第29話 New Year’s Eve

「お正月は東京に帰った方がいいですか?」

「別に帰って来なくていいよ。」

「分かりました。」


メールを確認すると美戸はスマホをベッドの上に放り投げた。どうせ大掃除もおせちの用意もしない母だ。帰って来たところで何の役にも立たない。


彼を追いかけて大阪に単身赴任して、大阪では彼と一緒に暮らしているらしいが、東京にいた時と同じように家のことは何もしてないんじゃないか? まあ、彼に愛想を尽かされても私の知ったことじゃないが、返品されて東京に戻って来られても困る。何とかうまくやってほしい、そう願う美戸だった。



二学期の終業日。美戸は幸太に、正月に初詣ポタリングに行かないか? と誘ったが、


「すみません! お正月は長野の父の実家の方に行かなきゃいけないんです。2日に帰って来ますから3日にお願いします!」


「いいよ、いいよ。疲れちゃうだろうから、また今度にしよ。」


「大丈夫です! 何とぞ何とぞ3日にお願いします!」


部室のテーブルに額を擦り付けんばかりにして懇願する幸太を見て、美戸は吹き出した。


「わかったよ。じゃあ3日にしよ。でも体調悪かったら無理しないでね。」


「ありがとうございます!」


喜色満面で顔を上げる幸太を見ると、美戸も嬉しくなるのだった。



そして、大晦日。美戸はPep ペップで『喫茶ナタリー』に来ていた。幸太の祖父に都合が良かったら今年最後のコーヒーを飲みにおいでと誘われたのである。美戸は高校の文化祭の時、ポタリング部の展示を見に来た幸太の祖父に頼まれてメールアドレスを交換していた。最も今まで一度も連絡はなかったが、初めてメールが来たと思ったら、今日のお誘いである。幸太がいない時に幸太の祖父に会うのもちょっと変な感じがするが、特に何もすることがないので行くことにしたのだった。


美戸が『喫茶ナタリー』に着くと、年内の営業は終わったらしくドアに『Closed』の札が掛かっていたが、中は灯りがついていたので美戸はドアを開けて入った。


「こんにちは。」

「いらっしゃい、さあ座って。」


美戸がカウンターに座ると、幸太の祖父が丁寧にコーヒーをドリップし、カップに注いで美戸の前に置いた。


「まずはブラックで一口飲んでみて。」

「いただきます。」


美戸はカップに口を付けた。良い香りが立ち上る。いつものコーヒーと同じ様に思えるが、ずっと軽やかで澄んだ味だ。これは全く別物のコーヒーだ。


「いつものコーヒーと同じ様に思えますが、香りといい、味といい数段上ですね。何が違うんですか?」


幸太の祖父は満足気にうなずいた。


「とある品種の豆のストレートだよ。ストレートでこれだけの味が出せるのは、本当に良い豆だけでね。うちのブレンドは、この味を目標にしているんだ。ふだんは店では出してないけど、今日は特別にね。」


ドアがカランコロンと音を立てて開いた。


「美戸ちゃん、いらっしゃい。」


幸太の祖母が大きな二段の重箱をカウンターにどんと置いた。


「うちのおせちのお裾分けよ。美戸ちゃんのおうちでも用意してると思うけど、良かったら足しにして。」


雑煮は作るつもりだったが、おせちは用意してなかった美戸は、ありがたく頂いていくことにした。幸太の祖父母に礼を言うと、Pep ペップのリアラックにおせちを載せてバンジーコードで縛り、揺らさないように気をつけながら帰った。


家に着いて重箱を開けてみた。黒豆、栗きんとん、伊達巻、八つ頭の煮物、きんぴらごぼう、田づくり、お煮しめ、錦卵、数の子、昆布巻きなどがぎっしり詰められていて、そのどれもが手作りに見える。母が仕事で忙しい美戸の家では、おせちは買って来るものだった。


これは食べきれないね。あとでリンちゃんのところに持って行くか。 佐藤くん、私が一人暮らしなの家の人に言ってないんだな。美戸は苦笑した。幸太の母親はアレだが、幸太の祖父母に会うと心が暖まる。


夕食は、年越しそばを作って食べた。風呂に入って、ぼんやりテレビを眺める。テレビにも飽きてベッドに入った。


どこからか除夜の鐘が聞こえる。佐藤くんに新年の挨拶のメール送ろうかな。でも佐藤くんは早寝だって言ってたから、もう寝てるよね。明日の朝送るか、いやもう今日か。


今年も楽しい年になるといいな。美戸は眠りにつくのだった。

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