16.旅立ちの時

 両親の私室で、アイクは父ヴェイグの厳しい言葉を浴びせられていた。


「何度も言わせるな。お前は誇り高きディルニスト家の人間だ。嘘か誠かも分からぬ事にうつつを抜かしている暇などない」


 父の声には呆れが滲んでいた。


「仮にその話が誠だったとして、お前に何が出来る? 騎士としても未熟なお前に」


「それ、は……」


 言い返す言葉が見つからない。


「その聖霊とやらが、自分の言葉で良いようにお前達を動かして楽しんでいるだけかもしれぬ。その紋章にも、大した意味などないのかもしれぬ。それに踊らされて命を危険に晒すなど、実に愚かな話だ」


 父の言う事はもっともだった。

 あの聖霊は、自分達を化かそうとした魔物かもしれない。この紋章も、実は何の意味も持たないのかもしれない。

 アイクの中で、父の言葉の方が真実味を帯びていく。

 そして何より、最も恐れていた父の怒りを真正面から受け、アイクの覚悟の揺らぎは強くなっていた。


「剣術の時間だ。世迷い言を抜かす暇があるなら、一層鍛錬に励め。一人前の騎士となれ。それがお前の歩むべき道だ」


 そう言って、ヴェイグは話を切り上げようとした。

 このままでは、何一ついつもと変わらない。

 漸く見つけた自分の道を照らす覚悟の灯火が、消されようとしている。消えてしまえば、これまでと同じ父の示すを歩くだけ。


『あなたの覚悟は、この程度で揺らぐものなの?』


 ふと母に言われた言葉が、脳内に響く。

 ――この程度で揺らぐのか? 自分の希望は、覚悟は。


「違う、俺は――」


 漸く自分の道を見つけたのだ。

 その道は筆舌に尽しがたいほどに険しいものかもしれない。それどころか、その道はただの幻に過ぎないのかもしれない。

 そうだとしても。


「俺は、誰が何と言おうと、自分の信じる道を行く。父さんの言う通り、俺は未熟だ。使命というのも嘘かもしれない。それでも、自分が何をどこまで成し遂げられるのかを試したい。嘘か誠かもこの目で確かめたい」


 アイクの口から漸く父への反論が――彼の本音が出た。

 反抗などほとんどしなかった末の息子の口から出た反論にヴェイグは僅かに狼狽え、返す言葉を見失う。


「どれだけ苦しく、険しいものでも、偽物だったとしても、自分の信じる道を行く。そう覚悟しました。しばらく家には戻りません。俺は行きます」


 父に口を挟む隙を与えぬように、一気にアイクは言い切った。

 そして、真っ直ぐに部屋の扉を見つめ、呆然としている父の横を足早に通り過ぎる。

 ヴェイグはそこでやっと体が、口が動いた。


「……っ、おい待て、アイク! そんな勝手を――」


「ごめんなさい、父さん。自分勝手なのは分かっています」


 生まれて初めて、アイクは父の言葉を遮った。

 扉の前で立ち止まり、父の方を振り返る。

 末の息子の、自分と同じ黒水晶の瞳に、見た事もない光が宿っていたのをヴェイグは確かに見た。


「それが許せないのなら、勘当してくれて構いません」


「なっ……」


 勘当しても構わない。

 そこまで言ってのけた末の息子にヴェイグは動揺を隠せなかった。


「……失礼しました」


 戸惑い狼狽えて動けずにいる父に向けてどこか素っ気なく言い残し、アイクは扉を開けてその先へと足を踏み出して行く。

 呆然としていたヴェイグは扉の向こうに行ってしまう息子の姿を視界に捉え、すぐさま引き止めようとした。


「アイクっ……!」


 父の呼び止める声を、伸ばされた手を遮るように、部屋の扉が音を立てて閉まった。

 先程まで口論をしていたのが嘘のように部屋の中は静まり返り、ヴェイグだけがそこに取り残された。

 力無く彼の膝が崩れ落ちる。同時にこぼれた雫が、絨毯に小さな染みを作っていた。




 *   *   *




 アイクは勢いに身を任せて両親の私室を出て、歩き出そうとする。

 そんな彼の背後から不意に声が掛けられた。


「覚悟は本物のようね、アイク」


「か、母さん!? それに、マルスとパルまで……」


 振り返った先には、数十分前に出て行ったはずの母と、ここにいるはずのない親友の姿がある。


「……聞いていたのですか」


 息子の問いに、母は笑みを浮かべてゆっくりと頷く。

 母と親友に聞かれた恥じらいも感じつつ、見守っていてくれたのだという嬉しさのようなものもアイクは感じていた。


「二人はどうしてここに?」


 視線を母から親友二人に向ける。


「迎えに来たんだよ。アイクなら行くって言うと思ったから」


「一緒に、行こ……?」


 マルスとパルの言葉に、思わずアイクは破顔した。

 三人で。それは何より彼が――否、三人が望んでいた事だ。


「ああ、行こう。二人がいてくれるなら、恐れるものなどない」


 一歩、アイクは二人に歩み寄る。

 それからもう一度、母に視線を向けた。


「私も、マルス君とパルちゃんがいてくれるなら、安心してアイクを送り出せるわ。どうか息子をよろしく頼みます」


 ルーザは柔らかな笑みを浮かべながら、マルスとパルの手を取ってそう言った。

 彼女の手を握り返し、二人ははっきりとした声で返事をした。

 二人の返事に頷いてからルーザは手を離し、今度は息子に視線を向ける。


「アイク、一つだけ覚えておいて。父様はあなたを心から愛している。さっきのあなたへの言動も、愛しているが故のもの。本当に、素直じゃない、不器用な人なの。それだけは覚えておいて」


 母の言葉が、今のアイクには理解しきれなかった。

 いつか理解出来る時が来るだろうかと考えながら、頷いて母の言葉を受け止めた。


「アイクは、変わったわね」


「変わった……?」


 ふと母が表情を緩めて、そんな事を言った。

 どういう意味か分からず、アイクは首を傾げる。


「ずっと勉学、鍛錬一筋のあなたが心配だった。けれど、マルス君やパルちゃんと出会ってからは、よく笑うようになった。私に今日はこんな事をした、こんな所へ行ったと嬉しそうに教えてくれるのが、私も嬉しくて堪らなかったわ」


 幼い頃の息子を懐かしむような表情を浮かべてルーザは語る。


「そして何より、自信を抱けるようになった。今では父さんに真っ向から反抗出来るようになったくらい」


 ルーザの勿忘草色の瞳が嬉しそうに細められる。

 母の言葉で、アイクは少しだけ過去に想いを巡らせた。

 マルスとパルの前では、自分らしくいられた。

 自分らしく在って良いのだと知った。

 それが彼の小さな、だが確かな自信となっているのだ。


「二回目の反抗期ね。一回目は私達を父さん、母さんと呼ぶようになった時よね。ふふ、前は父様、母様だったのに。ああ、自分の事を『俺』と言うようになったのもその時ね」


「出会ったばっかの頃は、『僕』って言ってたもんね」


 くすくすとルーザは可笑しそうに笑う。

 彼女につられるように、マルスも笑って過去のアイクを思い出す。パルも、そんな頃があったと懐かしそうに微笑んでいた。


「その話は勘弁してください……」


 赤面したのを見られぬように俯き、弱々しい声でアイクは言った。

 その様子が可笑しくて、母と親友はまた笑う。


「……さて、思い出話はここまでにして」


 一頻ひとしきり笑ってから、ルーザが凜とした声で場の空気を変える。

 彼女の勿忘草色の瞳が、真っ直ぐに息子を見た。

 母の凜とした声と表情に、反射的にアイクの背筋が伸びる。


「アイク、あなたの信じる道を、あなたの信じる人達と共に進みなさい。あなたが覚悟をもって選ぶ道に、きっと間違いはないから」


 母からの激励の言葉をアイクは強く胸に刻み込んだ。

 それから、ルーザは息子の前まで歩み寄る。アイクは母の前に跪いて目を閉じる。


「あなた達の――あなたの歩む道を、光が照らしますように」


 祈りの言葉の後、ルーザは跪く息子の額に口づけた。

 代々ディルニスト家に伝わる、騎士を送り出す時の祈りの作法だ。

 母の唇が離れてから、アイクは瞼を開けて立ち上がる。


「行って参ります、母様」


 左胸に拳を当てて会釈をする。母はそれに頷いた。

 そして、マルスとパルと共にエントランスホールへと向かって歩み出す。

 三人が歩く廊下を、窓から差し込む太陽の光が目映く照らしていた。




 *   *   *




 ディルニスト家の屋敷を出た三人は、商業区へと足を運んだ。

 不要品を売却して旅費の足しにし、傷薬や保存食などの旅に必要な物の買い足しをした。

 そうして出発の準備を終え、三人は王都と外界を繋ぐ門を目指して歩いて行く。


「収納魔法付きの鞄って便利だね。オレ達の荷物全部がこれ一つに収まるなんてすごいや。帰って来たら頑張ってお金貯めて買いたいかも」


 アイクが持って来た収納魔法がかけられた鞄に、マルスは瞳を輝かせながら言う。

 さほど大きくはない鞄だというのに、三人分の荷物が容易く収納出来た。魔法のおかげだと分かっていながらも、マルスにはそれが不思議で面白くてならなかった。


「最上級の物だと、うちの屋敷の家財道具全てを収納出来るほどだと聞いた事がある。この世に両手の数ほどしか存在しないらしい」


「ええっ、そんなに!?」


 マルスはますます不思議そうな顔をして、鞄をまじまじと見る。

 視線を鞄に向けたまま歩く彼は、足下への注意が疎かになっていた。


「歩くなら前を向いてくれ。転ぶぞ」


「はいはーい、分かってるって」


 アイクに注意され、マルスはわざとらしく口を尖らせながら適当に返事をして視線を前に向ける。

 二人の何気ないやりとりを見て、パルは小さく笑みをこぼしていた。


(変わらないままの私達でいられるといいな)


 パルは心の中で願う。

 この運命の旅路には、きっと恐ろしい事も、悲しい事も待ち構えている。

 何があっても変わらない自分達でいられたら。

 乗り越えられない事などないだろう。倒せない相手などいないだろう。

 彼女はそう強く思った。


 遂に三人は、王都と外界を繋ぐ門の前に立った。

 門の先にはどこまでも続いているかのような緑の平原と青い空が広がっている。吹き込んできた爽やかな風が、三人の髪を揺らしていった。

 門の外へ足を踏み出した瞬間に、旅が始まる。

 足が震えるような感覚がする。爪先が疼くように感じる。

 それは不安によるものか、期待によるものか――。


 マルスは隣にいるアイクとパルの顔をそれぞれ見る。

 二人共、緊張で強張ったようにも、凜乎としたようにも見える表情を浮かべていた。

 きっと自分も同じ表情をしているのだろう、と思う。

 不意に、パルと視線が交わった。アイクの方にも再び顔を向けると、彼とも視線が交わる。


「一緒なら、大丈夫。何だって出来る気がする。オレはそう信じてるよ」


 マルスは前を向いて、明るい笑顔を浮かべる。

 彼の「大丈夫」という言葉と明るい笑顔は、いつだって不安を打ち消してくれる力を持っていた。

 彼の言葉と屈託のない太陽のようなその笑顔に、アイクとパルもつられて笑顔を浮かべる。


 そして、三人の視線が門の外に広がる世界へと向けられた。

 マルスは一つ深呼吸をする。


「よし、出発!」


 勇壮なマルスの声と共に、彼らは門の外へ足を踏み出した。


 かくして三人の旅は始まりを告げる。

 彼らの運命が、そして世界の運命が、動き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る