第40話 「こんにちは。」

 〇桐生院咲華


「こんにちは。」


 ドアを開けると、そこに…笑顔の…


「あっ…こんにちは…」


「突然来てごめんなさい。近くを通ったから…」


 海さんの、お母様。


「お邪魔して…大丈夫?」


 首をすくめてそう言われて。


「もちろんです。あ…でも、ちょっと散らかってますけど…」


 あたしはリビングを見渡した。

 今朝、沙都君と曽根君が寝坊して、バタバタと出かけて行った。

 その残骸が、まだ…


「いいのよ。女だけで、美味しい物でもと思って。」


 お母様はそう言って、手にしてる袋を見せながら首を傾げられた。



「あー、ぱっ、んまっ、まっまっ。」


「まあ、お喋りが上手ね。」


 お母様にリズちゃんを見てもらってる間に、あたしはお茶を入れた。

 持って来て下さった袋の中身は、お饅頭だった。

 こっちに来て一ヶ月…

 桐生院では、お茶の時間によく登場してたお饅頭や羊羹が、急に懐かしくなった。



「…咲華さん。」


 お茶を出してすぐ、お母様があたしに向かって姿勢を正されて。


「海を…笑顔にしてくれて、ありがとう。」


 そうおっしゃった。


「えっ…あっ、いえ…そんな…あたしの方が…海さんに笑顔にしてもらってます。」


 リズちゃんは、お母様の膝の上。

 人見知りしないいい子だけど、少し寂しいなあ…なんて思ってしまった。


「海から、全部聞いてる?」


「何の…事ですか?」


「今まで結婚出来なかった事とか。」


 結婚しなかった、じゃなくて…出来なかった…?

 もしかして、お母様は…紅美ちゃんとの事もご存知なのかな…なんて思った。


「全部かどうかは分かりませんが…あたしが不安にならないように、と…話して下さいました。」


「そう…」


「……」


 お母様は静かにお茶を口にされて。


「…海は…空と泉とは父親が違うの。」


 あたしの目を見て、言われた。


「……」


 パチパチ。

 パチパチパチ。


 と…つい、無言で瞬きを繰り返す。


「この話は聞いてなかったのね?」


「…はい…」


 海さんのお父様は…とても優秀な方で。

 しーくんからも、その話は聞いてた。

 護衛の身でありながら、本家のお嬢様だったお母様とご結婚された。

 当時から、二階堂ではズバ抜けて優秀で。

 今もずっと…みんなの憧れの的だ…と。


 うちの父さんはすぐにムッとしたり、キレたりする人だけど…

 海さんのお父様は、カッコ良くて…穏やかだけど筋の通った方だと思う。

 おじい様の施設に会いに行った時、あたしに席を外して欲しい、と。

 あたしに聞かせたくない話も出て来るかもしれないから、と…ちゃんと理由も言って下さった。

 あたしはそれをすごく納得出来たし、頭ごなしに拒絶されているわけじゃないんだ。と、安心もした。


 海さんは…そんな所はお父様に似てるって思ったけど…



「海の…本当の父親とは、初恋でね。」


「……」


「だけど、世界が違い過ぎるから…私は別れを選んだ。」


 お母様は…あたしの叔母婿である陸兄の…双子のお姉さん。

 今までも何度か…小さい頃も含めて、ほんの数回…お会いする事はあったけど。

 こうして、近くで面と向かって座るのは…初めてで。

 伏し目がちになられた時は、陸兄とそっくりだな…って思う。

 あたしと華音も、そう思われる事…あるのかな。



「海には、世界が違うからって…そんな理由で恋を諦めて欲しくないって思ってたけど、小さな頃に許嫁を作ってしまった時点で…予防線を張ってしまっていたのよね。」


「…予防線?」


「傷付いて欲しくないって。ほんと…親失格。」


「……」


 それから…しばらく無言でお茶を飲んだ。

 お母様が持って来てくださったお饅頭は、何だか懐かしい味がした。



「あの…」


「ん?」


「その方は…海さんの存在を…?」


 あたしの質問に、お母様は真顔で。


「知ってるわ。」


「海さん…も?」


「ええ。」


「…打ち明けられたんですか?」


「海が18の頃だったかしら…環が打ち明けて…」


「……」


「複雑だったけど…それぞれがどう受け止めるか…私は見守るだけだった。」


 お母様の胸中を思うと、切なくなった。

 見守るだけって…辛い。


「でもね…去年、海は…この家で、彼と数日過ごしたらしいの。」


「えっ?」


「最初は言いにくかったみたいだけど…帰国した時、環と三人で飲んでて打ち明けられたわ。」


「……」


 お母様は…笑顔。


「彼の事を『父さん』、環の事を『親父』って呼んで、二人の父親を誇りに思ってくれてるの。」


 その言葉に…あたしは涙が出そうになった。


 きっと、すぐには受け入れられなかった真実。

 それを…海さんもだけど…お父様もお母様も…ちゃんと受け止めて、進まれたんだ。


「咲華さん。」


「…はい…」


「海の事…よろしくね。」


「…正直…あたしは歓迎されてないと…」


「え?どうして?」


 お母様は、少し驚いた顔をされた。


「…東さんと…婚約までしていたのに…」


「ああ…確かに驚いたけど…いくら想い合っていても、どうにもならない事はある。私も身をもって体験したから…分かる。」


「お母様…」


「咲華さんが、志麻をどんなに大事に想って下さってたかも知ってるわ。だからこそ…海とは…必ず幸せになって欲しいって、強く思うの。」


 あたしの目から、ポロポロと涙がこぼれるのを見て。

 リズちゃんが、お母様の膝からあたしに両手を伸ばした。


「んまっまっま、ぱっ。」


「ママが泣くと心配よね。はい、ママを笑顔にしてあげてちょうだい?リズちゃん。」


 お母様が立ち上がって、あたしにリズちゃんを手渡す。


「この子は、あなたを必要としてる。あなたと海にも同じように、この子が必要。」


「…はい。」


 あたしの頬に触れる小さな手を、優しく握った。


「海を…選んでくれて、ありがとう。」


 その言葉を聞いて、もしかしたら…昨日の騒動を耳にされたのかな…って思った。



 あたしは、桐生院の中でも…すごく普通で。

 普通過ぎて。

 一人だけ、キラキラしてないって。

 ちょっと家族を妬んだりもしたし、卑屈にもなった。


 一ヶ月も連絡をしないって、大事な家族にそこまで言って旅立って、辿り着いた地で……酔っ払って…結婚した。

 …十分普通じゃないよ。

 その相手も…普通じゃない人。


 だけど、あたしは…普通に幸せになれる。

 大好きな海さんと…大好きなリズちゃんと…

 幸せに…

 なって…いいんだよね…?





「今日、母さんが来たんだって?」


 海さんが仕事から帰って、いつものようにリズちゃんにご飯を食べさせてくれて…

 キッチンのカゴに入れてるお饅頭を見て、思い出したように言った。


「あ…うん…」


「あなたの『父さん』の事を話しておいたからーって電話で言われて、あっ話してなかった。って気付いた。」


 海さんは…笑顔。


「…この家で、一緒に過ごしたの?」


「ああ。驚いた。いきなり来て、飲もうって言われて。」


「……」


 海さんの表情が…柔らかい。

 それが嬉しくて、あたしは海さんの腕に抱きついた。


「どうした?」


「何となく。こうしたくなった。」


「最近よくしてくれる。嬉しい。」


「……」


 ふと…気付いた。

 どうして今まで気付かなかったのかな。


「…もしかして…」


「ん?」


「海さんの…『父さん』って…」


「…声?」


「うん…」


「華音にも紅美にも、声でバレた。」


「……」


 早乙女…千寿さん…?


「あたし…小さな頃から、すごく可愛がってもらってて…」


「ああ…父さんのバンドは、メンバーみんな仲がいいからな。」


「…だからSHE'S-HE'SのCD持ってるの?」


「まあ、それもある。」



 早乙女さんは…なんて言うか…すごく、独特な雰囲気のある人。

 穏やかで、優しくて…

 そこに居て下さるだけで…安心出来ちゃうような…


「彼と別れた後…華音と一緒に行った紅茶屋さんでバッタリ会って…」


「父さんに?」


「ええ。華月の事、すごく可愛がって下さるから…お礼を言ったら…」


「……」


「サクちゃんはいい子だね。って、ピンクのリボンのついたクッキーを買ってくださったの。」


「ふっ…目に浮かぶな。父さん、可愛いって思うと、すぐ何か買うからな。」


「Be Happyって書いてあった。」


「…その通りになった。」


 唇が来て…優しく重なった。


「最高の父親が二人もいて…俺は幸せ者だ。」


 海さんの言葉を聞いて、母さんも…そう思ってたのかなあ…って思った。

 桐生院のおじいちゃまと…高原のおじいちゃま。

 母さんにも、素敵な父親が二人いる。


「…詩生君は知ってるの?」


「どうかな…世貴子さんは昔から知ってたみたいだけど。」


 知ってても知らなくても…関係ないかなって思った。

 早乙女さんのご家族は…みんな、温かい。



「休み取ったから、荷造り任せていいか?」


 海さんが、あたしの髪の毛を撫でる。


「うん…んー…何だか緊張しちゃう…」


「緊張?自分の家族に会うのに?」


「……」


 自分の家族に会うのに緊張するのかって聞かれて、つい…キョトンと海さんを見上げた。


「ん?」


「……ううん。何でもない。」


 赤くなってうつむくと。


「また…それはなしって言ってるだろ?」


「……」


 恥ずかしくて変な顔になってしまった。

 普通…そうなんだよね、きっと。

 この流れで言うと…家族に会う事に、緊張してるって取られちゃうんだよ。


「聞きたい。赤くなってる理由。」


「~……」


 海さんは…意地悪だ。

 嬉しそうに、あたしの顔を覗き込んでる。


「…荷造り、任せていいかって言われて…」


「うん。」


「…あー…あたし、奥さんなんだなあって…」


「……」


「ほら!!もう!!なんでもなっ」


「咲華、可愛い。」


「……」


 海さんはギュッとあたしを抱きしめると。


「俺、幸せ者だな。」


 あたしの頭に…頬を摺り寄せるようにして言った。


「…ほんと?幸せ者?」


「ああ。こんなに可愛い妻…幸せ者だ。」


「……」


 すごく嬉しくて、口元が緩んじゃう。

 すると、海さんは…


「あ。許可はまだもらってないんだよな…」


 そう言って、少しだけ身体をあたしに預けるように力を抜いて。


「…俺、何時間ぐらい正座耐えられるかな…」


 何だかよく分かんないけど。

 その言葉がツボにハマってしまって。


「ふふっ。もう…海さん…あはははっ。」


 あたしは…海さんの腕の中で、ずっと笑ってしまった…。





 〇東 志麻


「やーっぱり。未練ターラタラ。」


 降って来た声を見上げると…そこに薫平がいた。

 俺が身を隠している、大きな木の太い枝に…猫を抱えて座っている。


「…俺も落ちたもんだな…おまえが居る事に気付かないなんて。」


 大きく溜息をつく。



 ボスに…咲華と結婚した事を告げられ、すっかり混乱してしまった俺は…

 ボスと富樫さんを地下に閉じ込めて、ボスの自宅に向かった。

 そこには…咲華と…俺が射殺したテロリストの娘、リズがいて。

 …もう、幸せな家庭が…出来上がっていた。


 諦めるしかない。

 頭の中ではそう思えるのに…

 どうしても…

 どうしても、認めたくない自分もいて。


 …もし、あの時…泉お嬢さんが来なかったら…

 俺は、咲華とリズを…


 あの場を鎮めるためだけに、俺を好きになった。と告白したお嬢さん。

 どう考えても芝居だと分かるのに…

 分かるのに…差し出された手を、俺は…掴んでしまった。

 恐らく今も薫平か聖氏を想われているはずなのに。

 お嬢さんは…嘘じゃない。と、俺に抱かれる。


 …お嬢さんは…不器用な人だ。

 誰よりも心優しいのに、それが表立って評価されない。

 ストレートな物言いが災いしているのだろうが…

 それは、俺にとっては心地良くも感じる。


 …このまま、嘘でも『愛してる』と言い合っていたら、真実になるのだろうか。

 お互い、二階堂のために生きるという志しがあるがゆえに、絆は強い。

 本当に…お嬢さんを愛する事が出来れば…どんなに楽だろう。



「毎日来るつもり?」


 薫平は二階堂を辞めたからか、以前より顔付きが柔らかく感じられた。

 それはいい事だと思うが、特に憧れはない。

 薫平は外の世界に夢を持って、俺は二階堂で夢を見続ける。


「…気が済むまでは。」


 ボスの自宅に目を向けて答える。


「咲華さんの事想いながら、泉を抱くのはやめてくんないかな。」


 スタッ…と、薫平が降りて来て。

 至近距離で、低い声で言った。


「…諦めてないのか。」


「諦めるもんか。」


「……」


「泉には…志麻さんより俺のが似合う。」


「…ふっ…自分で言うか。」


「志麻さんだって、本当はそう思ってるクセに。」


「……」


 …図星ではある。

 だが、お嬢さんが俺と…と言ってくれる間は。

 俺から手を離す事はしない。

 気の済むまで…お嬢さんに付き合うつもりだ。



「薫平。」


「ん?」


「瞬平が寂しがってる。」


「……」


 顔を見ないまま言ったが、薫平がどんな顔をしてるかは分かる。

 小さな頃から一緒だった、高津の双子。


「お嬢さんの事、いつから好きだったんだ?」


 前庭に、咲華が出て来た。

 愛しいその姿を目に焼き付けながら、薫平に問いかける。


「ずーっと昔からだよ。」


 薫平の肩にいた猫が、俺の肩に前足をかけた。


「…馴れ馴れしい猫だな。」


「志麻さんの事は見慣れてるからね。」


「どこで。」


「写真。こいつ、頭いいんだ。俺の好きな人の事は、ちゃーんと覚えてくれる。」


「……」



 首だけ振り向いて、至近距離にいる猫を見ようとすると、俺の頬に頭を当ててゴロゴロと喉を鳴らされた。

 動物を飼った事はない。

 嫌いではないが、好きでもない。


「…名前は?」


「おはじき。」


「……」


「背中にある模様が、おはじきみたいなんだ。」


 そう言われて、猫を抱えて背中の模様を見る。

 確かにそこには、茶色や黒の丸い模様がいくつもあった。



「…志麻さん。」


「ん?」


「もし…泉が俺じゃなくて、どーしても志麻さんがいいって、志麻さんを選んだら…」


「……」


 薫平は、前庭の咲華を眺めながら。


「咲華さんの事、ちゃんと忘れて。泉の事だけ、好きになってやって。」


 俺の腕から、『おはじき』を取って言った。





「また走りに行ってたの?」


 ホテルに戻ると、部屋の前にお嬢さんがいた。


「気になる?」


 少し笑いながら問いかけると。


「…別にいいけど。」


 お嬢さんは唇を尖らせた。


 たぶん…お嬢さんは気付いてる。

 俺が、ボスの家まで走りに行っている事に。


「…シャワーするけど、中で待つ?」


 ドアを開けながら言うと。


「…セックスしよ。」


 お嬢さんは俺の腕を掴んで、そう言いながら部屋に入った。


「……」


 昨日薫平に会ったから、テンパってるのか?

 朝から部屋の前で待ち伏せて、『セックスしよう』なんて。

 悪い気はしないが…薫平に釘を刺された。

 咲華を想いながら、お嬢さんを抱くな…と。


 だが…

 ただ単に、俺は今現在…お嬢さんに望まれているし、求められている。

 それが例え、薫平か聖氏への想いを断ち切るための道具にしか過ぎないとしても。

 それは俺も…似たような物だ。

 傷の舐めあい。

 それはそれで、感情はなくても心地良く感じられる物でもある。

 何より…俺とお嬢さんは同志だ。

 その点では、薫平より絆は深い。


 …それでも今の今、薫平に会ったばかりで…


「今夜なら考えてもいいけど、今はさすがに。」


 一応、そう答えてみると。


「嘘ばっかり。体力だけは有り余ってるクセに。」


 見抜かれた。


「……」


 頭を抱き寄せて、首筋を甘噛みする。

 すると…


「…志麻、猫の匂いがする。」


 さすが、お嬢さん。


「…薫平と会ってたの?」


「あいつが湧いて出て来た。」


「……」


「気になる?」


「…もういい。先に行く。」


 パタン。とドアが閉まるのを、黙って見送った。

 首にかけたタオルを外しながらベッドに座って、小さく溜息をつく。


 お嬢さんの恋を…応援してあげたい。

 そう思う反面、どん底に落ちた俺の手を引っ張り上げようとしてくれた彼女の手を、離したくない気持ちもなくはない。

 …むしろ、繋いでいたいとさえ思う。



 まだ捨てきれない咲華への想い。

 その想いを抱えたまま…俺はどこへ行けばいいのだろう。




 〇二階堂 泉


 …何なの。


 何なの。

 何なのよ。

 あたしが…

 あたしが決めた事よ。

 そう。

 あたしが決めた事。

 志麻と、二階堂のために生きる。って。


 だから、後悔なんてしてない。

 志麻の事、普通に好きだし。

 文句ない。

 なのに…志麻、あたしの事試してる?


 薫平と会ったって言われて、ちょっと動揺した。

 それでなくても…

 昨日、薫平に会って…揺れてるのに。


 …どうせあたしは素直じゃないわよ。

 でも…それでも…

 すごく考えて、こうしたのに。


 ああ、もう…

 なんでうちの両親、あたしと志麻を許嫁にしてくんなかったんだろ。



「おはようございます。」


 今朝はシモンズに寄らずに、本部に直行した。

 エレベーターの前で声を掛けられて振り向くと、コーヒーを二つ持ってる富樫だった。


「おはよ…」


「おひとつどうぞ。」


「…あたしに?」


「お嬢さんが通り掛かられたのが、オーダーしてる時だったので。」


「…ありがと。」


 今日は久しぶりに現場が多いのか、ロビーには人が少なかった。

 乗り込んだエレベーターにも、珍しく二人だけ。


「…何かあったのですか?」


 富樫が首を傾げた。


「……何もないよ。」


 うん…何もないよ。

 何もないんだけど…


 泣きそうだ。


 唇を尖らせたいわけじゃないけど、泣きたいのを我慢したら…そうなった。

 少しうつむいてしまうと…頭に感触があった。


「…少し、頑張り過ぎていらっしゃるのでは?」


 そう言って…富樫が、頭を撫でてくれてる。


「たまには満足いくほど美味しい物を食べて、景色の綺麗な場所で深呼吸をして、大きな口を開けて笑ってみられてはいかがでしょう。」


「……」


「お嬢さんは…一人で何かを背負ってらっしゃるように思います。」


「…そんな事、ないよ…」


 あたしなんて…何も背負えない。

 二階堂のために、二階堂のために…って頑張ってるつもりでも…

 所詮、あたしは駒の一つに過ぎなくて。

 それで満足してるつもりなのに…仕事に関しては貪欲過ぎるのかな…あたし。


 もっと現場に出たい。

 もっと危険な現場を任されたいって思うのに、それは叶わなくて。

 なんで男に生まれなかったんだろ…って、ひがんじゃう。

 自分の能力を買いかぶり過ぎてるのかもしれない。

 ちゃんと…自問自答して、いつだって気持ちを新しくして、現場に向かうのに。

 終わった時にはいつも…虚しさを感じる。


 …あたし、危ない奴だ。



「…お嬢さん…」


 富樫に頭を撫でられてると…泣きたくないのに涙が出て来た。

 あー…富樫困るよね…

 あたし、急いで涙を拭おうと…


 ガタン。


 急に、エレベーターが停まった。


「……え?」


 あたしが顔を上げると。


「扉が開いたら、仲間がいます。」


「……」


「…今は私しかいません。それに…私は背中を向けているので…何も見ておりません。」


 そう言って…緊急停止のボタンを押したポーズのまま…あたしに背中を向けてる富樫。


「ゆっくり…気持ちをお静めになって下さい。」


「……」


 富樫のくれたコーヒーを、一口。

 尖った唇は…なかなか直らない。

 だって…なんて言うか…

 富樫の優しさが、沁み過ぎた。


「…あんた、余計な事し過ぎ…」


 あたしがそうつぶやくと。


「あっ、す…すみませ…」


 謝りかけた富樫の言葉が止まる。

 あたしは富樫の背中に頭をぶつけて。


「…ありがと…富樫…」


 小さな声で…つぶやいた。

 心から、ちゃんと…感謝した。

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