第13話 壊れる者


「吉岡! 頭だ! 頭を狙え!」


「あ、頭!? そ、そうか!」



 突如として襲い掛かってきた欲人。

 吉岡は前蹴りを放って欲人との距離を作ると、その頭部へと向けて鉄パイプを振り下ろす。



「や、やっぱりできねぇよッ! 分かっててもできねぇよッ!」


 

 が、鉄パイプが欲人の頭部を砕こうとした瞬間。

 吉岡は振り下ろした腕をピタリと止めてしまう。

 ゾンビ映画の常識として、頭部を破壊するのが効果的であると理解しているものの、実際にソレを行うことに対して忌避感を覚えたからだ。



「吉岡! た、立石課長! ソイツの頭を砕いて下さい!」


「む、無理だよ小野屋君!」



 そして、それは立石も同様だった。

 頭では理解しているというのに――いや、理解しているからこそ、鉄パイプを振り下ろした後の光景を鮮明に思い描いてしまい、鉄パイプを握り締めたまま実行に移せずにいた。


 加えてだ。



「こ、この人はなんなの!? ほ、本当にゾンビって訳じゃないんだよね!?」


「わ、分からないです! 本当にそうなのかも知れませんし、病気の類なのかも知れません!」



 立石と吉岡は、【生きている人間】という可能性を捨てられないでいた。

 そして、生きている人間であった場合、人を殺したことになり殺人の罪に問われることとなる。

 実情、その罪を裁く機関がまともに機能しているか定かではないが、日本という法治国家に生まれ育ち、身に着けてきた道徳感があるからこそ二人は【人を殺す】ということに対して忌避感と躊躇いを覚えていたのだ。



「二人とも離れろッ!」



 しかし、マコトは少しばかり違う。

 勿論、二人と同様の価値観は持ち合わせていたが、魔法教典に触れて強烈な追体験をしたことにより、異世界での道徳感――人の命が希薄であるという価値観を取り込んでいた。



「悪いなッ! 恨んでくれても構わねぇからよッ!」


「あおオああォ……――」



 従ってマコトは、腰に提げていた鉈を抜くと躊躇なく欲人の頭部へと振り下ろし、欲人の呻き声が途絶えたところで鉈を引き抜いたのだが……



「吉岡? 立石課長大丈夫でしたか?」


「あ、ああ……」


「だ、大丈夫だよ……うぷっ」



 そんなマコトに対して――救ってくれたマコトに対して、二人は引き攣った表情を向ける。

 そこには理解できな存在に対する恐れのようなものが含まれていたが、マコトからすれば、それは予想していた反応にしか過ぎなかった。

 

 それもそうだろう。

 生きている人間である――その可能性があると二人は考えていたというのに、マコトは躊躇なく鉈を振り下ろしたのだ。

 それは目の前で行われた殺人であり、決定的な価値観の相違だと言える。


 マコト自身、そう理解していたからこそ、二人の反応を予想内のものとして受け止めることができた訳なのだが……



「……さあ、安全な場所に向かいましょうか」



 心許せる同期と、信頼する上司から向けられた視線としては、余りにも恐れが含まれていたからだろう。

 マコトは悲しげな笑みを浮かべ、そんなマコトを励ますかのようにアンジーが腰をポンと叩いた。






 安全な場所を求め、マコト達は社内を移動する。



「な、なんで社内にゾン――病人が?」


「わ、分かりません……で、ですが、社内には他の部署のやつらもいましたよね? もしかしたらそいつらが――あっ、ほら。アレなんかウチの制服着ていますし」



 しかし、社内の至る所で欲人が徘徊を行っており、安全な場所をなかなか見つけられずにいた。



「のう、マコトよ? ものの数体であればマコトでも片付けられるじゃろ?」


「……まあ、できると思うけどよ」



 とはいえ、マコトの実力があれば社内で徘徊する欲人を掃討することも可能であった。

 しかし、それをしなかったのには理由がある。



「俺達は此処を出ていくつもりなんだ……俺が全部やっちまったら二人の為にならないだろ?」


 

 そう。マコトは秋野スズネを追う為に此処を出る予定なのだ。

 マコトが社内の欲人を片付けたところで全てが解決する訳ではない。

 その為、敢えて手を出さず、吉岡と立石に判断を委ねようと考えていた訳だ。



「成程のう……しかし、欲人を殺すどころか病気とかのたまい始めておるぞ?」



 が、アンジーが言うように、二人は欲人を手に掛けるどころか、欲人化を病気の一種として捉えはじめている。

 まあ二人は――というよりも、立石が率先して病気という説を推しいる様子ではあるのだが。



「はぁ……吉岡は兎も角として、立石課長のソレは問題だよな……」



 マコトとアンジーは、小声で話しながら二人の後に付いて行く。

 そうして、欲人を避けるようにして付いて行くと、何時の間にやらエントランスまで追いやられていたようで――



「き、君達は人間だよな!? そ、それとも化け物か!?」



 エントランスへと着いた瞬間、眼鏡の男性に尋ねられる。

 


「あ、あなたは企画部の安田部長……ですよね?」


「そ、そうだ! そ、そういう君は……あ、石立! 確か石立君だよな?」



 マコトは内心で「立石だよ」と呟く。

 が、他部署でありながら、安田という男は傲慢で自尊心が強いとマコトは聞き及んでいた。

 下手に否定して刺激するのは良くないと考えたマコトは、安田の質問に対して無言を貫く。



「え、ええ、石立です。安田さんもご無事でなによりです」



 対して、名前を間違えられた立石の反応もマコトと近しいものだった。

 本来であれば、きっと立石も冗談めいた口調で間違いを指摘したに違いない。



「無事だよ! なんてたって私が居るからねッ!

なあ皆!? 私の雄姿を――私達の雄姿を石立君達にも聞かせてあげなよ!」



 が、そう言った安田の手には血に濡れ、何かの肉片がこびり付いた鉄パイプが握られている。

 そして、その後方には十数名からなる人の姿があり、その手にも血に濡れた道具が握られているのだから、立石の取った反応は正解だったと言える。



「どうしたんだい? 君達が話さないと私が話すことになって自慢話になってしまうだろ?」



 安田は血に濡れた顔に、笑顔をへばりつけて声を上げる。



「いやあ、本当に大変だったんだよ? 僕のところには一人だけ重傷の社員がいたんだけどさ、まるで重傷だったのが嘘であったかのようにガバッと起きあがったんだよ!

みんな吃驚して呆然としちゃったんだけど、そんな僕達を他所に、彼女は一人の女性社員の喉元に噛みついたんだ!

私も初めは茫然としていたんだけど――でも、海外ドラマ通の私は気付いちゃったんだよ! これはそういうことだってね!

だから私は慌てて駆け寄ったよ! だけど……残念なことに、襲われた女性を救うことはできなかった……

だからこそ! 私は部下を守る為に正義の鉄槌を下してやったんだ! 私は進んで汚れ役を買って出てやったのさ!

だというのに……岸田ぁ……なにが「安田さんには付いていけません」だ!

知ってるんだぞ!? 経理のユミちゃんや企画部のマユキちゃんから言い寄られてるのをよッ!

正義感ぶってんじゃねぇぞ!? お前だろ!? 俺の口が臭いとか、半径五メートル以内に入ると加齢臭が凄いとか言い触らしてたのはよッ!!」



 マコト達は、安田の話を聞き、思わず表情を強張らせる。

 そして、聞かなければ良いというのに。

 どのような答えが返ってくるのか大凡想像できるというのに。

 まさかという思いから立石は疑問を口にしてしまう。



「そ、それで、その岸田君というのは……何処に?」


「ん? 噛まれて死んでしまったよ」



 それは明らかな嘘だった。

 安田自身の話によれば、犠牲になったのは二人の女性である。

 だというのに、安田の後方に岸田と思われる男性は居ない――と、いうよりも男性が一人も存在していないというのがおかしいのだ。



「まさか安田さん……あなた……」



 安田は何も答えない。

 だが、安田の後方に存在する女性たちの震えが、目尻に溜まった涙が、手に握った血に濡れた道具が、何があったのかを雄弁に語っていた。



「人間って……こんな簡単に壊れちまうもんなのかよ……」



 状況を理解したマコトは思わずそのような言葉を溢す。

 欲人を殺したことが切っ掛けとなり、岸田という人物を含めて男性達を――

女性に脅しを掛けるような形で、男性達を殺すよう指示したことを理解してしまったからだ。



「安田……」


「ん? 君は確か……小野田君だっかな? 「さん」をつけたらどうだ?

というか……なんだその髪の色は? 社会人として失格だとは思わないのかね?」



 マコトは持論として、人の心はすべからく硝子細工の器であると考えていた。

 器に溜まった感情を上手く整理できるものは、適度に器を傾けて空にし、上手くできないものは感情を溢れさせてしまうものだと考えている。

 

 加えて、硝子細工の器であるからこそ、周囲の環境も大切だと考えていた。

 例えば、綿に包まれるような環境であるなら器に傷が付くことがないし、逆に

針のむしろのような環境に身を置けば当然器に傷が付くし割れやすい。

 

 だからこそ、同じ事柄を体験しても、人によっては受け止め方が違うし、下手したら割れてしまうことも重々承知していた。

 だからこそ、安田が凶行に及んだ理由を――安田が壊れてしまった理由を汲み取ろうとしたのだ。

 


「小野田じゃねぇ。小野屋だよ安田ぁ」



 が、それも数瞬のことだ。

 理解しようにも身勝手さばかりが浮きぼられてしまい、どう足掻いても許すことができなかったのだ。

 従って、穏便に済ませることを放棄したマコトは安田の間違いを訂正し、煽るように「安田」と口にしたのだが――



「「さん」を付けろと言っただろうがッ!!」



 その一言は、見事に穏便を放棄する行為だったようで、安田は肉片が付着した鉄パイプを大きく振りかぶる。

 その際、付着した肉片が後方の女性の口へと入り嘔吐していたが、それは栓なきことだ。


 何故なら――



「げびっ!?」


「吉岡、こいつを縛っておく縄……いや、こいつのベルトを拝借すれば良いか」



 吐瀉物がビタビタと床を叩く前に、安田が床に押し付けられるという形で決着が着いてしまったからだ。



「は、離せッ!! わ、私は企画部の部長だぞ! この平社員がッ!」


「いや、あんたはただの殺人鬼だよ」


「いだいッ! 離せ! 離せ!」



 マコトはベルトを使用し、安田の両腕を背中の位置で固定する。



「で、できることなら警察にでも引き渡してやりてぇところだが……まあ、機能してないよな……どうすれば良いと思います?」


「え、えっと……」


「つ、つーか、殆ど動きが見えなかったんだけど……小野屋って格闘技とかやってたってけ?」



 そして、立石と吉岡に意見を求め安田に背中を向けたその時――



「ぎゃあああああああああッ!! いたい! いだいってばッ!」


「ふざけんなふざけんなふざけんなッ! 中に出しやがってッ!」



 安田と女性の声がマコトの耳へと届く。

 慌てて振り返って見れば、女性が手に持っていた果物ナイフが安田の背中に突き刺さっており、引き抜かれ、再度突き刺さる瞬間がマコトの目には映っていた。


 その言葉と行動の意味を理解したマコトは、エレノアとリリアナの顔を思い浮かべてしまい、ファブロの抱いていた殺意で塗りつぶされてしまいそうになる。



「あんたが罪を重ねることはないよ」


「どめないでぇよッ! コイツは岸田君の前で――ナオギの死体の前でッ!!」


「――ッ! でも! あんたはこれ以上罪を重ねるなッ!」



 が、マコトは左目に焼けるような熱さを覚えながらも、殺意に塗りつぶされるのを否定した。

 

 何故なら、マコトの耳には届いていたからだ。

 ヒタヒタトとなる無数の歪な足音を。



「えっと……あなたの名前は?」


「マユキ……」


「マユキさん……あんたがマユキさんか。ほら立て。あんたの復讐は岸田さんっていう人がとってくれる」


「ナオキ……が?」


「ほら! そこの人達もさっさとエントランスのバリケードをどかして外に逃げるぞ!

吉岡! 立石課長! 彼女たちの手伝いをお願いします!」


「お、おう」


「わ、分かったよ」



 前方から鳴るガラガラとバリケードを崩す音と、後方の暗闇から迫るヒタヒタという歪な足音。



「あっああああああうぅあぅあ」


「ナ、ナオキ……」


「き、岸田ぁ!? 室井に、金子!?」



 その足音に人の輪郭が付き始める。



「マユキさん……言い難いけど、ソレはもう岸田さんじゃないんだよ。

で、安田「さん」? 海外ドラマ通なんだよな? だったら頭を潰しておいた方が良かったな?」



 マコトはそう言うと、最後に残っていたバリケードとして使われていたデスクを蹴飛ばす。

 すると、稼働しなくなった自動ドアのガラスが割れ、外の空気が流れ込んでくる。



「ちょっ!? 待て待てッ! 私を置いて行くなッ!

私は上司だぞ!? 分かった! この件が落ち着いたら企画部に移れるようにしてやるから! な? な?」



 マコトは安田に一瞥をくれると、鼻で笑う。



「多分、この件は――この状況は終わらないですよ?」



 そう言うと、マコトは割れた硝子を跨いで社外へと出る。

 


「おいッ! ふざけんなッ! ちょっ!?

岸田ぁああああッ!! 室井ッ! 金子おおおおおッ!! お前ら分かってるんだろうな!? 分かってる――ひギュッ!? お前らッ!? そこは噛んじゃ駄目なところだろッ!? 痛いの! 痛いんだってばッ! ぎゅにいいいぃい!」


 

 その声に救いの手を差し伸べる者は誰も居なかった。

 ある者は唾を吐き、ある者は中指を立て、ある者は申し訳なさそうな表情を浮かべるものの、やはり誰も救いの手を差し伸べることはなかった。


 そんななか――



「世界も、異世界も人間という生き物は変わらないのう?」



 アンジーが発した言葉が、妙にマコトの耳に残っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る