3
「そういえば、優樹菜が一昨日、ホテルの前で愛を見たって言ってたけど」
大学の友人である祐希から言われた言葉に、愛の背筋は凍りついた。
先週、綾香と行ったチェーン店のカフェ。
街中にある同じチェーン店のカフェは、夏休みの時期が重なったせいか、若い客で賑わい満席となっていた。
「一昨日は――」
言葉にしながら、愛は答えを探す。
目の前の友人に、不信感を与えないよう慎重に嘘を考える。
「家族で親戚の家に泊まりに行ってたよ。だから、別人だと思う」
微笑みながらも、愛の心は酷く焦っていた。
「だよねー。愛に限ってそんなことはないよねー」
祐希はストローでカップの中身をかき混ぜながら、
「なんか、三十代くらいのおっさんと一緒にいたんだって。援交って本当にあるんだね」
屈託のない笑顔で愛に言った。
目の前にいる、同じ大学の友人。愛より一つ下の年下の彼女。
大学に入学して、初めて声を掛けてくれたのが彼女だった。
こうして隣にいるのに、彼女とは生きている世界が違うのだと、愛は思い知らされる。
「――どうして、援助交際なんてするんだろうね」
愛はストローでカップの中身をかき混ぜる。
白いクリームが珈琲の中に沈み、ほんのりと茶色味を帯びた。
「なんでだろうねー。お金稼げるっぽいし、普通に働くのが馬鹿らしいんじゃない?」
まるで直接言われているような気がして、愛の心は沈む。
「そうかもね。普通にバイトすればいいのにね」
普通に生きてきた貴女には分からないと、喉元まで出てきた言葉を呑み込む。
表情に出さず、小さく微笑んで、愛はカップの中身をかき混ぜる。
「まさか愛から、援助交際って言葉が出るなんて思わなかった」
おどけたように祐希が言う。
「え、意外かな……?」
「意外だよ、びっくり。だって愛、男っ気全然ないじゃん」
思わぬ言葉に、愛は面食らう。
「そう、だね……男の人苦手だから。お父さんも煩いし」
「本当、お嬢様だよねー。あんな高そうなマンションでひとり暮らしなんて。また泊まりに行ってもいい?」
「うん、全然いいよ」
「宅呑みしようね」
嬉しそうに祐希が言う。愛もつられて笑顔になる。
「はあーバイト行きたくないなー。せっかくの夏休みなのにバイトばっか。私も援交してみようかなー」
何気ない冗談。それなのに愛の胸はちくりと痛む。
「だめだよ。自分を大切にしなきゃ」
「わかってるよ、冗談。愛、流されやすいのに、そういうとこしっかりしてるよね」
「祐希より、一個上ですから」
悪戯っぽく微笑む愛。
「見た目は高校生みたいなのに」
くすくすと笑う祐希。
大学に入学し、こうして気軽に話せる友人ができたことは、愛にとって嬉しいことだった。
それでも、埋まらない溝に気付く度に、愛の心は静かに曇っていった。
帰宅しシャワーを浴びる。冷蔵庫からビールの缶を取り出し、点けっぱなしのテレビを横目にソファーに腰かける。
ビールの缶を開け、身体に流し込む。仕事終わりの一杯は相変わらず格別だと、綾香はしみじみと感じる。
ふと、綾香は着信が入ってることに気付き、スマホを手に取る。
「……愛ちゃん」
珍しい愛からの着信に、内心驚きながらも履歴から電話を折り返す。
「もしもし?」
少しの間の後、
「あやかさん」
四日振りの愛の声に、綾香は安心する。
「電話どうしたの? 珍しいね」
「ごめんなさい。無性に綾香さんに会いたくなって」
綾香の胸は嬉しさでじんわりと温かくなる。
「嬉しい。明日どうする? うちくるでしょ?」
再び、少しの間の後、
「――いいんですか」
心配するような愛の声。
「いいにきまってるよ。私も早く愛ちゃんに会いたいし」
電話越しから、愛の声が聞こえなくなる。
「愛ちゃん?」
「綾香さん……」
今にも泣きだしそうな愛の声に、綾香の胸がざわめく。
「どうしたの? 何かあった?」
思わず身を乗り出す。
「なんでもないです。早く綾香さんに会いたくて」
綾香はそっと胸を撫で下ろす。そして、優しい声で続ける。
「あと一日だよ。明日の今頃にはもう会えるよ」
「――はい」
愛の声が明るくなる。
「休憩終わるので、切りますね」
「愛ちゃん」
「はい」
「好きだよ」
沈黙が訪れる。自分でも恥ずかしくなり、綾香は膝を抱えた。
「綾香さんのばか。お酒飲みすぎちゃだめですよ! また明日連絡します! おやすみなさい」
電話越しでもわかる、早口で、恥ずかしそうな愛の声。
スマホをソファーに放り、綾香はビールを一気に口にする。膝を抱えて小さく丸くなる。
「学生かっての」
恥ずかしさを紛らわすように、綾香は垂れ流しのテレビを眺めた。
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