夏の日と恋の在り処

坂神京平

第1話

 七月も中旬に差し掛かった頃――

 教室は朝から「昨日、華原かはら真雪まゆきが失恋したらしい」といううわさで持ち切りだった。



 華原真雪は、川之辺かわのべ高校の有名人だ。

 長い黒髪と白い肌がはかなげな印象の女子生徒で、目鼻立ちも整っている。

 学業成績は、つい先日実施された定期考査で、二年生の首席だった。

 父親は「華原建設」という総合建設会社の社長を務めている。

 古木野こきの町でも有名な金持ちのお嬢様と目されていた。


 ただ性格には淡泊なところがあって、愛想がいいわけではない。

 彼女が在籍する二年一組の中にも、仲がいいと言えそうな級友クラスメイトは少なかった。


 授業の合間の休憩時間には、大抵一人で読書していることが知られている。

 自宅の近所にある図書館でも、しばしば放課後に日暮れまで本を読んでいると評判だった。

 駅前の書店では常連客で、慢性的な活字中毒をわずらっているらしい。


 真雪が好んで読む本には、古典文学が多い。

 志賀しが直哉なおややドストエフスキーの小説を、文庫本で携帯しているところが目撃されている。


 こうした特徴を踏まえ、真雪を「容姿端麗な文学趣味の令嬢」と見做みなすことは、やや戯画ぎが的な人物評のきらいはあるものの、それほど的外れとも言えなかった。

 少なくとも知的な美貌は、周囲の浮薄ふはく揶揄やゆから彼女を守っている。

 親しい友人が多くないことは、決して爪弾つまはじきにされているせいではなく、孤高な少女だからと考えられていた。



 だからこそ今回の失恋にまつわる風聞ふうぶんは、皆の驚きと関心を呼んだ。




     〇  〇  〇




 同じ教室に在籍する藤川ふじかわ晴彦はるひこも、噂話に愕然がくぜんとした級友の一人だ。


 晴彦は、川之辺高校二年一組の中でも、真雪と交流を持つ数少ない生徒だった。

 互いに趣味が読書で、好む本の種類にも共通点があったからだ。


 晴彦が最初に噂を耳にしたのは、朝方に登校した直後である。

 自分の席に着くと、よく知る男子生徒が近付いてきて、話題に持ち出したのだ。

 晴彦と日頃から親交のある、楢橋ならはし京也きょうやだった。陽気で人懐ひとなつっこい性格の級友だ。

 まだ始業までは時間に余裕があって、真雪の姿は教室の中に見当たらなかった。


「いやあ、それにしてもびっくりしたよな」


 京也は、鼻をひくつかせながら言った。


「まさか、あの華原さんがいつの間にか失恋していただなんてさ」


「たしかに事実なら僕も同感だけど、噂の出所でどころはどこなんだい」


 晴彦は、ちょっとそわそわしながらいた。

 降って湧いたような話に感じられ、いぶかしまずに居られない。


 だが京也は、信憑性しんぴょうせいの点なら、疑わなくても間違いないと断じていた。


「昨夜メッセージアプリで、うちのクラスの女子から回ってきた話なんだ」


 情報提供者は、普段グループトークでやり取りしている級友のようだった。

 真雪と特段親しくもない女子だが、虚言きょげんろうする人物ではないそうだ。


 その級友が昨日の夕方、北区の高台付近を通り掛かった際に真雪と偶然行き会った。

 当時の真雪は、図書館から帰宅する途中で、坂道をさびしげに歩いていたらしい。

 そこで声を掛けて、元気がないがどうしたのか、と問いただしてみたわけだ。

 すると、思いも寄らない答えが返ってきた。



 ――私、失恋したの。ショウちゃんに振られちゃった。



 真雪は、心ここにらずといった様子で、ちいさくつぶやいたという。

 もしかすると本人も話す意思のない言葉を、無意識に吐露とろしてしまったのかもしれない。

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