02 東向きのエミル


 SWATの突入が失敗に終わった直後のはなし。


 エミルたち4人は集合していた。

 テロリストたちの追跡がやんでいた(――彼らはこのとき、屋上のトラップを再設置している)。

「この状況はまずいわ」

 ヘディが言った。

「ぼくらの勝ち目がなくなったもんね」

 エミルが言った。

「……大統領に電話をかける」

 ラスティがポケットからスマホを取り出し、電話した。「あれ? 繋がらないな。誰かと話してるのか?」

 すこし待ってからもう一度かけると今度は繋がった。

『……ゴアだ』

 なにやら憔悴しきった声だった。

 ラスティは思った。――これだけのことが起こっているのだから、そのプレッシャーは計り知れないもんな。

「大統領、いざというときには、このケースを開けるとおっしゃっていましたね?」

『ああ。言った』

「いまがそのときではありませんか?」


 エミルたちは大統領に8桁の暗証番号を教えてもらい、ケースを開けた。なかみはまるまるコンピュータだった。それをみて、ヘディが目を輝かせた。


 大統領によると、誰かの掌紋を登録すれば、コンピュータにロックをひとつ、上乗せできるということだった。それを使えば、すこしでも時間をかせげるかもしれない。


「で。誰にするんだ?」

 ダイスケがみんなに訊いた。

「うーん……」

 ラスティは考えた。

 このなかでいちばん運動神経が良いのはダイスケだ。

 とはいえ、追いかけっこは、身体能力がすべてではない。

 機転を利かす能力や、上手に潜伏する能力、それに相手の裏をかく能力など、いろいろな要素で勝敗がきまる。

 裏をかくのはダイスケよりも、自分のほうが上手だ、とラスティは思った。とはいえ、微妙にニュアンスが被るが、意表をつくのはエミルがいちばんうまい。だが、それならあえて、運動能力の一番ひくい、ヘディを登録しておくこと自体が、相手の意表をつくことになるのではないか?

 ――難しいなあ。


 その後、ラスティたちはもうすこしだけ相談をして、誰にするのかをきめた。


     ***


 事件が発生してから1時間以上も経ち、その間ずっと走り続けていたからか、子供たちのちいさな身体には体力がほとんど残されていないようすだった。

 なのでコリーたちが4人の子供全員を捕まえるのは、それほど難しいことではなかった。

 エミルとヘディはカメラの機能していない廊下の隅に隠れていたが、すぐにみつかった。ラスティは裏をかくように動いていたが、さすがに集中して狙えばあっという間に捕まえられた。ダイスケだけがさいごまで抵抗し続けたが、バリーが引きずって管理室まで連れてきた。


 テロリスト3人と子供たち4人は管理室に集まった。


 コリーはテーブルに置かれたケースのまえで、ずらっと並んだ子供たちを見回した。

 ――誰の掌紋が登録されたのか?

「…………」

 ――ぜんぜん、わからん。

 ラスティとヘディは緊張しているのか、ずいぶんと険しい表情をしている。

 エミルは落ち込んでいるのか、顔がみえなくなるほど深くフードを被ってうつむいている。

 ダイスケはなにが楽しいのか、へらへらと笑っている。

 ――まあいい。片っ端からためそう。

「ここに手をのせろ」

 まずはヘディに言った。ポールが彼女の腕をつかもうとしたが、彼女はそれを払った。「自分でやるわよ」


 右手をのせる。

『エラー 認証に失敗しました』

 との表示が出る。

 続いて左手をのせる。

『エラー 認証に失敗しました』

 との表示が出る。

 ――ヘディではなかった。


 次にラスティの右手でためした。

『エラー 認証に失敗しました』

 左手をためす。

『エラー 認証に失敗しました』

 ――ラスティでもなかった。


 三番目にためしたのはダイスケ。

 右手。

『エラー 認証に失敗しました』

 左手。

『エラー 認証に失敗しました』

 両手をためしたが、ダイスケでもログインできなかった。


 ――となると。

「エミル、お前だったのか」

 部屋のすべての視線がフードを被った少年に集中する。

「手をのせろ」

 とポールに言われて、エミルは無言でそれに従う。

 まずは右手。

『エラー 認証に失敗しました』

「……まったく、往生際が悪いな。ここまできたら、最初からただしい方でやれよ」

 ポールがそう言ったが、エミルはその言葉を無視して、やはり無言で、最後の手をのせた。


『エラー 認証に失敗しました』


「……そんな馬鹿な!」

 コリーが驚愕した。

「どうなってんだ!? 誰の手でもなかったぞ!」

 バリーが叫んだ。

「おいみろ! この手!」

 ポールが言って、エミルの手を指差した。

 ……その手はなぜかしわくちゃで、皮が異様に薄く、血管が浮き出て、やけに骨ばっていた。

「お前、さてはエミルじゃないな!?」

「誰だ!」

 コリーがその者のフードを剥ぎ取った。

 エミルとおもわしき人物の顔があらわになった。

 老人だった。

 そのご老体――サンダース爺さんは、金色の犬歯をきらりと輝かせて言った。


「わー、しー、じゃーよ」


「「「誰だよ!」」」


 ――サンダース爺さんとは、廊下を走る子供たちを叱るため、毎日、自分の部屋のドアを開けっ放しにしている老人だ。ということは……(マンション内に取り残された住民は、全員が、事件発生時からドアにロックをかけられ部屋を出ることができない状況にあったが)……彼だけは自由に出入りできた。そして事件途中でばたりとエミルに出会い、さきほど彼にパーカーを着せられた。サンダース爺さんはまるで子供のように身長がひくいから、フードを深く被って沈黙していればエミルとそっくりそのままである。


 そのとき、子供たちのもつトランシーバーがいっせいになった。


『はっはっはーっ! ぼくだよ。掌紋を登録したのは、このぼくだ!』

 エミルは威勢よく言い放つ。『悔しかったら、ぼくを捕まえてみろ……ばぁーか!』


「ちくしょう、くそガキがぁーっ!」

 その声をきいた瞬間、コリーは怒声をあげながらも、ケースを抱え、愛用のチェーンソーをひっさげ、どこかうきうきとした足取りで部屋を飛び出していった。


「…………」

 ――追いかけるのが楽しくなってんな、ありゃ。と、ポールはその背中をみて思った。

「おれたちはどうする?」

 ポールはバリーに訊いた。

「おれらもいこうぜ。やることねえしな」

 バリーは答えた。

「それはさせない」

 ラスティが冷たく言い放つ。

「「……あ?」」

 バリーとポールはその声に反応し、振り向いた。ラスティは管理人の死体の腰から鍵の束を取って、部屋の入口にむかって投げる。「アネゴ!」

 すでに走り出していたヘディがそれをキャッチし、部屋を出た。

「まずいぞ! 外から鍵を締める気だ!」

 ポールとバリーが彼女の背中を追う。ふたりの目のまえでドアが閉まる。まだ鍵は差し込まれていない。バリーがドアノブに手を伸ばす。

「おりゃあ!」

 ダイスケが彼にタックルした。ふたりは床を転がった。

 続いてポールがドアノブに手を伸ばす。

「おいやぁーぁっ!」

 こんどはサンダース爺さんが彼にタックルした。ポールはすこしよろける程度だったが、その瞬間、目の前でガチャンと鍵の回る音が鳴った。

「閉められた!」

「内側からは開かないぞ!」

 ふたりはなかばパニックになった。

「このくそガキがっ!」

 堪忍袋の緒が切れたバリーは、腰にしがみつくダイスケにむかって腕を振りかぶる――。

 そのとき。


 ぱーん。


 と銃声がなった。

 はっとして腕をとめ、バリーは音のしたほうをみた。

 ラスティが拳銃をかまえていた。

「とまれ。撃つぞ」

 銃口をバリーにむけて言う。

「……なんでガキが、そんなもん持ってんだよ」

「エントランスで眠るコンシェルジュから借りたのさ」

「なるほどな」

「あんたたちの負けだ」

「それはどうかな」

 ポールが銃をラスティにむけた。ラスティが彼にむかって銃を構えなおす。

 すると今度はバリーが銃を取り出し、やはり銃口をラスティにむけた。

「負けるのはお前だ」

「いいや、どうかな」

 ラスティは懐からもう一丁の銃を取り出した。二丁の銃をそれぞれ、バリーとポールにむける。

「二丁だと?」

 ポールの眉間にしわがよる。

「コンシェルジュは二人いたからな」

 ラスティは二丁の拳銃を構えたまま、状況に物怖じることなく淡々と答えた。そのさまが、信じられないほどクールだった。

 ――子供に銃は撃てやしない。

 ポールは目を凝らし、冷静に観察する。――ラスティのもつ拳銃は、二丁とも、セーフティがしっかりと解除されていた。

「ちっ」

 ――まあ、そのくらいの知識があってもおかしくはないか。

「坊主。それは子供のおもちゃじゃねーんだ。降ろせ」

「断る」

「このくそが。……考えてもみろよ、お前。素人のガキが人を撃てるつもりでいるのか?」

「やってみないとわからないさ」

「銃を撃ったことはあるのか?」

「さあ。どうだろね。ふつうの子供のように、経験がないのかもしれない。だけど、ひょっとしたら、あるのかもしれない。この世界は〈意外〉で満ち溢れているからな」

「ハッタリだ。こっちは二人とも、日常的に人を撃ってんだぞ? あきらかにお前の分が悪い。だいいち、撃ったところで命中しないさ」

「そうか? だったら先輩、教えてくれよ――」

 ラスティは大きく頬を吊り上げ、冷笑して言った。


「この銃口は、いま、あんたの頭を捉えているか?」


     ***

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