6.世界の命運を握る者

「オ、オレ達が?」


 聖霊から告げられた耳を疑うような言葉に、マルスは思わず自分を指さしながら聞き返す。その隣でアイクもパルも驚きに目を丸くしていた。


「どうして……そう言えるの……?」


「そなた達の右手の甲に、石碑に描かれたものと同じ紋章があるだろう?」


 なぜ自分達三人が神に選ばれた者であると言い切れるのか疑問に感じたパルの問いに、聖霊はそう答える。

 彼の言葉で三人は改めて各々の右手の甲に刻まれた紋章を見つめた。


「それこそが、神に選ばれし者の証なのだ」


「えっ……これって、そんな凄いものだったの?」


 生まれた時から右手の甲に刻まれている謎の紋章。それこそが神に選ばれた者の証であると告げられ、マルスは一層目を丸くして自身の紋章を凝視した。

 何か意味があって刻まれている紋章だと思ってはいたが、世界の命運を握る者としての証だとは思ってもいなかった。


「貴方の話が本当だとしたら、俺達は一体どうしたら……?」


 アイクは一度紋章から視線を逸らして、再び聖霊を見ながら尋ねる。


「魔界アヴィスを目指せ。そこにいる邪神ハデスを倒すのだ。それこそが、そなた達に与えられた使命だ」


 静かな声で聖霊はそう答えた。


「魔界に行って、邪神を倒す……」


 アイクは眉間に皺を寄せつつ、聖霊に言われた事を復唱してみる。

 魔界に赴き、邪神を倒す。あまりに壮大で、あまりに無謀な使命だった。


「で、でも……急にそんな事……。それに、相手は悪い奴っていっても神様なんでしょ? オレ達にそんな奴を倒すなんて……」


 マルスは戸惑いを滲ませた声で言う。

 唐突に自分達が神に選ばれた者だと告げられ、魔界へ行って邪神を倒せと言われたのだ。彼が戸惑うのも無理は無い。


「我はこの場から離れられぬ身だ。そして、神もまた今は天空界からは動けぬ」


 戸惑うマルスの言葉を聞いて、聖霊は己と神の状況を説明する。


「だから、こそ……そなた達に、しか……出来ぬ事なのだ……」


 その途中で突然、聖霊の声が掠れて途切れ途切れになり、炎が大きく揺らぎ始める。


「わわっ、大丈夫!?」


 マルスが心配そうに声をかけると、炎はまだ微弱な揺らぎを繰り返しているが、聖霊は落ち着き払った口調で「案ずるな」と返した。


「随分、力が衰えてしまってな。姿を具現化させるのは少々難儀なのだ。そろそろ限界らしい……」


 何度も大きく揺らぎ、今にも消えてしまいそうな聖霊を三人は心配そうに見つめる。


「世界の命運は、そなた達の選択に委ねられている事を……忘れるな……」


「あ……」


 今までに無く大きく炎が揺らいだ事にマルスが小さく声を上げるのと同時に、聖霊であるその炎は消え去ってしまった。

 聖霊の具現化した姿である炎が消えた事で、辺りは再び冷たく静かな暗闇に包まれる。

 すぐにパルがまた光魔法を発動させて、灯りを生み出した。


「神に選ばれし者だとか、世界を救うだとか……駄目だ、理解が追い付かない……」


 流れていた沈黙を破って、ぽつりとアイクが呟く。

 好奇心で始めたただの洞窟探検で、自分達の持つ紋章の意味や自分達に与えられたという使命を知るなど、彼もマルスもパルも想像などしていなかった。否、誰が想像出来たであろうか。


「うん、頭がいっぱいだよ……」


 頭を押さえながら、マルスはアイクの言葉に頷く。

 突然、自分達が神に選ばれ、世界の命運を握った存在なのだと告げられたのだから、理解が追い付かないのも無理は無い。


「ここで悩んでても、どうしようもないから……とりあえず戻ろ……? それから……ちゃんと考えてみるの、ダメ……?」


 今の状況を何とかしなくては、とパルがそう二人に提案する。


「それがいいな。きちんとこの状況を整理する時間が欲しい」


 とにかく今は聖霊の話を自分の中で消化する時間が欲しいと、アイクは彼女に頷いて答える。


「……じゃあ、とりあえず外に出ようか」


 やや落ち着きを取り戻したマルスが言うと、三人はそれぞれ迷いを抱えつつも外を目指して、来た道を戻り始めた。




 *   *   *




 元来た道を辿って洞窟の外へ出ると、外はうっすらと明るくなっていた。もうすぐ夜明けだ。


「うぅ……やっと外に出たぁ」


 洞窟の中の重く湿った空気とは正反対の、外の爽やかな空気を肺いっぱいに吸い込むマルス。

 まだ薄暗い時間ではあったが、洞窟より遥かに明るく清々しい外がひどく新鮮に感じた。


「俺達にしか出来ない事、か……」


 朝陽の昇る方向を見つめながら、アイクが呟きをこぼす。


「そう言われると、行かなきゃって思うよね」


「神様が……私達に、与えた使命なら……なおさら、そう思う……」


 彼の黒い瞳が朝陽の光とはまた違う光を宿しているのを盗み見ながら、マルスとパルはそう返した。


「……っ、そろそろ父さんが起きる時間だ! すまないが、先に帰るぞ!」


 地上に戻った安堵で、少々現実を忘れていたようだ。

 夜明けという事は、アイクの父親の起床時間が迫っている事を示している。

 それを思い出したアイクは慌てた様子で二人に言うと、街の方へと駆けて行く。


「アイク、旅の事もちゃんと考えといてよ!」


 走り去るアイクに向けてマルスがそう叫ぶと、彼は返事をする代わりに手を振った。

 彼の姿が見えなくなると、マルスは眠たそうに大きな欠伸をした。考えれば、いつもは寝ているはずの夜からこの洞窟を探検していたのだ。眠くて当然であった。

 昼寝でもしようと思ったが、洞窟探検が楽しみで仕方がなくて、とても眠れなかった。おかげでマルスは、今の今まで一睡もしていない。


「……オレ達も帰ろっかぁ」


 欠伸混じりのやや間延びした声で言いながら、マルスは歩き出す。パルは彼の隣に並んで歩く。


「ねぇ、パル。パルはあの聖霊の言葉を信じる? 旅とか……どうする?」


「私も……上手く、呑み込めてないけれど……あの聖霊さんは……嘘、ついてないと思う……。きっと、全部本当……」


「うん……」


 彼女が言うように、聖霊の声や口調からは、何一つ嘘をついているような様子は無かった。マルスもそれは感じている。


「私は……私にしか出来ない事なら、行こうと思う」


 いつになくはっきりとした声で言うパル。


「……そっか……」


 マルスは朝陽に照らされ始めた遠くの空を見つめながら、彼女の答えを聞いていた。

 二人は歩いているうちに森を抜けて居住区に出た。早朝の居住区は、昼間の穏やかながらも明るい雰囲気とは違って、静かで閑散としている。

 いつもと違う、どこか悩ましく重々しい空気を漂わせたまま、マルスとパルは互いに手を振って別れ、二人は各々の帰路についた。


 帰路を歩く二人の胸の内は、探検に行く前の期待も緊張も忘れてしまっていた。聖霊に出会うまでは、すごく楽しかった、あるいは怖かったというような感情を胸に抱いて帰るものだと思っていた。

 だが、今二人の心にあるのは自分達が何者で、どうすべきなのかという事ばかりだ。恐らく、先に一人で帰っていったアイクも同じだっただろう。

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