第2話

 朝比奈あさひな将市しょういちは、川之辺高校三年二組に在籍する優等生だ。


 入学以来、定期考査の学年順位は三位より下ったことがない。

 すらりと背が高く、中学時代まではサッカー部に所属していたという。

 鼻筋が通った面立ちは、美術のデッサン彫刻のようで、目元が涼しい。

 父親は開業医で、古木野町北区にある病院を営んでいる。


 身近な友人は、彼を「ショウ」「ショウ」と呼んでいるそうだ。

 しかも将市と真雪は、父親同士が懇意こんいな間柄で、二人も所謂いわゆる幼馴染同士だ。

 互いに自宅が北区にあって、どちらも高台の図書館を好んで利用していた。


 ちなみに同じ地域には、晴彦の祖父も長年居宅を構えている。

 おかげで過去に時折、将市と真雪の関係を伝え聞く機会があった。


 ……実のところ、そうした諸要素のせいで前々から、

「朝比奈将市と華原真雪は、密かに交際しているのではないか」

 という憶測が、川之辺高校の生徒の中には存在していた。

 双方共にせまい田舎町の有名人で、似合いのカップルに見えたからだ。




     〇  〇  〇




まことしやかにささやかれていた件は、事実だった可能性が俄然がぜん高くなったわけだ」


 京也は、証拠をつかんだ刑事のように言った。


「かねてより華原さんは、三年の朝比奈先輩とつつましい交際を続けていた。でも何らかのすれ違いが生じて、破局してしまったってところだろうな」


 その日の昼休み、晴彦と京也は連れ立って学食へやって来ていた。

 窓際のテーブルに差し向かいで座り、各々が注文した料理を食べている。


「しかし華原さんの失恋は気の毒だが――」


 冷やし中華の麺をすすりつつ、京也は力説した。


「むしろ、これはオレにとっての好機チャンスだとも言える」


「……あの子の不幸が、どうして好機になるんだい。不謹慎じゃないか」


 晴彦は、A定食の唐揚からあげをかじりながら、眉をひそめた。


「まあ、待てよ晴彦。物事の在り様を、あまり急いで決め付けちゃ損だぜ」


 京也は、あたかも達見たっけんさずけるように言う。


「朝比奈先輩と華原さんは別れた。すなわち、我らがうるわしの令嬢は、特定の交際相手を持たない状態に復帰なさったわけだ」


「まだ交際していた二人が別れたとは限らないだろ。華原さんの片想いで、朝比奈先輩が告白を受け入れなかったという話かもしれない」


「それは否定しない。だがどっちにしたって、華原さんは心に傷を負ったんだ」


 晴彦には、やはり級友が悪趣味なことを考えているようにしか思えなかった。

 しかし日頃親交があるよしみで、あきれつつも「それで?」と先をうながす。


「無論、これは華原さんと親密になるいい機会ってことさ。まずはそれとなく近付き、包み込むように失恋をなぐさめる。次いで、ひたすら好意を伝えるんだ。華原さんは今、きっと支えを失っているはず。そこで弱みに付け込む――じゃなくて、さびしさをいやしてあげようってわけだ」


 こいつは期待を裏切らないやつだな、と晴彦は妙に感心した。

 かくも低俗な着想を嬉々として語る友人は、他に知らない。


「君に女子を慰めるような包容力があったなんて、今初めて知ったよ」


「いつも心にゆとりがあることにかけては、誰にも負けない自信があるんでね」


「そのゆとりは、将来に有益な行為に割り当てるべきじゃないか。真面目に勉強するとか」


「もし華原さんとお付き合いできるようになれば、それも将来立派な財産になると思うぜ」


 何を言っても、京也は悪びれない。

 どうやら本気で、真雪に接近する腹積はらづもりらしかった。

 そうして、あわよくば恋人の座に納まろうとしている。



 だがそれにしても、なぜ目論見もくろみをわざわざ晴彦に打ち明けたのか。

 懐疑の念を抱いていてみると、京也はにやりと笑みを浮かべた。


「そりゃ友人だからさ。晴彦にはきちんと断っておこうと思ったんだ」


「話が見えないな。僕になんてかまわず、華原さんに告白でも何でもすればいいじゃないか」


「抜け駆けされても、文句はないっていうのか。我慢がまんで見栄を張るのはよくないぜ」


 京也は、冷やし中華を平らげると、テーブルの上にはしを置いた。


「わかってるんだよオレは。おまえだって、華原さんに気があるんだろ?」


 晴彦は、返答にきゅうし、目を横へ逸らした。

 指摘された通り、華原真雪を憎からず思っていたからだ。

 それどころか、過去には趣味を通じて交流するたびに「自分も彼女と親密になれる可能性があるのではないか」などと、夢想したことさえあった。


 真雪が朝比奈将市と恋仲にあったという話も、まだ心の中では受け入れられていない。

 たしかに両者が言葉を交わしているところは、晴彦も何度か町立図書館を訪れた際に見掛けた経験があったけれども。それだけで信用しろと言われても、納得できなかった。


 晴彦が少し口をつぐんでいると、京也は満足そうにうなずく。


「なあ晴彦。お互い同じ女にあこがれる男なんだ、ここはひとまず協力しようぜ」


「いったい京也とちからを合わせて、何をしろっていうんだい」


「華原さんが失恋した件について、もう少し詳しく調べておきたいんだ」


「詳しく調べるって……この件をぎ回って、どうするつもりさ」


「大した深入りしようってわけじゃない。ただいくつか知っておきたいことがあってね」


 京也は、いかにも鷹揚おうような物腰で、両手を左右へ広げた。


「オレが気になるのは、朝比奈先輩のことなんだ。わりと変わり者だそうじゃないか」


 その風変りな先輩と文学好きな令嬢の関係について、京也は裏を取っておきたいという。


「やっぱり、本当に先輩が華原さんを振ったのかどうかは、念のために確認しなくちゃな。今後あの子に言い寄るにしても、そこがはっきりしなけりゃ気が引けちまう」


 だから京也は、将市から事情を訊き出そうと考えているわけだった。

 同じことを真雪にたずねるのは、これから口説こうとしている相手なので都合が悪い。

 一方で将市は、噂通りなら別れを切り出した側だし、真雪よりはくみしやすいと見たようだ。


「華原さんの失恋が確定したあとは、どっちが先に彼女に告白したとしても恨みっこなしだ」


 京也は、一方的に条件を定めて続けた。


「でも調べ事するなら、それまではオレも信用できるやつと行動する方が心強い。何しろ三年生の先輩に恋愛事情を聞き出そうっていうんだからな。……もしも相手の機嫌を損ねたのに、逃げ出せないような状況に直面したら、味方が居ないのは気まずすぎる」


「だから僕にも、朝比奈先輩と一緒に会えってこと?」


「華原さんがちゃんと独り身かどうか、おまえも気にならないわけじゃないだろ」


 何を今更、と言いたげに京也は決め付けてきた。


 晴彦は、面倒めんどうなことになったようだと思いつつ、味噌汁みそしるわんに口を付けた。

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