第5話

「ここか」


 駅前にある小さなビルにやってきた。地図を見た感じだと、ライブハウスは恐らくここだ。一見普通のビルにしか見えないが、窓の奥には幾つかギターが立てかけられているのが見えた。周辺に溶け込む外装と違い、窓から見える楽器達の醸し出す、独特な空気が外に漏れだしている。

 少し入りにくかったので、ドアを開けるかもう少しギリギリまで待とうか迷ったが、入らないと何も始まらないので、俺はドアを開けた。手前は休憩室のようになっていて、机を囲むようにソファーと椅子が置いてあった。自販機も置いてあり、奥に受付があった。

 俺の持っているチケットは、引換券で受付で引き換える必要がある。なので早速、受付に引換券を持っていった。

 受付には金髪に染めている男性がやる気のなさそうな顔をして座っていた。


「あの、これなんですけど」


 俺の声を聞いて、受付の人が俺の持っている引換券をちらと見て言った。


「へぇ。知り合いか」


「あ、まあ」


 目の前の店員は、今度はじっとみて、意外そうな表情をした。


「いやぁ、びっくりしたんだよ。いつもそんなことしない癖に、急に一人分チケットを取ってくれないかって言われたからな。普通ならあまり用意しないんだが、理由でもあるのかと思って、用意しておいた」


 理由……。別に、そうまでして呼ばなくても良かったんだが。


「なんか、すみません」


「謝んなくていいよ。ま、楽しんでよ。あいつら、演奏凄いからさ」


 その人は自信ありげに言った。


「はい。楽しみです」


 俺は、それだけ言って、渡されたチケットを持って、エレベーターに乗った。

 有名な歌手だとか、アイドルのライブも行ったことのない俺の、初めて行くライブが知り合いのライブか。

 偏見かもしれないが、バンドのファンって結構アクティブなイメージがある。走ったり、頭振ったり、飛び込んだり。そこの仲間入りは出来そうにないし、端っこで静かにしてようと決めた。


 目的の階に着いて、エレベーターから降り、目の前の扉を開いた。

 教室より広いくらいの、思ったより大きめの部屋だった。前方にステージがあり、そのステージの上方には照明がたくさんくっついていて、椅子はなく、申し訳程度に手すりが置いてあるくらいか。観客は既に多くが集まっていて、ステージの近くになるほど人が固まっていた。見た目が高校生くらいの人が目立つ。俺と同じ高校の人もいるようだった。

 あの中には、入りづらい雰囲気だ。何せ、男子が少ないからな。

 そろそろと、人混みを通り端のほうに逃げた。


「もうすぐか」


 開演時間に近づき、会場のテンションは徐々に上がっていく。ここ近辺の学生内で噂になるだけあって、学生が多いので、余計に活気で溢れている。俺はその雰囲気を何となく感じながら、開演時間を待つことにした。

 

 それにしても、これだけの人数に注目されるには、かなり努力をしたのだろう。

 中学生の頃にどれだけ苦難があったのだろうか、そして、どう乗り越えてきたのだろう。受付の人とも仲は良さそうだったし、信頼されているのだろう。そこまでの過程にはそれこそ沢山の壁があったはずだ。それを乗り越える努力なんて、到底俺には出来そうにない。


 開演時間になると、辺りは静寂に包まれた。会場全体は暗くなり、観客はまだかまだかと胸を踊らせている。暗闇の中で、緊張とはまた別の、胸の高鳴りが聞こえた。そして、再びライトがつくと、ステージ上には3人の少女が立っていた。


「いっくぞー!」


 愛風の元気な掛け声と共に、ドラムがカウントを取った。

 

「すっげ……」


 初めて見たライブは圧巻だった。空気を割るようなギターの音と、それに呼応する観客の熱狂。その衝撃は天井をも突き抜けた。

 演奏を聴き、観客がはしゃぎ回る。誰もが音楽を聴きノリノリになって体を動かし、楽しそうだ。

 バンドの技術なんて、ギター始めたての初心者には上手いかどうかなんて分からない。でも、それが凄いことなんだ。ということはひしひしと伝わってくる。そんな演奏だった。

 きっと、ギターが、バンドが、楽しすぎて堪らないのだ。学生生活からバンドを取ってしまったら何もかもが崩れ去るような。そのくらい、好きなのだろう。

 何曲歌っても、その3人の真剣でそれでもって楽しんでいる笑顔は崩れることは無い。


(音楽、始めようよ)


「え?」


 なぜか、河原で聞いた一言がフラッシュバックした。なぜかは分からない。けど、なんだろう。


「なんだ、これ」


 唐突に、息苦しいような感覚を覚えた。そして、今までの記憶の断片が、継ぎ接ぎされて浮かび上がってきた。

 偶然出会って、話した記憶。ギターで遊んだり、何もせず河原に座った記憶。多分、高校を終えて、未来が訪れたとしても、絶対に思い出として記憶から消えることは無い。いつまでも残る。そして思い出すだろう。

 

 じゃあその過去に繋がる未来は、これからはどうすればいい? 天町さんの未来に、俺は関わろうとしている。俺はこれから天町さんとどう付き合っていけばいいのだろうか。愛風さんとも関わって、このままバンドの問題を静観できるのだろうか。俺は、このままでいられるのだろうか。


「分からない」

 

 唐突に口に出た言葉は、そんな一言だった。その一言と共に、俺は現実へと戻ってきた。丁度、現実では夢と思い出を綴るような歌詞が聞こえてきた。

 色とりどりの光が飛び交う世界で、隅に一人、取り残されたような気分だ。虚しいような、自分が抜け殻になったような気分。途端に何となく書いていた自分の小説も、歌詞も、馬鹿らしく見えてくる。

 現実はいつだって自分に厳しい。いくら良いことがあっても、その後はどう足掻いても、必ずマイナスまで落とされる。山があれば谷がある。それは地形に限らず、人生にも当てはまることだ。俺の人生は今、どうしようもなくマイナスへ向かっているんだ。

 天町さんと出会って、愛風さんと出会って、俺は勘違いをしていた。所詮、自分の本質は何も変わっちゃいない。

 

「……天町さん。俺、どうすればいいんだろうね」

 

 その呟きに、誰かが振り向いた気がしたが、俺は何も気にせず、エレベーターに乗った。

 重い扉がゆっくりと開き、歩みは止まらず出口へと向かった。


「おい、まだライブの途中だろ?」

 

「ちょっと、用事思い出して」


 店員からの声を適当にあしらって、外へ出た。こんな、悩み事が出来た時に限って、夜の空はいつだって綺麗だ。俺を落とすなら最後まで突き落とそうなんて魂胆か。生憎、俺の谷は底なしで、奈落さえもありはしない。

 かすかに聞こえる愛風たちの演奏が、今では鬱陶しい。だから俺は耳を塞いで駆け出した。周りからは奇異なものを見る目で見られているのだろうか、でも今はそんなことに構う暇などなかった。

 肺の空気を絞り出したんじゃないかってくらい走って、走って、それで限界になり公園で休んだ。

 ベンチに座り、深呼吸をして息を整えた。

 ――このまま家に帰らずにいたい気分だ。一日帰らなかったら、親は心配するだろうか。そこまで本気でオールするわけではないから、少ししたら家に帰るけど。

 

「江草くん」

 

 突然、聞きなれた声が耳に飛び込んできた。

 そして、視界にひょこっと現れたのは、天町さんだった。


「汗凄いね、運動? っていう格好でもないけど」


 そういえば、気温のことをすっかり忘れていた。まだ、日が落ちた訳では無いし、日中の余熱がまだ残っている。

 もう少し、涼んでから走ればよかった。

 

「いや、ちょっとね。それより、天町さんは?」


「私も、ちょっと外歩こうかな〜、みたいな」


「あんまり、一人で歩くのは危ないんじゃないか?」


 治安が悪いわけではないが、少し不用意な気がする。駅とかは色んな人がいるし。


「まだそんな時間じゃないよ。それに、そんなに暗いところ通らないし」


 そう言って、天町さんは俺の隣に座った。


「歌詞は順調?」


「まあまあ。でも完成度っていうか、なんか面白みがなくて、悩んでるんだよね」


 浮かんでくる言葉を何となく書いてたが、どうしても中身がない気がする。歌詞を作り慣れていないだけだとは思うが、それでも自分の書いたものじゃない気がして、少し気味が悪かった。再三聞いたアドバイスも、役に立ったのかどうか、正直分からない。


「ちょっと見せてみてよ」


「え〜……」


 あれを見せろと。俺が歌詞を見せるのを躊躇っていると、天町さんは言った。


「それなら。書き直してみたら?」


「書き直す?」


「私に見せられるようになってから持ってきてってこと」


 天町さんはにこっと笑って言った。


「まあ、確かにそれがいいとは思うけど」


「見せられないものじゃ、面白い曲が作れないでしょ? 皆に見せたいって思うような曲じゃないと」


 そういえば、小説も同じようなものだろうか。自己満足で書いている間は、人に見せたいだなんて思わなかったが、何となく文章が書けるようになるにつれて、サイトに投稿するのも面白くなっていった。だから、理解できなくはない。


「見せたくなる歌詞、ねぇ……」

 

 黒歴史代表といえば、一番最初に思い出すのはポエムだとか、詩についてが多い。俺も、初めて書いた小説には目を背けたくなる。因みに、2番目は言動だ。

 つまり、今俺の書いてる歌詞がそれに近い。見せたくなるような歌詞なんて、いつ書けるようになるのだか。


「伝えたいことを書けばいいんだよ。誰でもいいし、何でもいい。俺は遊ぶのが大好きだぞーっみたいな歌詞でも、家族が好きだっていう歌詞でも、こんなの大っ嫌いだ〜っていう歌詞でも、伝えたいことを歌詞にしてみると、中身があるように聞こえてくるし、人の心を動かせる」


 人の心を動かせる。その言葉が、やけに響いて聞こえてきた。


「そんなもんか」


「そうだよ。単純に考えて、ストレートに。深く考えるのは暇なときでいいんだよ。私が考えて行動するのが苦手なだけだけど」


 てへっと、舌を少し出して言った。

 天町さんといると、安心感がある。自分の未来はまだ続いていく。そしてその先が知りたくなる。


「分かった。じゃあ、もう少し考えてみるよ」


「それがいいと思うよ。期限なんかないし、もうすぐ夏休みだから時間は沢山あるよ。納得するまでずっと書き直すのも意外とありかもね」


「そんなに書き直すのはなぁ……。まあ、俺なりに頑張ってみるよ」


 そう言うと、天町さんは満足そうに笑った。


「よかった。ちょっと元気になった」


「ちょっとかよ」


「だって、元気無かったもーん」


 天町さんは勢いよく立ち上がって、俺の前に立った。

 少しウザったい。俺の機嫌が直ってきたと気づいた瞬間、調子に乗ってきた。でも、いつもと違う雰囲気のままだと調子が狂うし、これはこれでいいのかもしれない。

 

「急にどうかした?」

 

「どうもしてないよ。それじゃ! 早く帰るんだよ!」


 天町さんは弾むように走り、その影は小さくなっていった。

 天町さんは自由だなぁ。この時間、何をしてたかは知らないが、外を歩いて、俺を励ましに来たのかと思えばすぐにどこかへ行ってしまった。

 でも、元気を貰えたし、これからやることも増えた。

 まずはちゃんと愛風さんに謝っておこう。せっかく呼んでもらったのに途中で帰ってしまって、少し申し訳ないことをした。

 そして、もう一度詩を書き直そう。今度はちゃんと自分の気持ちを、想いを書こう。漠然として思いつかないし、どんな歌詞になるかは全く分からないけど、それが分かれば、前よりいい歌詞が浮かぶはずだ。

 俺はベンチから立ち上がり歩いた。そして、少し暗くなってきた公園を出た。足は疲れていたが、体は少し軽くなっていた。




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