第39話 私は…今、呆然としている。

 〇富樫武彦


 私は…今、呆然としている。

 なぜ呆然としているかと言うと…


「泉!!会いたかった!!」


 先ほど、その姿を窓の外に見付けたと思ったのに…

 薫平は今、私の目の前でお嬢さんに抱きついている。



 薫平に会うのは何年ぶりだろう。

 二階堂を辞めてからというもの、一度たりともその姿を見る事はなかったのに…


 なぜアメリカに?

 なぜここに?

 そして…なぜ…『泉』、と呼び捨てに?



「な…何すんのよ!!」


 バッチーンと音を立てて、お嬢さんが薫平の頬を張り倒した。


「あたっ。」


 薫平はよろけて私の前に手を着いて。


「何って…だって、会いたかったから。」


 叩かれた頬を触りながら言った。


「……」


 お嬢さんは…目を細めて無言。


 …これはー…

 もしかして…

『彼女以外とも寝てしまう男』は…

 薫平だったのか…!?


 て事は…

 お嬢さんは、つい最近まで…薫平と付き合っていた…と!?


 なぜか、胸の奥だけでなく…あちこちがズキズキと痛む気がした。

 この痛みは何なのだろうか。



 昨日…ボスのご自宅で、お嬢さんが志麻を好きだと告白をした…と。

 それを聞いた志麻が、自分の気持ちに気付いて、ボスに『お嬢さんとの交際を認めて欲しい』…と。

 それから本部に戻り、ボスがお嬢さんに『本気なのか』とお気持ちを確認されている所を…つい…盗み聞きしてしまった。


「……」


 ボスには『泉を好きなのか?』と聞かれてしまい…それに対して、冷静に答える事が出来なかった。


 …ずっと…昨日からずっと、ずっと、胸がざわつく。



 お嬢さんは無言のまま、トレイを持って立ち上がると。

 それを返却口に置いて外に出られた。

 私もその後を追うと…もれなく薫平もついて来た。


「泉、俺、改心したよ?」


 …やはり、『彼女以外とも寝てしまう男』は、薫平だったのか…


「…そんなの、知らないよ。」


 お嬢さんは足早にシモンズから本部に…ではなく、違う道に進まれた。


 どこへ!?

 と思いながら、私も続く。



「あれからすぐ、仕事でこっち来て…ずっと泉の事考えてた。」


「そんなの言われても、知らない。」


 …お二人とも、私の姿…見えてますか?


「なんで?ちゃんと俺を見て、話聞いてく」


 薫平が喋ってる途中。

 不意に…脇道から出て来た腕が、薫平の肩をぐい…と捉えた。


「志麻…」


 私とお嬢さんが同時に名前を呼ぶと。


「志麻さん…」


 薫平は驚いた顔で、志麻を見上げた。

 私達三人に見つめられてる志麻は…鋭い目で薫平を見て。


「泉は俺の女だ。付きまとうな。」


 まるで…敵に向かって喋っているかのような。

 低く冷たい声で…そう言った。



「…俺の女って…泉が?」


 薫平は、志麻とお嬢さんを交互に見て。


「泉…志麻さんと…?」


 前髪をかきあげながら…呆然とした。


 その額に見える、銃創…

 ああ…本当に薫平だ。

 そう思った。



「…そうだよ。だから、こういうのは…困る。」


 お嬢さんが伏し目がちにそう言われて…それを見た私は、さらに胸が痛んだ。


 …お嬢さん。

 本当は、今も薫平を好きなのでは?


「……」


 薫平はしばらく何かを考えている風だったが、やがて…


「…志麻さん。」


 志麻に面と向かうと。


「咲華さんと別れたんだ?」


 強い目をして問いかけた。


 薫平。

 いきなり…その話題か!?


「…ああ。」


「で、すぐ泉と?」


「ああ。」


「もう咲華さんに未練ないの。」


「……」


 そこは…志麻も嘘をつけなかったのか、無言になった。

 すると…


「いい加減にして。」


 お嬢さんが、薫平と志麻の間に立った。


「…あたし、もう…ふらふらしたくないの。」


「……」


「落ち着いて…仕事に集中したいの。志麻とは…そういう点では絶対上手くいくって思…えっ?」


 お嬢さんが話してる最中。

 突然…薫平がお嬢さんの手を取って走り出した。


「ちょ…ちょっと!!薫平!!」


「薫平!!」


「……」


 追おうとする私とは裏腹に…

 志麻は立ちすくんでいた。


「志麻!!どうして追わない!?」


 振り返って問いかけると。


「…ちゃんとした別れをするなら、二人きりで話した方がいいと思います。」


「……」


「変に想いが残るより…残酷でも終われる方がいいのかもしれません。」


 志麻は…

 もがいているのだな…と思った。

 ボスへの腹いせで、お嬢さんと付き合うのでは…などと思ってしまった私は、なんて醜いのだろう。



「お嬢さんを愛してしまったと言っていたが…まだ気持ちは言葉ほど達していないのでは?」


 志麻の前に立って問いかけると。


「…正直…そうですね。でも、お嬢さんも…私の事など愛していません。」


 志麻は伏し目がちに答えた。


「それでも…私と向き合おうとして下さるひたむきさに、甘えたいと思ってしまう自分が居ます。」


「……」


「駄目な男ですね…私は…」


 私は志麻の肩をポンポンとして。


「お嬢さんとなら…いつかきっと、心から笑える日が来るさ…」


 心から…二人の幸せを願って、そう口にした。


 胸の痛みは消えないが…

 こんなに苦しんでいる二人…いや、薫平を入れると三人を。

 いつか…

 いつか、みんなが笑える日が来る事を…

 私は、ただ祈るしかない。



 〇二階堂 泉


「ちょ…っと!!薫平!!」


 あたしは掴まれた腕を振りほどこうとしてるけど…

 意外と…薫平の力が…強い!!


「い…痛いってば!!」


 あたしがそう訴えると、薫平はハッとして走るのをやめて。


「ごめん…」


 あたしの腕を掴んでた力を緩めて。


「ごめん…泉…」


 そう繰り返しながら、あたしの腕を両手で優しく触った。


 …こんな弱々しい薫平…らしくなくて嫌だ。

 泣きそうな顔してる。



「……」


「……」


「…志麻さんの事…本当に?」


「…さっきも言った。」


「正直に。」


「…さっき言った通り。」


「……」


 薫平はすごくうなだれて…ついにはしゃがみ込んだ。


 …きゃしゃな肩。

 だけど…意外と力のある薫平。

 なんで…

 なんで今頃…


「…俺…泉と結婚したかった。」


 しゃがみ込んで、下を向いたままの薫平が言った。


「…はっ?」


「ほんとだよ?泉となら…毎日笑ってられるって…そう思ったから…」


「…そんなわけないじゃない。あたし、つまんない女だし。」


 あたしの言葉に薫平はキッと顔を上げて。


「あれ、根に持ってんの?」


 唇を尖らせた。


「謝ったじゃん。」


「謝った?おはじきを、お使いによこすなんて…男らしくない。」


「だってさ…会ってくんないかなって思ったし。」


「……」


 男らしくない。

 そう言ったクセに…あたしはあの時、嬉しかった。

 嬉しかったけど…

 傷付くのが嫌で…薫平んちには行かなかった。



 あたしが無言のまま立ちすくんでると。


「…分かった。」


 薫平はスッと立ち上がって。


「今は引き下がる。でも、諦めないから。」


 超至近距離で…言った。


 …何?

 急に…いつもの薫平…


「そんなの…言われても…」


 唇が来そうで、少し身体をのけ反らせる。


「生まれて初めて結婚したいって思った。」


「……」


「傷付けた後でこんな事言ったって、全然信用出来ないんだろうけどさ。」


 のけ反ったあたしの背中を、薫平はガシッと抱き寄せて。


「一緒に虹をくぐる相手は、泉しかいないって決めてるから。」


 ゾクゾクするような声で…言った。


「…無理。」


「無理?どうして。」


「は?何回言わせるの?あたしは、志麻と…」


「素直になれよ。」


「……」


 つい、ゴクリ。と…唾を飲んだ。


「二階堂のために、って躍起になってるだけだろ?素直になれば、自分が誰とどうなりたいかって分かるから。」


 …何よ。

 自分はあたし以外の女と寝て、好き勝手したクセに。

 こんな事になって、こんな風に現れて。

 今更…結婚ちらつかせたって…


「とにかく、俺…志麻さんにも富樫さんにも負けないから。」


「…言ってる意味が分からない。」


「今、南に3ブロック下った所にある庭付き一軒家に住んでるんだ。」


 住んでる?


「遊びに来て。小さな家だけど、絶対泉の好み。庭におはじきのウェルカムボードがあるから、すぐ分かるよ。」


「…行かないよ。」


「待ってる。」


「だっ…だから、行かないってば。」


 拒否するあたしの耳元に、薫平はチュッて軽くキスして。


「おはじきー。」


 どこにともなく、そう声をかけると…赤い首輪のおはじきが走って来た。


「じゃあね。」


「……」


 あたしは…その場に呆然と立ち尽くした。



 …素直になれよ…?

 何なの?

 あたしがどれだけ…


「……」


 唇を尖らせながら、本部に向かってると。


「お嬢さん。」


 信号の前に、富樫が立ってた。


『俺、志麻さんにも富樫さんにも負けないから』


 …薫平、おかしな事言ってたな。

 富樫を見て、そう思った。

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