第5話 引鉄
警察バッジを翳す者の方を向き、気怠げに応答する。
「まるで俺を逮捕するかのような口振りじゃないか。プシエア警部補殿――」
彼はプシエア・コトサヌロフ。生まれはユーラシア大陸北部、育ちは西欧。国籍は既に英国に移されている。
母親がロシア人で、父親がイギリス人。顔立ちはイギリス寄りの印象を受ける。
彼は出稼ぎでこの
また、彼は警官学校以来の学友でもある。
恐らく、現在付き合っている友人の中でも、付き合いが最も長い人物だ。
全く、彼の悪ふざけには
尤も、今に始まったばかりでは無いが、だからこそ相変わらず
彼は俺が食事をしようとしている時分なのに、構わず直ぐ横のカウンターの上に腰を掛け、朝の一時を妨害してくる。
俺がそれに、少し嫌な顔をしていると、彼は相変わらずのらりくらりとした口調で、要件を話し出した。
「おいおい、そんな顔するな……無精髭も
つまり彼が言いたいのは、「お前が現場に遺した『お前に繋がる証拠品』を回収し、更には、お前の依頼を請け負ったのだから、多少は目を瞑るべき」という事だ。
とはいえ、いきなり来て自由過ぎるとは思う。しかし、傲慢とまでは謂わない。事実、俺は助けられている。文句を言える立場でもなかった。
――仮に、彼の助けが無かった場合。
今頃、悪徳政治家からデル署長に圧力がかかり、署長を介して辞職させられていたか、
辞職したなら異郷に帰ればいいが、それはプロとしてのプライドにも関わる。俺の様な屑にも多少、プライドはあるのだ。
故に俺は、仕事をする際――特に、不確定要素が多く、なるべく行動を知られたくない場合は、彼に尻拭い……
「プシエア、俺の車は回収したか? ホラ、裏路地に停めてあった……」
彼はカウンターに座ったまま身体を傾け、カウンター内側に在る背の低いワインセラーへ手を伸ばし、酒瓶を吟味しながら、食い気味に話す。
「勿論、回収したさ。外の路肩に在る。既にお前の古車の後を付けられる様に、自動運転追尾モードにもしたし、証拠品になりそうな物も積んである。
ほら鍵だ……相変わらず、車のサンバイザーに挟んであったぞ。生体認証が無かったら、一発アウトだ。普段は神経質なのに、そういう細かいトコロは昔っから無用心だよな。」
彼は鍵を取り出し、俺が手を出すと掌にストンと落とした。
「……
「どーいたしまして――棚の酒も、ハズレばかりじゃねぇか。辛いのばっかだ。一日を彩るような甘さを求めてんだよ。」
彼の奔放さ故に、カウンター上に次々と置かれていく酒瓶。それ横目に、俺は遂にサンドイッチにありつけた。
「マスタードとスパム。レタスにトマト。チーズも入っている。これこそ最高のサンドイッチだ……お前の分は無いがな。」
その奔放に若干苛ついていた俺は、恐らく徹夜で現場の一部を指揮し、腹を空かせているであろう彼を嘲笑うが如く、
彼は大の肉好きな上、俺と同じくペギ特製サンドイッチが好物なのだ。
とはいえ現代出回っている肉の殆どは、人工肉だ。露店で調理されているのも、レストランで出されるのも全て人工肉。
場所によっては、3Dバイオプリンティングで作りたての肉が食える所も在る。
対して、動物から採れる自然肉の価格は高騰し、実質的に自然肉を食せるのは富裕層のみとなっている。
国によっては宗教も
少し前までは考えられなかった事だろう。然し、以前から話題になっていた
そして、爆発的な人口増加に伴う対策手段としても取り入れられたのだ。
原材料は工場で専用の人工光を当てられ栽培されている豆類で、味は鳥肉の様だ。人体への悪影響も無く、今では誰も気にせず食している。彼もその一人だった。
然し彼は、何時もの様に
彼らしくなかった。
「別に欲しかねぇよ――なぁ、ゲライン。突然なんだが、一つ相談に乗っちゃあくれないか?」
「珍しいな。お前が改まって相談か――いいだろう。
「例の――奴の死体は何処に行ったと思う?」
その言葉からは、あの怪物の死体が消え去った事を
しかし奴を撃ち、奴が倒れた時。もう動かないのが見て取れる程、奴の頭には穴が空いていた。普通なら動けない筈だ――普通なら。
――だが、この事件は余りにも
今迄も、変則的な事件に巡り会った事はあった。然しながら、ここまで明らかなものではなかったのだ。
ゾンビ
然し、それまでだ。
其れ等は全て、新型の違法薬物や非人道的な遺伝子工学、マジックの類等で、辛うじて常識の範疇で説明が出来る俗物に過ぎなかった。
科学技術の進歩に適応しようと、人間もまた進歩する。
犯罪のレパートリーが日々増えていく世界では、同時に犠牲者のレパートリーも増える。
そして恐らく、あの怪物も狂気の産物。犠牲者の内の1人だろう。
状況、姿、情報から単独犯ではないのは明白。構造的に、自分自身を改造出来るとは思えないが、理論上出来たとして、奴が実行出来る状態にあったとは到底考えられない。
言語障害を起こす程の、知能指数の低下及び障害がそれを物語っている。
プシエアの言葉から推測すると、怪物はやはり死んでいる可能性が高い――仮に生きていても、あのダメージ……単独で逃げ切れる筈はない。
協力者……いや、関係者が関与していると考えるのが無難だろう。
無論、あの
俺が生きている時点で、その線は無い――
俺は彼の言葉を聞いた瞬間から想起、推考、思索し、返答をある程度予測した後。普段ならば交わしていた会話をすっ飛ばして、彼に質問をした。
「――つまり『死体が消えた』って?」
「あぁ、その通りだ。話が早いな。」
「付き合いが長いからな。お前の考える事ぐらい、手に取るように解るさ。
ところで、その死体については何処まで判っているんだ? どうやって、どうして、何処へ消えた?」
彼は酒瓶を漁るのを止め、少し間を置いてから、哀悼を顕にして――しかし口調は変えずに、
「護送中に襲撃されたらしい。俺は全滅だとさ――幾ら即時死刑執行権が与えられているとはいえ、死体を放っておく事は許されていない。
年間数万人が死んでゆく中で、土葬は今時古い。だから、火葬される――“事件が解決されたと
無論、事件は解決していない。
半機械化した異形。それを殺した逃走中の犯人。事件性は大アリだったのにも関わらず、司法解剖することなく火葬場まで護送されたのだ。
加えて、護送――死体を護送する暇など、今の政府には無い。
『護送』という手段に至らせたのは、警察の上層部以外にない。政治家も関与していた事実からすれば、不思議ではない。
恐らく、これも初めから計画されていた。『奴等』は例の怪物が責務を果たせなかった際には、こうすると既に決めていたのだろう。
護送中に死体を奪うのも理にかなっている。護送車及びあの現場に居た警察関係者には、あの怪物を見た奴が大勢居た筈だ。
そして、死体――護送ルートを事前に設定しておけば、罠や待ち伏せといった手段も取りやすい。それらの証拠を消すには絶好の機会になるだろう。
実に計画的な犯行だ。
俺はそっと食べかけのサンドイッチを皿の上に置き、紙で口を
「それで――犯人の人数、手段は判っていないのか? お前以外に他に死体を見て生きている者は? 他に情報は無いのか?」
――薄暗い店内に静寂が奔る。
「……死体を見て生き残ったのは、他の者が来る前に21号室に入った、俺とお前だけだ。
俺は最初に現場に居た警察関係者だったが、お前と関与しているのをバレちゃマズいからな。後輩に手柄をやったんだ。
然し、皮肉にもそれで彼を失った……だが、俺が居たという痕跡は無い筈だ。
護送車列襲撃の手段は不明。しかし、犯人は単独犯だったようだ。」
単独犯……ならば車両用地雷での奇襲か?
「……車両のドライブレコーダーから調べたのか?」
「あぁ。だが、警察のじゃあない。護送車の耐爆ドライブレコーダーは壊れていたんだ。それを不審に思ってな。
俺が勝手小型カメラを付けたんだ。初めは車上荒らしの類いかと思っていたが……こんな事になるとはな。」
「確かに、警察の耐爆ドライブレコーダーは、何かの弾みで壊れるような物ではないからな。怪しむのも当然だ。
然し、その話から推測すると他のドライブレコーダーもやられていそうだな……」
「あぁ。だが、一番の謎は爆炎の中に居たあの大きな影だ……今度は人の形を成しているかも怪しい。まだ調べる気があるなら、気をつけろよ。奴等は必ず、お前を殺しに来るぞ。」
「御忠告どうも。」
のらりくらりとした変わらない口調と、それに似合わない憂鬱そうな態度。仲間の死から来ているのだろう。今にも崩れそうな表情が、俺を案じてくれている。
然し
それから少し間が空いて、彼は徐にカウンター上に無造作に置かれた酒瓶の中から一つを取り、そのままタンブラーに注ぐ。この際、酒なら何でも良かったのだろう。
彼はタンブラー内に入った酒を
「因みにだが……何故『相談だ』と言ったのに聞いてくれたんだ? お前は基本、何事にも無干渉な人間だろう?」
きっと彼は答えを知っていた。
知っていた上で、敢えて俺に質問したのだ。俺の仕事は人殺し。重犯罪者をその場で殺す。
勿論、そうでない時も有るが、そうでない時は滅多に訪れない――殺し屋同然。違いがあるとするならば、薄っぺらい大義名分があるという事ぐらいだ。
俺はサンドイッチを口に押し込み、カップの中のジンを流し込んでから言った。
彼の望むような言い草で――
「友人だからな。辛気臭いお前の顔を見れば、何か事情があることぐらい判る。
あぁ、そうだ。仕事の次いでに、其奴の仇ぐらい討ってやってもいいぞ。お前には世話になっているからな。」
彼はその言い草を聞くと、再び脆い表情を
その言葉の裏を知ったのだろう。
『俺は所詮人殺し。銃を撃つしか能がない。どうせ殺すのだから、仇討ちという大義名分も加えよう。』
我ながら、人情に欠ける言い草だ。
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