第14話 バーンハルト軍 土氣将軍副官 戊己

兄弟子である三太夫は、封魔の頭領である小太郎の嫡男であり、正東風の実兄に当たる。

背が高く、屈強な体格に恵まれ、浅黒く焼けた顔から時折垣間見える真っ白い歯がコントラストを引き立てていた。


「魔族が里の近くまで来ている気配がした。お主も感じ取ったのか」


歩きながら、三太夫が唐突に猪助に問うた。


「ええ、出先の村で魔族の匂いを感じました」


半歩後ろを歩く猪助が三太夫の背中越しに答えた。


「恐らくは父上が昔戦った奴らが動き始めたと見える」


先ほどまで白い歯を覗かせていた三太夫も、神妙な面持ちで口を一文字に締めた。


それから、お互いに口を閉ざしたまま歩き、三太夫と猪助は、先に小太郎の屋敷に飛び込んだ正東風を追うように屋敷に入った。


「三太夫殿、お帰りなさいませ」


小太郎の屋敷で働く下女のゆきが玄関前でかしこまり三つ指を立てて迎えた。


雪は立ち上がると猪助に向かい合い、軽く微笑んでちょこんと頭を下げた。


猪助と雪はお互いに孤児である。

同じ時期に、封魔の里外から小太郎に救い出されて、育てられた。

同じ境遇であった二人は、自然とまるで兄妹の様な絆で結ばれていった仲であった。


「雪、頭領は居られるか」


猪助が口にした。


「奥座敷にて正東風様とおられます」


雪が即座に答えた。


三人が雪を先頭に木板の廊下を歩く。


夕暮れの終わり、薄暗くなった中庭を通り過ぎ、奥座敷と廊下を仕切る障子越しに

雪が中にいる小太郎に伺いを立てた。


「旦那様、若様と猪助殿が戻られました」


「通せ」


中から落ち着いた声が返ってきた。


雪が仕切りの襖を開けようと手を伸ばし始めた時、三太夫の太い腕がいち早く襖に手をかけて開け放った。


「父上、三太夫が仰せつかりました任務を終えて先程、里に戻りました」


奥座敷では、掛け軸がかけられた床の間の前に凛として座する小太郎とその横で正座をして入ってきたばかりの三太夫を見上げる正東風の姿があった。


「三太夫か、大義であったな」


小太郎は三太夫の顔を凝視して静かに答えた。


三太夫の後を追う様に、猪助が座敷に入り正座をして小太郎に向かい深々と頭を下げた。


「月風猪助、親方様に仰せつかった偵察の任務途中でございましたが、里に戻れとのご伝言を正東風殿より頂戴し、急遽、里に戻ってまいりました」


「猪助よ、そなたも此度の働き大儀であった。途中で呼び戻したのは他でもない…

お主たちも感じ取っておることであろうが、20年前にこの世界を恐怖に落とした奴らが

動き始めた様じゃ」


猪助の顔が引き締まる。


閉じられた襖の先では、雪も唇を噛み締めていた。


「魔族じゃ、20年前のカーコウ村の事は覚えておるな、猪助には辛い話になるがの」


小太郎は猪助の顔をじっと見つめた。


「親方様、私は当時5歳の稚児ちごでございました故、何も覚えておりませぬ。拙者が唯一覚えておりまするは、親方様に古いかめから救い出されたことだけでございまする。お心遣いは無用でござりまする」


顔を畳に近づけたままで、猪助が静かに答えた。


しかし、猪助の胸中はもう胸がいっぱいになるほどであった。


先刻、里への帰り道にも、父母と過ごした最後の場所であるカーコウ村での出来事を思い出したばかり。何度も同じ話を聞くことで、猪助自身の心の闇がより一層深くなりそうな思いでいっぱいであった


しかし小太郎は、そんな猪助の心を知っているか知らずか、話を切り出した。


「そうか…、今までお主たちには20年前の魔族との戦いを折に触れては話をしてきたが、もう一度話そう」


小太郎が猪助の顔から目を外して、意を決した様に言う。


「20年前のカーコウ村での魔族バーンハルト軍の夜襲。そして、哀れなるカーコウ村の村民たちの大虐殺。目を覆う出来事であった。わしは隣村であるカーコウ村の魔族夜襲の一報を偵察部隊から聞き、すぐに身支度を整えて、当時のわしの手下30名ほどを引き連れ、カーコウ村へと進軍を始めた。わしらがカーコウ村に到着したのは、すでに日が昇り、村の惨劇が眩しい朝日に照らされた頃であった」


小太郎は膝の上に置いていた手を離して、そっと腕組みをした。


「カーコウ村は壊滅状態であった。生き残りは…猪助よ、お主だけであった。

わしらは生き残った猪助を連れて、奴ら魔族の足取りを追った。

カーコウ村を出た奴らは、カーコウ村からほど遠くないハウ村に向かった様だった。

我々がハウ村に着いた頃、奴らは村を襲い、ハウ村も壊滅寸前の状態であった」


小太郎が昔を思い出しながら、淡々とした口調で話しを続けた。


「父上、それで奴らとは一戦交えたのでございまするか」


三太夫が合いの手を入れた。


「ああ、もちろんだとも。すぐさまわしらは村に侵入し、村の家々を焼き討ちにしていた奴らの本体に攻撃を仕掛けた。村を焼き討ちにしていた奴らは、バーンハルトの側近である五行将軍ではなかった。カーコウ村を壊滅に追い込んだ土氣将軍イシャの姿は無く、指揮をしているものはその側近である副官の戊己ぼきと名乗った魔族であった」


いつしか襖の向こうで聞き耳を立てていた雪も身を乗り出して小太郎の話を伺っていた。


「戊己は、ハウ村で1番大きいと思われる屋敷の前で焼き討ちをしようとしている最中であった。その屋敷の者たちは、戊己の前にひざまずかされ横に並ばされておった。そして、その中に母親に抱かされておったまだ小さい頃の雪がおったのじゃ」


小太郎が襖の方にチラッと目をやった。


「雪を抱いた母親は、一生懸命に子供の命だけは助けてくれと懇願しておった。わしは、すぐさま手下の者10数人と共に戊己の背後を襲った。しかし、我々の攻撃に気づいた戊己は捕らえた屋敷の者を、手下に命じて次々と惨殺し始めたのだ。わしは、雪を抱いた母親の元に一目散で駆けつけた。しかし、幼い雪を抱いたまま、その小さい身体に覆いかぶさるように母親は戊己の刃を受けて瀕死の状態であった。戊己はなおも母親の背中にとどめを刺そうと剣先を向けていた。わしは太ももの横に携えていた封魔大輪手裏剣ふうまたいりんしゅりけん 巽為風そんいふうを戊己めがけて放った。わしの手から離れた巽為風は円形の縁から数枚の刃を出現させて変形し、戊己の体めがけて勢いよく飛んで行った」


小太郎の話にじっと耳を傾けていた三太夫が固唾を飲んだ。


「戊己は飛んできた巽為風をすんでのところで見切った。すぐさま、わしは母親の横に駆けつけた。戊己はわしの元に戻ってきた巽為風を見るや否や戦力の差を感じて一目散に背を向けてわしの前から遠ざかった。そして、母親は最後の力を振り絞って、幼い雪をわしに託し絶命したのだ」


小太郎の耳に襖の奥から雪がすすり泣いている声が聴こえた。


「雪の親御もイシャの手下にやられたのでござったか」


猪助が目を細めた。













  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

八卦兵 仏眼と千握り @butsugan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ