第4話 朝霧に沈む夜明け 後編

 愛車古車『D-930’s』の心地良いエンジン音。古めかしいモニター脇のスピーカー。それから聴こえる三十年代30’sのロックミュージックと、稀に金属音を鳴らすあのルームミラー。


デューセンバーグ・クーペシモーンDuesenbergCoupeSimone ミッドナイトゴーストMidnightGhost」の写鏡ともたとえられる車体ボディーは、朝霧を晴らしながら昇る日の陽光を反射して、その真夜中色を煌めかす。


この車は元よりファンメイドだったが、造った人物が名匠だという事もあり、その意匠デザインは本家に近しい神秘性を放っている。



 少しして、聯邦最大の都市頭角を現す。自家の在るスラム街から離れる程、貧富の差はあらわになる。


次第に活気と人気ひとけが溢れ出し、窓を介しても情報過多になるほどの情景が、然し光の如く流れ去っていった。


だが、こんな街のそんな風景でも、俺の荒んだ心は少しばかりマシになった。



 やがて吊り橋に差し掛かると、車を照らしていた陽光が海面とビルに反射して、俺の眼に射した。


然程暖かくもない陽気と、工業地帯の煙にてがわれ、緩たくなった海の潮風。パッとしない寒さに、快晴ともいかない空模様。


然し愛車は、心なしか気分良く駆り、スムーズに目的地まで俺を運んでくれた。



 キャバレー近くの路肩に車を停める。通りにはホームレスが1人、板状のものを被って横たわっている。何時いつもあの場所で寝泊りしている爺さんだ。


『よくもまぁ……老人一人で長生きするもんだ。今時、老人って言えば嫌味な成金屑か、フィクサー、お偉いさんぐらいだろう。』


俺はホームレスを横目に見ながら、何時も通り店の扉をノックした。


扉はペイントが少し禿げた黒色の金属製扉で、性的意味合いの強いポスターが何枚か貼られている。


横には妖しく光るピンク色のネオン看板があり、扉の上には客人を覗くように向けられた監視カメラがある。


無論、汚れたインターホンもおまけ程度に設置されているが、これも昔っから壊れてる。



 「俺だ。開けてくれ。」


と扉の向こう側に呼びかける。暫くすると、目の下に(俺よりかは少ないが)くまのある、大柄で無愛想なガードマンの“ディグ“が顔を覗かせ、直ぐにドアを開けてくれる。


「ゲラインさん……どうぞ。」


その体躯の良い褐色かっしょくの身体から、久しく聞いていなかった、らしくない敬語が放たれ、思わず指摘してしまいそうになる。


『おいおい、いい加減その敬語止めてくれないか? キモチわるいんだ……いや、お前がじゃなくて……判るだろ? 他人に使われるのは慣れてないんだよ。』


仮にそう懇願しても、彼はきっとめてくれないだろう。昔、似たような事を言ったが彼は断固としてめることはなかった。


酒を奢ろうとしても、「仕事中なので」と断るぐらいだ。彼は少々真面目すぎる。


なので俺も諦めて「どうも」と、また他愛のない返事をした。


彼は元傭兵とか元軍人とかで、店主に世話になってから店の用心棒バウンサーを請け負ってるらしい。相当なやり手なのも、一目見れば判る。


正に宝の持ち腐れだが、本人が納得しているのだから、他人がどうこう言うべきじゃないと俺は口をつぐむことにした。



 『ここに来るのは何年振りだろうか。』


久しぶりに見るキャバレーの通路は、より年季が入ったように感じられ、酒や煙草の混じった独特な匂いと汚れが、特有の雰囲気を醸していた。


「もう少し笑った方が良いぞ、ディグ。客足が遠退く。」


何となく、笑わないディグに笑えと冗談を言う。ディグは相変わらず無愛想な顔と低調で「はい」という重低音を返す。



 途切れたネオンに彩られた暗所を抜け、これまた黒くペイントされた木の扉を開ける。


すると打って変わって、派手な曲と煌く装飾が施された店内が五感を刺激する……のだが、今は朝――既に店内は片付けがなされ、昨夜の賑わいは、空いた酒瓶からしか感じられなくなっている。


また、BGMも無く、帰り支度を済ませた従業員がまばらに見える程度になっていた。


光を失ったミラーボール。紫色や黄色、橙色を散りばめたような色合いの壁紙。


そして、役目ショーを終えたアクター達が数人。既に着替えを済ませ、街中に居た人々と同じような格好をしている。


もうすぐ店を閉められ、夜に向けてまた準備がされるのだ。


役者アクターを含めた店員達は片付けと掃除を済ませると、今度は帰宅して身体を休めたり、街に躍り出て遊びに呆けたりする。


俺はその光景をただ、ぼっーと眺め『あと少し経てば、客間には俺しか居なくなるだろう』等と他愛ないことを考えつつ、カウンター席に着いた。



 「今日も俺一人。」


ふと、そのように独り言を洩らすと、カウンター奥から人影が一つ、現れた。


髪型は真ん中分けで、若干のウェーブがかかっており、顔には乱れた白い化粧が施されている。


紫と橙色だいだいいろ前衛芸術的アバンギャルドチックな燕尾服には、アクセントでたるスパンコールが時折煌めいている。


彼は『紳士役』の“ペギ“――この店のオーナー兼マスターだ。


「やぁ、シェダー君。久しぶりだね? いつぶりだろう……一週間と少しかな?」


すらりとした陰がゆっくりと近付き、やがて色を帯びる。


「いいや、ペギさん。もう少しで三週間になる……また寝てないのか?」


マスターは、特製のスコッチをタンブラーに注ぎ、俺はそれを流し見する。



 キャバレーの名は『Swick』


近辺では名の知れた人気店で、夜の活気も凄まじい。故に、喧騒の巷ともされ、近隣住人から通報や、客同士のいさかいで、警察沙汰になる事も度々ある。


そして、ここまで人気となると売り上げも良いらしく。加えて、このキャバレーを身一人で始めたオーナーは、何でも独り善がりになるたちになり、働きすぎで体調を崩すことも少なくなかった。



 彼は自身の年齢を伏せているから、何歳かは分からないが、若作りをしているだけで、オーナーもそれなりの歳だ。恐らく俺より15、6は上。


それは顔や仕草、煙草の銘柄やセンス。話題や、普段付き合っている人等、平生の中に紛れた情報から、意図せずとも容易に汲み取れる。



 然し、ペギは只々気丈に振る舞うのだ。


毎日、寸劇ショーで紳士役をし、酔っ払いの相手をし、掃除に金勘定、仕入れすらも――その殆どを一人で済ませているのにも関わらず。



 そして彼の、そのような事情を知る常連客や店員は、店のオーナーでありマスターでもあるペギさんの身を常に案じている。


それ程の人望と“カリスマ神からの恵み“を有す人間なのだ。



 「なに。平均寿命が延び、120歳まで生きられる時代と揶揄される世の中だ。それに比べたら私はまだ若い方だろう?


少しばかり寝なくとも大丈夫さ。君の方こそ、仕事の所為で寝れないんじゃないかい?」


「比較対象になりませんね。この街じゃあ、120歳になるまでに死ぬ人間が過半数ですよ。白髪が生える頃には大抵死んでいる。それに、俺は貴方よりは寝ている……筈です。」


するとペギは爽やかにサディステックな笑顔を発現させ、俺をたった一言で威圧しかけた。


「筈? 反論するなら、断言するべきだよ。断言出来ないのなら口を出すんじゃない。」


――誰かが装飾の灯を落とす。そして、薄暗くなった部屋の一面のみに設置された細長い小窓から、外の光が弱く漏れ出す。


彼の――その言葉自体には大した効果は無い。だが、それ以外の何かが、その言葉をより強い物に造り替えたのだ。


脅し文句の様な言葉の不気味な抑揚、彼と俺の師弟の様な関係。そして彼が比較的善人であるという周知の性格。


――それに反する奇妙な笑顔。


それらが相まって俺を説き伏せようと――否、屈服させようとしたのだ。それも無慈悲に、完膚かんぷなきまでに。


彼の話は筋が通らない。全くもって意味不明。正気ならば、彼もここまで短気ではない。相当、余裕が無いのだろう。


然し、それでも俺は気圧された筈だ――ならば。


然し、今日は何かが違った。



 仕事終わり。何時いつもと何ら変わりない日ならば、以前の俺の様に、場所も相手も問わず大暴れまではいかずとも、喧嘩か口論にはなっていた。


だが今日の俺は酷く冷静で、その言葉に何も感じなかった。


『今日が、息苦しい平生から解脱した良い日だからか?』


いいや、まだ先程の“酔い“から醒めていないのもある――だからこそ、喧嘩する気にならなかったのかもしれない。


彼も、恐らく疲れが溜まっているのだろう。俺も、朝っぱらから口論なんて御免したい。



 それから俺は、タンブラーに注がれたスコッチ・ウィスキーを一口飲んでから、柄にもなく、穏やかな物腰で口火を切った。


疲労ストレスが溜まっているのでしょう?


普段の貴方ならば、この程度気にも留めない……それなのに、今はここまで過剰に反応している。


無論、私の言い方が悪かったのもあるでしょうが、しかし、それ以上に貴方は余裕を持てずにいる――自分でも判っている筈です。少し……休まれては如何いかがです?」


彼はあっけらかんとした顔で俺を暫く見つめた後に、また笑顔を――今度は、普通いつもの笑顔を浮かべて話始めた。


「まさか、君が私を説き伏せようとするとは……最初に来た日を覚えているかい?あの、酔っ払いの暴れん坊!


警官に成りたてなのに殴り合いの大喧嘩を始め、それが済むと勝利の祝砲を店内で放ちやがった! 西部劇の見過ぎだと、私は思ったよ! ははっ!」


屈託のない笑顔で昔話をする彼に対し、俺は些か分が悪そうに反論した。


「……そんな昔話覚えていませんよ。」


「それでも結構! だが、私が店の裏口から逃げさせたのは忘れてないでおくれよ? あの貸しはまだ有効さ。


然し……何とまぁ。あの青二才が、今では私に説教をするまでになったか……ははっ! いやはや、素晴らしい成長だ。」


『ここまで言われると、全てが皮肉にしか聞こえない。』


俺は嫌気を表情に示しながら返す。


「あれから何年経っていると思ってるんですか……いや、答えなくていい。兎に角、貴方は少々働きすぎだ。次はしませんよ。」


彼はそれに笑いながら「はいはい」と二つ返事をし、笑い終えると突然「喉が渇いた」と言って、俺のタンブラーの中に残っていたスコッチを、余す事無く飲み干し、大胆な文句を言い放った。


「おっと、水かと思えば酒だったな。酒が入ったまま仕事をするのは、私のポリシーに反する……となると、酒が抜けるまで休まねばならない。


しかし、まだやる事が残っているなぁ。しかも、“他の者“には任せられない仕事だ……こうなっては仕方がない。君の言う通り休ませてもらうしか無さそうだ。些か、不本意だけどね。」


素直じゃない彼らしい、破綻した理論だ。だが、それでも俺の目的は果たせた。


もっとも、彼の捻くれた性格故に生まれた、慈悲にも似た行動のお陰とも言えたが、『結果良ければ全て良し』とも言うだろう?



 彼はカウンター奥にある部屋の扉を半ば開けた時、一瞬立ち止まり。何かを忘れたかの様に、徐にカウンターの方を向き、俺に釘を刺した。


「言い忘れていたが、君が休めと言ったんだ。君から他の者に、しっかりと事情を話しておいてくれよ。サンドイッチは冷蔵庫の中、金とコップはそのままカウンター置いて行ってくれ。じゃあ。」


木扉が音を立てて閉められる。


嵐のような人ってのはきっと彼のような人物を指すのだと、何となく悟ったのはこの時だった。



 然し、どうしたものか。他の者――つまり、常連客から従業員まで数多くの関係者全てに“事情“を納得のいく様に、お前が話せと言われてしまった。


だがそれは、俺の身の上を――仕事を知った上での話であり。ほぼ不可能だという事を承知で、釘を刺したのだと思える。


勿論、単なる勘ではない。俺がよくペギさんに相談に乗ってもらっていた頃の経験からの予測だ。


彼の本質は、その深層にあるのは、時代遅れとも謂える頑固で強情、独特ユニークな感性だ。それ故に相談相手としては適当で、ミステイクの原因を殴って戻す様な人なのだ。


だからこれは彼の頑固さ故の言動だったと、推測できた。


ところが、俺はそこまで人情味のある人間じゃない上に、そんな約束を律儀に守る程、真面目な人種でもなかった。



 俺はディグを呼び、彼言った事を多少改変して伝え、更ににも言伝するように釘を刺した。


それから、冷蔵庫の中からサンドイッチを取り出し、カウンター席に戻ってから酒を入れ、ようやく朝食にありつこうとした――その瞬間。


警官バッジを俺の目の前に垂らしながら、やつが来た。


「よぉ、元気にしていたか?」


「あぁ……ったく。なんてタイミングの悪いやつなんだ。」


彼はこの街に似合わない程、晴れ晴れとした笑みを着けながら昨晩の、あのモーテルでの話を切り出した。


「そんな事を言うなよ。昨晩、46Σモーテルであった殺人事件の現場に残された――“ズミアダ弾の空薬莢“を持ってきたんだ。お前のだろう?」


「今更、知れたことを……」


「特殊な弾薬だからこそ、特定するのは容易になる。何故、来たかは――分かるよな?」


こっからが長いんだ……せめて、朝食後が良かった。

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