13.ディルニスト家へ

 両親の墓参りを終えたマルスは、いつもの街外れの森に向かっていた。昼下がりの木漏れ日が眩しい森の中を、決意の滲んだしっかりとした足取りで進んでいく。


 洞窟から戻ってきた時、三人はいつ集まろうとは約束していなかった。だが、特別な事情が無い限り、三人はいつも昼下がりの時間に決まって会うようにしていた。

 そのため、いつもの時間に行けば二人に会えるだろうと、マルスはこの時間に集合場所――洞窟探検の際に集まった木々の開けた場所――を目指していたのだ。


 二人の、特にまだ聞いていないアイクの答えが早く聞きたいと思い、マルスは足早に駆けていく。前のように途中で近道をして、ようやく例の集合場所に辿り着いた。

 だが、いつものように彼よりその場に早く来て待っていたのは、パルだけだった。

 彼女もマルスと同じように、幾らかの荷物を持っていつでも出発出来るといった様子だ。


「パル、待った?」


「ううん……。さっき、来たばっかり……」


 パルは小さく首を横に振る。

 彼女の隣に、いつも口うるさいアイクの姿は無かった。


「……あれ、アイクは?」


 アイクに文句を言われるのは癪だが、いないと心配に感じてしまう。


「まだ、来てない……」


 マルスの問いに、再度小さく首を横に振ってパルは答えた。


「ねえ、アイクを迎えに行かない? アイクなら、きっと行くって言うと思うから」


 何かと疎いマルスだが、アイクの家の事情はきちんと心得ている。だから、普段ならば彼の不在時にわざわざ彼の家まで押し掛けるような真似はした事がない。

 それでも、今日は、今は、行かねばとマルスは思った。


「いいよ……」


 パルはこくりと頷いてそう答えた。彼女もまた、マルスと同じ事を思っていた。

 そして二人はアイクの家――ディルニスト家の屋敷を目指して二人は歩き出した。


 ディルニスト家の屋敷は、商業区や居住区を抜けた先、グラドフォス王城に最も近い区画であるアリストノーブル街――庶民には専ら貴族街と呼ばれている――にある。

 森を抜けた二人は、そのアリストノーブル街へ向けて居住区を進んで行き、アリストノーブル街と居住区や商業区を繋いでいる噴水広場に出た。


 広場の中央にある立派な噴水からは、何とも心地よく涼しげな音を立てて水が噴き上げられ、下へ落ちていく。端の方にある建物によって出来た日陰の下では、行商人達が様々な露店を開いている。

 噴水広場は水の音に、客寄せの声や値下げを交渉する声、噴水の周囲を駆け回る子ども達の声で実に賑やかだった。


 何を喋るという事も無く歩くマルスとパルの耳には、それらの音や声がよく響いていた。

 パルは元よりあまり自分から話しかける方では無いものの、マルスが何も喋らずにいるのは珍しい事だった。

 どうやら、何から話そうか、何を聞こうかという考えが上手くまとまっていない事が、彼の口を閉ざしていたようだ。


 普段の彼ならば、あまり考え無しに話題を投げ掛ける事がほとんどなのだが、今日ばかりは今後の自分に、自分達に深く関わる事であるため、それが憚られていた。とはいえ、沈黙が苦手なマルスは早く何か喋らねばと変な焦りを感じていたのだが。


 マルスが頭を悩ませている内に、二人は噴水広場を抜けて貴族の立派な屋敷が建ち並ぶアリストノーブル街へ足を踏み入れた。

 その時、ふと黙って歩いていたパルが口を開く。


「ねぇ……マルスは、どうして旅に行こうって、思ったの……?」


 顔は前に向けたまま、パルはそう尋ねてきた。

 先ほどから沈黙が耐え難く感じていたマルスは、彼女に話しかけられた事で、息苦しさからようやく解放された気分だった。

 息をついて顔を綻ばせつつ、マルスは後ろ頭を軽く掻きながら彼女の質問に答える。


「オレさ、バカだから、勇者だとか世界の命運がどうとかってのはまだ理解しきれてない。でも、パルと同じで、オレ達にしか出来ない事なら行こうと思う。それに……」


「それに……?」


「兄さんを探しに行ける絶好の機会だって思ったんだ」


 マルスは頭から手を離して、空を見上げた。空の青を見つめながら、兄の姿を思い浮かべる。


「オレ、大きくなった。戦えるようにもなった。もうあの頃の無力なオレじゃない。だから……」


 空を見上げて答えるマルスの横顔は、いつになく真剣で、どこか大人びてすら見えた。海のような深い青色の瞳は、太陽の光を受けて煌めいている。

 彼の横顔から、パルは彼の決意を感じ取っていた。幼い頃から一緒にいて彼をずっと見てきたパルだったが、このような表情を見るのは初めてだった。

 初めて見る彼の表情を眩しげに見ながら、パルは微笑みをこぼす。


「うん、そうだね……。私も、カイル兄に会いたい……」


 そう言うと、パルも空を見上げてマルスの兄の姿を思い浮かべる。

 パルもマルス同様に、国家間の戦争で両親を亡くしていた。

 ひとりぼっちになってしまったパルの面倒を、マルスの兄は見てくれた。本当の家族同様に接してくれた。

 だからこそ、マルスの兄は彼女にとっても大切な人なのだ。勿論、二人の幼馴染みであるアイクにとってもそうだった。


「兄さんを見つけたら、一緒に旅出来るといいなぁ。兄さんがいれば、きっと悪い神様だって倒せそうだよね」


 ややおどけた口調で言うマルスの声は、それほど大きいわけでは無いが、厳かな雰囲気の漂う静かなアリストノーブル街に響く。


「私も、そう思う……。あとは、アイクだね……」


 小さく頷いたパルの言葉と同時に、二人はアリストノーブル街のとある一軒の屋敷の前で足を止めた。その屋敷は、貴族が住むアリストノーブル街のどこの屋敷よりも大きく、立派な造りをしている。

 それこそがアイクの実家であるディルニスト家の屋敷だ。

 以前にも記したが、ディルニスト家とは、代々グラドフォス騎士団の長を務める騎士の名門家である。


 門柱に向き合うように置かれている、馬に跨がり勇ましく剣をかかげている騎士の像が守護しているかの如く、厳かな雰囲気を漂わせる門に二人は近づいていく。


「おい、お前達何者だ! ここはディルニスト家の御屋敷だぞ! 庶民の立ち入って良いところではない!」


 門の先へ一歩足を踏み入れようとした時、突然二人は見張りの門兵に呼び止められた。「帰れ」と言わんばかりに眉間に皺を寄せ、ブーツに付いた金具をカチャカチャと鳴らしながら門兵は二人に歩み寄ってくる。


「あ、えっと……オレ達は……」


 帰れと目で訴えてくる門兵に、どうにか中に入れてもらえるようマルスが説明しようとする。

 その時だった。


「ふざけるなッ!!」


 突然、屋敷の中から男の怒声が響いてきた。

 急に聞こえた大声と、その怒鳴り声に含まれた声の主の怒気にマルスもパルも、門兵すらも思わず肩を竦めた。


「な、なんか揉めてる……?」


「アイクのお父さんの、声……」


 二人は門兵から屋敷に視線を移す。

 どうやらその怒鳴り声はパルが言うように、アイクの父親のものだった。国の祝い事や祭典などで演説しているのを何度か聞いた事があり、二人はその声を知っている。ただ、怒鳴り声を聞くのは初めてであった。

 その怒鳴り声から、二人は何となく怒りの矛先を向けられているのはアイクではないかと思った。


「お願いします、おじさん! ここを通してください! オレ達、アイクの友達なんです!」


 早くここを通してくれ、とどこか慌てた表情でマルスは兵士に懇願する。

 父親には反抗しない、と言うよりは出来ないアイクの事だ。このままだと父親に言いくるめられて、旅に出る事はおろか彼自身の答えを聞けないまま別れねばならないかもしれないとマルスは思った。


「アイク様の友達だと? 冗談なら他所で言え。ここは通さんぞ」


 門兵はますます訝しげな目でマルスとパルを睨み付けた。

 まるで聞く耳持たずの門兵に、マルスはこれ以上何を言っても通じなさそうだと薄々感じ始め、もういっそ庭や窓から侵入しようかとすら思い始める。


 二人と門兵が水掛け論を繰り返している時、ふと二人の後ろを通りがかろうとした者の姿があった。その人物は、二人の姿を捉えると足を止めて声をかけてくる。


「おや? マルスとパルじゃないか」


 不意にかけられた声に二人は門兵との話を中断して振り返る。

 二人の後ろから声をかけてきたのは、がっしりとした恰幅のいい体つきをした中年の男だった。口周りに深く出来ている笑い皺が、普段から彼が笑顔の絶えない明るい性格である事を感じさせる。


「あっ、レダス少佐! お久し振りです!」


「こんにちは……」


 その男の事を知っていた二人は、彼に軽く頭を下げて挨拶をする。二人の後ろでは門兵がぴしりと姿勢を正し、左胸に拳を当てて敬礼していた。


「ははは! 少佐なんてよせ、マルス! 前みたいに『おじちゃん』で構わんぞ」


 豪快に笑いながら、男はマルスの肩を叩く。

 彼はグラドフォス騎士団の少佐であるレダス・アルケイドだ。

 民想いで朗らかな人柄から国民に慕われており、さらには騎士団内での実績からアイクの父である将軍ヴェイグ・ディルニストからの信頼も厚い。


 彼とマルスの父リオスが古くからの友人であったため、幼い頃からマルスも彼を知っており慕っている。

 幼い頃は「おじちゃん」とレダスの事を呼んでいたマルスだったが、成長してレダスが騎士団の中でもそれなりの位についている人物だと知ってからはそう呼ぶのが躊躇われていた。


「それで、二人はこんな所で何してるんだ?」


「あ、実はアイクにどうしても聞きたい事があるんですけど……通してもらえなくて」


 レダスの質問に答えつつ、マルスはちらりと門兵を見遣る。門兵は厳しい顔をして首を横に振って見せた。

 普段はアイクの事情を考慮して屋敷に近寄らない二人がわざわざやって来た事、明日でも会えるだろうに「どうしても」と強調している事で、レダスは二人が何か訳ありではないかと察する。


「おい、この二人はアイク坊っちゃんの友人だ。オレが保証する。通しなさい」


 レダスは門兵の前に出て、二人を通すよう言った。


「そ、そうでありましたか! これは失礼致しました。どうぞ、お通りください」


 門兵は驚いた顔をして、慌てて身を引いた。本当ならば通すわけにはいかなかったのだが、少佐レダスが保証すると言った以上断るのは気が引けたようだ。

 二人は門兵に軽く頭を下げてから、レダスに案内されてディルニスト家の領地へと足を踏み入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る