第6話 Out of Service 前編

 彼に言葉を残し、俺はキャバレーを後にした。日が朧気おぼろげに視える鼠色の空に、歪んだ公衆型広告デジタルサイネージがぽつぽつと漂っていた頃だ。


強く言われていた後片付けも、言伝もせず。衝動的にキャバレーを飛び出して……きっとペギにこっ酷く叱られるだろう。


ペギの説教は仕事の合間に済ます為に短いが、それ故に熾烈で思い返したくもなくなる程のものだ。然しながら、今回はそれすらも最早もはやどうでも良くなっていた。


プシエアとその仲間の想いを代弁する――という《《体裁》。然し、体裁なれど本心も僅かに混ざっている。ただ、自分自身それを認めたくない節があるのだ。


『今更、善人面なんて出来る訳がない。』


あがなうことも出来ない罪悪感が胸中で燻り、厭世観を扇動した。



 俺はキャバレー前の路肩に停められた、の愛車に近寄り、その中を覗き込んだ。


車内は車上荒らしに遭った様で、一部の荷物が箱ごと盗られ、窓が割られていた。


それにも関わらず、ガラス片は残されていないことから、プシエアが一掃してくれたのだと判る。恐らく昨晩、俺がモーテルに侵入している間にやられたのだろう。


しかし、無いのは車中泊用の一式や修理箱程度で、高く売れる車の部品等は奪われていなかった。


タイミングよく彼が来て、犯人は早々に切り上げたか、件の銃声を聞いて逃げたのか……彼はその旨も伝える予定だったのだろうが、然し俺が仕事の話をし、その機会を奪ってしまった。


『尤も、彼にはその余裕すら無かったと思えたが……』



 そうして俺は、晴れた筈の朝霧がかえり、曇天も伴って陰り始めた頃。


マンション地下の駐車場に、今の愛車を停めた。そしてまた割れた窓ガラスを見て――少し憂い。


仕方なしに旧車に乗り込み、少し息を整えてから、太陽の下に在る街へと駆けた。



 夜――ズミアダとの約束があった俺は、それまでにやる事を終わらせようと、とある場所に向かっていた。


『オビアス図書館』


世界の様々な記事や古典、童話すらも存在する――様々な本が並ぶ情報の都。建物の規模もそれなりにある。


しかし、今や『検索』すれば全てが一秒足らずで判る時代。やはり人はまばらにしか居ない。


だが、それでも人気はある方なのだろう。


自身も幼少期、幾度か訪れた記憶がある。とはいえ、片手で数えられる程度には少ない近辺でも、その程度の場所だと認識されている。



 然し、今日は本を読みに来たのではない。


図書館というのは、ペーパーカンパニーの様なもので、地下には特捜部直属の研究・調査機関が併設されている。


機関の名は『ルセッド』


図書館として地区管理局から金を貰い、運営している。勿論、額はデータ通りではないし、その設備・機能も特異なものだ。


様々な事件の履歴や前歴の在る犯罪者の一覧、指名手配犯の一覧等、警察と同等以上の設備が整っており、証拠や調べ物をまぁまぁな効率で行うことが可能だ。


利用者はルセッドと協力関係にある組織が殆どで、個人での利用は聞いたことがない。


俺がこの設備を利用出来るのも、Kink City第十二特別捜査署署長であるデルビン・ガントのお陰だ。


ここには、昨晩プシエアが集めてきてくれた証拠品に併せ、俺が21号室でスキャンした銃痕を調べようと寄ったのだ。終わる頃には日が暮れて、丁度良い時間になっているだろう。



 受付には、自分と同い年くらいに見える女性が、パソコンで熱心に作業をしていた。


俺がカウンターに近寄っても彼女は目を合わせる事はなく、で問いかけてきた。


「どんな本を御探しで?」


俺は携帯情報端末PDAのメモ帳に書かれた、本の認識番号に偽造された会員番号を見て、伝えつつ、切符を渡した。


「451398番を頼む。」


「……承りました。」


会員番号は、まるで核の発射コードの様に毎週変わり、基本的には週の始めに、署長から各員に伝えられている。


そして切符は、所持していた者が会員である事を証拠付ける物として扱われている。無論、切符だから回数制限が生まれる。俺の場合、足りなくなれば署長に申請し、取得している。


つまり、電子媒体と紙媒体の双方で関連付けされている。片方でもなければその時点で利用は出来ない。やっていることは面倒この上ないが、構造は至ってシンプルなものだ。



 彼女は淡々とパソコンにデータを打ち込む。そして作業が終わると、カウンターに併設されている本の取り出し口に、一冊の本が送られてくる。


俺は徐にその本を取り、鍵の役目を持つしおりを抜き出し、本をカウンターの上に置いた。


そして、その場を後にしようとした時、彼女が一言添える様にして俺に放った。


「図書館では御静かに。」


俺はその言霊の意を酌む様にして不慣れな会釈をし、図書館の奥へ向かった。



 図書館一階の角に、幾多の古本が置かれているコーナーが在る。


二階は勿論、一階の個人用閲覧席キャレルからも見え難いその角に、一際古く見える『故障中out of service』の札が掛かった木製の扉が在る。


これまた埃塗れで、普段なら触れようとも思わないであろうそれが、情報機関ルセッドの入口へと続く門だ。



扉近く。腰程の高さしかない戸棚の引き出しがカードリーダーになっており、栞型カードキーを読み込ませると、扉のロックが音もなく解除される。


そして扉を開けて直ぐに位置する、下へと続く無骨なコンクリートの階段を降りると、薄暗い蛍光灯に照らされる細く青白いなわてがある。


その先に比較的新しく、綺麗目な金属製の扉があり、それがルセッドに入る為の扉となっている。



 扉を開錠は生体認証Biometricsで行われる。


見てとれるスキャナーは二つ在り、一つは手を翳すと指紋・手形認証。同時に指から採血もして、登録されたDNA情報と照合・認証する。もう一つは網膜スキャンだ。


それらを済ませると、案内の人工音声アナウンスが畷にこだました。


「指紋、手形、DNA……チェック。網膜、生命活動……チェック。声紋認証システム、オン。準備完了しました。」


これが3つ目のスキャナー。俺は聞き慣れたその言葉を確認すると、何時いつもの癖で発声の為に少し喉を「んん」と鳴らした。


然し直ぐに「声紋が正しく認識されませんでした」と機械音声が調子を狂わせ、若干の不快感で眉間に皺を作った。


『感度が良すぎるのも考えものだな』と思いつつも、俺は顔の筋肉を緩め、気怠げに発声し、認証。扉のロックが解除された。



 寒暖差で少し抵抗のあるその扉を開けると、コレまた司書の様な女性が、カウンター上のパソコンで作業をしていた。


俺はそれに若干の既視感デジャヴを感じつつ、来客用のデバイスに記名をし、その先に存在するクローズドキャレルに向かった。

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