聖夜にて、昔の同期と

 とある聖夜。

 正確には聖夜の前日。

 世間的にクリスマスイブと呼ばれるこの日に、俺はバーで一人、カウンター席で待ち人をしていた。

 簡単にカナディアンウィスキーとナッツを注文し、さして広くもないこのバーに流れるジャズの演奏に耳を傾ける。

 しばらく、店の雰囲気に酔う。

 背後に感じた気配に視線を向けた。

 赤いドレスに、ワイン色のハイヒール。

 30過ぎになってはいるが、その面立ちはかつて同じ時間を共にしていた頃の面影を感じる。

「久しぶりだね、さっちゃん」

「久しぶり。コーくん」

 かつてのあだ名でお互いを呼び合う。

 それだけで、昔の思い出が蘇る。

 俺が大学生の頃、彼女は同じサークルの同期だった。

 彼女は話しやすく、とてもフレンドリーな感じだった。

 そんな彼女に、俺は次第に惹かれていった。

 しかし、俺には度胸がなかった。

 俺が彼女に本心を打ち明けようとした頃には、彼女の隣には彼氏がいたのだ。

 人生で、あれほど悔やんだことはなかった。

 あれほど、残念に思ったことはなかった。

 卒業してからは会うことはなかったが、ある日彼女から連絡が来て、今日会うことになったのだ。

「何年振りだろうね、あたし達が会うの?」

 そう言って、彼女は俺の隣に座る。

「さあね、随分前だったと思うよ」

「そうだよね。卒業式以降は会わなかった気がする」

「懐かしいよな。他のメンバーとは会った?」

「うーん、むぅちゃんとりっちゃんには会ったかな。二人とも結婚して、今子育て大変だって」

「そっか。元気でやってるんだな」

「うん。そうみたい」

 そうして、しばらく昔話に花を咲かせる。

 決して店の雰囲気を邪魔しない程度の音量を心がけて話すことを忘れずに。

 学生の頃はバカみたいに騒いで迷惑かけた自分が、こうして気づかいしながら酒が飲めるようになったものだと、変な関心を覚える。

「……それで?」

「?」

「急にさ、どうしたんだよ? 俺を呼び出すなんて珍しいな」

 学生の頃でさえ、俺を呼び出すことのなかった彼女が、数年後に俺を呼ぶ。

 何かあったことは、何となく想像はしていた。

「……実はね」

「……うん」

「……しーくんとね、分かれちゃった」

「……え?」

 しーくんとは、彼女の彼氏のことだ。

 彼女とは同じ学部の先輩だったらしく、お互いが好きあっていたらしい。

 人柄も良く、誰に対しても平等に扱っていた彼は、決して感じの悪い人物ではなかった。

「……」

 暗い面持ちの彼女は、俺の知らない彼女の顔だった。

「……どうして、分かれたんだ?」

 意を決して、彼女に尋ねる。

「……彼ね、卒業してから事業を始めたの」

 彼女は語る。

「最初の頃は、上手くいってたんだ。年商も上がってきて、このままいけば上場できるんだって、喜んでた。

 でも、ある日、そのお金が急に減ったんだ。

 経理の人から問い合わせがあたしにあって、何があったんだろうって、彼に聞いたの。そしたら、会社のお金使って、他の女の子のところに行ってたみたい。今思い返してみたら、結構出張が多いなって思ってたんだ。だけど、会社が上手くいってきたなら仕方ないかなって、そう思ってた。

 でもさ、本当のこと知っちゃったら、もう無理かなって……!」

 話しながら、涙ぐむ彼女。

「……それで、分かれたのか?」

「……うん」

「……そうか」

 俺は、冷静に彼女の話を聞いていた。

「……慰めては、くれないのね」

「……俺は、さっちゃんはそんなに弱い人じゃないと思ってるから」

「買いかぶりすぎだよ」

「そんなことないよ」

「……」

「学生時代に、俺に声をかけてくれる人は少なかった。そんな俺にも積極的に声をかけてくれたのは、さっちゃんだけだったよ」

「……」

「だから、俺はさっちゃんはそんなに弱い人じゃないってわかってるよ」

「……」

 彼女も、黙って俺の話を聞いていた。

 しばらくして、

「……酷い人だね、コーくん」

 そう言って、彼女は店を後にした。

「……」

 俺は、そのままウイスキーに口をつける。

「よかったのですか?」

 声をかけてきたのは、この店のバーテンダーだった。

 壮年で髭をたくわえた彼は、おそらくこの店のオーナーでもあるのだろうか。

「何がです?」

「彼女、追いかけなくても?」

「ええ、これでいいんです」

「私見ですが、彼女、あなたに慰めてもらって、そのまま付き合うつもりだったのでは?」

「……聞いてたんですか?」

「失礼。近かったもので、聞こえてしまいました」

 そんなに聞こえていたか。

 これは、今後気を付けないといけないな。

「……それでも、いいんですよ」

 俺は言う。

「俺は、彼女の強い心に惚れたんです。弱ってる彼女に付け入ったら、俺はただの卑怯者ですよ。まるで、俺が彼女が分かれることを望んでいたみたいになる。それだけは、嫌だったんです」

「……随分、損な生き方をされていますね」

「そうかも、しれません」

 ウイスキーを喉に通す。

 独特な味わいが、口に広がる。

「……少し、苦いですね」

「……そうですね。そういう、銘柄のものですから」

「……でも、とてもおいしいです」

「……それはよかった」

 今の気分には、これがとてもよかった。

 過去の自分なら、彼女をものにできる誘惑に負けていたかもしれない。

 でも、今の俺は、そんなことよりも、本当に彼女に幸せになってほしかったから、あえて振ったのだ。

 誰にも理解されないかもしれない。

 でも、それでいいんだ。

 未来の彼女が幸せになるなら、それでいいのだ。

「……聖夜に」

 誰に言うでもなく、グラスを掲げる。

 今、サンタに願うことがあるとすれば、それは……。

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突発的な短編集 石動 橋 @isurugi

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