第11話 苛責

 結局、その日は出て行かなかった。


先程の戦闘で、頭に血が上っていたのだろう。彼に喝を入れられ、冷静になったのだ。


何方にせよ、彼の言った通りこの身体では動くことすらままならない。彼を打倒することなど言語道断だ。


とはいえ、出て行くこと自体を諦めた訳ではない。隙を突いて出て行こうとも企んでいたのだが、彼はそれを察してか夜通し作業室で作業に勤しんでいた。


一晩中作業をするのは彼の性分ではあったが今回は、俺が諦めるまでは寝ないつもりでいるのだろう。



 窓からは以前、冷風が流れ出していた。苛立ちや焦燥は時と共に沈み、ただやるせない気持ちだけが昨日の朝霧の様に、どんよりと浮かんでいた。


痺れを切らし、口を切ったのは俺の方だった。返答を貰えるとは考えていなかった。


怠惰な静寂を終わらせたかったのだ。



 「一つ、質問しても?」


「……あぁ。」


彼は作業を止めることなく、何事もなかったかの様にあっさりとした返事をした。


「何故、俺を引き止めたのですか? それに『俺達の事件』って――何のことですか? 説明して下さい。」


同じく、平気なフリをに質問をする。とはいえ内心は穏やかでなかった。当然だ。幾ら先程の熱が冷めようと、彼への畏怖は拭えずにいたのだから。


「聞いてどうする。」


久々に聞く彼の強い口調に、身体が強張る。それでも俺は、意を決して話を続けた。


「貴方は一度、俺を認めた――聞く権利はある筈だ。」


「まだお前は青二才だ……だが、一理ある――分かった、話してやる。」


俺の憂虞も知らずに、彼は快諾したように思えた。今迄の頑固な彼ならば、有り得ない反応だった。



 彼は作業を中断し、変型溶接眼鏡を着けたまま、部屋に入ってきた。そしてまた、コーヒーテーブルの上にある使い込まれた手拭いで手を拭い、ソファに腰を掛けた。


「事の発端は、俺とお前のお父さんがまだ現役で活動していた頃まで遡る。


お前も勘付いている様に、俺等はある軍組織に属していた……」




 今から約35年前のことだ。俺とお前の父親は、ある任務に就いていた――国境を超えた極秘の任務だ。


北極圏のスヴァールバル諸島にある、世界中のデジタル遺産やデジタルデータが保管されている施設――『Arctic World Archiveアークティック・ワールド・アーカイブ』に潜入し、とあるデータを盗み出すという内容だった。


その時は任務の意図を知らなかった。


俺達も探らない――そういう組織なんだ。知らぬに越したことはない。お前が生きている世界と同じさ。



 そこは廃坑内に作られ、地下150mの深さにあり、核攻撃にも耐えられた。


管理されているデータは基本、耐用年数500年のデジタルフィルムに保管されていた。また、改竄や不正アクセスから守る為にネットからも遮断されていた。


そして、外部からデータ保管する際は、完成品を直接持ち込む形式だった。


俺達が狙っていたデータは出所が掴めない程の代物で、入手する為には施設に直接乗り込むしか方法は無かった。



 そこで俺達の組織は、冷戦KGB時代の遺物を分割して保管していたロシア対外情報庁にスパイ活動エスピオナージュをした。


尤も俺はロシア生まれだが、幸い愛国心はなく。当然、苛責の念を懐くこともなかった。元より組織に故郷は関係無かったんだ。


皆、同じ思想の下に働いていた――狂信的な世界平和という思想。


人類という種の延命だ。



 今迄で、おおやけになっている世界滅亡の危機は幾らでもある。当然、水面下では更に多く。その数は年々、微増している。


組織はそれに対処する為に作られた。勿論もちろん、人間が為せる範囲での対処だ。


そして、この思想の為に各国各団体へとパイプを繋げ、何処へでも潜入調査エスピオナージュ出来る程の組織力を持った。


そして、その組織こそお前を襲っただ――



 話を戻そう。


施設の解析システムは当時、世界最高峰で偽物のデータでは気付かれること必至だった。


そうなれば国際問題になる前に、俺達は『母国アメリカ北部ロシア』の両国から存在を抹消され、国際テロリストとして処分される。


北部ロシアへのスパイ活動はそういった緊急時への備えとして、組織の存在を勘付かれない為でもあった――無論、庁からの信頼を得る為に時間はかかったし、その任務に就く為の細工は、外部と内部で幾度もした。


 そうして遂に、俺達は任務に就いた。



 当時はドローンが本格的に軍事導入し始めた時期で、未だ品質も信頼も低かった。それでも技術の進歩は著しく早まっていた。


そして、島に入る条件も厳重だった。

外部から来る人間は最高二人。専用の作業着を着用し、武器や通信機器は持ち込み不可。


内部では紙とペンでやり取りされ、証明書代わりの精巧な硬貨コインを一枚渡される――コインといっても本物の硬貨じゃない。デジタルデータの入った証明書の代替品だ。空港でのCT型X線検査にも対処可能に設計されていた。



 施設中には、銃を持った警備員が常に付き添っていた。他にも警備員は至る所で見受けられた――とはいえ、国際問題を避ける為にゴム弾を使っているそうだった。


施設の周辺が非武装地帯だというのも理由の一つだろう――然し、ゴム弾でも当たり所によっては人を殺せる。つまり、非殺傷が目的ではなく、あくまでもデータの保守が第一ということだ。


保管している『情報データ』の方が『生命いのち』よりも重要視されている――当時からその凶兆はあったという訳だ。




 彼の語り草は淡々としていた。しかし俺の知っている彼とは程遠く、驚くほどに饒舌じょうぜつだった。


きっと、昔から――俺が孤児になったと知った、その瞬間からいつかは「全てを話す」と決めていたのだろう。


或いは、「全てを話すまい」とも――




 話が長くなったがここから話のキモだ。


多難は在ったが俺達は任務を全うし、に帰還した――通常ならば母国アメリカに帰還し雲隠れすれば良いのだが、北部ロシアに帰還したのは施設の工作員に尾行されていたんだ。


尾行を撒いては余計に怪しまれる為、それから数ヶ月は何事も無く過ごしているをしたかった。


しかし、その頃にはデータの盗み出しが発覚して、北部ロシアにも俺達がスパイだと調べがついてしまう可能性があった。俺達に時間は残されていなかった。


国を超越した任務だ。母国アメリカも組織も干渉しない。情報の漏洩は、死よりも罪深いとされる世界。


歩兵ポーンに選択肢は無かった――




 彼は少しこうべを垂れるとゆっくり立ち上がり、キッチンに向かい、その隅にあるワインセラーの扉を開いた。


その様子を見てから、俺は身体をゆっくりと起こし、背凭れに寄りかかった。痛みは少々あったが、動けるまでになっていた。


「――何が飲みたい?」


若干驚きつつも、彼の心情を汲み取る様にして応えた。長話をしたのだから、小休憩といったところだろう。


「……スコッチウィスキー。」


「――俺はワインのたぐいしか置かない。」


彼は声を張りながら言った。彼の嗜好をすっかり忘れていた――以前はよく酒を注いだものだが……俺は少し考えてから、再度答えた。


「シャンパンは、有りますか?」


「……在る。」


再び落ち着いた声が返る。


シャンパンは俺との決別式にも似た日以来、口にしていなかった――シャンパンとワイングラスが、目の前に置かれる。



 酒は百薬の長とはよく言うが、俺はよく鎮痛剤代わりに蒸留酒ウィスキーを飲んでいた。


しかしワイン――特にスパークリングワイン以外のワインは、飲めない程ではないが苦手だった。その点だけは、彼を反面教師の様にしたのだろう。思うに――常にワインの匂いを漂わせる彼と共に、数年間暮らしていれば自然とそうなる。



 彼はそれから、話を打ち切ろうとしたのか当たり障りの無い無駄話を拡げようとした。


だが俺はハングリーに質問をし続けた。すると彼は諦めたか、若しくは呆れたのか。暫く黙り込んだ。



 そして徐に、ベストの左ポケットに入った葉巻入れからを1本取り出し、咥える。


そして煙草を仕舞いながら、同じポケットからシガーマッチを取り出し、葉巻シガリロの先を焦がし、蒸しながら話題を戻した。


「罪悪感さ――お前の父親を殺したのは俺だ。お前を……アイツのようにのはやはり間違いなのではないかって考えてしまうんだ……つまるところ、これは俺なりの『贖罪』なんだ。


お前には全てを知る権利も、全てを忘れる権利もある。聞けば、後戻りは出来ない。俺達と同じ轍を踏むかもしれない。それでも聞くのか?」


先程の雰囲気とは変わる――再度、一辺倒の記憶が彼の脳裏に伸し掛かっている様だった。


「……聞かせてください。」


その言葉を告げると、彼は真っ直ぐ此方を見据えて、話を再開した。



 俺等は――三重スパイをしていた。


母国アメリカ諜報機関CIAにスパイし、そこから更に北部ロシア諜報機関SVRにもスパイしていた。


どの国にも属さない、完全独立諜報組織故の手法だ。時には国際犯罪組織の数々を相手取ることもあるが、各国での諜報活動が主だ。


組織の名は――『Arcangeliアルカンジェリ』 


イタリア語で大天使という意味だ。神の光とも謂われることもある。


そこから読み取れる様に、創始者はイタリア人で大層な宗教家だったらしい。ローマ教皇と共に居たこともあったと聞いたが、あくまでも噂だ。



 俺達は組織の第三期メンバーであり、諜報活動を主とする工作員として働いた。


仲間もそれなりに居たが、先程の任務は最高機密セキュリティーレベル3の任務――俺達二人以外のメンバーは、任務の存在すら知らずにいる。故に、孤立無援だった。



 北部に帰った時、俺達はやはり追われ身となっていた。


必然的に施設の者にもバレ、組織アルカンジェリと両国から孤立。それどころか組織が差し向けた工作員も俺達を追跡していた――情報漏洩を防ぐ為の処置だ。


俺達がデータを隠し持っているのは明白。殺して奪えば、組織の素性を明かさずに任務は果たされる。


元より、使い捨ての駒でしかなかった。


そう。愛国心の無い俺達にも忠誠心は在った。しかし結局、アルカンジェリに投降することはなかった。


何故だか判るか――?



 その瞬間、目の前に居る老人の淡いあおが、朧気おぼろげになった父の瞳とリンクした。


「――お前が居たからだ。」

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