私は安心してそこへ膝をつき、それから意味もなく掌をあわせた。


なまぬるい日常、時として邪魔にさえ思うこともある、退屈な日常。

親という庇もない今では、この家だけが、その日常を守ってくれているのだと私は感じた。だから私は、決して神仏にむけて合掌したわけではなかった。

に、に、手を合わせたのだったと思う。

いわゆる「日常の生ぬるさ」が、自分にとっていかに大切な温度であるかを、息を切らせながら私はさとった。

明け方、家に抱かれながら、私はようやく眠りについた。

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