03 東向きのエミル


「待てこらーっ!」

 コリーはエミルを追いかける。

 エミルは階段をあがっていく。

 ぶんぶんとチェーンソーを鳴らしながら、コリーはその背中を追いかける。

 ふたりは階段を駆け上がる。

 駆け上がる。

 駆け上がる。

 駆け上がる。

 ――さんざん駆け上がったすえ最上階まで到達した。

 それでもまだ、まえにいるエミルは上がろうとしている。

「おい! 待て!」

 コリーははっとして叫んだ。

 ――そのさきには再設置したトラップがあるのだ。これ以上、のぼってはいけない。

「エミル、危険だ! 止まれ!」

 叫び声がきこえているはずのエミルは足を止めなかった。

 コリーは考えた。

 ――まさか、トラップのことを知らないのか?

 そんなわけがない。

 じゃあ、なんで、そこへむかっていくんだ?

 ――わからない。

「まさか」

 そのとき、コリーの脳裏に信じられない考えが浮上した。


 死ぬつもりなのか――?


 コードを使うための最後の鍵はエミルの掌紋だ。それがなくなれば、コリーたちは永遠にロックを解除できなくなる。

 つまり、エミルの身体が木っ端微塵に吹き飛べば——。


 彼は世界を救うことができる。


 ――そんな馬鹿な。

 背筋に冷たいものが走った。

「おい馬鹿、止まれ! ……止まってくれ!」

 エミルはまったく足を止める気配がなかった。その背中がどんどんと遠のいていく。

「くそっ」

 ――そんな後味の悪いこと、させてたまるか。

「ポール!」

 コリーは無線に叫んだ。「爆弾を解除しろ! いますぐに!」


     ***


 ラスティと睨み合っていたポールは、コリーからの連絡を受けて、自分の銃を床にすてた。

「くそっ。……撃つんじゃねーぞ」

 ラスティにそう言って、ポケットからアンテナの付いた機械を取り出す。

 ――どれだ!?

 一瞬迷う。

 もともと爆発物の担当はフリッツだったのだ。機械に付いた大量のスイッチの、どれがどの個別のトラップとリンクしているのかまではわからなかった。

 ――急がないと、ボスまでも危険に晒してしまう!

 ポールはとっさに、すべての爆弾が解除されるスイッチを押した。


 ……ラスティはこのときを待っていた。「いまだ!」と彼は叫んだ。


 ラスティのポケットのなかではスマホが繋がりっぱなしだった。それを通して、合図が外にいる部隊に伝わった。

 バッシャーンッ!

 耳を劈く音がなって、管理室の窓が破られた。

 特殊部隊が部屋になだれ込む。

「銃をおろして手を頭のうしろへ!」


「……あーあ。これは、おれたちの負けだな」

 バリーは潔く拳銃をすてた。


 テロリスト二人は手を頭のうしろにまわして降参した。


     ***


 エミルはトラップのまえを躊躇なく駆け抜けた。爆弾の停止は間一髪で間に合った。

 瓦礫になった、不安定な足場をのぼっていく。

 コリーはそれを追いかける。

 屋上の出口を一歩出たところで、エミルは瓦礫に足をひっかけた。

「うわっと」

 転ぶ。

 ――いまだ!

 コリーが追いつき、その背中に手を伸ばす。

「……っ!」

 その手をするりとかわして、立ち上がり、エミルはまた駆け出す。

 ふたりは屋上を端まで走った。

 西側の端のフェンスのまえでエミルはようやく足をとめた。

 彼のむこうのはるか遠くで、真っ赤に燃える夕日がいまにも沈みかけていた。

「飛び降りでもするつもりだったのか?」

 コリーは茜色の逆光にむかって言った。「それとも、夕日がみたかったのか? ……もう行き止まりだぜ」

「……うん。行き止まりだね」

 くるりとまわって――


 エミルは東を向いた。


「追い詰められちゃった」

 少年は小首をかしげて微笑んだ。

「……かわいく言っても、容赦しないぞ」

「ちぇ。それは残念だ」

 エミルはすねたように言った。

 その栗色の髪が、ぱらぱらと風に舞っている。

「降参しろ。お前の負けなんだ」

「うーん。どうだろ」

「どうだろ……じゃねえ! お前の背中にはもう、フェンスが当たってるんだ」

「そうだね」

「おれの勝ちだ」

 コリーはチェーンソーを鳴らしながら言った。「さあ。このケースに手をのせろ。それを拒むなら、おれはお前の手だけを借りるぞ」

「いやだ!」

「わかってねえな。もう、お前の負けなんだ」

「……いいや、違うよ? それは違う」

 エミルは片手を上げた。

 瞬間、その手のなかで何かがはげしくきらめいた。

 コリーはその七色の輝きに、目がくらんだ。でもそれはほんの一瞬だった。

 エミルは手のひらをみせた。そこにはもうなにもない。なにも持ってはいない。たしかに何かがあったはずなのに、まるで手品のように消失している。

 エミルは腕を掲げたまま、その空っぽになった手を今度はピストルの形に変えた。

 ――なんだ、あの形は?

 コリーはそれを知っている気がした。

 ――なにか意味があるのか?

 どこかで、みたことがある。

 エミルは身体を半身そらして、笑顔で宣言した。


「ぼくらの勝ちだ」


 その腕を振り下ろす――。

「あぁっ!」

 コリーはその瞬間になってようやく気がついた。

 ――これは〈撃て〉のハンドシグナルだ!

 そうか。

 そうだったのか。

 追い詰められていたのは、自分のほうだ。


 エミルと夕日のあいだに——クライスラービルの巨大なシルエットがみえた。


 その七十七階建てのビルが完成したのは、今からもう一世紀近くまえのはなしだ。

 だが、高層建築物が多く立ち並ぶこのマンハッタンの建造物のなかでも、いまだに、ひときわ背が高い。

 むこうの最上階からなら、こちらを見下ろすことができるだろう。

 ――しまった!

 もう間に合わない。コリーはすべてを理解した。――やはりエミルのことを今日まで自分は知らなかったのだ。であれば、なぜエミルのなまえに既視感を覚えたのか? ――それは、〈イーストン〉というファミリーネームのせいだ。もう一人のほうのイーストンを、おれは知っている。


〈エドワード・イーストン〉――全米最強の狙撃手。


 そのとき――五番街から一番街にかけての空間を――一発の弾丸が切り裂いた。


 全米最強の狙撃手にとって、3285フィートもの距離は目と鼻の先だった。


「…………ッ!」

 ――この場所まで、おれを誘導したのか。


 弾丸はコリーの胸に命中し、貫いた。


     ***

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