第2話

 フィアに扮したクズハを連れ、僕とサラは敷地内に足を踏み入れる。

 気配から、兄さんたちがどこにいるか分かっていた。足を、真っ直ぐに廃校の体育館に向ける――そこは、扉が開け放たれていた。

 その間から足を踏み入れると――そこには、数人の影が立っている。

 そのうちの見知った背に声をかけた。

「兄さん。アイリ」

「ああ、よく来たな。リント」

 ハルト兄さんが振り返る――その、笑顔に僕は思わず目を細めた。

 こうやって顔を直接合わせるのは、久しぶりだった。テレビ電話でも分かっていたが――どこかやつれているようにも見える。

 黒髪の少女は正面から視線を逸らさず、声だけで応じる。

「少し会話したいですが――先方を待たせるわけにもいきませんね」

「ああ、そうだな。アイリ殿」

 兄さんとアイリの隣に、僕とサラが並び立つ。兄さんは静かに声を向ける。

「待たせたな。キメラ機関――この通り、フィアンメッタ含めた五名が集結した。和睦の交渉をしたい、ということだが……?」

「ウム、ソノ通リダ」

 その言葉は明らかにぎこちなく、カタコトだった。思わず眉を寄せる中、闇の中で檀上側にいる数人の影が動く。

 五つの影が揺れ、そのうちの一つが口を開く。

「レクト」

「はっ――我々はこの両者の戦い、これ以上は何を生まないと判断し、和睦――ひいては、日本国への不可侵を宣誓したいと思います。いくつかの条件つきで」

 レクトと呼ばれた影が、流暢な日本語で述べる。

 兄さんは腕を組み、ゆっくりと口を開く。

「条件は?」

「一つは、人質の返還――これに関しては、こちらもそちらに与えた被害に対し、賠償する用意があります」

 そうして口にした額は――目玉が飛び出るほど高額なものだった。

 日本の山が三つは買えそうな額である。だが、兄さんは眉一つ揺らさない、少しだけ思案するようにし、一つ頷いた。

「いいだろう。少ない気もするが、折れてやる――他の要求は?」

「被験体――その後ろにいる小娘を渡していただきたい」

「フィアンメッタを渡せ、と?」

「それはキメラの正式な所有物です。機密を渡す訳にもいかない――それに、その方がそちらのためにもなるはずです」

 引っ掛かる言い方をする――だが、こちらの結論は、すでに出ている。

 兄さんの視線をやると、小さく頷いて決然とした声を返す。

「フィアンメッタは、我々に亡命した。彼女はこちらに所属する意思がある。その条件は受け入れられない」

「――よろしいのですか? 交渉、決裂となりますが」

「構わない――そちらが、後悔するかもしれないぞ?」

 キメラ機関の交渉役と、兄さんが睨み合う――その横の、カタコトの巨漢が口を開いた。

「レクト――やるぞ」

「御意に」

 瞬間、不意に殺気が迸った。兄さんは鋭く叫ぶ。

「決裂だ! 総員動け!」

「了解!」

 瞬時にフォーメーションを取る。アイリとサラがバックステップ、クズハを守るように動き、僕とハルトが前に出る。

 弾かれたように、前方から二人の影が飛び出す。

 真っ直ぐに僕たち兄弟に向かってくる――思わず苦笑いをこぼした。

「舐められたものだな。兄さん」

「ああ――里見の兄弟の力、思い知らせてやる」

 瞬間、二人の胸から光が迸る。封印が、解除された。

 直後、手足に激しく熱が込み上げてくる。兄弟で鏡合わせのように同じ構えを見せる。肉迫してきた敵に向け、二人は同時に拳を突き出した。

 ずん、と激しい踏み込み――空を震わせ、拳が敵の影を穿つ。

 正面から受けた敵は、車に撥ねられたように吹き飛び、床を転がっていく。

 それを見届けながら――ざわ、ざわと肌が鳥肌立つのを感じる。

 正確には、鱗が生えてきているのだが。

「――久々の連携だな。兄さん」

「ああ、抜かるなよ。リント」

 兄さんも縦に割れた瞳孔で辺りを見渡して不敵に笑む。その手足は明らかに肥大している。僕以上の、竜人の血の気配だ。

 吹き飛ばされた影は立ち上がり、五人はじり、じりと間合いを詰めてくる。

「く――さすが、竜人の兄弟」

「想定内ダ。力ヲ、解放シロ」

 カタコトの巨漢の指示に、全員が〈異能〉の力を漲らせていき、めきめきと身体を変化させていく――。


 八本の足で地を掴んだ、大きな蜘蛛の下半身――アラクネ。

 身体を肥大させ、不気味な豚のような顔で笑う――トロール。

 無数の吸盤の触手を生やす、巨大なタコ――クラーケン。

 下半身を馬とし、弓矢を構える痩身の戦士――ケンタウロス。

 そして――ひときわ大きな身体を見せる毛深い巨人、ビッグフット。


「やれやれ――西洋の大妖が、ここまで揃い踏みか」

 兄さんが呆れたように告げる。対するこちらは、竜人、鬼、人狼、妖狐――。

 ラインナップは少ないが、粒ぞろいの精鋭だ。

 さらに、決裂の合図で、里の面々もこちらに向かっている――制圧は、時間の問題だ。そう思いながら構えを取ると――ビッグフットが口角を吊り上げた。

「ふ――こちらは、まだ五人ではないぞ」

「――どういう、ことだ?」

「敵地に乗り込むのだ。何の用意がないはずもない――」

 そう告げた瞬間、ぞわり、と嫌な気配が迸った。視線を上の方向に向ける。

 上から何かを感じた。けど、一体、何が……?

「――ッ! お兄ちゃん、窓の外!」

 サラが感づいて叫ぶ。僕は視線を上げ、窓の外から空を見上げる。

 相変わらずの曇天――にしては、雲が大きくて、黒い……?

 ハルト兄さんが何か気づいたように、引きつった笑顔を浮かべる。

「おいおい、まさか、あの雲――」

「紹介しよう――バックベアード。キメラ機関の傑作の一つだ」

 ビッグフットが告げた瞬間、その黒い雲が質量を持ったように大きく動き。

 不意に、そこから何かが零れ出て行く――無数の、人影……。

 おいおい、嘘だろ……?

 思わず目を疑う光景――だが、それを裏付けるように、サラが吐き捨てた。


「――敵が空から降ってきている……!」

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