第5話

『俺だ、ハルト――二人とも無事そうだな』


「ハルトっ!」

 取り乱した声を上げたのは、フィアだった。金髪を振り乱し、縋るようにスマホを手に取る――兄さんは、なだめるような声で言う。

『大丈夫だ。上手く撒けた――いや、大丈夫じゃないか。銀弾二発もらった』

「お、おい、兄さん、大丈夫じゃないぞ、銀弾つったら……」

 吸血鬼や人狼に有効と名高い銀弾だが、基本的に高位の異能持ちなら有効である。

 竜人の強固な鱗も貫け、臓腑に尋常じゃないダメージを負わせる。

『しゃあないだろ、フィアの追手をごまかすためにも、一回、連中の前で大立ち回りしないといけなかったんだ。手当ては済んだし、銀の抽出も終わっている――安心しな』

「良かった……ちなみに、居場所は?」

『青森の恐山の里だ――知り合いのイタコに傷を診てもらっていた』

「今すぐ行く。待っていて」

 フィアが真剣な声で言うが、兄さんはそれをすぐに制した。

『待て。フィアはそこを動くな。でないと、かく乱作戦の意味がない』

「かく乱作戦――兄さん、よく事情が呑み込めていないんだが……」

『リント、フィアはある組織――キメラ機関という、きな臭い連中に追われているんだ。連中がやっているのは、主に異能改造実験――フィアはその犠牲者で、貴重な成功例だ』

 端的に言い放たれた事情を、呑み込むには時間がかかった。

「異能改造実験……?」

『ちと、俺も全貌が分かっていない。だが、要するに人体実験だ。リントは、絶対にフィアを守り抜け。罷り間違っても、フィアの力を三割以上、使わせるな』

「わ、分かった。頭に入れておく――それで、兄さんは?」

『俺は、日本の仲間たちと連携して、攪乱を行う。吸血鬼や妖狐に協力してもらって、フィアの似姿を作りだし、各地に出没させる――フィアの居場所を、掴ませない』

「分かった。こっちの護衛は任せてくれ。南総里見と、吉備高原が全面的にバックアップしてくれている」

『ありがたいな。俺から、里に連絡は入れる――リントは、全力で守ってくれ。頼む』

 兄さんがそこまで頼み込んでくるのも、珍しい。

 僕は軽く笑って飛ばすように告げた。

「兄弟の間で、遠慮はいらねえだろ? この前、兄さんが長老を説得してくれたし。お互いさまだっての」

『――ああ、ありがとう。リント』

 ふっと笑う優しい声。そして、その声が一層温もりを帯びてフィアに向く。

『フィアも――生き延びてくれ』

「ん、約束する。だから、ハルトも」

『もちろんだ。じゃあな――切るぞ』

 二人の信頼のこもった言葉。それを最後に、通話は切れた。ゆっくりと、僕はスマホに手を伸ばす――三分程度の、短い通話が、彼の切羽詰まり具合を示している気がした。


「――大丈夫か。フィア」

 氷出し煎茶を差し出すと、彼女はじっとスマホを見つめながら、こくんと頷いた。

 それをスマホの横に置き、僕は一つ吐息をついた。

 里とサラには、連絡を入れた。長老たちは、安堵していたが――。

 それ以上に、事態の重さに、彼らは絶句しつつあった。

 異能改造実験、か……そんなものが……。

「――会いたいよ」

 ぽつり、とフィアは呟いた。その無表情な顔から、ぽろり、と涙が零れ落ちる。

 ぽろ、ぽろと――しゃくりあげることなく、涙をこぼしていく。静かなその光景に、僕はただ静かにハンカチだけ渡し、外に出る。

 僕に、その涙を拭う権利はない――そんなことができるのは、たった一人だけだ。

 玄関から外に出る――そして、一息つきながら告げた。


「みんな、ありがとう」

「いいってことよ」


 独り言のような呟きに、声が返ってきた。足の下だ。他にも頭の上や、道端にも気配。

 里の連絡の際に、長老が知らせてくれた。護衛たちが、配備についたと。

 こうして、姿を消しながら――このアパートの周りを包囲している。姿を見せないが、気配は感じる――頼もしい、気配が。

「里から連絡を受けたかもしれないが、敵は手強い――よろしく頼む」

「ああ、キメラ機関、ってか――まあ、安心しろ。俺たち、南総里見八犬衆が、三十人体制でこの街を防衛している。変な〈異能〉持ちが入ったら、すぐ排除する」

「そんなに、か……里の防衛は大丈夫なのか?」

「お前の母さんがいるからな」

「……そうか」

 僕の母さんは、水神竜の化身。その守りを突破できるはずもない。

 安心しながら、廊下の手すりに寄りかかる。そして、周りのみんなに告げた。

「この礼はいつか、する――兄の迷惑を掛けさせちまったからな」

「気にすんな……いつかの、詫びだと思ってくれ」

「いつしかの?」

「ほら、子供の頃、俺たち、お前たち竜人兄弟を避けていただろ? それを、いつか謝りたかっただけだしよ――謝る前に、お前たちは里を出ちまったし」

「――そうか」

 目を閉じる。幼い頃の思い出――それを思い返しながら、口角を吊り上げた。

「いや、なら、その詫びは受け取れないな」

「――なんでだ?」

「その過去があったから、今の僕が――今の僕たちがあるから」


 ――あのときの過去がなければ、僕とサラの関係も、なかったのかもしれない。


「だから、礼こそすれど、詫びは受け取らないよ」

「互いに成長するわけだな」

 床の下から老成した声が聞こえる――どうやら、熟練の忍びも手を貸してくれているようだ。感謝するように、手すりを叩いて踵を返す。

「みんな、ありがとう――頼んだよ」

「ああ、任せておけ」

 その頼もしい友人たちの声を聞きながら――僕は、部屋に戻っていった。

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