第2章 初めての町と出会い

1.密やかに動き出す闇

 毒々しい紫色の空に紅い月。輝ける太陽の光は届かず、何もかもを闇が支配する世界。見る者によっては、まるで世界の終わりだと表す者もいるだろう。

 それこそが、魔界アヴィス。

 かつて神アジェンダと戦い、封印された邪神ハデスが創り出した世界だ。


 魔界の中心には、大きな城が存在感と威圧感を持ってそびえている。城を構成する灰色の混凝土と夜の闇色をした屋根が紅い月の光を浴び、その城の不気味さと美しさの両方を醸し出していた。

 その美しくも不気味な城の中で、邪神ハデスは三人の旅立ちまでの様子を視ていた。


「この者達が、あの憎き神アジェンダに選ばれし勇者とやらか……。アジェンダめ……またしても私の邪魔を……!」


 ハデスは神アジェンダへの込み上げてくる怒りを滲ませた声で呟く。抑えきれない怒りで握り締めた拳には、爪が食い込んで血が滲みそうだ。


「見ているがいい、アジェンダ。今度は負けはしない。お前が心底大事にしているこの世界を、必ずや破壊してくれよう……」


 ハデスは形の良い、薄い唇にニタリと気味の悪い不敵な笑みを浮かべて呟くと、一つ指を鳴らした。

 指を鳴らした音が闇に吸い込まれるように消えると、彼の前に四つの人影が現れた。

 四つの人影はハデスの前に跪き、頭を垂れる。


「我がアヴィス四天王達よ。この者達を始末しろ」


 ハデスの前に現われたのは、彼の忠実な手先であるアヴィス四天王の四人だ。

 驚いた事に、魔界に身を置き、邪神に仕える者であるにもかかわらず、彼らは皆マルス達と同じ地上界の者だった。

 ハデスは彼らに魔力を送り、その脳内にマルス達の情報を伝達した。彼らの頭の中には三人の顔と紋章が映像として流れる。


「方法は好きで良い。私の邪魔になる神の選んだ者共を抹殺しろ」


 ハデスは笑みを浮かべたまま、四人にそう命じた。


(とうとう、この時が来たのか……)


 四人の中の一人、艶やかな黒髪をした端正な顔立ちの青年は胸中でそう呟きをこぼす。


「勇者だか何だか知らないけど、ボクの方が強いね!」


 跪く堅苦しい体勢が苦手なのか、鮮やかな赤色の髪が印象的な少年が伸びをしながら立ち上がり、マルス達を小馬鹿にしたように言う。

 彼が立ち上がったのに続くようにして、他の三人も顔を上げて立ち上がった。


「所詮は平和惚けした地上界の人間……。我々の敵ではない」


 赤髪の少年の右隣に控えていた、暗い青色の髪の少年が瞼を閉じて静かな声で言う。その声は低く、まるで氷柱のようにひどく冷たく鋭いものだった。


「彼らが倒されれば、神もさぞ慌てふためくでしょうねぇ」


 赤髪の少年の左隣にいた、艶やかな金髪の美しい少女が、紫のアネモネをそのまま閉じ込めたような瞳を細めて妖艶に微笑む。


「お任せ下さい、ハデス様。何人たりとも貴方の邪魔はさせません」


 そして、一番右端にいた黒髪の端正な顔立ちの青年はそう言うと、胸の前に右手を当ててハデスに向け軽く頭を下げた。彼のその行動に他の三人も続く。


「期待しているぞ、我が魔界アヴィスの四天王達よ……」


 ハデスは楽しげに微笑を浮かべるのだった。




 *   *   *




 一方、地上界では、グラドフォスを発った三人が、あてもなく歩き続けていた。

 三人が今歩いている場所は平原で、辺りの景色といえば、遠くまで広がる緑の大地と青い空。

 無論、広大で清々しいその景色は美しいのだが、ずっと歩き続けているとその変化の無さに飽き飽きしてくるものだ。


「いやぁ……それにしても、何も無いなぁ……」


「マルス……それ、四回目……」


 飽きてきた様子を誰よりも滲ませて呟くマルスにパルがそう指摘する。

 とはいえ、かれこれ二、三時間ほど歩き続けている上に、町や村が一つも見つからないため、彼が飽き始めているのにもパルには納得がいった。

 初めて旅に出た三人からすれば、何もない道をひたすら歩き続ける事は退屈にしか感じられない。やや飽き性なマルスならば尚更だ。


「旅に出たはいいけど、行き先くらい考えとけば良かったなぁ。勢い任せって良くない良くない」


 うんうんと頷いて独り言を呟くマルス。

 彼が言うように、三人はこれからの行き先を特に考えず、ほぼ勢い任せでグラドフォスを出てきていたのだった。

 その一番の理由と言えば、アイクがなるべく早くグラドフォスを、と言うよりは父親達の目が届く場所を離れたかったからだった。

 それを悪いと思っているらしいアイクは、先程から時々悩んで唸るような声を漏らしながら、地図とにらめっこをして今後の行先を一人考えている。


「……とりあえず、その邪神ハデスとやらがいる魔界を目指せばいいんだろう?」


「そうだね。最終的に魔界に辿り着ければいい」


 マルスの独り言が耳に入ったアイクが変わらず地図とにらめっこをしたまま二人に尋ねると、あまり後先を考えてなさそうな口調でマルスが答える。

 少しは先の事を見通してほしい、とアイクは思ったが、今はこれからの行先を考える事に集中したい一心で敢えて口にはしなかった。


「アイク、何かありそう……?」


「地図だと、もう少しで町が見えるはずなんだが……」


 地図を覗き込んで尋ねてきたパルにそう答えながら、アイクは地図上の現在地の近辺にあるらしい町の場所を指で押さえつつ、太陽から推測した方角を照らし合わせて周囲を見回す。パルもそれを真似るように辺りを見回していく。

 少しの間目を細めたり戻したりを繰り返して辺りを見回している内にアイクは何かを見つけたようで、その黒い瞳を大きく見開いた。


「マルス、パル! 町が見えたぞ!」


 アイクは声高にそう言って、町が見えた方向を指さした。

 彼の指さす方向には、まだいくらか距離はあるものの、確かに町のような建物群が見受けられる。


「本当!?」


 彼の言葉で先ほどまで飽き飽きして、眠たそうな締まりの無い顔をしていたマルスが、急に生き生きとした顔になる。彼の目には、町の姿や太陽の光を反射させて煌めく建物の屋根が、まるで希望の光のように映っていた事だろう。

 その目が町の姿を捉えると海のような深い青色の瞳は輝きを取り戻し、さらにその顔に生気が戻ってくる様子が見て取れた。


「よっしゃ! 町まで競走しよ!」


「その元気はどこから出てきたんだ……」


 先程までの気の抜けた様子はどこかへ行き、急に元気になった彼を見てアイクは呆れたように呟く。

 そんな彼の呟きなど聞こえていないマルスは、緩んでいたブーツの紐を固く結び直して走り出す準備を整えていた。


「早くしないと置いてくからね。よーい、ドンっ!」


 一人で勝手に進行して掛け声をかけると、そのまま彼は一人で勝手に走り出した。彼が走った事で起きた風がアイクとパルの髪を僅かに揺らす。


「おい、待て! マルス!」


 アイクは咄嗟に走り出したマルスを制止するも、その声はもう彼の耳には届かない。

 さらに、気づくと隣ではパルが走っていくマルスの背中を見据えて走り出す体勢になり、すぐに彼を追って走り出した。いつの間にか、その場にはアイクが一人だけ取り残されてしまう。


「パルまで……待て二人共!」


 置いて行かれるわけにもいかず、アイクは短い溜め息をつくと遠くなりつつある二人の背中を追って走り出した。

 気がつけば、マルスの思惑通り三人で競走するように町へと向かう事になっていた。まだ少し遠くに見える町を目指して、三人は風を切って駆けて行く。

 夕暮れに向けて傾いていく太陽に照らされた世界の裏で闇が動き出した事を、駆けて行く彼らはまだ知らない。

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