第一章

聨邦の夜明け

第4話 朝霧に沈む夜明け 前編

 今日も寝付けず。浴槽で目が覚める。未明には意識も明瞭になり、拳銃を握りながら寝室浴室を出る。


そして何時ものように、リビングに入って直ぐ、大窓に備わっているブラインダーを上げ、朝霧に沈む鈍色の景色を臨む。


景色は不変。


そう在る事が一番だと判っていながらも、然し憤りを感じ、また厭世的になる。


飽々する程の猥雑ネオンと、政治腐敗。カビの生えたドローン電光版に、目紛しい程のホログラムのデジタルサイネージ。


ビルを切り裂く企業のモノレールと、クソたかる蝿の様になった金持ち共の認定飛行車。


その何もかもが、俺には混迷そのものだと思え、躍起になる。一方、都市の大半は盲目に夢と幸福を追い求め、倫理観はうの昔に忘れ去られた。


他人を蹴落とし、裏切り、恨み恨まれ、ようやくチャンス巡ってきたと思えば、命懸け。仮に仕事が巧くいったとて、翌日にはバラバラになって路地裏のゴミ袋に詰まってる。


『いっそ何もかも消えてしまえばいい。』


だから、ただ漠然とそう願う。


叶わないことは勿論、叶ったとて何かが変わる訳でも無いだろう。既にどん詰まり。


この都市は相も変わらず、誰の望みも聞きやしない。



 朝のコーヒーを飲み、歯を磨き、顔を洗い、一段落してから、くだんの銃とはまた別の、もう一丁の銃――RSF.357のメンテナンスを始めた。


この銃は.357マグナム弾を使う自動拳銃。市販のRSF.357を、試行錯誤しながら自分でカスタマイズした代物だ。


反動はそれなりにあるが、外骨格なしでもカバー出来る程度。軽量化と取り回しを重視してカスタマイズしてある――勿論、思い入れも強い。


日頃のメンテナンスはすっかり慣れたもので、朝と夜の何方か、または両方で行う。


作業は既に単調になっており、仕事でも待機することが多く、少しばかり飽き性な俺は息抜きとして、たまにしか吸わない――いや、そもそも吸う人も少なく、巻く人など殆ど居なくなった――葉巻を巻き、それが済むとまたメンテナンスを続けるのだ。



 朝はあまり腹が空かないたちの俺は、作業を終え、少しばかり時間を経て、腹が空き始める8時頃に家を出る。



 昨晩とは違う外套コートに身を包み、ガンホルスターを着け、二丁の銃を――右側と、腰の後ろにガンホルスターの有る――専用のガンベルトに仕舞しまう。


トランクに仕事道具と僅かな日用品、現金かねが入っているのを確認し、昨晩取り付けた約束の品を最後に入れ、重々しい玄関の扉を開けた。



 ふと、外廊下に一歩踏み出した時、次に家に帰るのは、今夜か、明日か、将又はたまた一週間後か……次はないかもしれないと、などと今思えば野暮ったい事を思い――俺は一瞬、家内の風景眺め、目に焼きつけたふりをしてから、玄関の扉を閉めた。



 そういえば、エレベーターは何時いつから動いていなかったか。もう、思い出せないぐらい昔に止まってから、それきりだ。


いくら高度成長期とはいえ、此処ら一帯は元々スラム街。廃墟以外はほぼ何もなく、ゴーストタウンも同然の区画だった。解体されていないだけ有難い。


尤も、郊外には無造作に建物だけ建てられた人の居ない区画すら在るのだから、ここが取り壊されるのは、まだ先の話だろうが。



この古い八階建てマンションには、住人は数える程度しか住んじゃいない。管理は最低限――いや、それ以下しか行われず。


然し、住める程度に改装され、古いマンションに新たな建材が入り混じる、無秩序建築アナーキーテクチャーに近い状態となっている。


改装時にも署長が――何処の誰かは知らないが――顔を利かせ、このマンションは今でも封鎖された『廃墟』扱いになっている次第だ……地区管理局にも顔見知りが居るのだろうか?


兎に角、そのおかげで廃墟という擬装カモフラージュが成され、警察の介入も先ず無く。無法者やホームレスがその日凌ぎの宿に来る程度の場所となった。


要するに、俺以外の住人は勝手に住み着いたホームレスという事になる。


とはいえ、この建物の鍵の管理を一任されているのは俺だ。


故に、長く留守にする際は、三階の内階段の途中にある防犯シャッターを降ろし、外階段は登れないように上げたままにする。


また、そうすることも多いので結局、四階から上は俺しか住んでいないものと考えていい。



 朽木の廊下は湿気により多少軋む。7・8階の内階段は崩れ、6階からしか降りられない。吹き抜けも、深夜から変わらず湿っぽく、暗い冷気に閉ざされている。


早朝。廃れた町ということも相まり、昨晩とは違い、怒号もサイレンの音も、ごった返す喧騒も聞こえず。終夜灯ネオンランプの光も、騒々しく降る冷雨の存在感も無い。


――ときが止まった様な静寂。


まるで、自分しかこの世界に存在しない様な。そんな一時の隔たりを、錯覚させる程の物だった。


然し俺は、その「刹那の隔たり」に静穏すら感じていた。



 六階から、そのまま地下の駐車場まで降り、以前の愛車である古車のドアを開ける。


久しく見ることのなかった、雑然とした車内が俺を冷たく迎え入れる。


狭い荷室と助手席には――仕事柄、車中泊するということもあり――様々な道具が最低限、されど乱雑に揃えられている。


カスタマイズも多少してあるが、殆ど購入時と同じ状態だ。


窓はスモークモードにパーセントで切り替えられ、PCは勿論、モニター付き無線機も完備され、防弾ガラスに換装もしてある。無論、予備のタイヤや、工具箱等の必要品も粗方在る。


それ故に車内は複雑化し、居心地の良い場所とは言い難い状態になってしまった。それでも俺は、緩和されたならと一定の清潔を保っていたが、新車に切り替えてからはそれすらも怠っていた。



 古車は放置されていただけあり、ほこりっぽくはあったが、乗り心地は依然として良かった。


少し歪な助手席の座面、傾いた窓、クラシカルな内装に組み込まれたモニターの電子的描写。ロックミュージックのラジオ放送を付けたなら、1世紀前に時間旅行タイムトラベルした気にもなれる。


そして、以前の癖を蒸し返すように、歪んだルームミラーを調整する。


「――また歪んでやがる。」


このルームミラーのゆるさも、すっかり忘れていた。『主人の帰還を祝って』と謂わんばかりに、ルームミラーは言うことをきかないが、不思議と嫌な感じはしなかった。


『サイドミラーは恐らく大丈夫だろう。ルームミラーに至っては、仕方がない。』



 エンジンをかけると、電気自動車EVらしくない振動とエンジン音が鳴り、車体がたゆむ。


『辛うじて、まだ動くようだ。』


アクセルを徐に踏み、青暗い蛍光灯に照らされた、だだっ広い駐車場を抜ける。


すると薄くなった朝霧の名残なごりが、久しく陽を浴びていなかった愛車と俺のを、少しばかり落とす。


『さて……先ずはめしだな。』



 時間がある時は、何時いつも行きつけのキャバレーで朝食を済ませる……と謂っても随分昔のことになる。


馴染み深い知人がやっているというのもあるが、朝方には前日の客が酔い潰れて寝ているのが殆どで、マンションほど静かという事は無いが殆ど貸切状態になるのだ。


尤も、何処で何をしようと気持ちに変化は無いが、床に吐瀉物が撒かれているのだけは勘弁したい。その点、キャバレーは店主が綺麗好きなので、都合が良かった。



 キャバレーは家からは少し離れた位置にあり、移動は何時も車だ。


今頃に始発が出る地下鉄に乗り込み、鉄籠に揺られて行っても良いのだが、人口爆発真っ只中のこの街では、始発でもそれなりに人が居る。


故に人混みが得意ではない俺は『前の愛車を走らせる』という名目で、地下鉄を避けた。


然し、この選択は正しかった。

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