第21話 一つの終わり

 突如として猛騎が指揮する前線は乱れた。

 ブルケトが、狂い猛った軍勢率いて突撃してきたのだ。

 歩兵隊は防御もままならず、吹き飛ばされていく。


「焦るな!! 後方から囲め!! 後ろから勢いを削げ!!」


 猛騎は叫びながら必死に指揮をとった。

 この異変は、直様泱容の元にも伝えられ泱容は


「馬を引け!」


 と命じた。重嚴は


「どちらへ参られるのですか?」


 と泱容の支度を手伝いながら尋ねた。


「無論。敵の後ろに。一番の餌をぶら下げてやるのだ。猛騎に斬り込ませる。」


 そのように答えた泱容は、先程の気怠い様子とは打って変わって、引き締まった顔で答えた。この様子に重嚴はいささか安堵を覚えた。


「お供仕る。」


 重嚴は泱容の後に続いた。

 泱容は馬に飛び乗ると、手綱を手に何十も巻き付けてぐっと握った。握った拳がわずかに震えている。まだ毒が抜けきっていないのだ。

 しかし、懦子腰抜けと、馬鹿にしてくれたフォンだとか気に食わない奴も、海の上とはいえ近くにいるのだ。情けないざまなど晒せるわけもない。


「出陣!!」


 泱容は、普段では想像もできないような咆哮で、号令を発し全軍を率いた。

 自分自身を鼓舞するためと、未だ万全ではない体に対する怒りのために。

 これを聞くと、初めは重嚴にのみ信頼を置いていた兵達も、ビリっとした緊張感に包まれ彼に従った。

 一方、アルスラン側では泱容に動きがあったことを確認し、一旦進軍を止めた。

 そして、アルスランは望遠鏡でその動向を確認すると、ニヤリと笑った。


「腑抜けは兄者の後ろを狙う腹積りだ。良し! このままヤツに兄者を消耗させよう! 一旦国境を超え回り込み背中を射掛けるのじゃ。」


 アルスランは馬を走らせ、国境を抜け一旦自国領土へ戻った。

 上手く行けば、泱容にブルケトを倒させ自分は疲れ切っているであろう洸国軍を、楽に倒せるだろうと目論んでいるのだ。


 そこに越軍のことは公算に入れていない。まさか、陸地に上がってまで戦うはずがないと、高をくくっていた。そして、もしそうなっても、負けるはずがないと絶対の自負があった。

 しかし、それがいかに自惚れであったか、とくと思い知らされる羽目ことなる。


 この頃アトは、都から走らせてきた馬がもう走れなくなったので、途中の村で馬を交換した。

 アトが暴れて手のつけられないのをくれ! というと不思議そうな顔をされたが、アトが乗ってきた馬が猛騎の、貴族の馬、とだけあっていい馬だったのだろう。

 農夫は物欲しそうな目で、馬をじっと見て少し考え込んでから、これはどうかと、厩舎の奥に繋がれた一頭の黒い馬の元まで案内した。

 馬は気位高そうで、顔を横に向けジッとアトを観察していた。これでいいとアトが言ったので、扉を開けた瞬間、馬は前足を高く蹴り上げて逃げようとした。


 一緒にいた農夫は逃げ足早く、厩舎の柵の間からとっとと逃げている。アトは馬の蹴りを、横に回りながら躱し、走っていく馬に飛び乗った。馬もびっくりして、振り落とそうとするも、その反動でアトは上手く手綱を取り、そのまま戦場へと駆けて行った。

 農夫は「儂はぁ、武神哪吒ブシンナタクの化身に、馬を渡したに違ぇねぇ。」と、村中に触れまわるほど驚き、後にこの話が大きくなってしまうのだが、それはまた別の話である。


 こうして、全てが動き出した。

 だが、越軍は動かない。

 越はそもそも、船主体の戦闘を得意とするため馬を積んでいない。

 だから、主戦場である麦原バクゲンに行くまで徒歩移動で、早くとも丸一日以上かかる。それでは間に合わないのだ。

 だからフォンは、

 今フォンが立つこの場所に。


 その頃、進軍中の泱容の元に越の兵士が単騎で駈けてきた。そして


「ご無礼仕る。」


 と叫ぶと横にいた重嚴が


「何事か!?」


 と問うた。


「実は……―――――――――――。」


 話を聞いた重嚴は


「話は相分かった。しかし! 信じて良いのか?」


 と訝しんだが泱容は一つため息を吐いて


「仕方ない……乗ってやる。後でたっぷりと虐めてやるとでも伝えておけ!」


 と了承の返事を伝えた。


「殿下!」


 重嚴は講義の眼差しで泱容を見たが、泱容は笑って言った。


「あの日、お前に会う決心を決めさせたのは誰だと思う?」


 重嚴は目を丸くした。そして諦めたように答えた。


「……。殿下の思うままに。」


 こうして重嚴は、越側の提案に沿うこととなったので、越の兵士に隊列に加わるように命じた。

 泱容・重嚴率いる騎馬隊約三千は、このままブルケトの背後を狙うと、見せかけるべくそのまま進軍した。


 そして、前線で指揮を振るう猛騎はブルケトに手を焼いていた。

 奇襲が成功していたため、元々四千いた軍勢を半数に減らしていたが、残った部隊は勿論精鋭。と言ってもかなり消耗している筈だが……。

 ブルケトが前線に立ったためか、部隊の指揮が上がっている。後ろから削っても、ブルケトは飛んでいく矢のように勢いを失わない。


 不味い……。


 猛騎は焦りだした。

 このままでは、ブルケトとの一騎打ちは避けられぬであろう。


 果たして俺の実力で敵う相手か……。


 猛騎は腰の剣を握り、一人死ぬ覚悟をした。

 兵達は副官へ預け、殿下の元へ走らせようと命を発しようとした……

 その時、


「撤退っ!! 全軍撤退!!」


 という声と共に、橙色の龍旗がはためいた。

 泱容率いる騎馬隊である。


 しかし!

 一騎打ちを前にしたブルケトは、大いに怒り狂った。


「敵前逃亡とはっ!! うぬ等に漢たる矜持は無いのかぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」


 と咆哮したブルケトは、血走った目で鉾を横なぎした。

 すると、ブルケトを食い止めんとする兵士たち数人が、首を取られたり胴を深く切られたりして馬から落ちた。

 この勢いのため、近くにいた兵士数人は凍りついた。だが、


「撤退!! 撤退せよ!!! 我に続けぇ!!!」


 と美しい容貌で叫ぶ泱容を見た瞬間、兵士達は、地獄で観音菩薩を見ているような錯覚を起こした。


 黄金の鎧を纏い、白く内から輝くような肌で、瑠璃の瞳は鮮烈だ。

 この泥と血と肥溜めを混ぜた、最も死に近いこの場所から見る彼は、より一層輝かしく見える。


 ブルケトですら一瞬目を奪われた。

 そして、兵士達はハッと我に返り、我先にと泱容の後を追った。


「撤退っ! 撤退っ!!」


 この状況に猛騎も従わざるおえない。


「殿下ぁ!! なぜです!?」


 猛騎は泱容に駆け寄り、不満の意を申し立てた。

 これでは敵に勢いを与え、深く切り込まれかねない!! そう思ったのだ。しかし、


「敵は一人ではない!」


 泱容が告げると、猛騎は思わず聞き返した。


「一人ではない!? どういうことです? 玄国皇帝が増援をよこしたのですか?」


「違う!! 説明は後だ! 越軍と合流する!」


「!? 海へ? イヤ上陸したのですか?」


 猛騎は少々混乱した。

 越の軍は海上では確かに強いが、陸上での実戦経験が皆無であったはず、今来られても足手纏どころか、足枷となり共倒れだって有り得る。


 しかし!

 今更進軍を停められるものでもない。

 猛騎はため息を吐いた。


「こんな心臓に悪い賭けは初めてですよ……。」


 と項垂れて言った。


「フンッ。あの猪はちゃんとケツに食らいついてるか?」


 泱容は猛騎の話など無視してブルケトが後ろにいるか確認した。


「えぇ。ついてきてます。」


 重嚴が答えると

 馬に乗って出迎えに来たフォンが、少し離れた先に立っていた。


「皆さんお疲れ様です! 殿下も暫く振りでございます。」


 と随分呑気にヘラヘラ挨拶を寄越すものだから、猛騎が腹を立てた。


「テメェ!! この非常時に!! 巫山戯たこと抜かしてんのは解ってんだろうな???」


「解ってますよ。失敗したら皆仲良く玄皇帝の御前に、雁首だけ並ぶことに並ぶことになるんですから。イヤですね。そんな間抜けな光景。」


 コイツっ!!!


 猛騎は青筋を引くつかせた。しかしフォンは気にせず話し続ける。


「まぁ、そんなことより。黄将軍。このまま真っ直ぐ行って、我軍の後ろを回って横に行ってください。殿下は我々と……。良いですね?」


 フォンが、良いですねと言った時、瞳がらんっと狡猾な輝きを見せた。

 これを見たとき、猛騎は観念したように従った。

 彼の見せたその顔は、楊太師がたまに見せる表情と通ずるものがあり、考えなしではないのだろうと、妙に納得してしまったのだ。

 そして、アルスランは洸国軍の予想外の動きに動揺したが、


「兄者に少々突進されたぐらいで怖気づいたか! 腑抜けもいいところ!!」


 と完全に勘違いし優越にまで浸っていた。

 そして、


「続けぇ!! 兄者が奴らのケツ食らいついたところで諸共始末してくれる!!!」


 アルスランは、獣の如き野卑た笑みを止められず、兵を率いて後を追った。

 そして……――――――――。


「打てぇ!!」


 号令と共に、赤やら黄色やら白やら、やけに派手派手しい煙が前方に上がり、ブルケトの姿は見えなくなった。


 !?!? な……何だコレは!?


 アルスランは驚き軍を止めた。


 そして……


 轟っ!!!!!!!!!!!!!!!


 炎の壁が天まで焦がす勢いで上がった。



「なっ……。」


 アルスランは呆然と立ち尽くした


 しかし……!!


 あの大炎も振り切って、ブルケトは泱容へ向かって真っ直ぐ鉾を放った。


 これにはフォンも予想外で、誰も止められない!!


 そこに黒い風のような影が現れた。


 影は馬に跨る少年、イヤ……アトだ。

 アトは、ブルケトの渾身の一撃を剣で薙ぎ払おうとした。そして……。

 剣は折れ宙を舞い、鉾は地に刺さり、手綱を離して両手で剣を持っていたアトは、落馬し地面に叩きつけられた。


 ウォぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!


 ブルケトは激しい悔恨の慟哭を上げ、馬と共に地に伏した。


 そして、アトはヨロヨロと立ち上がり、泱容の元へ歩を勧めた。

 本当は走って行きたいのに、落馬したせいか長いこと馬に乗ってたせいか、うまく足が動かない。


 泱容は馬から降りた。

 泱容はズンズンズンと、アトに向かって足早に向かう。

 そしてアトの両腕を掴み支えると、アトがグイッと首を持ち上げ大口を開けた。


「馬鹿野郎!!! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!! 大馬鹿野郎!!!」


 会ったその瞬間に詰る詰る。

 泱容も少しムッとして


「お前っ!」


 しかしアトは止まらない。


「お前なんか大馬鹿野郎だ!!! 戦場に死にに行くな!!! 形見なんて貰ったて嬉しいわけあるかっ!!!! 指輪よりお前が生きろ!!!! 大馬鹿野郎!!!」


「指輪……。」


 泱容は変に力が抜けた。

 そんな意味で取るとは……。

 鈍い。鈍感どころの騒ぎではない。

 目眩を覚え天を仰いだ。

 アトに視線を戻すと、目からボタボタと涙を流してる。ついでに鼻水まで垂らして……。


「汚らしいな……。」


 と呆れて呟く泱容に


「煩い!」


 とアトは噛みついた。

 アトはそのまま連れられ、泱容・フォンの軍に迎えられた。

 そして、

 少し離れたところから、アルスランは絶望して全てを見ていた。


 勝てない。


 ひたすら呆然と立ち尽くすアルスランに、横から猛騎率いる騎馬兵が制圧にかかり、なすすべもなく捕らえられた。


 戦は終わった。


 そして、盧長満にも最後の時が訪れた。


 泱容は帰国してすぐ、盧氏とそれに連なる一族を皆捕らえ極刑を言い渡した。

 その数、二百を超えた。刑場が間に合わず河原を臨時刑場として設け、3日かけて行われた。

 女子供も例外ではなく、アトは複雑な胸中で見守った。

 わざわざ見ることもないと、泱容に言われはしたが


「少なくとも私のせいでもあるんだ。絶対に見る。」


 とがんとして譲らなかった。

 そして、最後。盧長満の刑の執行の時がきた。彼は断頭台に登る直後に捨て台詞を吐いた。


「殿下も、すぐにこちらに参られるであろうから、我々一同心よりお待ち申し上げておりまする。」


 しかし泱容はフッと嗤うと


「そういうのは負け惜しみというのじゃ。愚か者。」


 と処刑人に合図を送ると、さっさと退席していった。首が落ちる瞬間を、見もしなかったのだ。

 “お前などどうでもいいのだ。”と、あえて語らず背中で示したように思われた。

 長満はそれを受け取ったのだろう。目を見開き、口を真一文字に結んで最後を迎えた。


 無念であると。その顔に書かれていた。


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