「そういえば、優樹菜が一昨日、ホテルの前で愛を見たって言ってたけど」

 大学の友人である祐希から言われた言葉に、愛の背筋は凍りついた。

 先週、綾香と行ったチェーン店のカフェ。

 街中にある同じチェーン店のカフェは、夏休みの時期が重なったせいか、若い客で賑わい満席となっていた。

「一昨日は――」

 言葉にしながら、愛は答えを探す。

 目の前の友人に、不信感を与えないよう慎重に嘘を考える。

「家族で親戚の家に泊まりに行ってたよ。だから、別人だと思う」

 微笑みながらも、愛の心は酷く焦っていた。

「だよねー。愛に限ってそんなことはないよねー」

 祐希はストローでカップの中身をかき混ぜながら、

「なんか、三十代くらいのおっさんと一緒にいたんだって。援交って本当にあるんだね」

 屈託のない笑顔で愛に言った。

 目の前にいる、同じ大学の友人。愛より一つ下の年下の彼女。

 大学に入学して、初めて声を掛けてくれたのが彼女だった。

 こうして隣にいるのに、彼女とは生きている世界が違うのだと、愛は思い知らされる。

「――どうして、援助交際なんてするんだろうね」

 愛はストローでカップの中身をかき混ぜる。

 白いクリームが珈琲の中に沈み、ほんのりと茶色味を帯びた。

「なんでだろうねー。お金稼げるっぽいし、普通に働くのが馬鹿らしいんじゃない?」

 まるで直接言われているような気がして、愛の心は沈む。

「そうかもね。普通にバイトすればいいのにね」

 普通に生きてきた貴女には分からないと、喉元まで出てきた言葉を呑み込む。

 表情に出さず、小さく微笑んで、愛はカップの中身をかき混ぜる。

「まさか愛から、援助交際って言葉が出るなんて思わなかった」

 おどけたように祐希が言う。

「え、意外かな……?」

「意外だよ、びっくり。だって愛、男っ気全然ないじゃん」

 思わぬ言葉に、愛は面食らう。

「そう、だね……男の人苦手だから。お父さんも煩いし」

「本当、お嬢様だよねー。あんな高そうなマンションでひとり暮らしなんて。また泊まりに行ってもいい?」

「うん、全然いいよ」

「宅呑みしようね」

 嬉しそうに祐希が言う。愛もつられて笑顔になる。

「はあーバイト行きたくないなー。せっかくの夏休みなのにバイトばっか。私も援交してみようかなー」

 何気ない冗談。それなのに愛の胸はちくりと痛む。

「だめだよ。自分を大切にしなきゃ」

「わかってるよ、冗談。愛、流されやすいのに、そういうとこしっかりしてるよね」

「祐希より、一個上ですから」

 悪戯っぽく微笑む愛。

「見た目は高校生みたいなのに」

 くすくすと笑う祐希。

 大学に入学し、こうして気軽に話せる友人ができたことは、愛にとって嬉しいことだった。

 それでも、埋まらない溝に気付く度に、愛の心は静かに曇っていった。


 帰宅しシャワーを浴びる。冷蔵庫からビールの缶を取り出し、点けっぱなしのテレビを横目にソファーに腰かける。

 ビールの缶を開け、身体に流し込む。仕事終わりの一杯は相変わらず格別だと、綾香はしみじみと感じる。

 ふと、綾香は着信が入ってることに気付き、スマホを手に取る。

「……愛ちゃん」

 珍しい愛からの着信に、内心驚きながらも履歴から電話を折り返す。

「もしもし?」

 少しの間の後、

「あやかさん」

 四日振りの愛の声に、綾香は安心する。

「電話どうしたの? 珍しいね」

「ごめんなさい。無性に綾香さんに会いたくなって」

 綾香の胸は嬉しさでじんわりと温かくなる。

「嬉しい。明日どうする? うちくるでしょ?」

 再び、少しの間の後、

「――いいんですか」

 心配するような愛の声。

「いいにきまってるよ。私も早く愛ちゃんに会いたいし」

 電話越しから、愛の声が聞こえなくなる。

「愛ちゃん?」

「綾香さん……」

 今にも泣きだしそうな愛の声に、綾香の胸がざわめく。

「どうしたの? 何かあった?」

 思わず身を乗り出す。

「なんでもないです。早く綾香さんに会いたくて」

 綾香はそっと胸を撫で下ろす。そして、優しい声で続ける。

「あと一日だよ。明日の今頃にはもう会えるよ」

「――はい」

 愛の声が明るくなる。

「休憩終わるので、切りますね」

「愛ちゃん」

「はい」

「好きだよ」

 沈黙が訪れる。自分でも恥ずかしくなり、綾香は膝を抱えた。

「綾香さんのばか。お酒飲みすぎちゃだめですよ! また明日連絡します! おやすみなさい」

 電話越しでもわかる、早口で、恥ずかしそうな愛の声。

 スマホをソファーに放り、綾香はビールを一気に口にする。膝を抱えて小さく丸くなる。

「学生かっての」

 恥ずかしさを紛らわすように、綾香は垂れ流しのテレビを眺めた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る