2.ゼリーには雷を

 先の方に見えた町を目指して、三人は競走するように街道を走り抜けて行く。

 一番先頭になって走っていたマルスが、このまま首位の座を保って町に到着しようとさらに走る速度を上げた。

 走る事で起こる風と共に吹いてくる向かい風が、彼の前髪を大きく吹き上げたその時。


「あ、マルス……」


 ふと、すぐ後ろを走っていたパルがマルスを呼び止めようと後ろから声をかけてきた。


「何、パ……ぶふぁッ!?」


 何の用かとマルスが振り返ろうとしたその瞬間、彼は何かにぶつかって出かけていた言葉を途中で遮られてしまった。

 ぶつかりはしたものの、思っていたより痛みは少ない。そして、障害物に触れた手のひらや頬には岩などの硬い感触とは全く異なる、僅かに肌に吸い付くようなプヨプヨとした弾力のある柔らかい感触がした。

 ぶつかった物体の持つ弾力はかなりのようで、マルスが物体の柔らかさを感じた直後に彼はその弾力に弾き飛ばされて後ろに倒れる。


 一瞬感じたその物体の感触は、普段触れる物にはあまり無いような不思議な感触だった。例えるならば、幼い頃に時々食べる機会のあったゼリーによく似ていた。


 その物体はマルスの胸の辺りまでの高さで、幅は彼の肩幅より少し大きく、半透明の黄緑色をしている。

 周囲の草の色に同化するような色をしているため、走る事に集中し過ぎていたマルスは気がつかなかったようで、彼はそのプヨプヨとしたゼリーのような物体に体当たりするような形になってしまったのだ。


「マルス、大丈夫か!?」


「いったぁ……」


 後ろに倒れたせいで地面にぶつけたらしい後頭部をさすりながら、マルスは駆け寄ってきたアイクの手を借りて起き上がる。謎の物体に顔をぶつけたせいで、彼の右の頬は僅かに赤くなっていた。


「マルス……前危ない、って……」


 心配げに彼の顔を覗き込みながら、パルは先程言い切れなかった言葉を伝える。


「もっと早く言ってくれたら、嬉しかったよ……」


「……ごめん……」


 あとほんの数秒早く彼女が忠告してくれていれば、ぶつからずに済んだかもしれない。そう思いながらマルスが言うと、パルはひどく申し訳なさそうに小さく頭を下げて謝った。


「まあ、ぶつかったのが柔らかい物で良かった。岩だったら、今頃あの世だぞ」


 アイクの言う通り、ぶつかった相手がゼリーのような柔らかい物体だったのは幸いだった。それが岩のような硬い物ならば、今頃大怪我か、最悪死んでいた事だろう。


「ある意味、運が良かったのかなぁ……。それで、このプヨプヨしたのは何?」


「魔物、のはずなんだが……。前に本で見た事がある。確か、スライムという名前の魔物だ」


 ぶつかった物が柔らかくて良かったと安堵したところで、マルスは自分がぶつかった謎の物体を指さしてアイクに問う。

 以前魔物に関する本を読んだ時に見たこのゼリーのような魔物――スライムの事を思い出しながら、マルスの問いに答える。

 攻撃してくる様子はまるで見せないものの、魔物である事を警戒してアイクは念のため剣の柄に触れて構えておいた。


「魔物なら倒さなきゃいけないよね!」


 魔物は地上界に在らざるべきものと世間一般では考えられているため、このゼリー菓子のような物体が魔物である以上倒す必要があると判断したマルスは、剣を抜くと勢いよくスライムに斬りかかる。

 どのような相手かよく分かっていない内に攻撃するのは危険だと感じたアイクが、咄嗟に彼を制止しようとしたが、それよりも彼の剣がスライムに当たるのが早かった。


 確かな手応えが剣を通じてマルスの手に伝わってくる。

 しかし、手応えを感じた次の瞬間、ボヨンという少々間抜けな音と共に彼の剣は跳ね返されてしまった。柔らかく弾力のあるスライムの体は衝撃を吸収してしまうようだ。


「何だこいつ! 全然斬れない!」


 まるで攻撃が効いていないスライムに向けてマルスは何度も何度も剣を振り下ろすが、その回数の分だけボヨンという音がして剣は跳ね返されてしまう。

 何度も斬りつけると、スライムの体に多少の傷らしき切れ目はついたものの、大した攻撃にはなっていない。


「この魔物、本当に生きてる?」


「スライムは絶命すると溶けて消えると言うから、生きてはいると思うが……」


 何度攻撃しても反撃する様子すら見せない魔物に、マルスはふとそんな疑問を抱く。

 彼の疑問にアイクは答えるが、微動だにしない敵を見ていると彼と同じ疑問を抱いてしまう。

 どうしようか、そう訴える視線をマルスは一歩後ろにいる二人に向けたその時だ。

 突然マルスの体に衝撃が走った。


「うっ……げほっ……!」


 執拗な攻撃に怒りを覚えたのか、突然スライムがマルスに体当たりしたのだ。

 まさか反撃されるとは思ってもいなかった彼は回避も防ぐ事も出来ず、腹にその体当たりをもろに食らってしまった。

 体当たりの衝撃で彼は後ろに倒れ込む。腹を直撃されたせいで胃液がこみ上げて酷い吐き気がし、肺を圧迫された事で一瞬呼吸が出来なくなる。


「マルス、大丈夫……?」


「な、何とか……。うぇっ、気持ち悪い……」


 咄嗟にパルが倒れ込んだマルスに手を貸して起き上がる手助けをする。マルスは吐き気に青い顔をしながらも必死に吐きそうになるのを堪えつつ、彼女の手を借りて起き上がった。

 彼が起き上がった直後、スライムは狙いを定めるように拳ほどの大きさの色素の濃い二つの斑点――恐らく目だろう――をアイクとパルに向けた。


 パルはまだ青い顔をしたままのマルスをスライムから離れた場所に連れて行き、アイクは警戒しながら鞘から剣を抜いて構える。とはいえ、ここで攻撃されても物理攻撃が効かないため、剣では反撃のしようが無い。


「こういう相手には、魔法が有効だったはず……」


 睨みを利かせて牽制しつつ、アイクは以前本か何かで学んだ事を思い出す。スライムのような物理攻撃を弾いてしまう敵には魔法による攻撃が特に有効である、と彼は学んでいた。


「じゃあ、私がやる……」


 パルは静かな声でそう言うと、二人よりも一歩前に進み出た。

 類い稀なる魔法の才能を持っていた母親の血を継いでいる彼女は、三人の中では誰よりも魔法が得意だった。

 ここは彼女に任せるのが得策だろうと考えたアイクは「任せた」と彼女の背中に向けて一声掛ける。


 アイクの言葉に頷くと、パルは手のひらを胸の前で向かい合わせる。

 すると彼女の手に魔力が集まっていき、その影響でふわりと彼女の前髪が浮いた。

 次の瞬間、向かい合わせた彼女の手の間に稲妻のような閃光が走り、バチバチッと電流が流れる音が断続的に聞こえてくる。


「雷の精霊よ、邪悪なるものに裁きを……!」


 飛びかかろうとしてきたスライムめがけてパルは魔力の集まった両手を向けた。

 その刹那、完成された雷魔法が彼女の手から放たれ、稲妻がスライムのもとへと不規則な軌道を描いて向かっていく。


 稲妻がスライムに当たった途端、瞬く間にそのプヨプヨとした体は雷電に包まれた。

 体のほとんどが水で成り立っているスライムの体は雷をよく通すため、雷魔法に非常に弱い。

 雷に包まれたスライムは一瞬半分ほどに縮んだかと思うと、次の瞬間にはドロドロに溶けて蒸発するように消えてしまった。スライムがいた場所には僅かにその体液が残り、草や土が湿っている。


「うわぁ……! 全然斬れなかったのがあっという間に……!」


 そう言いながら、マルスが二人のもとに歩み寄ってくる。

 まるで剣での攻撃が効かなかったスライムが魔法によって一瞬の内に消滅してしまった事に感動したマルスが、先程までの具合の悪そうな様子はどこへ行ったのか、興奮気味な口調で目を丸くしていた。


「マルスはもう大丈夫なのか?」


「うん、大丈夫! 魔法がすごいから、気持ち悪いのなんて吹っ飛んだ!」


 念のためアイクがマルスに体調はもう良いのか尋ねると、いつものあっけらかんとした明るい口調と笑顔で彼は答える。魔法の凄さに感動して体調の悪さを忘れてしまえる、何とも単純な彼にアイクはやや呆れたように苦笑いをこぼした。


 とはいえ、彼が己の体調不良も忘れて感動した理由もアイクには分からんでもなかった。

 軍人の家で生まれ育ったアイクにとって魔法など見慣れたものであったが、一般の国民であるマルスが魔法を目にする機会はほとんど無い。

 パルも魔法は使えるものの、普段の生活で使うことはあまり無く、使う事があるとしても軽い傷を癒す程度の簡単な治癒魔法くらいだ。レジェンダの洞窟でも、彼女は攻撃魔法を使う事は無かった。


 さらに、マルスの方は全くと言っていいほどに魔法の才能がなく、何度も魔法を使えるようになろうと試みてきたが一度も使えた試しは無い。

 だから、彼にとっては魔法を、特に攻撃用の魔法を目の前で見るのはとても価値のある事だった。

 感動しているマルスの傍らで、パルは自分の手のひらを見つめながら、初めて魔法で魔物を倒せた事に感動と喜びを感じていた。


「パル凄い!」


「ああ、助かった」


 嬉しげに微笑みを浮かべているパルに向けて、マルスとアイクは素直な賞賛の言葉を送る。二人の言葉がくすぐったく感じた彼女は、照れくさそうに俯いて小さく「ありがとう」と返した。


「よし、スライムも倒した事だし、さっさと町に行こう!」


 彼女の感謝の言葉に微笑みを見せてからマルスがそう声を掛けて歩き出すと、アイクとパルは彼の両脇に並んで歩く。

 三人共にすっかり競走する気はどこかへ消えたらしく、横に並んだまま目前に迫っている町が一体どのような町なのかを語り合いながら、三人は歩みを進めて行った。

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