第2話 ガイダンス・イズ・インターナル

 産総研宇宙観測研究所についての事だ。

 かつて芝区と呼ばれた広大な敷地に研究所、発射台、コントロールセンターが立ち並び、遠くからでもその偉容、いや異様を目にすることができる。鉄塔立ち並ぶ施設は物々しい有刺鉄線で囲まれており、内務省………否、内事局とGHQの、日本語と英語での小粋なメッセージが添えられている。すなわち、「許可なく立ち入るべからず。立ち入ったら命の保証無し」。

 都電から朝の停留所へと降り、物言わず鋭い目を光らせてくる白いヘルメットの米軍兵士の横を通って、門から所内へと入る。時としてここからボンネットバスを使い、丘の上のアンテナ施設や発射台へと移動するのだが、今日は特に用がなかった。本日もまた設計図とにらめっこする作業に就くため、正門正面の産総研東京研究所へと入る。

 門の下で銃を提げた兵士の横を通った時、いつもと変わらない筈なのに、自分が妙な緊張を抱いていることに気付いた。顔を拭う掌が、少しだけ汗ばんでいる。

 昨日の誰もいない都電の車内で、アメリカのスパイを名乗る少女と遭遇した事実が、自分へ結構な影響を与えてしまっているのかもしれない。これ以上彼女に関わったら、いつか………昨日彼女と一緒に車外へと放り出したあの刺客の男みたいに、自分も物言わぬ死体となってしまうんじゃないか。

 悪い予感を振り払いたくて、頭を振って空を睨んだ。視線の先に捉えられたのは、緑の濃い植物や赤いリボンで飾りつけされた、何時の素っ気なさを感じさせない華やかな装いの出入口である。なんだこれは、と、一瞬疑問が頭を満たした。

「おう多田君、今日はクリスマス・イブだな………どうした、そんな妙な顔して」

「いや、内山、その………やっぱいい。今、全部分かったから」

 そうだった。今日は十二月二十五日。この地上に住むキリスト教徒とそうでない人々のための、冬の祝祭の日だったのだ。


 ◇ ◇ ◇

 二人の男が一つのテーブルで食事をしている。片方の眼鏡の日本人は糸川英夫、もう片方の、元ドイツ人であるアメリカ人をフォン・ブラウンと言う。かたや日本の宇宙開発の先導者、かたやナチスドイツで液体燃料の軍事ロケットを開発し、戦後アメリカで世界のロケット技術の権威としての座を得た人物。

 数年前までは同じ場に揃うなんて考えられなかった二人が、今こうしてクリスマスイブのパーティーの場で、立食を楽しんでいるなんて。改めて、世の中は分からないものだ、と私はチキンを頬張りながら考えていた。内山は「君と居ると物理学の話題では退屈しないが、女の話は別だな」なんて言い、会話の種を求めて何処かへと消えてしまった。

 なので今一人寂しく、あの栄光に輝く二人の、アメリカ英語での会話を眺めながら食事にふけっている。私の女性関係は、昨夜「見知らぬ少女に銃を突きつけられる」という進展があったため全く話題が無い訳ではないのだが、そんなことを言ったら通報を勧められるか私が通報されるだけだ。

 「貴方の考えたオメガ計画の進行具合について………」 糸川先生が、そうフォン・ブラウン博士へと話しかけているのが漏れ聞こえてくる。私達の従事している国家的計画についての話題を、二人は今しているらしい。

 オメガ計画。「有人衛星」を宇宙に送り込もうとする計画だ。真空の宇宙空間において内部を一気圧の酸素で満たすことができ、大気圏への再突入に耐えうる金属殻の中に訓練した人間を封じ込め、宇宙軌道へと打ち上げようというのだ。

 元々は産総研において、糸川先生が計画していた段階的な宇宙開発の計画を、鉛筆大のロケットから一気にビルほどの大きさまで飛躍させたのは、日本へやって来たフォン・ブラウンの存在が大きい。彼は第二次大戦後、渡米してアメリカに協力し、弾道ミサイルを改造したジュノーⅠロケットで世界で二番目の人工衛星を打ち上げた。ここまでは良かったのだが、その後「赤狩り」ならぬ「ドイツ狩り」の機運が高まったのだ。非人道的なナチスドイツの科学者たちを、アメリカから追放せよ、という世論の高まりによって、彼はアメリカから日本へと逃れての宇宙開発研究を余儀なくされた。彼の訪日と共に、西側の宇宙開発の拠点はケープカナベラルから廃墟の東京へと移ったのだった。

 「俺たちの研究結果は日本国内にすら開示されてなくて、全部アメリカに流れているらしい」とは内山のする噂話である。弾道ミサイルへの軍事転用が容易く可能な宇宙ロケットの諸研究結果は、出資元がすべて回収したいというのが思惑なのであろう。だからこそ、こんな荒野に研究所を立てたのかもしれない。

 そこまで考えて、歯に硬い物が当たった。どうやら考え事をしながら口を動かしていたら、チキンを食べつくして骨だけになってしまっていたらしい。

「はいどうぞ」

「お、ありがとうございます」

 次のチキンを探す手に、新たなチキンが収まった。

 素直に受け取った私は、思わずげ、と声を漏らしてしまった。チキンの送り主は、昨日出会ったあの少女だったからだ。今日の課業中、ずっと頭から離れず、今こうして祝いの場で忘却することができていたその妙に整った顔を、また思い出す羽目になった。

 彼女は黒いドレスをくるりとなびかせて、慇懃に挨拶をした。その様子には招かれたどこかの高官のご息女といった雰囲気があるものの、その服の何処かに今日も変わらず拳銃を隠し持っていると思うと気が気でない。

「なにしにきたんです」

 この喧騒の中ではだれに会話が聞こえるはずもないのだが、心無しか声もひそやかなものになった。彼女は面白そうに眉尻を上げる。

「聞こえないわね」

「ああもう! 何しに来たって聞いてるんだ!」

 思ったよりも大きな声が響いて、さすがの彼女も慌てた様子を見せた。

「声が大きい! ………ちょっとからかっただけのつもりなのに、怒鳴るなんて。あなた意外と負けず嫌いなんだね」

「悪かったよ………君に義理立てする道理はないんだけどね」

 そう言ってチキンを口いっぱいに頬張る私に、彼女は口を尖らせて反論する。

「あら、昨日だってあなたを怖ーいソ連の工作員から守ったっていうのに?」

「なんだって?」

「知らないのね、あなた、ばっちり狙われてるわよ」



「こっちのサンタクロースは赤いのね」

 飾りを見つめる彼女の薄い色彩の瞳に、白髭を貯えたサンタクロース人形の赤が映る。

「赤くないのもいるのかい?」

 彼女はその瞳を一瞬見開いた。

「そもそも聖ニコライの衣服は色が決まっているわけじゃないのよ。」

 二人で見上げるのはクリスマスツリーだ。どこからか切って来た、豆球の電飾で飾りつけされた針葉樹は、少し暗くされた食堂の一角で赤や緑にピカピカと光っている。それはどこか稼働中の電算室を連想させた。よくよく見てみると、電球に交じってもう使われなくなった真空管が飾られている。時代はトランジスタを通りこし、物凄い速さで次集積回路の次世代にまで手を伸ばそうとしていた。

 電子時代のクリスマスツリーの頂点に輝くのは、星ではなく小さな地球儀だ。蒼く塗られたこの小さな地球だが、肉眼で本物の地球を直視したときに果たして本当に蒼く見えるのか、まだわかっていない。

 だから実際に見に行こう、というのがこの計画の主旨である。利権とか意義とかを忘れて平たくして言えば、そうなるのだ。

「それで、地球を外から見てみようってだけの計画に携わる、こんな善良な人間を、なんで狙うんだい」

「そうね、皆あなたの頭脳を危険視しているみたいよ。”夢物語”を”実現させてしまう”魔力がある」

「夢物語を実現? この計画は皆の力で成功させるものだよ」

「ええ、そうね。でも日本の工業力は低い。アメリカ本国の連中は、資金といくばくかの技術だけ与えて、フォンブラウンをこの地に封ずる予定だったの。この国の言葉で言うと”島流し”ね」

「極東の島」

「そう。このソ連との最前線に位置する日本という島にね。でも、大方の予想を裏切って、彼の途方もない計画はこの地で実を結ぼうとしている。失敗して腐っていくフォンブラウンを眺めながら、成果だけを吸い上げようと思っていたアメリカの連中は大慌てってわけ。なんでだと思う?」

「わからない。日本の技術者が思ったより優秀だったから?」

「それもあるかもね。でも、一番の分岐点はあなたの存在よ」

「私?」

 繰り返し突きつけられるその事実に、しかし納得できないという気持ちが先行する。

「日本の火星人。あなたを狙っている人達は思っている以上に多いわよ。気を付けて」

 私は口元に付けていた手を降ろした。ちょうど、二個目のチキンを食べ終えたところだった。白い地に死の気配を感じさせる青ざめた骨を皿へと放って、今度は一言だけ質問した。

「それは君も?」

 彼女は微笑んだ。それは、昨日の電車で見せた、あの忘れられない笑顔より尚あいまいで、ぼんやりとした表情だった。

「かもね。せいぜい気をつけなさいな」

 私はクリスマスイブに湧く荒野の東京で、一人途方に暮れることとなったのであった。まったく、銃をバンバン売ってくる人間からどう気を付けるというのだ!


 計算機科学のプロフェッショナルから、疑心暗鬼のプロフェッショナルになってやろうかと考えつつ、私は残業して、軌道計算をするためのプログラム作りに追われていたのだった。

 IBMのパンチカード刻印機から排出される白く丸く薄い無数のごみは、窓の外に振り始めた粉雪のようで、私は思わず室外の暗闇を眺めた。遠くの夜の闇に、かつての芝公園のあたりに建つ赤と白の鉄塔。東京一号発射台が黒く浮かんでいた



 ◇ ◇ ◇ 


 深夜を回って、とうとうクリスマス当日を向かえた静かな電算機室には、ランプを点滅させパンチカードを読み込む、コンピューター群の断続的な低いうなりが響いている。私は、水筒からもう冷えてしまった茶をコップへと入れ、一口飲んで身震いした。

「一寸飲ませてくれよ」

 よく聞きなれた声が後ろから響いた。そのまま私の手に持つ円筒を奪い取り、そこからひと息に中身を啜る。

「おい! 何をするんだ内山!」 そう詰問したかったが、それは私の顔の横に付けられた彼の真面目な表情が遮った。

 まるで、誰かの耳を気にするかのように、彼はパンチカードの読み込み音がひときわ大きくなる瞬間を狙って短く言葉を発した。

「あの女に気をつけろ」

 何を言っているんだ、そう聞こうとした時には既に、彼の姿は何処かへと消えていた。窓の外の闇は一層深くなり、雪さえ見えなくなっていた。

 少しいびつな窓ガラスに私の茫然とした顔が映っていて、一瞬の後にその間抜け面と目が合った。 

「一体何が起きているんだ?」

 返答は一切なかった。

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