5.動き出す運命

 三人が己の紋章と石碑に描かれてた紋章とを交互にまじまじと凝視していたその時。


「……っ!? 手が、熱い……!」


 突然、三人の紋章が熱を帯び始め、気づいた頃には顔を歪めてしまうほどに熱くなっていた。三人は右手を押さえて苦痛そうな声を漏らしながら、その熱さに耐える。

 右手を襲う熱さによって魔力の制御に意識が向かなくなったらしく、パルの魔法の光はいつの間にか消滅していた。


「見て……石碑の紋章が…っ……」


 苦しげに顔を歪めながら、パルが石碑の方に視線を向けるよう促す。

 石碑に目を向けると、三人の紋章の異変に共鳴するかの如く石碑に描かれた紋章が光り出していた。そのおかげで、魔法の光が消えていても周囲が明るく照らされている。


「な、何が起きてるの……!?」


 マルスが驚きと焦りの混じった声をこぼす。

 石碑の紋章が放つ光がより一層強くなると、三人の紋章からも同様の光が放たれ、石碑の光と融合して一つになった。融合した光は虹色の不思議な炎となって、三人の前に浮いている。炎が現れた途端、石碑と三人の紋章が放つ光も、右手を襲っていた熱さも消えていた。


「虹色の炎だ……」


 目を丸くしながらマルスはその炎に手をかざしてみる。炎は不思議な事に熱くはなく、優しいあたたかさが手のひらに伝わってくる。直接触れても火傷などしないのではないかと思わされるほどだ。


「……我の姿が見えるか……」


 虹色の炎の不思議な美しさをうっとりとした気分で三人が見つめていると、不意に炎から重々しい声がした。


「ほ、炎が喋った!?」


「まさか、魔物か!?」


 驚いたマルスはびくりと肩を震わせて手を引っ込めて素っ頓狂な声を上げ、アイクは咄嗟に剣の柄を握って警戒する。美しさで油断させて獲物を狩る、という魔物は少なくない。


「アイク、違う……」


 しばらく黙って炎を凝視していたパルが、剣の柄を握るアイクの右手を掴んで制した。

 どうやらパルは自身の持つ能力で炎と意識の中で接触を図り、その炎が魔物では無い事を確かめたらしい。彼女の能力は唯一魔物にだけ通用しないため、意識を介した接触が不可能な生物は魔物という事になるのだ。


 剣を握る手を掴まれたアイクは、渋々といった様子で手の力を抜いていく。

 パルが体に秘める母親譲りの強大な魔力は、その半分ほどが身体能力として現れているために彼女の力は並の男よりも強い。

 力では敵わない事を幼い頃から知っているアイクが手の力を緩めて剣を抜く気はない事を伝えると、彼女はそっと手を放してやった。


「私達の事、呼んでたのは……あなた……?」


 パルが炎をじっと見つめて問う。


「炎がオレ達を?」


「あぁ、そなたの言う通り、そなた達を呼んだのは我だ」


 マルスが訝しげな表情でパルと炎を交互に見ていると、彼女の問いかけに頷くかのように炎が揺れる。


「そなた達が来るのを、ずっと待っていた。久遠の昔からずっと……」


 重々しく響くその声からは、声の主がどれほど長い時の中で彼らが来るのを待っていたのかを感じさせた。


「あ、あなたは一体……?」


 恐る恐るマルスが尋ねる。


「我は、神と共にこの地上界を創造した聖霊の一人」


「地上界を創造した、聖霊……。そんな聖霊さんが、オレ達に何の用が……?」


 自らを神と共に地上界ヒュオリムを創造した聖霊と言う炎。目の前の炎、もとい聖霊の言葉を半信半疑に受け止めつつ、マルスはさらに質問を重ねた。


「我は神アジェンダより、二つの使命を授かった。一つは、この世界の行く末を見守る事。そしてもう一つは……」


「もう一つは……?」


 目の前の存在に対してマルス同様に半信半疑な感情を抱きながらも、話の続きが気になるアイクは真剣な目つきで聖霊の言葉に耳を傾ける。


「この世が闇に覆われた時、闇を打ち払い、世界に光をもたらす勇者達を導く事だ」


 厳かな声で紡がれた答えは、三人の疑問をより一層大きくしていく。

 神話や昔話にあるような、壮大でどこか胡散臭くすらある聖霊の話に三人はいまいち理解が追いついていないらしく、今度は何も口を挟まずに聖霊の言葉の続きを待った。


「そなた達がここを訪れ、我がこの世界に再び姿を現せたという事は、この世界が闇に覆われ始めているという事になる」


「ええっと、闇って?」


 なぜ自分達がこの場を訪れた事が聖霊の出現や「世界が闇に覆われている」という事の理由になるのかも気にはなったが、マルスの頭に一番引っかかったのは「闇」という謎の存在だった。

 首を傾げながら彼が聞き返すと、聖霊はより重々しい声で答えを返してくる。


「かつて我らが神アジェンダに、愚かにも戦いを挑み、封じられたはずの邪なる神――ハデスの事だ。奴の闇がこの地上界を飲み込もうとしている」


 聖霊の言う「闇」とは、神の伝承に出てくる神アジェンダにかつて戦いを挑んだ邪神ハデスの事を指していた。


「神様同士の戦いって、御伽話じゃないの?」


 幼い頃に御伽話として聞かされた神々の戦いの話を思い出しながら、マルスはさらに首を傾げる。

 彼も、アイクとパルもそれはあくまで御伽話だとしか思っていなかったからだ。


 神アジェンダと邪神ハデスの戦いとその結末については、御伽話として子どもはよく聞かされる。

 地上界が創生される前、全能の神アジェンダが住まい、統治する世界――天空界リュミエールの覇権を奪い、自らが全てを統べる神になろうとした邪神が神アジェンダに戦いを挑んだ。戦いは神の勝利に終わり、邪神は闇の奥底に封じられ、戦いによって混沌としていた天空界に平和が訪れる。

 その後、勝利の証として、平和の象徴として地上界ヒュオリムは創られた。


 これは子どもの頃に誰もが一度は耳にする、有名な御伽話だ。この御伽話は、遠い昔に天空界から授かったとされる伝承が元となっていた。

 マルス達くらいの歳にもなれば、それが「神の栄光と、平和の象徴として創られた世界に生まれた子なのだから、神を信仰して平和のために生きる立派な者になりなさい」という教えのために作られた話だと思うようになる。そのため、マルスは聖霊の話に首を傾げたのだった。


「それは単なる御伽話などでは無い。全て事実なのだ。そして今、邪神ハデスは復活を遂げてしまった」


 幼い頃に何度も聞かされた御伽話が事実であると言われ、三人は僅かに驚いた顔をする。

 だが、御伽話が事実だと言われてすぐに信じられる者がいるだろうか。三人の顔には驚きよりも疑問の色の方が強く滲んでいた。


「このままでは、ハデスがこの地上界を滅ぼすのも時間の問題だ。だが、神には今、奴を止めるだけの力がまだ無い」


「まだ無いって?」


「神が戦いの後、眠りについた事は知っておるだろう?」


 聖霊の問いかけに、三人は御伽話の最後の方を思い出して頷く。邪神ハデスとの戦いと地上界創生に力を使い過ぎた神アジェンダは、力を回復させるための眠りについたのだ。


「神はごく最近、ようやくお目覚めになられた。とはいえ、まだ御力は完全に戻っていないのだ」


 聖霊の話では、神アジェンダはごく最近ようやくその眠りから目を覚ましたらしい。しかし、まだ力が完全に戻っていないために邪神を抑え込むほどの力が無い。

 無理に挑んで神が滅んでしまうような事があっては、世界がどうなるか分からない。それ故、神が邪神を止める事が今は出来ないのだ。


「ううーん……」


 御伽話が事実であり、邪神が世界を滅ぼそうとしているという、あまりに壮大な話にマルスは頭を押さえて唸るような声を漏らす。


「ハデスは、この地上界の全てを破壊しようとしている。自らを封印した神への復讐としてな」


「そんなの、良くない……」


 たとえどれほど神が憎い相手であっても、その神への復讐のために地上界を滅ぼし、地上界の人々の命を奪うのは間違っている。そう思ったパルは、怒りの滲んだ声で言う。


「だが、神は愚かではない。このような未来が来る事を予測して、神自身がお選びになった地上界の者に闇を打ち払う力を与えている」


「あの、話の腰を折るようで何ですが、なぜそのような話を俺達に?」


 アイクがそっと手を上げて、聖霊の話を一度中断させてそう尋ねる。

 なぜこのような神々の戦いと地上界に迫る危機についての話を詳細に自分達に伝えたのか、彼は疑問に思っていたのだ。


「そなた達こそ、神アジェンダが邪神から世界を守る力をお与えになった者だからだ」


 聖霊は至極厳かな声で、三人にそう告げた。

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